私たちは犬との生活(猫もだけど)に求めているものは
犬と心を通わせ、犬もヒトもはつらつと暮らしを
謳歌することじゃないでしょうか?
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もちろんお互い齟齬が生じることもあるでしょう。
だって違う種なんですから。
そういう時に、お互いが分かり合うためにすることは、
ヒトが犬のことを知り、犬が理解できる働きかけをすることだと思います。
「理解できる」というのは、犬が「自分が間違っている」と
認識することではありません。
だって、犬に「自分が間違っている」はないからです。
夏目先生の投稿…
犬にとって、何にも嬉しくないよ、というようになってしまった、家族(人間)からの働きかけをうれしくさせるように、こちらからの働きかけを止めた状況、環境を作り(日常的な無視を2週間ばかり作り)社会的動物には耐えきれない刺激不足から心を壊す寸前に、少しずつ働きかけを復活させる、というのが愛情遮断の考え方だと思います。
そこに横たわるものは、悪いのは犬。大切なことは、先ほど投稿したように、犬は何を欲するのかの理解があれば、犬が混乱しないように導くことができるはずだ、ということ。何がどういけなかったのか学ぶべきは人。それを理解させなければ(人間にね)、いつまで経っても、同じことの繰り返し。犬が混乱する接し方が日常になっている人間側の働きかけの、何がどうイケナイかを人間が教わらず、犬には辛い一律遮断というところに、アンフェアな感じを受けます。(無視より罰を欲するそうです、刺激が欲しいわけですね)この方法が一人歩きし、古典的条件づけを駆使した矯正法を使いこなせない人が、保護犬、またはトラウマを追った犬に使用することが問題だと思います。身体的にも負担をかけます。ストレスによる下痢など。咬むことは悪い、ただ、そうさせたのは人間であるわけですから、人間の接し方をまず変えるべきでしょう。
不安や恐怖が問題行動の根源であるということから
「命の安全」「不安がないこと」「恐怖がないこと」が動物の幸せであると、
心に留めて犬や猫に接するようにすることが動物福祉であり、
犬とともに暮らすだいご味でもあると思います。
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