おじさんのスポーツおたく奮戦記? 第2章:issanの諸国漫遊記!?

岡山のスポーツチーム、出身選手、岡山に関係する人々などを勝手に応援するissanの日本国内漫遊記 !?

今年の恵方は『南南東』

2021年02月02日 07時11分00秒 | ノンジャンル

恵方巻の起源は大阪とされていますね。一つの説ですが、大阪の海苔業者が販売促進のために考えついた、というのが一般に流布しています。



恵方巻の太巻きには7種類の具材を使うとされています。その7つという数は商売繁盛や無病息災を願って七福神に因んだもので、福を巻き込むと意味付けされるからです。特定の7つと定まったものではありませんが、定番の7種は以下のものとなります。

①干瓢
②胡瓜
③だし巻(又は伊達巻)
④穴子(又は鰻)
⑤桜でんぶ
⑥高野豆腐
⑦椎茸煮



出典:https://illust-stock.com/makizusi-ehoumaki

そして、今年の恵方は『南南東』です。

さて、ここで何かしらの疑問が湧いてきます。今年の節分は何故か今日なんですね。

節分は季節を分けるという意味の雑節です。立春・立夏・立秋・立冬の前日を指すはずだったものが今日では立春の前日のみが残ったと思われます。国立天文台暦計算室によると、「立春は春分や秋分と同じく二十四節気の一つです。立春の前日のみが節分として残ったのは、立春が太陰太陽暦(旧暦)の正月に近く、年の変わり目の意味合いが強いからと言われています」とのことです。

今年の立春が2月3日になった為、節分が2月2日になったということです。



立春が1897年以来、124年ぶりに2月3日になったとされていますが、実は1984年に2月5日になっています。このように立春の日が前後するのは何故でしょうか?

それは地球が太陽の周りを公転する周期が365日ではないからです。それは、365.2422日だそうです。時間に直すと、365日と6時間弱ということになります。この6時間弱という端数のために、4年に一度うるう年を設けて調整するのですが、ピッタリ6時間でない為に少しずつ時間はずれていくことになり、積もり積もって124年ぶりに立春が1日前にずれたという訳です。聞くところによれば、今後は4年ごとに節分が2月2日になるようで、36年後の2057年と翌年の2058年の節分が2年続けて2月2日になった後はどうなるのかよく分かりません。36年後は私は100歳間近ですので、恐らくこの世にいないでしょう。その検証は若い皆様にお任せします(笑)

節分に豆をまいたり、恵方巻を食べることによって、宇宙の営みにまで思いを馳せることができるというのはロマンあふれる話です。


出典:https://www.sirogohan.com/recipe/ehou/

ちなみに、地球が自転しているのは誕生の頃に惑星同士が衝突した時の惰性だそうで、約1億8千万年ごとに1時間、時点速度は遅くなってきて、いずれ地球は自転を止めるそうです。1億8千万年後に人類が存在するかどうかは分かりませんが、その頃のリポートを聞いてみたいものですね。過去に遡ってみれば、恐竜の繁栄していた頃の地球は1日が23時間だったということになり、それも不思議な感覚です。恐竜絶滅は巨大隕石衝突による気象変動と言われていますが、もし小惑星などが地球に衝突するようなことがあれば、自転の時間や公転の軸がずれてしまうこともあるでしょうから、それはそれで大変な非常事態ではあります。それまでもひっくるめて宇宙は想像を絶する営みを繰り返しており、敦盛や信長でなくとも人の一生は「夢幻の如く也」ですね。

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せめて、100年にも及ばない儚い人生なら、できるだけ楽しいことを増やさないと損ですね。

恵方巻を食べるのが1日早くなった今年の節分によって、宇宙規模のロマンを感じてしまうようなおめでたいissanの戯言でした。

失礼いたしました。
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『学歴が全てではない』と言えるのは学歴を持つ人の戯言 !?

2021年02月02日 06時24分00秒 | ノンジャンル

issanが大学を受験していた頃、それは昭和50年代なのですが、その頃東京に住んでいた知り合いに質問されたことがあります。

「田舎から受験に来る人は殆ど合格するのに、東京の人たちは何故大学に受からないんだろう?」

私は答えました。「東京の高校生って、半数以上が大学を受験するでしょう。田舎はまだまだ進学する高校生は少なくて、せいぜい2割の人が大学を受けるだけですから、結果的にそう見えるだけですよ」

issanは東京でも幾つかの大学を受験し合格もしましたが、最終的に国立には合格できず、そこで受験戦争の終戦を迎えました。国立の失敗は明らかに作戦ミスでしたが、当時は地方試験などが殆どなくて、受験で色々な大学を訪れることが楽しみでもあったので、受験勉強する人や合格すること以前に受験することそのものが目的のようになっていました。親にとっては迷惑千万な話だったと思いますが、受験料を出していただけたことに感謝いたします
そして、最終的にissanが進学先に選んだのが関西大学です。



当時は高校生ですから浅はかな考えだったのですが、選択肢の中にあったことは以下のようなものでした。

①宗教の関係の学校には行かない。
②できるだけ学費は安い方が良い。
③校風はバンカラが良い。
④自由で明るいイメージの学校である。
⑤東京よりは関西、できるなら大阪の学校。


その選択肢で考えると、同志社と関学は当初から除外。京都の大学はキャンパスが狭い上に、思想が過激な大学が多いので立命は除外。東京で受けるなら、早稲田、明治、法政に絞る。すべり止めは受けない前提だが、岡山で地方試験がある大学は問題に触れる為に受験することも考える。そこで受験先に入ってきたのが、当時は新参の部類だった京産大でした。

結果は、関大が2学部合格、法政の経済学部にも合格。その時点で、東京へ行くなら早稲田のみという頭がありましたから、明治の受験を回避して早稲田を受験。勿論、玉砕しました(笑) 当時、私立の入試ではかなり珍しくなっていた全問記述式の問題は難しいとは感じませんでしたが、「早稲田はほぼ満点取らないと合格しない」という噂通りの結果でした。

そもそも英語が壊滅的だったissanにとっては、得意の国語と社会に全力を尽くすという作戦しかありませんでしたから、国語と英語の配点が同じ200点だった関大は理想的な受験先だったのです。英語は足切りに引っかからなければ良く60点~70点程度と予測、国語で8割取れば160点で合計220点とすれば、社会(選択は日本史でした)で9割以上、あわよくば満点取れるという考えのもとで、最低310点と計算。当時の関大の合格ラインは500点満点の280点~290点と言われていたのでなんとか合格に滑り込めると安易に考えていたのです。

話が逸れますが、野球での推薦を得ていた上田利治さんが、当時の推薦加点だった100点を加えなくても、一般得点だけで500点満点の498点だったというのは、今でも伝説として語り継がれています。弁護士を目指していた上田さんは野球部の練習が終わってから、弁護士をされていた親戚の家で司法試験の勉強をされていたというのも有名な話です。カープへ入団したのも、正式には東洋工業(現:マツダ)の社員としての採用で、カープへ出向していたとのことです。

それはさて置き、そんなこんなで国立の受験に失敗したissanは全く気落ちすることなく、大阪での学生生活に夢を膨らませていました。

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issanの話が主題ではないので、そろそろ話を戻します。



よく「学歴だけが全てではない」「子供には自分の夢を追ってほしい」「やりたいことがあればそれに向かって進んでほしい」などという方を多く見てきました。

それは理想とすれば正しいことだと思います。ただ、そんな中で現在の大学進学率は54%と言われています。
幼稚園からお受験に巻き込まれ、小学校、中学校と有名私学の附属校は大学よりも競争率が高いとされています。親たちは理想を語ったとしても「我が子は別」なのでしょうね。

そもそも「学歴が全てではない」と語られているお父さんが東大卒だったというのは、ほぼ定番のお話です。自らの余裕が語らせるのであって、学歴にコンプレックスを抱く親にとっては子供に自らが果たせなかった道を歩んでもらいたいと思うのは至極当然の流れでしょう。



昨今持て囃される「高学歴芸人」ですが、これだけ大学進学率が上がってくれば大卒の芸人が増えるのは当たり前で、そもそも大卒が「高学歴」なのか、という疑問は常に付きまといます。私自身は大卒が高学歴とは言えないと考えていますが、そのことすらも大卒の傲慢と言われるものなのかも知れません。やはり、世の中は学歴偏重なのは間違いありません。

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歴史を遡っても学歴というか、知識人が重用されてきたのは事実です。公家であれ、武家であれ、知識人は大事に扱われてきました。当時こそ「文武両道」は非常に重要視された部分です。現在の大河でも重要な役割を果たしている細川藤孝が攻め滅ぼされることなく現在まで家系を引き継いでこられたのも武芸ではなく、古今伝授をはじめとする類まれな才覚の為せる業でした。

知識は人を助けることは間違いありませんが、それは学歴がなくても得る機会があります。しかし、学習の機会を得られるということには感謝しなければなりません。また、大学生としての生活は勉学以上に社会的な経験を積むことに意味があるとも言えます。

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取り留めもなくあれこれ考えていると、やはり上の学校へ行けるものなら行った方が良いという結論になりました。ただ、大学に行くことが当たり前ではないということ、大学に入る前に目的を見出すことは難しいと思うのですが、4年間で自らが目指すべき目標は見出してほしいものです。

自分の子供たちには負債を負わせたくないと思い、奨学金を受けたりアルバイトさせたりということがなくても、学生生活を全うさせることが親の最低限の義務だと信じて、どれだけ無理を重ねても子供たちに金の心配だけは絶対にさせないと決めて頑張ってきました。それも親のエゴなのだとは思いますが、それを良しとしてやって来ました。

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何のことかよく分からなくなりましたが、結論として「学歴は重荷にはならないので、高ければ高いほどありがたい」ということと感じました。学生の皆さん、大学が全てではありませんが、行けることは当然ではなく感謝しないといけないということを忘れないでくださいね。

よろしくお願いします。
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