Evergreenでちょっとsilverなdiary

人生100年時代といえども後半戦。好きなものはアレコレ・・・本、映画、観劇、ガーデニングに食べること。

あれは天の声だったのかしら~豪雨災害で被災してvol.6

2018-07-25 | くらし
広島ブログ

大型重機が入ったとはいえ、本格復旧の道のりはまだまだ遠い。
立ち入り禁止箇所を通って、自宅に出入りしている状態です。


まだ、道路にはポストが埋まるほどの土砂が積もり、粉塵や匂いもひどい。
窓を開けることもできません。

砂防ダムの修復には4~5年はかかるだろうといわれています。
その間、雨が降るたびに、おびえる日が続くのでしょう。
未来を見ると少し息切れするけど、身近な明日のことなら、考えられるというところかな。
 
今回、とても不思議なことがあったのです。
6日の夜、オットもわたしも『逃げろーー』という男性の叫び声を、確かに聴きました。

その声に驚いて、外に出てみると目の前を大木と車が流されていくのを目撃し、あわてて避難したので、その声の主が命の恩人ともいえます。
一緒に避難した隣の家のご主人も、たしかにその声を聴いた、と言っています。

あんな豪雨の中で叫んだのは、当然ご近所の方だと信じて疑っていなかったのですが・・・・誰も『違う』『自分じゃない』といいます。
じゃあ、誰????

わが家のお向かいには、3年前に突然死でご主人をなくされた奥さんとお嬢さんの2人だけの所帯があります。
そのおうちは、砂防ダムから水がくるとすれば真正面からぶつかる位置。
オットと私は、お向かいの亡きご主人が守ってくれたんじゃないかな、と思っています。

逃げる時には、無意識に左側の道を進みました。
深い考えがあって左折したわけではないけれど、あの時右側に進んでいたら、逃げる途中に、土砂と激流に埋まるところでした。

なにが運命を分けるかわかりません。
ほんの偶然の積み重ねで、生かされたんだと、深い気持ちになります。

それを思えば、洗濯物が干せないなんて小さい小さい。
通勤に片道3時間かかるのは、小さくはないけど、生きてるもの。元気だもの。

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この日焼けは健康的なのか~豪雨災害で被災してvol.5

2018-07-24 | くらし
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砂防ダムが決壊して、住宅に流れ込んだおびただしい土砂を前に、なにをどのようにしていけばいいのか、迷走中の私達の前に、ある日突然、救世主が舞い降りた。
その救世主、作業着を着て長靴をはいて、防災士のビブスを着て現れました。
 
災害の影響で帰宅できなくなって、町内の知人宅に宿泊されていた防災士さんが、我々の窮状を聞いてやって来てくれたのです。
そのまま自宅に戻らず、数日間に渡り、現場で適切な指示をしたくださいました。もちろんボランティア。

縁もゆかりもなくたって、助けてくれる人はいる。
『防災士』のゼッケンが輝いて見えたもんね。
近所の住民の個人の責任感だけで運営するには気力・体力の限界でしたから。

11日間、酷暑の中復旧作業を続けて、陽に焼けて顔は真っ黒になりました。
七難隠すとまでは言いませんが、どちらかというと色白だったのに・・・・この年齢で日焼けしたら、もう元には戻らないんじゃないかな(涙)

疲れすぎると食欲がわかないもの。
固形物がのどを通りません。一日1食、食べられるかどうか。
そんなときは、近所のおばあちゃんがどっさり差し入れてくれた野菜ジュースで生きつないでいたといっても過言ではない。
野菜ジュースのご恩も、一生忘れん。

あと、猛烈においしかったのがキューリの塩漬け。
水分・塩分が抜けた体に、キューリの水分と塩分がしみわたる。
今回のことで、がぜんキューリを見直しました。
声を大にしていいたい。
夏はキューリだ!熱中症対策にキューりの漬け物を全力でお薦めします。

夜は本来聞こえるはずのない水音で眠れません。
かといって睡眠薬を飲んで寝込んでるときに、また土砂崩れが起きたらと思うと、悶々とするばかり。
非常時は、誰しも心のバランスがくずれるもの。
人としてどうあるべきかを、自分に問いかけることが多かったです。

被災から一週間、毎日、住民で守り続けた砂防ダムに土木業者さんの大型重機が入った時は、思わず嬉し涙。

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無力感と戦う、やがて~豪雨災害で被災してvol.4

2018-07-23 | くらし
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避難所で過ごす2日めの夜。
体育館の屋根を叩く雨音に、よりいっそうナーバスになりました。

地域の被災を知って、県外から急きょ帰ってきた息子が、背中をトントンしてくれて、どっちが親かわかんないなと思ったけど、老いては子に従えって本当ですね。
オットは硬い体育館の床で、豪快いびきをかいて寝ていました。
それはそれでリスペクトします。

しかし、前日、泥に埋まりながら、10時間近くかかって作り上げた堤防は、夜半に降った雨のため、新しい土砂で埋まってました。

そのときの無力感ときたら……
それでも、お向かいの奥さんがたった一人で土嚢を引っ張り始めたので、わが家も参戦。
1人、2人と増えていき、あれよあれよというまに、やがて大勢の人がワラワラと集まってきました。
誰かが投稿したSNSで復旧作業の様子が広がったようです。
最終的には300人を超える住民が集まってきてくれました。
おかげで、大量の土嚢で堤防を再構築できました。


でも悲しいかな、ただただ土嚢を作ることしか思いつかないので、だれも的確な指示ができないのです。
だれがリーダーなのかも明確ではない。
土木や防災やボランティアの知識が無い素人住民集団。
そのため、かなり迷走し、せっかくボランティアに来ていただいた方からは『指示がない』『運営がなってない』とのお叱りも受けました。
う~ん、ただの近所のおじちゃん、おばちゃんには、なにかと荷が重いわ。

倒木を乗り越え砂防ダムにわけいって水路を変える、という危険きわまりない作業も、がんがんやってしまった。
よく二次災害がでなかったものだと思います。


これが豪雨被害から3日めのことです。
せっかくのお志で集まってくださるボランティアの方を、どうすれば、と途方に暮れていたところに、大天使ミカエル並の強力助っ人が登場。
次回に続く。

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やるべきことが見えた~豪雨災害で被災して~vol.3

2018-07-21 | くらし
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前回の続きです。
集中豪雨の翌日、7日の朝。
なんとか水の流れをこしらえようと、たった一人の男性が奮闘しているのを見た、というところから。

『一人でさせるわけにはいかない』とオットも水の中に入り、私は道行く人に片っ端から声をかけ、10人くらいの男性が集まってくれました。

にしても、10数人でどうなるものでもないけど、なにかせずにはいられないのは、もう理屈ではない。体が気持ちが勝手に動くのです。

オットには『危ない、来るな!!』と言われましたが、おとなしく聞く私ではない。迷わず水の中に。

長靴も軍手もなく、まだ雨が降りしきる中、とにかく必死で、せき止められた場所を広げようとしました。
土砂は水を含んでヘドロ状、ズブズブと足が埋まります。
これでお気に入りのCONVERSEが一足ダメになった(涙)

時たま、津波みたいに大きな水が襲ってくるのですが、ちょうどヘドロに足を取られて身動きできないときに、その波が来て、ヤバかった。
男性2人が倒木の上に引っ張り上げてくれて、なんとかやり過ごしました。
いま、あらためて考えると『こわっっ!』
後日、その倒木には、私の命の恩人と思い手を合わせました。

消防や市にも連絡しましたが、近くには死者も出たもっともっと被害の大きい箇所があり『いまは行けない』と断られました。当然でしょう。
緊急時の支援とは『自助→共助→公助』だと教えてもらいました。
おっしゃるとおり。いまはそれしかない。

なので、私たちが必死でやったこの10日間は、ボランティアではなく自助努力。
自分たちの命、家、街を自分たちで守るための営みです。

しかし、何をどうすれば??と途方に暮れていたところに天使降臨(実際は作業着を着たおじちゃん)
『団地の上の方で、大変なことになっている』との噂を聞きつけて、重機をもってやってきてくれたのです。
住民ではないので、もちろんボランティア。

『土砂の一部を重機で掘り下げるから、その周りを土嚢で囲って水路を作れ。住宅に流れ込む水を止めるにはそれしかない』と。
ありがたい!どうしたらいいのか迷っていた素人集団の住民に、やるべきことが見えた。


SNSでSOSを発信するとかも思いつかず、ただひたすらに土砂を掘り、土嚢を作り、それを並べて堤防を作る。
ただただ、この堤防を作らないと、さらに大きな被害が出るから、とにかく必死。

朝6時頃から、夕方4時過ぎ頃まで、泥だらけになりながら、必死で土嚢を作りました。
しかし、これで終わらないのが自然の猛威。次回に続く。
毎回、長文ですみませんねぇ。

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眠れない夜が空けて~豪雨災害で被災してvol.2

2018-07-20 | くらし
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今回の豪雨災害の被災について、なにから書き出せばいいのやら迷います。
起こったことの事実と、その時々の思いを書いてみます。

今になって考えれば、素人が絶対にやってはいけないようなこともやってました。
『とんでもない!』とお叱りを受けることだったのかもしれません。

それでも、ただだだ、なんとかしなければ!という個人の責任感だけで集まって、この地域を守った結果、いまがあるのだといえます。
 
集中豪雨当日、7 月6日の夜。
ひどい雨に不安を覚えている最中、ドドォーン!!とただならぬ音がしました。
あわてて外を見ると、目の前の道路を車や大木が、すごいスピードで流されていきました。
足が震えました。
今でも、その時の光景やごう音はフラッシュバックして、鳥肌が立ちます。

ご近所と声を掛けあって、着のみ着のまま、避難所に逃げました。
すでにわが家の駐車場や庭には、水が上がってきてましたが、かろうじて車は動かせる状態。
家の右側の道路は、すでに水没しているので、左側に出るしかありません。

結果として、それが幸いしました。
右側の道路には、そのあと水だけでなく土砂がなだれ込みました。

避難所の体育館の屋根は、とりわけ雨の音が大きく響きます。
一睡もできませんでした。
『大丈夫ですよね』と励ましあいながら、夜を明かしました。
雨が上がってくれることだけを、一心に祈りました。

翌朝、自宅に戻ると砂防ダムと水路が、完全に土砂で埋まって、逃げ場をなくした水が、土砂で埋まった、昨日まで道路であった場所に流れ続け、住宅の庭から庭へと滝のように落ちていきます。

わが家の隣まで泥で埋まっていました。
ポストが埋まるほどの大量の土砂。
わが家には水は来ましたが、土砂は雪崩れ込まなかった。
正直、ホッとして、ヘナヘナとなりました。

が、安心なんかしてられません。
目の前には、あるべきはずの無い川があるのです。
うず高く埋まった土砂の上をとめどもなく流れ続ける川が。

流れてきた自動車や倒木で、堰き止められどんどん水嵩が増して、このままだと洪水になって、さらに住宅に押し寄せてくることに。

見ると男性がたった一人で必死に倒木をかき分けて、なんとか水の流れを作ろうと奮闘している姿が見えました。

(←この写真は報道関係者が撮影したものです)

『一人でさせるわけにはいかない』とオットもじゃぶじゃぶと水の中に入っていったので、続けて私も入ろうとすると『来るな。危ない。それより人を呼んできて!』と。

避難所に駆け戻りました。
そこに待機している市役所の職員さんに『いま、せき止められている水をなんとかしようと作業しているので、手を貸していただける方がいないか、呼び掛けてください』とお願いしましたが、ダメでした。

危険を伴うことを市から呼びかけて、万が一のことがあったら責任が取れないので、呼びかけもできないんだそうです。
『そんなこと言っとる場合か!!』と憤慨したけど、冷静になったいまなら、人にはそれぞれの立場があると、わかります。

『自分で何とかする!!』と思って、せき止められている場所に駆け戻る道中、片っ端から男性をナンパしていきました。
『今、この上の道路で、せき止められている箇所に水路を作ろうとしているんです。手を貸してもらえませんか』と。

中には、冷たくあしらわれもしましたが『行きましょう』と一緒についてきてくれた方が、10人はいました。
涙が出そうになりました。

まだまだつづくけど、ちょっと息切れ。
長文をお読みいただきありがとうございました。

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