前編の【周りはみんな死んでいったが…“100歳超え”のお年寄りに聞いた「リアルな生活」】では、日本で最高齢の男性をはじめ、100歳を超えた人たちが現在どんな気持ちを抱えて暮らしているかをお伝えした。後編でも引き続き、老後のリアルについてお伝えする。
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息子の嫁と二人暮らしで
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薬も飲まず風邪もひかないという浪川正二郎さん(104歳、千葉県在住、仮名)が、遠い目をしながら明かす。
「15年前に妻が、長男も5年前に死んでしまいました。日中は庭の草むしりくらいしかすることがないから、ただ悲しさとともに生きるだけです。それまで空を照らしていた太陽が地平線に隠れて、すっかり辺りは暗くなってしまった。今の私は、そんな人生の日暮れ時を迎えています」 正二郎さんは現在、亡くなった長男の妻と2人きりで、戸建て住宅に暮らしている。
―自分を見守ってくれる家族との折り合いはどうですか?
そう正二郎さんに尋ねたところ、苦しい胸の内を明かした。
「この家は私と息子の資金で建てたので、追い出されずに済んでいます。ただ……息子の嫁さんがつくってくれるのは、味気ない味噌汁に、野菜と魚を煮たものばかり。塩分を気にかけてのことだろうけど、あるとき『美味しくないよ』と愚痴をこぼしたら、怒られてしまってねえ。
本当はマクドナルドのハンバーガーが大好きなんだけど、嫁さんが『そんなもの食べるな』と口うるさいから、孫が家に来るときにこっそり買ってきてもらうんだ。
嫁さんの機嫌が悪いときは、呼びかけても無視されるんだよ。私の生き死には嫁さんに握られているし、彼女は、『お前より一日でも長生きしてやる』って、そればっかり言うんだ。もう聞き飽きたよ」
面倒を見てもらい、ありがたいと思う反面、自分が家族の足枷になっている、その人生を奪っているのかもしれないと考えてしまうつらさ。家族関係のひずみもまた、長く生きるうえでは避けがたい悩みである。
103歳を迎える田岡ヨネさん(福岡県在住、仮名)は戦後まもなく、夫とともに酒屋を創業した。街の居酒屋やスナックなどに酒を卸し、生活必需品を提供する商店としても繁盛した。
80歳を超えるまで一日も休まず、その日の売り上げと利益を計算し帳簿をつけてきたという。ただ、最愛の夫は12年前に亡くなった。
ヨネさんを介護する長男が語る。
「母は時々、自分の預金通帳を眺めて、『こんなに(残高が)減ってしまった』と嘆くことがあります。私が介護などの必要な経費に充てているから、といちいち説明するのですが、自分でおカネを管理できなくなったのが寂しいようです。
持病はなくても筋力が落ちていくので、自分でできることが少なくなってゆく。会話もおぼつかなくなっていますが、それでも生き続けてしまうことが苦しいようです」
11・4・2021
死にたくても死ねない
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100歳まで生きる人の中には、「死にたくても死ねない」という苦悩を抱く人もいるようだ。孤独感や介護にかかる費用面での不安や、介護してくれる家族にいつまで迷惑をかければよいのかという申し訳なさ。本当は、早く死んでしまったほうがいいのかもしれない……ヨネさんもそう思っている。
「母は毎朝目が覚めるたびに、『また、今日も生きている……』と思うそうです。長女を78歳で亡くしたときは、『なぜ私だけがまだ生きているのか』と嘆いていました。
母のベッドのそばに父の遺影が飾られていて、『お爺さんのところに早く行きたい』と言いますが、身体に悪いところはとくにないから死ねない。
母の世代は天寿を全うするのが当たり前と考えていますから、自死などはせず、自然死を望んでいます。なので、死にたいと願いながらも生き続けてしまうことに葛藤を抱えているようです」(ヨネさんの長男)
100歳を超えての人生とは、生と死をめぐる葛藤と矛盾という微妙な感情を抱え、自分も、周囲も、生きていくことに他ならない。
昨年、103歳の生涯を閉じた精神科医の高橋幸枝さんは、亡くなる半年前に出版した著書で、「生きることとは、不安と共生しているようなものだ」と語っている。
普段は「いつ死んでもよい」と威勢よく話していても、いざ発熱に見舞われたときは、とうとう死ぬのではないかと不安な気持ちになる。死への願いとともに生への執着も併せ持つ矛盾を抱えていると記すのである。
100歳を過ぎれば、すでに健康を失ってしまった人もいる。幸せなのか不幸なのかという気持ちを感じることも、自分が生きているかどうかも判然としないまま、生きているケースも多い。
今年100歳を迎えた川崎ヨシエさん(東京都在住、仮名)は、66歳の時に下半身不随になった。ほどなくして直腸がんが見つかり、認知症も患った。それから実に33年間にわたってヨシエさんを在宅介護し続ける次女が告白する。
「10年前から認知症がひどくなり、実の娘として判別してくれないこともあれば、『食事に毒が盛られている。私を殺そうとしている』と暴言を浴びせられることもありました。今は、自分が100歳を迎えたこともわかっていないでしょう。マスコミが取り上げる元気な100歳というのはほんの一握りだと思います。
認知症が悪化しても生き続けているのは本人にとって幸せなことなのか、よくわかりません」 9月20日の敬老の日に合わせて、ヨシエさんのもとに”ある物”が届いたが、それも意味がないと次女は語る。
「菅総理の名で100歳を記念する祝い状と銀杯が贈られてきました。さらに地方自治体からは、巾着袋と布製のカード入れ、そして袋に詰められた紙吹雪が贈られてきた。お祝いに使うようにとのことなのでしょうが、認知症の進んだ母にも私たちにとっても無用の長物ですよね」
これからの時代、あなたも100歳まで生きる可能性は十分にある。
日本では人口が急激に減少してゆく一方で、100歳以上人口はどんどん増え続ける。2067年にはなんと、100歳以上の人々(56万6000人)が、日本に生まれてくる新生児の数(54万7000人)を上回ると予測されているのだ(国立社会保障・人口問題研究所の推計による)。
100歳を超えてどう生きるかは、国民的な課題となっていくだろう。
成りゆきに任せて生きる
長生きすることは、果たして幸せと言えるのか。
どんなときに幸せを感じるか―やや耳が遠い丸山平九郎さん(103歳、長野県在住、仮名)にそう尋ねた。
すると、長女を通訳代わりに、丸山さんはこう話してくれた。
「好きなときに起きて、好きなときに寝る毎日ですから、ストレスも不自由もありません。時間はたっぷりあるので、ゆっくりいろんなことを見ていますね。見る角度でお顔が変わって面白いので、仏様をずっと見るのが好きです。
それと今は、一年にたった一度しか咲かない月下美人を、温室で育てています。5年以上も咲かなかったのに、急に咲きだすこともある。
時間と根気だけは人一倍あるから、一人で黙々と育てているのが何よりの幸せです。若い人たちには、この先のことを心配していても仕方がないから、明るい世の中のことを想って生きてほしいと伝えたいです」
103歳の野呂健吉さん(北海道在住)も、前を向いて生き続ける。
健吉さんは趣味の弓道を12歳で始めて以来、戦争への従軍などでブランクはあったものの、今まで続けている。弓道範士九段という最高位を持つ腕前で、全国各地を飛び回って指導してきた。
「週に2回は弓道場に出かけて弓を引いていましたが、コロナ禍で弓道場がすべて閉まってしまった。今は前向きに再び開くことを願いつつ、週4回ほどデイサービスに通いだしました。軽い運動や体操、習字などで大勢の人たちと交流する時間を共有できて、とても幸せです」
前編【周りはみんな死んでいったが…“100歳超え”のお年寄りに聞いた「リアルな生活」】に登場した日本人男性最高齢者の上田幹藏さんもこう語る。
「年老いて人間関係に悩む人は多いと思いますが、あまり深刻に考えても意味がない。クヨクヨ悩まず、ただ成りゆきに任せて生きることも大切な技術だと思います」
考えすぎてもキリがない。長く生きれば、人生の重荷も増えていく。だが、それも天の配剤だ。どんなことも、やがてあるべき場所に還り、なるようになる。
100歳を超える人々は、そう考えて今を生きている。
『週刊現代』2021年10月2・9日号より
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