1)ウイルスが「ある時点で増えなくなる」のならば(ウイルスは細胞に感染するのであって人を区別しないのであるから)各個人の中でも増殖は制限されることになる。そのようなウイルスの感染性は減弱するので、増殖効率・感染効率が高い元のデルタの流行を置き換えられない。
デルタの「死滅・自壊」が第5波収束の原因ではないといえる理由
小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師11/11(木) 5:37
デルタが「死滅」「自壊」して第5波が収束したという話が流布している。この説の要点は、「ある時点で増えなくなるウイルス」が勢いよく増え流行を席巻し、それとともにウイルスが急速に死滅・自壊して流行が勝手に収束するというもので、これが第5波の急速な収束を説明するとされる。この説では「エラー・カタストロフ」というカタカナ語やAPOBEC, Nsp14などアルファベットの羅列が使われて、まるで専門的な言説のようにみえる。
しかしながらデルタの死滅・自壊説は自己矛盾しており、このようなものが存在するとは考えられない。またこのような根拠薄弱の言説は、コロナへの対策のために重要な事実を見えないようにしてしまうがゆえに社会に有害であると考える。以下この点について少し説明したい。
ウイルスの感染とは何か
ウイルスは細胞に感染するものなので、ウイルスからみれば「誰」を感染しているかは区別しない。コロナウイルスは、人の鼻・口・喉・気管などの表面にある細胞に感染し、人の細胞がもっている仕組みを利用してウイルス粒子をたくさんつくり、周りの細胞へ次々と感染する。あるいは、ウイルスが咳や発声などで生じた小さな飛沫の中にはいって他の人の喉などに到達すると、そこで喉の細胞に感染し、その人の体内の細胞に次々と感染を広げていく。
各個人のなかで細胞から細胞へと感染することも、あるいは飛沫に乗って他の人の喉の細胞に感染することも、ウイルスにとっては単なる細胞から細胞への感染であり、それ以上のものでもそれ以下のものでもないことに注意したい。
死滅・自壊説にある自己矛盾
現時点で広く流布している死滅説では「ある時点で増えなくなるウイルス」が勢いよく増えて流行を置き換え、流行をひろげたところで「死滅」したとする。似たように、自壊説では、大流行が広がっているあいだに変異がたまって「自壊」してそれ以上感染しなくなり流行が収束するという。もしそのようなことが起こるのだとすると、
1)ウイルスが「ある時点で増えなくなる」のならば(ウイルスは細胞に感染するのであって人を区別しないのであるから)各個人の中でも増殖は制限されることになる。そのようなウイルスの感染性は減弱するので、増殖効率・感染効率が高い元のデルタの流行を置き換えられない。
2)仮に都合よく「弱くなった」ウイルスが旺盛に増えるのならば、そのようなウイルスは流行性を保っているのだから、流行自体は収束しない。
いずれにせよ「ある時点で増えなくなるウイルス」が勢いよく増えて流行を置き換えて流行を収束させるなどということは起こり得ないことが明確であろう。
コロナ流行の収束と免疫
コロナの流行の広がりとは人から人への感染の連鎖がとまらないほど次々感染が広がることである。
一方で、封鎖や自粛で人と人の接触を断つと強制的に流行を止められる。それゆえ、自粛や緊急事態制限がされているときに流行が抑制されたなら、まず最初に考えるべきは自粛・緊急事態宣言の効果である。これに加えてオリンピック後の東京などでの医療崩壊が広く知られたことも人々の行動変容を促した可能性があろう。
しかしながらこれだけでは第5波が加速度的に流行が収束したことを説明はしない。ここで重要であったのはワクチン接種の広まりだと思われる。
コロナのワクチンは接種2〜3週間後が最も高く、それから半年単位で減弱することがわかっている。若い人ではコロナに対する抗体はあまり減衰しないが、高齢者、特に80歳以上では、接種後半年程度たつと、ワクチンによる防御効果が数割落ちてきているというデータもある。
たまたまのことであるが日本ではワクチンの接種が行き渡るのが遅かった。地域による違いが大きいが、特に30−40代の働き盛りの世代でワクチン接種が遅れたため、オリンピック終了後にワクチン接種を終えたという人も多い。このため、現時点ではコロナに対する免疫のはたらきが強いひとが比較的多いはずである。
ワクチンが効果を示すとき、重症化の抑制とともに、感染の確率も相当程度減らす。だからワクチンで免疫ができている人が相当程度増えると、人から人への感染の連鎖をあちこちで断ち切ることができる。
さらに重要なこととして、コロナに対する免疫がもっとも強力になるのは、ワクチン接種をした人がコロナに感染したその直後であることも分かっている。ワクチン接種なしで感染したときも一時的な免疫はできるが、これでは免疫の減衰が早く、治癒後にワクチン接種が必要になる。
つまり大流行を自粛で抑制にかかったタイミングでちょうどワクチン接種をようやく広く行き渡らすことができたことが今回の第5波の収束を形作ったと考えられる。別の言い方でいうと、自粛で人と人との接触が制限されて流行が広がりにくくなったところで、多くの地域でワクチンあるいは感染(あるいはその両方)による免疫を持つ人がふえたおかげで免疫が盾になって人と人の感染の連鎖が切れた。これが流行の収束を後押しした可能性は高い。
こうした流行の動態を数できちんと理解するためには数理疫学者がデータを専門的に分析する必要がある。今後彼らの精密な分析・考察は報告が出てくるはずであるが、現時点で重要なのは、「自壊説」や「死滅」などの話を持ち出すまでもなく、現在は流行制御がうまくいく理由が十分あるのを認識することである。
現状の分析と今後の見通し
第5波収束で長い流行と自粛の期間を過ぎたことをまずは喜ぶべきことであるが、この収束の原因をつぶらに見つめると、この夏の失敗、今後起きてくるであろう問題、対処しなければならない作業が見えてくる。
まず、第5波収束が綺麗に減少したところだけを見ると成功のように思ってしまうが、そこに至る前に、いつになく大きな流行のために特に東京圏を中心に重症者・死亡者が増加したことを忘れてはいけない。また大きな流行はコロナ後遺症を抱えた人を増やすことにもなった。こうした問題点を認識することは今後の対策の改善のために重要である。
次に、今回の劇的な収束がワクチン接種の行き渡りによるならば、多くの人のなかでワクチンの効果が減弱してくる時期に日本でも流行の再燃が起きる可能性があるということを意味している。ワクチン接種後5〜6ヶ月後からワクチンによる防御の低下がめだってくることは事実として重要である。
それがゆえに、次の流行=第6波=による被害を最小限にするうえで第3回接種(ブースター接種)をいつどのように行っていくのが最適であるかも重要な視点である。簡単にアウトラインを書くと、高齢者で免疫の減弱が比較的早いので、重症者・死亡者を最小化するためには、高齢者・医学的リスクの高い人々を優先して第3回接種をする必要性が高い。
一方で、第3回接種でパンデミックが終わりにはならない見込みも考慮する必要がある。つまり長期的には、最小限の頻度でかつ十分な免疫を維持できるワクチン接種計画が重要になる。このためには、これまでのワクチン接種を早くやれば良いというだけの無計画な泥縄式のやり方では限界がある。ワクチンの効果を判定するため分析(抗体価の測定)やPCR検査による流行動態の分析、シークエンスによる変異株のモニタリングに基づいた科学的で臨機応変な方針作りがますます重要になる。
ワクチンという大きな武器ができ、治療薬の開発も進んで、パンデミックを乗り越えるための道筋は見えつつある。一方で、コロナの流行制御のために考えなければならない因子の数は増えて、対策はますます複雑になっていく。
今後の対策について考えると、「死滅・自壊説」は何の役にも立たないどころか、おそらく重要な局面で判断を誤らせる原因になる。
一方で、ワクチン・治療薬の開発は進み、コロナウイルスそのものの性質と免疫の特徴の理解は急速に進んでいる。これらの適切な理解に基づいた対策がより有効なものになっていくであろう。
小野昌弘イギリス在住の免疫学者・医師
免疫学者、医師。免疫学の研究・教育を行うかたわらで、古き良き京大で培った幅広い教養を武器に科学・社会の問題につき解説。京都大学医学部・大学院医学研究科卒業。京大・阪大で助教を務めたあと英国に移動。現在インペリアル・カレッジ・ロンドン所属(Reader in Immunology)。がん・感染症・自己免疫におけるT細胞のはたらきについて研究、学部の感染症・免疫コースで教鞭をとる。コロナの研究・教育も進めており、「コロナ後の世界・今この地点から考える」(筑摩書房)、「現代用語の基礎知識2020」(自由国民社)などに寄稿。