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世界に3本だけ 1762年産のコニャック、史上最高額1600万円で落札

2024年12月24日 13時03分11秒 | 食のこと
世界に3本だけ 1762年産のコニャック、史上最高額1600万円で落札





AFP=時事】「極めて貴重」な1762年産の仏ブランデー「コニャック ・ゴーティエ(Gautier Cognac)」がこのほど競売に掛けられ、史上最高額となる11万8580ポンド(約1600万円)で落札された。英ロンドンの競売大手サザビーズ(Sotheby's)が28日、明らかにした。 【写真】マッカラン60年、1億2500万円で落札 ウイスキー史上最高額  

2020/06/01

サザビーズによると、落札された「コニャック ・ゴーティエ1762」は「世界にたった3本しか現存しない極めて貴重な品」で、ある一家が19世紀末から保管していた一品。ラベルも製造当時のままだという。  

落札したのはアジア人の収集家で、落札価格には蒸留所での「特注体験」が含まれているという。 

 現存する3本の「コニャック ・ゴーティエ1762」のうち、今回落札されたのは「グランフレール(Grand Frere、兄の意)」と呼ばれる1本。「妹」は製造元の仏コニャック蒸留所「メゾン・ゴーティエ(Maison Gautier)」の博物館に保管され、「弟」は2014年に米ニューヨークの競売で落札されている。 

 サザビーズは「グランフレール」について、出品者の曽祖父母がかつて養子に迎えた孤児の少年アルフォンス(Alphonse)から贈られた品だと説明している。  

アルフォンスは1870年代に養家から仏コニャック地方に働きに行き、10年後にコニャックの瓶を山積みにした手押し車と共に帰宅した。そのうちの3本がメゾン・ゴーティエのコニャックだったという。アルフォンスはやがて第1次世界大戦(World War I)に出征し、それきり帰らなかったとされる。  サザビーズの蒸留酒専門家ジョニー・ファウル(Jonny Fowle)氏は英紙タイムズ(Times)に、「このコニャックはまだ飲める」と述べている。【翻訳編集】 AFPBB News

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新橋の路地裏で味わう極上の鮨と天ぷら、超マニアックなナチュラルイタリアワインは下北沢で堪能

2024年12月24日 12時03分45秒 | 食のこと
新橋の路地裏で味わう極上の鮨と天ぷら、超マニアックなナチュラルイタリアワインは下北沢で堪能

 緊急事態宣言がようやく解除され、さて、どの店に行こうか……と思ってる方も多いだろう。そこで今回は人気フード編集者として、数多くの飲食店を取材したツレヅレハナコさんに宣言が明けた今だからこそ行きたい店を、近著『ツレヅレハナコの旨いもの閻魔帳』から紹介してもらった。 


雑居ビル3階にたたずむ新橋の「旨いもの天国」



11/12/2021


新橋の路地裏、急な階段を上がった3階にある

 新橋にはものすごい数のお店があるけど、「これぞ新橋!」というお店が、こちらの「うまい魚と天ぷら ジロー」。  個人店で雑居ビルの3階にあって、通りすがりじゃ絶対に入らないお店。だけど、勇気を出して急な3階まで上れば、そこは「旨い物天国」。 


新橋にはものすごい数のお店があるけど、「これぞ新橋!」というお店が、こちらの「うまい魚と天ぷら ジロー」。  個人店で雑居ビルの3階にあって、通りすがりじゃ絶対に入らないお店。だけど、勇気を出して急な3階まで上れば、そこは「旨い物天国」。
 
鮨職人として修行してきたジローさんだったが、お父様の事故で実家の天ぷら割烹へ戻ることに。そこで天ぷらも修行したため、旨いもの二刀流の使い手になったとか




“オレだけが知ってる店リスト”に加えてほしい一軒

 

刺身のツマだけで飲める店は世界広しと言えどもそうはあるまい。店主のこだわりを存分に堪能してほしい



 初めてこの店に来たとき、何に感動したって、刺身のツマの素晴らしさ。単なる大根の千切りとかではなく、白菜の浅漬けだったりとひと手間かけて工夫もあって、ツマだけで飲めるし、それでいて刺身の邪魔をしない。 




 神は細部に宿る。店主・ 小林二郎(以下ジロー)さんの魂が隅々にまで入っているのを感じて、この店は絶対おいしいものを食べられるに違いない!って確信した。 

鮨と天ぷらのいいとこ取りをしてくれる、店主のジローさん
 常連が多くてメニューもシンプル。そんな新橋で「オレだけが知ってる店」を知っておくのもいいんじゃないかな。 


名物のジロー巻はここに来たらぜひ!



リンクに、つづく、




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ダッコちゃん>1960年(昭和35年), 発売!

2024年12月24日 11時03分02秒 | 歴史的なできごと
>ダッコちゃん

ダッコちゃん、だっこちゃんは、1960年(昭和35年)に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形の愛称。後に製造元のタカラ(→タカラトミー)もこの名称を使うようになった[1](後述の通り、21世紀の復活版では正式な商品名として「だっこちゃん」が採用されている)。またそのモチーフとなったキャラクター




>今だと、「人種差別」で無理筋でしょうね藁


誕生[編集]



もともとは玩具の一種として、1960年(昭和35年)4月[2][3][4]に発売された。当初は「木のぼりウィンキー」、「黒ん坊ブラちゃん」といった名前で売り出された。「ウィンキー」という商品名は目玉が閉じたり開いたりしてウィンクしているように見えることからつけられた[4]。 

当初の製造元は当時の宝ビニール工業所(後の株式会社タカラ→タカラトミー)。製造工場は横浜市泉区内。発売元はツクダ屋玩具(ツクダヤ、後の株式会社ツクダ)。 

真っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズをとっている。

「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げることが可能だった。発売当初の販売価格は180円[5][6][4]。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォルメされており、非常にシンプルな形状だった。 

ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現:創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。 
ダッコちゃんのヒントになったのはディズニー映画の『ボクはむく犬』である[4]。 


1960年のブーム[編集]


1960年6月ごろから、若い女性を中心にブームの兆しが起こった[4]。日本における玩具としては、1958年(昭和33年)のフラフープに続くブームとなった[4]。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」(平仮名表記で「だっこちゃん」とも)という愛称が与えられた[4]。

銀座の小松ストアー(後のギンザコマツ)のディスプレイに展示される、女子社員が腕にぶら下げて食事に出かけることなどで話題になり始め[7]、テレビに登場した結果ブームに火がつき、大相撲夏場所の中継でテレビ画面の端にぶら下げた女性が映りこむと騒動になった[7]。注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。定価の数倍で取引されることもあった[4]。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという[4]。 

当時のビニール人形の経済単位はせいぜい500ダース程度、3000ダースで大ヒットとされ、ダッコちゃんの当初の販売目標は2000ダースであったという[4]。しかし実際には、発売から半年で真正品のみで240万個が販売される[2]大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所がタカラ(現・タカラトミー)となる基盤をつくった。 

同年夏には海水浴場において水着姿の若い女性が腕にぶら下げる姿や、1960年ローマオリンピックの日本代表選手が腕にぶら下げて羽田空港を出発する風景も見られた[4]。玩具業界にあった「黒は夏の玩具に不向き」という概念を打ち破った[4]。 


製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通し、偽物を含めた出荷数は1000万個に達したと推定される[7][8]。皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった[注釈 1]。本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった[注釈 2]。1960年10月12日にはツクダヤがこのシールを単体で販売開始した[10]。価格は3体分の目玉と糊のセットで80円[10]。 


大宅壮一は『週刊コウロン』(中央公論社)1960年8月2日号の記事においてダッコちゃんブームを黒人文化への関心の高まりによるものと分析し、その背景にはアメリカの進駐によりもたらされた白人文化へのレジスタンスがあるのだろうと論じた[4]。 


ブームによりソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかし、ダッコちゃん自体のブームは日本国内では半年、国外輸出を含めても1年で沈静化し[6]ほとんどの商品は販売を停止した。 


以下はリンクで




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嫌なことから逃げる」はネガティブなことじゃない/レンタルなんもしない人

2024年12月24日 10時03分00秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康

コロナ禍の影響で「在宅」が求められるようになった今、家に帰りたくない会社員“フラリーマン”たちは居場所や自由を求め、心をすり減らしている。彼らはどう立ち回るべきなのか。

外的環境に振り回されず、時には逃げることもいとわなかった結果、“なんもしない自分”が自然体であるという居場所を見つけ出した「レンタルなんもしない人」氏(以下、レンタル氏)に意見を聞いた。
「サラリーマン時代はちょっとでも時間ができればこんな感じに公園でなにも考えず過ごしていました」と回想するレンタル氏


「嫌なことから逃げる」はネガティブなことじゃない

 「まず、僕は基本的に何か嫌なことがあったら、ずっと『世間が悪い』と思うようにしています。そう思えるから、自分はダメージを受けないし、自分で自分を責めることもありませんでした」 

 考え方だけではなく、行動でも自分を逃がすことをしていたとレンタル氏は語る。 「発散できないほどのストレスがあったり、会社でも周囲や家でも、自分を追い詰める存在がいたりしたら、逃げていいし、意識的に距離を置けばいいと思うんです。『嫌なことがあれば逃げる』という助言がありますけど、それって別にネガティブなことじゃなくて、その時の自分に合った最適解を見つける行動なので。  

僕自身、会社員時代に、ひどいストレスを感じることが多くて。その日あったこと、感じたことをなんとなく書いて奥さんに渡して、感想やフィードバックをされるでもなく、ただ読んでもらってました。

  でもそれが次第に心のよりどころになっていたというか。その頃は僕が奥さんを『レンタルなんもしない人』として利用していたような気がします」  
   

回復している時間と思えればいい

  現在は、サラリーマン男性から「ただ悩みを聞いてください」と依頼を受けることも多いという。 「もし家に帰りたくなくて、例えば車の中で時間をつぶすのが嫌だったら、やめたらいいと思いますけど、嫌じゃないんだったら続けたらいいと思います。  逃げることをネガティブにとらえるってこと自体が、ストレスの原因ではないかなと。自分はそれを好きでやっていて、酸素ルームで癒やされているような状態、回復している時間だと思えればいいと思うんです」


会社や家に自分を追い詰める存在がいるなら、逃げていいと思います
  事実、フラリーマンのように、レンタル氏も家にいるより、依頼を受けて回っているほうが気が楽で、ほぼ毎日活動していると話す。 「以前の会社で心がすり減っていたときに、夕方の15分の休憩時間に僕は共有カレンダーに『散歩』って書いて、公園のベンチでぼーっとしてたんです。ほとんどの人は社内で過ごすので、周りからはちょっと笑われたりしましたけど。 

 さっきの車の話にしても、逃げた先がたまたま車だっただけで、なにもおかしくないというか。フラリーマンの人が言う『無駄、無駄じゃない時間』って、そう意識してしまっている時点で、別のところで無駄な時間だと思わせる何かが原因としてあるような気がするんです。  


フラリーマンだって無意識に危険を察知して、逃げているのかもしれない。だから、めちゃくちゃ大切な時間ではないかという気もしますね。実際、僕もそうだったような気はします」 

 これを見ているフラリーマンたちは、今の行動を省みることなく“最適解”だと自らをいたわろう。



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渋谷駅、大改築で更なる迷路に>なぜ伝統の駅舎を壊すのか

2024年12月24日 09時03分17秒 | 日々の出来事
渋谷駅付近の超高層化に伴い、大きな工事が進んでいます。想いでの駅舎が消滅して、さらに複雑な迷路になりそうですね!

欧米は、歴史のある建物を内装を最新のものにして残していくよき伝統がありますね。ヨーロッパなど数百年前の建物が良く保存されていますね。

日本は、なぜか古いものを取り壊して、新しいものにして悪しき習性があるようです。

この壁画は、岡本太郎作でしたか?



10/26/2022
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