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ダッコちゃん>1960年(昭和35年), 発売!

2024年12月24日 11時03分02秒 | 歴史的なできごと
>ダッコちゃん

ダッコちゃん、だっこちゃんは、1960年(昭和35年)に発売されたビニール製の空気で膨らませる人形の愛称。後に製造元のタカラ(→タカラトミー)もこの名称を使うようになった[1](後述の通り、21世紀の復活版では正式な商品名として「だっこちゃん」が採用されている)。またそのモチーフとなったキャラクター




>今だと、「人種差別」で無理筋でしょうね藁


誕生[編集]



もともとは玩具の一種として、1960年(昭和35年)4月[2][3][4]に発売された。当初は「木のぼりウィンキー」、「黒ん坊ブラちゃん」といった名前で売り出された。「ウィンキー」という商品名は目玉が閉じたり開いたりしてウィンクしているように見えることからつけられた[4]。 

当初の製造元は当時の宝ビニール工業所(後の株式会社タカラ→タカラトミー)。製造工場は横浜市泉区内。発売元はツクダ屋玩具(ツクダヤ、後の株式会社ツクダ)。 

真っ黒な人型をした本商品は両手足が輪状になっており、木にしがみつくコアラのようなポーズをとっている。

「ダッコちゃん」の名前の通り、腕などに抱きつくようにぶら下げることが可能だった。発売当初の販売価格は180円[5][6][4]。腰蓑をつけた黒人のように見えるその姿は極限までディフォルメされており、非常にシンプルな形状だった。 

ダッコちゃん生みの親である大木紀元は、当時、武蔵野美術大学に通いながら社員として働いていた。現:創造学園大学創造芸術学部の学科長兼教授。 
ダッコちゃんのヒントになったのはディズニー映画の『ボクはむく犬』である[4]。 


1960年のブーム[編集]


1960年6月ごろから、若い女性を中心にブームの兆しが起こった[4]。日本における玩具としては、1958年(昭和33年)のフラフープに続くブームとなった[4]。ぶら下がる機能を活かしてこの人形を腕にぶら下げて歩く女性が時折見られるようになった。マスコミが取材対象とする中で、この商品には「ダッコちゃん」(平仮名表記で「だっこちゃん」とも)という愛称が与えられた[4]。

銀座の小松ストアー(後のギンザコマツ)のディスプレイに展示される、女子社員が腕にぶら下げて食事に出かけることなどで話題になり始め[7]、テレビに登場した結果ブームに火がつき、大相撲夏場所の中継でテレビ画面の端にぶら下げた女性が映りこむと騒動になった[7]。注文は大幅に増え、玩具店、デパートでは常に在庫切れとなった。定価の数倍で取引されることもあった[4]。デパートが販売のために発行した整理券にダフ屋が登場したこともあったという[4]。 

当時のビニール人形の経済単位はせいぜい500ダース程度、3000ダースで大ヒットとされ、ダッコちゃんの当初の販売目標は2000ダースであったという[4]。しかし実際には、発売から半年で真正品のみで240万個が販売される[2]大ヒット商品となり、製造元の宝ビニール工業所がタカラ(現・タカラトミー)となる基盤をつくった。 

同年夏には海水浴場において水着姿の若い女性が腕にぶら下げる姿や、1960年ローマオリンピックの日本代表選手が腕にぶら下げて羽田空港を出発する風景も見られた[4]。玩具業界にあった「黒は夏の玩具に不向き」という概念を打ち破った[4]。 


製造が間に合わないほどの売れ行きを見せたこと、簡単な構造の商品だったことなどから多くの偽物が流通し、偽物を含めた出荷数は1000万個に達したと推定される[7][8]。皮肉にもそのおかげで全国に「黒いビニール人形」は拡大し、1960年代を代表する玩具となった[注釈 1]。本物の特徴として目に貼られた特殊なシール(レンチキュラー印刷)により見る角度によってウィンクすることがあげられるが、多くの偽物にはそれが無く、真贋の目安になった[注釈 2]。1960年10月12日にはツクダヤがこのシールを単体で販売開始した[10]。価格は3体分の目玉と糊のセットで80円[10]。 


大宅壮一は『週刊コウロン』(中央公論社)1960年8月2日号の記事においてダッコちゃんブームを黒人文化への関心の高まりによるものと分析し、その背景にはアメリカの進駐によりもたらされた白人文化へのレジスタンスがあるのだろうと論じた[4]。 


ブームによりソフトビニール人形のみならずさまざまなキャラクターグッズが開発・販売された。しかし、ダッコちゃん自体のブームは日本国内では半年、国外輸出を含めても1年で沈静化し[6]ほとんどの商品は販売を停止した。 


以下はリンクで




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嫌なことから逃げる」はネガティブなことじゃない/レンタルなんもしない人

2024年12月24日 10時03分00秒 | メンタルヘルスのこと>心の健康

コロナ禍の影響で「在宅」が求められるようになった今、家に帰りたくない会社員“フラリーマン”たちは居場所や自由を求め、心をすり減らしている。彼らはどう立ち回るべきなのか。

外的環境に振り回されず、時には逃げることもいとわなかった結果、“なんもしない自分”が自然体であるという居場所を見つけ出した「レンタルなんもしない人」氏(以下、レンタル氏)に意見を聞いた。
「サラリーマン時代はちょっとでも時間ができればこんな感じに公園でなにも考えず過ごしていました」と回想するレンタル氏


「嫌なことから逃げる」はネガティブなことじゃない

 「まず、僕は基本的に何か嫌なことがあったら、ずっと『世間が悪い』と思うようにしています。そう思えるから、自分はダメージを受けないし、自分で自分を責めることもありませんでした」 

 考え方だけではなく、行動でも自分を逃がすことをしていたとレンタル氏は語る。 「発散できないほどのストレスがあったり、会社でも周囲や家でも、自分を追い詰める存在がいたりしたら、逃げていいし、意識的に距離を置けばいいと思うんです。『嫌なことがあれば逃げる』という助言がありますけど、それって別にネガティブなことじゃなくて、その時の自分に合った最適解を見つける行動なので。  

僕自身、会社員時代に、ひどいストレスを感じることが多くて。その日あったこと、感じたことをなんとなく書いて奥さんに渡して、感想やフィードバックをされるでもなく、ただ読んでもらってました。

  でもそれが次第に心のよりどころになっていたというか。その頃は僕が奥さんを『レンタルなんもしない人』として利用していたような気がします」  
   

回復している時間と思えればいい

  現在は、サラリーマン男性から「ただ悩みを聞いてください」と依頼を受けることも多いという。 「もし家に帰りたくなくて、例えば車の中で時間をつぶすのが嫌だったら、やめたらいいと思いますけど、嫌じゃないんだったら続けたらいいと思います。  逃げることをネガティブにとらえるってこと自体が、ストレスの原因ではないかなと。自分はそれを好きでやっていて、酸素ルームで癒やされているような状態、回復している時間だと思えればいいと思うんです」


会社や家に自分を追い詰める存在がいるなら、逃げていいと思います
  事実、フラリーマンのように、レンタル氏も家にいるより、依頼を受けて回っているほうが気が楽で、ほぼ毎日活動していると話す。 「以前の会社で心がすり減っていたときに、夕方の15分の休憩時間に僕は共有カレンダーに『散歩』って書いて、公園のベンチでぼーっとしてたんです。ほとんどの人は社内で過ごすので、周りからはちょっと笑われたりしましたけど。 

 さっきの車の話にしても、逃げた先がたまたま車だっただけで、なにもおかしくないというか。フラリーマンの人が言う『無駄、無駄じゃない時間』って、そう意識してしまっている時点で、別のところで無駄な時間だと思わせる何かが原因としてあるような気がするんです。  


フラリーマンだって無意識に危険を察知して、逃げているのかもしれない。だから、めちゃくちゃ大切な時間ではないかという気もしますね。実際、僕もそうだったような気はします」 

 これを見ているフラリーマンたちは、今の行動を省みることなく“最適解”だと自らをいたわろう。



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渋谷駅、大改築で更なる迷路に>なぜ伝統の駅舎を壊すのか

2024年12月24日 09時03分17秒 | 日々の出来事
渋谷駅付近の超高層化に伴い、大きな工事が進んでいます。想いでの駅舎が消滅して、さらに複雑な迷路になりそうですね!

欧米は、歴史のある建物を内装を最新のものにして残していくよき伝統がありますね。ヨーロッパなど数百年前の建物が良く保存されていますね。

日本は、なぜか古いものを取り壊して、新しいものにして悪しき習性があるようです。

この壁画は、岡本太郎作でしたか?



10/26/2022
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朝焼けのきれいな季節ですね🍀

2024年12月24日 06時03分38秒 | いろいろな出来事
冬至は過ぎて、少しずつ日が長くなります❗




12/27/2021
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お金がなくても楽しそうな人の秘密…和田秀樹「60歳でメンタルがヨボヨボになる人、幸せになる人の違い」

2024年12月24日 03時05分06秒 | 医療のこと



お金がなくても楽しそうな人の秘密…和田秀樹「60歳でメンタルがヨボヨボになる人、幸せになる人の違い」 




心身ともに健やかな老後を迎えるには何が必要か。精神科医の和田秀樹さんは「60代以降、うつ病のリスクが上がる。あらゆる面で個人差が広がる年代に入ることが大きな要因だ。楽しい老後を迎えられる人には共通点がある」という――。


※本稿は、和田秀樹『脳と心が一瞬で整うシンプル習慣 60歳から頭はどんどんよくなる!』(飛鳥新社)の一部を再編集したものです。


嫌なこと、苦手な人とは堂々と距離を置いて脳を老化させない
「嫌なことを我慢しない」ということは、賢くなるうえで非常に重要です。


意欲や感情、創造性を司る脳の部位、「前頭葉」は、快の体験を喜びます。反対に言えば、我慢や過度なストレスを感じるような環境は脳にとっては好ましくなく、老化を促すことにつながるのです。


忍耐を美徳とする日本では、昔から、自己主張を控えて人と調和することを尊んできました。しかし、「みんなに合わせなければ悪いから」と、同調圧力に屈して自分を抑えつけてしまうのは、メンタルの面からも、賢くなるという面からも、害にしかなり得ません。


苦手だと感じる人、会ったあと気持ちがもやもやとする人とは、思い切って距離を置きましょう。人との交流は大切ですが、会ってストレスを感じる人と無理に付き合う必要などまったくありません。心に嫌な負担がかかるということは、脳にも嫌な負担がかかるということです。



ぜひ、嫌われる勇気を持ってください。自己主張して疎まれるコミュニティであれば、ためらわずに抜けてよいのです。代わりに、あなたが自分らしくいられるような相手との関係性を深めましょう。


シニア世代の方こそ、自由に人生を謳歌すべきであり、自分が辛いことからは離れるのが鉄則です。長年頑張って生きてきて、やっと手に入れた自由な環境です。ここまできて自分に苦難を強いることに、一体何の意味があるのでしょうか。


自分が自分らしく生きることが何より大切なことなのであり、それが脳と心のアンチエイジングを叶えます。


他人の発言や態度に一喜一憂するのは、他人に操られているのと同じ
人からの傷つく言葉や態度を気にすることも、楽しく、賢く生きるためには御法度です。


たとえば誰かから、悪意のある言葉をかけられたり、心ない態度をとられたりしたとします。そんな時には、大人な態度でさっと受け流す、ということを意識してみてください。相手と同じ土俵に立ってやり返さなくてよいのです。こんなときこそ冷静に、感情をコントロールするのが頭のよいシニアです。


負の感情をぶつけてくるような人は、はっきり言って幼稚ですし、話にならない相手です。そんな人とは、まともに取り合わないのが一番です。


そして、もしその人の言動によって心が乱されたのなら、「私は私、大丈夫!」とつぶやいてください。それから、散歩をしたり、好きな映画を観たり、美味しいものを食べたりと、自分がご機嫌になれることをして心を満たすのです。


誰かの心ない言動によって感情が揺さぶられることだって、人間ですからもちろんあるでしょう。それは正当な感情ですから、否定しなくてよいのです。大切なのは、その気持ちを引きずらないこと、そして上手に気持ちを転換させることです。無神経な相手に対する不快感を持続させるのは、あなたの大切な感情の無駄遣いです。


とるに足らない人に心を乱されたままでいるなんて、実はとても無駄なこと。相手の一挙一動に振り回され、嫌な感情を膨らませるなんて、まるでその人の操り人形にでもなってしまったかのようです。


そんな状況は、賢いあなたが受け入れるべきものではありませんよね?



自分の人生の主役は自分です。ですから配慮のない人の言動からは軽やかに身をかわし、自分を幸せにすることに注力してください。


日本人は昔から「誰とでも仲よく」「みんなに優しく」という精神を重んじますが、人と人には相性というものがある以上、どうしたって自分と合わない人はいます。


ですから、合わない人は合わないのだと割り切る勇気が必要です。嫌われることを恐れないでください。


そして我慢がならなくなったら、その人と距離を置いたり、そのコミュニティから離れたりしてよいのです。この国ではぐっと我慢することが美徳とされますが、嫌な環境に身を置いて心身に支障をきたすのは、まったくもって健全ではありません。


基本的には、他人を変えることはできません。ですから自分で工夫して、自分の過ごしやすい状況をつくっていくのです。


誰かと比べるのは無意味。知性ある人の合言葉は「自分は自分」
私は、人と自分を比較するという行為は、賢く生きるということとは対極にあるものだと思っています。


60代以降、うつ病のリスクは上がります。その大きな要因は、あらゆる面で個人の差が広がる年代に入ってくるからでしょう。


自分は定年退職したが、あの人はまだ社会で活躍している。
自分は家族を失くしたが、あの人の家族は元気だ。


自分は体の調子がずっと悪いが、あの人はいつ会っても元気だ。


そんなふうに、さまざまな要素で違いが生じやすいがゆえに、「あの人に比べて自分は恵まれていない」と、差を痛感したときに落ち込んでしまうのです。


こういった感情には致し方ない部分もあると思います。けれど、老年期に差し掛かった今こそ、ぜひ「私は私」を合言葉にしてみてください。幸せは、外野や人の状況によって左右されるものではありません。あなた自身の尺度で決めるものです。


物事を優劣や勝ち負けの中でとらえようとすると、人生はとても生きづらく、後ろ向きなものになってしまいます。上には上がいますし、価値観もさまざまです。何かを比べ出したらキリがなく、劣等感にも頻繁に苛まれることになるでしょう。


そして、「下を見て安心しようとする」こともまた、自分の進化を妨げてしまうことにつながります。どん底に落ちたとき、自分より状況が悪い人を見て満足したくなるのは、わからないことではありませんが、生産的とは言えません。


学生のケースを例にすると、最終的に望んだ成果を手にするような生徒は、たとえ成績が下降してきたときも、諦めないで上を目指し続けます。けれど、「自分より成績の悪い人がいるからまだ大丈夫」と安心しているような生徒は、さらに成績が下がっていってしまうのです。


恥ずかしながら、私もかつては勝ち負け思考の強い人間でした。子どもの頃から「常に人より賢くありたい」と考えるタイプだったのです。


たとえば学生時代、自分が成績上位になってからは気分よく過ごしたのですが、勉強が嫌になって成績が悪かった頃は、いつも不機嫌で、クラスメイトのちょっとしたいたずらにも腹を立てたりしていたものです。


けれど、さまざまな経験を重ねたり、たくさんの高齢の方々を診療したりするなかで、人生観が変わっていきました。


社会的に成功を収めていても、いつも不満そうにしているシニアがいる一方で、金銭的にそこまで余裕がなかったとしても、楽しそうに日々を送っているシニアもいます。そういった様子を目にするうちに、「人生を勝ち負けでとらえることに、あまり意味はないんだな」と思うようになったのです。


そういった考え方の変化があったからなのか、最近では周囲から「和田さんは、なんだか昔より表情が明るくなりましたね」などと言われるようになりました。


私たちは人に勝つためではなく、幸せになるために生きています。だからこそ、誰かと幸せのレベルを比べっこするのは、「無意味」以外の何物でもありません。


人に負けない方法や人の優位に立つ方法を探し求めるのではなく、自分がどうやったらハッピーでいられるか、その方法を模索するほうが、はるかに賢明ですし、上機嫌な人生を叶えてくれると思います。


---------- 和田 秀樹(わだ・ひでき) 精神科医 1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業。精神科医。東京大学医学部附属病院精神神経科助手、アメリカ・カール・メニンガー精神医学校国際フェローを経て、現在、和田秀樹こころと体のクリニック院長。国際医療福祉大学教授(医療福祉学研究科臨床心理学専攻)。一橋大学経済学部非常勤講師(医療経済学)。川崎幸病院精神科顧問。高齢者専門の精神科医として、30年以上にわたって高齢者医療の現場に携わっている。2022年総合ベストセラーに輝いた『80歳の壁』(幻冬舎新書)をはじめ、『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)、『老いの品格』(PHP新書)、『老後は要領』(幻冬舎)、『不安に負けない気持ちの整理術』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『どうせ死ぬんだから 好きなことだけやって寿命を使いきる』(SBクリエイティブ)など著書多数。 ----------








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