略歴
浅野さん:厚生省(当時)障害福祉課長など、厚生官僚として活躍
1993年宮城県知事に当選
2005年3期知事職を勤めた後、勇退
現在、慶応大学総合政策学部教授 → 詳しくはこちらから
大熊さん:1984年朝日新聞・女性初の論説委員
医療、福祉、科学、技術分野の社説を17年間担当し、定年退職
大阪大学大学院教授ののち、
国際医療福祉大学大学院教授、佛教大学客員教授
厚生官僚から、宮城県知事に華麗に転身したと思ったら、3期終了後に、辞めてしまいました。なんで? 知事在職中は、福祉関連の人達が目を見張るような活躍をしてきたのに。浅野さんとは、旧知の大熊さんがその秘密に迫りました。 ここでも、気になったところだけですが。
・浅野さんと、大熊さんの出会い。障害福祉課長時代に、論説委員の大熊さんに、福祉関係の社説を書いてもらうように依頼。そのときの対応が、「厚生官僚にしては率直」との印象。
・普通の新聞記者は「記者さん」と呼ばれるが、「論説委員」は「先生」と呼ばれる。一説には、政治家を「先生」と呼んで「気持ち良くさせる」のと同じに、「都合の良い記事を書いてもらう為のおべっか」かも
・これまでの障害者対策は、一般市民とは違う場所で、同じ障害をもつ人だけを集めて、1つの施設に収容して暮らさせていた。障害者も、健常者も、同じ街中で一緒に生活させて行くことが、これからの障害者対策。宮城県知事時代には、「知的障害者施設解体宣言」を出したり、かなりハードな事をやられてきたような印象をうけるが、基本は、「現場に聞く」のようです
・役人が断る一番便利な言葉、「公平が保てない」。これが断るための理由第1位だそうです。さすが元厚生官僚。それに対して政治家のすべき事は、「最初の一歩を踏み出すためには、始めは不公平でも仕方が無い。何年後に公平と呼べるところまで持ってゆくかの指標を出しつつ、公平でない一歩を踏み出す」事。 確かに、最初の一歩を踏み出さないと、何事も前には進みませんから。
・今までの「議員」は、「行政と市民のパイプ役」。これからの「議員」には、「政策立案能力」が必ず必要になる。首長が力を発揮しようとすれば、「直接民主主義」に近いような形になってゆく。そのときに議員の存在感を示すのは、議員しか出来ない「立法」。
・とにかく浅野さんは良くしゃべりました。ただのおしゃべりではなく、人を楽しませながら素敵に話をされていました。講演開始前にも、受付を待っている私たちの前に顔を出し、気楽に話を晴れていた姿が印象的です。神宮寺に着いたときも、高橋住職の運転する「国産小型車」に乗ってこられましたし。普段の姿で、どんな人かわかりますね。