松本市 アルプス公園 に行ってきました。
ちょうど さくらが満開 です。
まさしく、「ゴールデンウィーク の満開」 となりました。
松本市 アルプス公園 に行ってきました。
ちょうど さくらが満開 です。
まさしく、「ゴールデンウィーク の満開」 となりました。
霜から水滴へ
今朝も 「霜」 が降りていました。でも、この時期の霜はまだ、「遅霜」と呼ぶには早いようです。農作物に被害をもたらす遅霜は、みんなが「もう降りないだろう」と油断した頃にやってきます。
昔、といっても十数年前、田植後に 「雪」 が降ったそうです。油断大敵。
霜を受けた後、朝日を浴びて、水滴をまとった水仙。
今、四賀は、うめ、もも、さくら、すいせん、ムスカリ、チューリップ、ゆきやなぎ、れんぎょう、 まだまだ盛りだくさんの 「花満開」 です。
今朝、愛犬の水入れに 「薄氷」 が張っていました。
最低気温が、松本市で 0.1℃ でしたので、この地 四賀 では、マイナス1℃くらいだったのでしょう。
20年近く前、友人とゴールデンウィークに美ヶ原の三城牧場でキャンプをしました。寒くて、一睡もできなかった記憶があります。
春とはいっても、まだ氷点下になります。
厳冬期には、水入れ(深さ5cm)が、完全に凍ってしまいます。それに比べれば、「熱い!熱い!!」
「元気なツッツク」
昨日、うちで飼っていた チャボの「ツッツク」が亡くなりました。
数日前から小屋の片隅で、一日中半分目を閉じた状態だったので、もうじきだとは思っていたのですが残念です。
このチャボは、数年前に小学校の子どもたちが道端に捨てられているのを拾ってきました。オスの「シロ」とメスの「コッコ」「ツッツク」です。
小学校で飼われ始めて、急に元気になり、また卵を産むようになったそうです。毎年、2年生がチャボの飼育当番で、長男も1年間みんなとめんどうを見ました。
ところが、昨年、「鳥インフルエンザ」の影響で、学校では飼えなくなり、児童と先生の家庭に引き取られてゆきました。その1羽が、うちの「ツッツク」です。
うちにきた当初も、元気がなく、「来たばっかりなのにダメかな?」と思っていたのですが、暖かくなって、野草を食べ始めるととたんに元気になってゆきました。小屋から出たいと、入り口の戸を開けた私の手を「ツッツイタ」事さえありました。
冬の寒さを何とか乗り切ったかと思っていた矢先、やはり歳には勝てなかったようです。
昨日の夕方に、子どもたちと近くの山に埋めに行って、お墓をつくってあげました。みんなでおまいりをしたとき、私がふと、「ありがとうね」といったのを聞いて、「なんで、ありがとうなの?」と聞いてきたので、「ツッツクのおかげで楽しい事がいろいろあったからだよ」と答えました。子どもたちも納得したようで、みんなで「ありがとう」と言って、お別れをしてきました。今度の日曜日には、お供えを持ってお墓参りにゆきましょう。
4月も中旬だというのに 今朝は 雪 がちらついていました。
山手の木々も わずかに雪をかぶり、 ちょっとした 「雪景色」
日曜恒例の ゴミ拾い散歩の途中、
四賀地区にも さくら が咲いているのを見つけました。
この地では、やっと うめ が5分から7分咲き。
大きな桜の木は、まだまだつぼみは固く、若い木がひと足はやく咲きはじめたようです。
信州四賀ならではの ゆき ・ うめ ・ さくら でした。
パネル討論
信州大学教授: 小池健一
メディカルエンジニア:廣浦学
臨床検査技師: 松浦千秋
チェルノブイリに行って、自分自身の手で活動されている方々です。長年の活動で、皆さん、何かをつかんでいらっしゃるようで、発言の端はしに 「素敵な言葉」 がちりばめられていました。
「目標」 - 年度、年度毎に目標をたてて、着実に実行する
言うのは簡単ですが、毎年の事に実行するのは並大抵の気持ちではできないのでしょう。
「続ける」 - 70%できれば良い。 残りは次回。 その次回のために準備を十分にする。
条件の悪いところで 「続ける」 極意かなと感じます。
要点は、「次回のために準備を十分に」
「自分の中に自分のポジションを見る」 - 仕事が旬な時に次を考える
定年退職を迎えて、次の人生を考えるのではなく
「旬」なときに今の自分のポジションを見て、次の行動を起こす。
すぐに結果が出なくても、周りの人達の刺激になることで、結果につながる。
単なる 「言葉」 ではなく、 これからの大切な 「指針」として、しっかり受け止めたい。
4月23日(日) 13:00~16:00
有楽町朝日ホール
「チェルノブイリからの伝言」 東京会場
開催されます。首都圏の方で、興味のある方は、どうぞ。 入場無料。
おすぎさんは何年か前に 「眼のガン」 をわずらったそうです。それまで、「死」は必ずくるとは思っていたのですが、その時初めて、ほんの目の前に「死」を感じたそうです。(手のひらを目の前数cmにかざして、表現してくれました)
幸運にも、死を免れて、今を生きているのですが、 「なにかの使命のために生かされている」 という感覚が今の生活に強く作用しているそうです。そのひとつの活動として、「日本チェルノブイリ連帯基金」への協力があります。
「協力が形になって表れるもの」 として、 「お金が一番良いのよ。皆さん、しっかり募金して!!」 とおっしゃっていました。でも、ちっともいやらしくはないんです。お金、お金と連呼しているのに、卑しさを感じませんでした。それどころか、 「少しは募金しなくては!」と思ってしまうほどです。こころの中に「卑しさ」がないからなのでしょうか。
鎌田さんもおっしゃっていました。おすぎさんは1人で1日に 「59万円」の募金を集めたそうで、最高記録とのことです。お客様を迎えるときに「募金箱を持って」、途中の休憩にも持って、お客様を見送るときにも自分で募金箱を持って、一生懸命に協力をお願いしたそうです。
お金にも、きっと、「心」があるのでしょう。清い心には清いお金が集まるような気がします。一層活躍をお祈りいたします。
1986年4月26日。チェルノブイリ原発事故から20年。
日本チェルノブイリ連帯基金が医療協力をはじめてから15年の歳月が流れました。
今年は記念事業がいろいろ開催され、その第1弾 「チェルノブイリからの伝言」に行ってきました。
写真を主に、お楽しみください。
鎌田實さんの挨拶
おすぎさんとのトーク
おすぎさんのシャンソン
現地の方がもてなしてくれた食事
末期の小児白血病患者
ベラルーシとの遠隔医療のデモ
上條恒彦さんとのトーク、歌
坂田明さんとのトーク
ベラルーシのミジンコ
坂田明さんの演奏
これだけのイベントが参加無料です。なんと言うか、「底深さ」を感じます。松本って、人間って、捨てたものではないですね。本当に素敵な日でした。
1986年。社会人になった年です。でも、チェルノブイリがこの年だったとは、今日まで自覚しませんでした。
松本サリン、阪神大震災は記憶の中に 「年」 が残っているのに。
あらためて、1986年の意義をしっかり確認したいと思います。自分の原点のひとつとして。
帰宅途中、車を側溝に落としてしまいました。
あまりにも「しっかり」落としてしまったので、自分で上げる気にもなりません。近くの方が、「手伝ってあげようか!」との温かいお言葉をかけていただいたのですが、「大丈夫です! JAF を呼びますから!!」
私も他人が側溝に車を落としたのを、何度か助けたのですが、軽自動車でも、5、6人必要です。おまけに苦労する割りに、ちっともあがりません。一度は無理してタイヤをパンクさせる場面にも立ち会いました。
結論を言うと、 JAF が一番確実です。
早速電話して、場所を説明すると、 「済みませんが、50分ほどお待ち下さい。なるべく早く行きますので。」との返事です。四賀地区の山の中で50分なら早いほうでしょう。
実際、40分ほどで到着して、作業時間は10分ほど。
側溝に鉄板を挿し込んで、JAF車のウインチで引き上げるだけでした。隊員さんにも聞いたのですが、ムリに自分たちで上げようとして、車体にトラブルが発生する場合も多いとか。やっぱり、頼りになりました。
実は、JAFは2回目です。昨年4月ごろにヘッドライトを半日もつけっぱなんしで、バッテリーをあげてしまいました。このときも、迅速に対処していただき、「今度もなにかあったら、絶対に JAF を呼ぼう」と思っていて、本当に役に立つ会員証です。皆さんも、是非、JAFに入って、大いに利用しましょう。
やさしく声をかけてくださった皆さん、ありがとうございました。無事にあがりましたよ!