氷上旅日記
ミュンヘン パリを歩いて
ヴェルナー・ヘルツォーク 著
藤川芳朗 訳
中沢新一 解説
白水社 発行
1993年2月15日 発行
著者が重病になった大切な人を、助けなければならないという思いのため、ミュンヘンからパリまで歩いて行きます。
1974年の11月23日に、ヤッケとコンパス、そして最低限必要なものを詰め込んだリュックサックとともに、冬の悪天候の中、西へ向かいます。
歩いて行くなんて荒唐無稽な話なのですが、やはりそこには巡礼の精神があるのかなと思われます。
途中、ホテルにも泊まりますが、それ以外では空いている別荘や納屋に勝手に入り込んで、宿泊地としています。
とりあえず一読目、小説のような紀行文の流れに身をゆだねながら、一気に読めました。
二読目、グーグルマップで地名をなぞりながら読んでいきましたが、場所がよくわからない地名をあり、土地勘も無いので感覚がつかめませんでした。
ミュンヘンからパリまでの直線ルートだと、途中ストラスブールを通るようになります。
今ならシェンゲン協定のおかげで、また共通通貨ユーロのおかげで、独仏国境もスムーズにいけますが、当時はどうだったのか気になりました。
しかし話の中では、国境管理も通貨の両替も出てこないので、著者がどうしたのかよくわかりません。
それでもライン河越えは、橋ではなく、フライブルグの西方面にある、カッペルというところの渡し船のようなフェリーに乗っていたのが、新鮮に感じました。
グーグルマップで調べてみると、今でも同じような渡し船があるようです。
フランスに入ってからは、有名な町としてはドンレミとプロヴァンに滞在していました。
ドンレミではジャンヌ・ダルクの家に行ってます。ほんの少し、観光的な行動です。
フランスの聖女の地を訪ねるのは、パリの大切な人に向かって巡礼するのと重なるのかもしれませんが。
そこでジャンヌ・ダルクのサインをのぞき込み、Jehanneと書いてあるのを見つけます。誰かが彼女の手を取って、一緒に書いたものと思われる、と述べていました。
プロヴァン(Provins)は、文中ではプロヴァンスとなっていました。
ドイツ語では最後のsを律儀に発音するのでしょうが、南仏のプロヴァンスと紛らわしくなってしまっています。
著者はこの中世の古都で、町の高いところに行って、建物を見て、千年前の歴史がどんなに暗いものだったか、思い浮かべます。
12月14日、よれよれになりながらパリに着きます。
パリで彼女に会った時の情景が、短く、そして美しく語られています。
解説によれば、巡礼の目的は、目的地ではなく、旅の途上にある、とのことです。
目的地や、目的となる女性の存在は、単なる口実に過ぎない。しかしその口実のために、へとへとになって旅をするばかばかしさ、無意味さを通して、彼は意味の根源にたどり着くことができる、と書いてありました。