ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ニースの空にシャガールはばたく

2005-06-25 00:12:02 | フランス物語
ソフィア・アンティポリスと言う新産業都市で用事があったので、その帰りにニースに立ち寄ることにした。
バスでニースの街中に着く。海沿いを歩きながらまずシャトーと呼ばれる小高い丘を目指す。
10月といえどもやはりニース、太陽が輝いている。
階段をまじえた歩道があり、汗をかきつつ上る。
途中でカップルに頼まれて写真をとってあげる。
展望台につく。やはり眺めはすばらしい。左側は青い海と空、右側は旧市街のオレンジ色の屋根が広がる。
丘の上は公園になっている。遺跡などもある。
丘をおり、旧市街の狭い道を歩く。
再び街の中心地の広場に着く。そこでタクシーに乗り、マティス美術館に行く。かわいい家である。
モノトーンのロザリオ礼拝堂の下絵が描いてある。ぞんざいに修正しているところなど、マティスのええかげんさがよく出ており、思わずニタリとする。
すぐ側にローマ遺跡があるが、入れないようになっている。柵越しに覗き込む。
まだ時間があったので、シャガール美術館にも行って見る事にした。
高級住宅街を下っていき、美術館に着く。
聖書の場面を描いた絵画を集めている部屋がある。また別の部屋では、教会を模した暗い中で、ステンドグラスが青く輝いている。
そして、ガラス張りの部屋にたどり着く。そこには白を背景に人の一生をモチーフにした壁画が描かれていた。
暗の後の明。太陽の光がまぶしい。自然光をいかした効果に感動する。
美術館を出て、再び道を下り、中心地に戻る。
そこでタクシーを拾う。帰りの飛行機の時間も気になる。
陽気な運ちゃんとつたないフランス語で話をする。仕事やなぜニースに来たのかなど他愛の無い話の中で、「10月でもニースはこんなに天気がいいのか」と聞いてみた。パリを発つときには、冷たい雨が降っていたのだ。
すると「ニースはいつも、いつも晴れてるよ」とのこと。妙に嬉しそうだ。
年中晴れているわけねーだろ、と思いつつ、でもその通りかもしれない、とシャガールの陽光に照らされた白い壁画を思い出す。
タクシーは一路ニース空港に向かって走っていった。


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パリの夏至の日

2005-06-21 22:36:47 | パリの思い出
今日は夏至だが、パリでの夏至の日の思い出を書いてみたい。
この日は、フェット・ドゥ・ラ・ミュージックで、あちらこちらで演奏が行われるのだ。
少し残業しなければならず、定時に遅れて職場を出る。それでもまだ日は十分明るい。
近くのパレ・ロワイヤルに向かう。
アンティークなどの店がある建物に囲まれた中には、白黒の円筒や、大きな銀の玉などのオブジェがある。
また普通の公園もある。昼休みなどは、ここで噴水を眺めながら、よくぼんやりしていたものだ。
この公園の方で、ミュージシャンたちが何箇所かに集まっている。
その中に普段着の小さな男の子がいた。
何をするのかと思っていたら、きれいなボーイソプラノを聞かせてくれたのだ。見かけとのギャップが面白い。
しばらく聞きほれていていた。
また公園内のほかのバンドなども見ているうち、オブジェ周辺に人が集まりだした。
そのうちバンドが出てきて、演奏を始める。熱心なファンが盛り上がる。
その群集のそばに、きれいな日本人女性が、撮影クルーを引き連れていた。
元フジテレビのアナウンサーで、フランス人と結婚した方だった。思っていたより小柄だった。
レポートをし、去っていった。
演奏はなお続く。曲の中で「ジーロ!」と聞こえる所でみんな唱和というか叫び声を上げる。それなりに知られているバンドなのだろうが、ぼくには良くわからなかった。
9時すぎになったので、パレ・ロワイヤルを出、地下鉄に乗って帰ろうとする。
しかし出口のところに、長髪のおっさんロックバンドがいて足を止めてしまった。
ポリスの「ソーロンリー」を熱唱している。これならぼくも良くわかる。
パリで懐かしい曲が聴けるとは思わなかった。
演奏が終わる。
余韻にひたりながら、地下鉄パレロワイヤル・ミュゼドゥルーブル駅の階段を下っていった。
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ラインにかかる虹(スイス・バーゼル)

2005-06-20 23:01:16 | ヨーロッパ旅行記
オルリー空港を飛び立ち、バーゼル・ミュールーズ空港に行く。
到着し、空港からタクシーに乗り、スイスのバーゼルに向う。
空港からの道の周りはまだフランス領なのだが、運転手によると、道路はもうスイス領になるとのこと。本当だろうか?
市内に着き、ライン川沿いのホテルにチェックインする。
まず川向こうの、屋根がモザイク模様の聖堂に行くため、渡し舟に乗る事にする。
河の上にロープを渡し、そこに別のロープを舟につけている。河の流れと、上のロープの方向の関係で、そろそろと河を渡れる仕組みになっている。
のんびり渡り終え、対岸に着く。聖堂を見学し、街中に出る。
やたらめったら、トラムが走っている。乗りまくり、街並を見学しようということになる。途中駅構内のバーでビールなどを飲み休みつつ、トラムを乗り継ぐ。ついには町外れの集合住宅のあるところに来てしまった。
再び街中に戻る。食事できるところを探す。地元料理のレストランに落ち着き、またビールである。
翌朝は、まずライン河の中にある、フランス・スイス・ドイツ三国のモニュメントに行くことにする。
ホテルから北にトラムに乗り、終点で更にバスに乗る。そのまま北に行くと、バスはドイツとの国境を越えてしまった。
こりゃ間違えたようだな、とのことで、バスを降り、歩いて国境検問所に戻る。係員にパスポートをチェックされる。
歩いてバスで来た道を戻る。途中モニュメントを見つけるが、そこに渡っていく近道は無い。
途中カフェで休む。フランスとスイスの通貨がごっちゃになった小銭入れを探り、お金を払う。結局、遠回りして、モニュメントにたどり着く。そばに遊覧船に乗る人向けの建物があったが、閑散としている。
記念写真を撮る。更に対岸のフランス領を見ると、虹が出ていた。それもついでにパチリ。冬の朝に、ライン河で虹が見れたのは意外だった。
街中に戻り、美術館に行く。ピカソのまともな?人物像がある。よくみると細かいとこはいいかげんなのだが、全体として凛とした美しさがある。
いまさら言う事でもないが、本当に上手い画家だと思う。小生、ピカソのピカソらしい作品は苦手である。パリのピカソ美術館に行ったときでも、自分にとってよかったのは、ルートの最初にある人物画と、セザンヌの風景画、そしてマティスのマンガのような肖像画だけだった。
美術館を出、市役所も見学する。深紅の建物が目立っていた。
そろそろ電車の時間が来た。スイスの角っこをかすめ終わり、ドイツのフライブルグに向う。
電車はライン河を見下ろしながら、線路の上を滑っていった。
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ロンドン・コーリング 20世紀の終わり

2005-06-17 23:52:09 | ヨーロッパ旅行記
年末にロンドンで会おうと誘われた。
パリ北駅から、ユーロスターに乗る。
フランスから、トンネルをくぐり、イングランドに入る。
イングランドは雪が積もっていた。車窓に見える田舎のぼろ屋の看板表示が英語だった。フランス語漬けだった身にとって、落ち着いた、懐かしい気分になる。
ワーテルロー、ではなくウオータールー駅に到着する。入国審査で長い列ができている。審査用の紙を書いておらず、受付のそばで書くことになる。
やっとこさ出ると、友人が待ってくれていた。
まずテムズ川の昼食つき遊覧船に乗る。ロンドンも寒い。中で機内食のような食事を取る。変な形をしたドームが見えてくる。
船を降り、ビッグベンあたりを歩く。それを背景に写真を撮ってもらう。
次に地下鉄で大英博物館に行く。パリに比べ、地下鉄がスマートである。博物館の中に入り、しばらく見るが、やはりガイドツアーについていこうということになる。時間までしばらく待つ。
ツアーに加わる。ロゼッターストーンを見る。写真を撮る時、フラッシュが出てしまいガイドさんに恐縮する。
夕食を何にするか話し合う。イングランドの名物を食べたいと言ったが、せいぜいフィッシュ&チップスくらいだというので、結局イタリアンになる。寒い日にはありがたい温かいトマトスープやパスタを食べる。
その後ホテルにタクシーで向かう。外から見たわりに比べて、タクシーが広々としているのに驚く。
翌日は友人がロンドンを発ったので、一人でロンドンをうろつく。
バッキンガム宮殿やウエストミンスター寺院など、名所を一通り歩く。宮殿近くの池は凍っている。
閲兵の周りは人だかりである。微動だにできず大変だと思う。
さらにテムズ川のほとりも歩く。川沿いの建物にはあまり人の気配が無い。ロンドン・ブリッジまでは行かず、遠くから写真を撮るにとどめる。
美術館では印象派の絵画展をやっていた。気に入った作品の絵葉書を買う。
またテートギャラリーでターナーの作品集を見る。最初は教科書で見た事のある絵で、感慨もひとしおだったが、他の絵も霧を扱ったものばかりで、「みんな同じやないか~」と突っ込んでしまう。
さらに一泊する。ついに20世紀最後の日である。この日はロウ人形館に行く。ダイアナさんの前ではさすがに立ち止まり厳粛な気分になる。日本人では吉田茂と千代の富士。その他ナポレオン、レーニン、エリツイン、ハヴェルなど多士済々。
さらにコヴェントガーデンにも行く。大道芸人を見る。
昼食でフィッシュ&チップスを食べる。アメリカンスタイルの店だった。ロンドンのラジオ局がさよなら20世紀のような番組をしている。ピンク・フロイドの「ザ・ウオール」などの代表曲を聞いていると、つくづく20世紀の終わりを痛感する。
ウオータールー駅に早めに着く。手続きはほとんどない。
再びパリに戻る。時差があるため、時計を直す。こちらの入国手続きも簡単である。
ロンドンの思い出をパリで回顧しながら、新しい世紀を迎えるのであった。
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ライン河を越えて(ストラスブール~ケール)

2005-06-11 22:55:42 | ヨーロッパ旅行記
ストラスブール市内のレンタル自転車屋で自転車を借り、ドイツに向かう。
といっても、なにぶん国境の街なので、たいした距離では無い。
市街から、運河沿いの自転車道を行く。ちゃんと整備されており、気持ちが良い。
夏の天気の良い日で、並木の陰もあり、快適である。
フランスとドイツの国境のライン河にかかる、ユーロップ橋を目指す。
途中、観光案内所などにより、橋につく。ライン河がゆっくりと流れている。橋の欄干には、ヨーロッパ統合に関する色々な人たちの言葉が刻まれていた。それを読みつつ自転車に乗ると、河の中におちそうな錯覚がおこる。
国境検問所などもなく、車も人もまったくの素通りである。ただし、まだこの時点ではユーロに統一されていなかった。
ドイツ側についた時点で、現金引出機を見つけ、クレジットカードでマルクを引き出す。
ケールは小さい町である。歩行者天国の通りがある。まっすぐ行くと、広場があり、赤レンガの教会がある。その広場のトイレのそばで自転車を止め、ハンバーガーの店に入る。マクドナルドでもなく、フランスでもあまり見かけないチェーン店だった。マルクの通貨感覚をハンバーガーで噛み締める。
広場からさらに進むが、だんだん只の住宅街になりつつあったので、戻る。
街中をうろちょろするが、特に何も無いので、歩行者天国のオープンカフェでビールを痛飲する。
「やっぱりドイツのビールはうめーな」と思うが、フランスのすぐ近くなのでたいした違いはあるまい。
売店で絵葉書を買う。名物はユーロップ橋、教会、そして市庁舎だった。
橋を越えて、フランスに戻る。丁度河のそばが公園になっているので、自転車をおいて休む。
おじいさんが日向ぼっこをしていたり、母親が子供を遊ばしていて、のんきである。
しかし川のそばに行くと、トーチカというのだろうか、小さい要塞跡があった。また公園には第二次世界対戦末期ここで亡くなった兵士の慰霊碑があった。そういえばライン河をはさんで何度も戦場になった場所なのだ。下手をすると有史ではガリア戦記にまでさかのぼっているのかもしれない。
あらためて、平和のありがたさを感じた。またヨーロッパ統合に対するヨーロッパ人の思いが、少しは理解する事ができたようだ。
再び自転車でストラスブール市街地に戻る。


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