ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

アミアンの大聖堂の恥じらう後ろ姿

2020-01-30 20:42:46 | フランス物語


アミアンの駅から、大聖堂方面に向かいます。

そしてまず、画像のような、大聖堂の後ろ姿に出逢いました。

この角度だと何本もの補強用の梁が目立ちます。

もともと大聖堂は神々しさを出すため、内部の高さを追求しています。

更にアミアン大聖堂は東側、つまり後ろ側に縦長のステンドグラスが密集しています。

つまりかなり脆弱な構造になっており、それを補うためには外側の多量の梁、飛び梁が必須です。

梁にも装飾は施しているようですが、基本的には縁の下の力持ち、的な役割です。

威風堂々としたファサード(正面)や横からの姿、更に内部の神秘的な雰囲気と違い、このような角度で見られるのは、恥ずかしいことかもしれません。

でも地味に支えて維持し続ける姿も、やはり一つの神々しい姿であると言えるでしょう。

この姿を心に刻みながら、大聖堂正面に廻っていきます。




(週刊ユネスコ世界遺産 第82号 講談社 を参考にしました)
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マクロン大統領を生んだ街 アミアンへ

2020-01-30 20:35:08 | フランス物語


古の写真でめぐるフランスシリーズ、今回からはアミアンとなります。

アミアンにちなむ(少なくとも日本では)有名人と言えば「海底二万里」「十五少年漂流記」などの作品で知られる作家のジュール・ヴェルヌでしたが、現在ではなんと言ってもエマニュエル・マクロンフランス大統領でしょう。

氏が生まれ、育ち、学び、そして現夫人との愛を育んだ街です。

氏がアミアンを離れたのは、年齢差のある夫人との関係を危惧した親御さんにより、パリの高校に移された時でした。

といっても、パリからアミアンまでは電車で一時間ちょっとなので、頻繁にランデブーを重ねられたものと思います。




自分がアミアンを訪問したのは、2001年の5月でした。

パリ北駅から電車に乗り込みます。

ちょうど誰もいない客車の一室があったので、ほっとして座り込んだのですが、しばらくして「ボンジュール」の野太い声と共に、自分よりもデカイ黒人の兄ちゃんが入ってきました。

そしてそのまま座席に横になって寝てしまいました。

目の前には汚れたスニーカー。その状態で狭い客車、男二人だけで北に進んでいきます。

その兄ちゃんは、途中の駅で降りていきましたが…。




アミアンの駅に着きます。

まず目に入ったのは、画像のような古びた塔です。

このビルはル・アーヴルの最興やシャンゼリゼ劇場の設計を行った建築家オーギュスト・ペレによるもので、その名の通り「ペレの塔」と呼ばれます。

高さ103メートルで、第二次世界大戦後、復興のシンボルとして50年代に建てられたものだそうです。

ソ連的なテイストを感じる建物です。




この塔に見つめられながら、大聖堂へと向かっていきます。




(パリからの小さな旅 稲葉宏爾 著 TBSブリタニカ を参考にしました)
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