ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ユトリロ作「シャルトルのギヨーム門」(都市風景画を読む より)

2023-06-30 20:35:27 | フランス物語

 

上の絵画は、ユトリロによる「シャルトルのギヨーム門」です。1914年に描かれました。

ユトリロは印象派の画家ではないのですが、彼のパリの作品群のように、この本の題名にある「都市風景画」にはぴったりの画家です。本の中でも、多くの作品が扱われていました。

自分もほぼ同じ場所から写真を撮っていました。

ギヨーム門はユトリロの時代は、まだほぼ完全な姿で残っていたようですが、第二次世界大戦中、1944年8月15日から16日にかけて破壊されました。

残念な話ですが、それはそれで廃墟の美といった趣があります。古代ローマの水道橋遺跡を思い出します。

シャルトル観光案内所の㏋によると、再建の計画もあるそうです。

ただ、再建されると、大聖堂がこの角度からは見えなくなりそうです。

どういう計画になるのか気になるところです。

 


コロー作「アヴィニョン、教皇の城(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)」(都市風景画を読む より)

2023-06-29 20:47:02 | フランス物語

 

この絵画はコロー作「アヴィニョン、教皇の城(ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン)です。1836年の作品です。

著者は題名に「ヴィルヌーヴ・レザヴィニョン」とあることから、アヴィニョンの街からそこを目指します。

アヴィニョンからレンタル自転車を借りて、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンに向かいましたが、丘陵地区であるせいか、チェーンが外れたり、タイヤがパンクしたりして大変だったそうです。

しかしどうも、そこからの風景はこの絵画とは違っていたようです。

題名に誤りがあったようですね。

あきらめて、アヴィニョン旧市街に帰る途中、エドゥアール・グラディエ橋の中央地点あたりからの構図が近いとわかりました。

半年後、改めて調査すると、視点場は下の地図の矢印の起点だということが判明しました。

自分がアヴィニョンを訪問した時は、徒歩で橋を渡り、フィリップ美男王までたどり着き、教皇宮殿を眺めました。

しかしそこで力尽き、夕方だったこともありヴィルヌーヴ・レザヴィニョンへの道は諦めました。

もし再びアヴィニョンに行く機会があったら、ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンのサン・タンドレ要塞から教皇の城を、教皇を支配し監視し守ろうとする気持ちで眺めてみたいです。

 


都市風景画を読む 19世紀ヨーロッパ印象派の都市景観

2023-06-28 20:17:00 | ヨーロッパ旅行記

 

都市風景画を読む

19世紀ヨーロッパ印象派の都市景観

萩島 哲 著

九州大学出版会 発行

2002年11月25日 初版発行

 

この本では、都市的風景画の実景の専門的な調査で得られた結果を書き記したものです。都市景観という観点から絵画の読み方を提起しています。

コローやユトリロ、ピサロやシスレーなどの絵画とその場所を紹介しています。

このブログの中でも、過去印象派の描かれた場所を訪問した記事を書いたり、写真に撮った場所を改めて調べたりしています。最近ではグーグルマップを参考にすることが多いです。

シスレーのモレ・スール・ロワンでは、ちらしやパンフレットで、実際に描かれたあちこちの場所を紹介していました。

 

ヨーロッパの風景画71点を分析した結果

・まちの全貌を見渡す景観

・シンボリックな建造物の景観

・道路と建築のパースペクティブな景観

・道路と河川のパースペクティブな景観

・河川とまちなみの景観

・港湾の景観

の六つの典型的構図に分類することができる。

 

この後の記事で、この本で取り扱った二、三の絵画について紹介してみます。

 


シベリア鉄道 三度目の正直

2023-06-25 20:50:10 | ヨーロッパ旅行記

 

シベリア鉄道 三度目の正直 ロシアは退屈を知らない

中野吉宏 著

2022年12月17日 第1刷発行

17出版 発行

 

シベリア鉄道に三度乗った著者による紀行文です。

一度目は1982年、大学生の時

二度目は2000年、1週間ほど徹夜して仕事を片付けての出発

三度目は2016年、妻に反対されながらの旅行でした。

 

一度目のルートは

横浜から船に乗ってナホトカに行き、ハバロフスクからウランウデ、そしてモスクワ、サンクトペテルベルグ(当時レニングラード)を経て、ヘルシンキからスウェーデン、そしてノルウェイの北極圏まで到達。

二度目のルートは

神戸在住の著者は大阪から船に乗って太平洋側を通り上海、蘇州からウランバートルを通過して、ウランウデからシベリア鉄道を利用

三度目のルートは

大阪から今度は瀬戸内海を船でとおり同じく上海に上陸し二度目とほぼ同じルートを通っています。

 

表紙裏にわかりやすい行程地図があり、位置を捉えやすいです。

また見開きの右側に文章、左側にその関連写真を配置するという、極めて分かりやすい構成になっています。

三度の旅行で訪問した場所、そして出会った人々との時の流れを比較しながら、話を展開していきます。

鉄道内や訪問先で様々な人と人懐っこく付き合って、その付き合いが後の人生まで続いていくのはさすがです。

たまたま出会ったロシア女性が日本まで遊びに来て、さらには結婚式の招待状が届き、律儀にサンクトペテルベルグまで行って結婚式に出席したのは凄いですね。

 

モンゴルでは以前と同じく、恐ろしく荒っぽい運転の車が目立つこと。

前に車があると追い越す必要がなくても追い越そうとする。

対向車線にはみ出して並走状態になる時間が長い。

モンゴル人はハンドルを握ると馬を操っている感覚に陥るそうだ。p59

 

イルクーツクの19時。

車道を飛びわたるバレリーナの写真を撮る

(すごくシュール、超現実的な画像でしたね)p82

 

ヘルシンキからフィンエアで関西国際空港まで片道19万円もするが、サンクトペテルベルグからヘルシンキに飛び、同じフィンエアに乗り替えるとたった4万円になる。p165

 

ヘルシンキの「生神女就寝大聖堂」

何のことはない、東方正教会の「ウスペンスキー大聖堂」のこと

神戸にも同名の聖堂がある。p169

 

 


図説 中世ヨーロッパの暮らし

2023-06-21 20:41:29 | ヨーロッパあれこれ

図説 中世ヨーロッパの暮らし

河原温 堀越宏一 著

河出書房新社 発行

2015年2月28日 初版発行

 

この本の第一部では、まず当時のヨーロッパの人口の大半が暮らしていた農村社会を取り上げています。

農村は十三世紀のうちに中世農村としての完成域に達し、十八世紀に産業革命が始まるまで、農村における変化は小さかった。

第二部では都市世界を取り上げています。

都市は十二世紀以降、とりわけ地域の拠点として成長し、王侯貴族による領域支配のなかで、商工業者を中心に農民とともに「働く者」という第三の身分を形成していきます。

第三部では、農村と都市の人々の日常生活の諸相について、暦や衣食住の在り方などを論じています。

 

バスティード

ボルドーからトゥールーズ周辺地域に及ぶ西南フランスの平野部で、13~14世紀に建設された一群の定住地の呼称。

半都市半農村的であると同時に、軍事防衛的要素も兼ね備えた特徴的な姿を持ち、その数は500余りにも上る。

バスティードの典型的な形は、各辺数百メートル程度の長方形の囲壁に囲まれ、中心の広場を核にして、格子状に直交する街路がめぐらされている。p29

 

中世最大の建築と言えば、大聖堂(カテドラル)の建立であろう。

12世紀から13世紀は大聖堂の建設ブームであり、パリのノートル・ダム大聖堂をはじめ、北フランスを中心に数多くの大聖堂が建てられた。

建設に関わった建築職人は、石工を筆頭に、石切工、大工、タイル工、左官、屋根葺き工、レンガ工の他、ガラス工、鍛冶匠などに及んでいた。

それに未熟練労働者を加え、数十人から数百人規模で工事が行われた。

(J・キャンベル『カテドラルを建てた人々』より)p79

 

ジョヴァンニ・ヴィッラーニ(1280頃-1348)

フィレンツェ出身の商人、政治家

20代の初めから北フランスやフランドル地方に滞在し、14世紀前半のヨーロッパの情勢を広く見聞した。

彼の生涯は、広く国際的な商業取引に従事したのち、引退して母国に戻り、故郷の都市政治に参与するという、当時のフィレンツェ商人の典型的な生き方に従ったものであった。

加えて、彼は「物書き商人」として、商業、政治活動だけでなく、さまざまな著述を残した。

『中世イタリア商人の世界 ルネサンス前夜の年代記』清水廣一郎 著 平凡社 に紹介されている。p95