シャンティイの庭園の噴水そばから別方向を眺めます。
整った形のフランス式庭園の右隣には木々が生い茂っています。
このあたりは英国・中国風庭園(Le jardin anglo-chinois)となります。18世紀末に造られました。
シャンティイには他にイギリス式庭園と呼ばれる場所もあります。
フランス式庭園が整った形なのに対して、イギリス・(中国)風庭園は、木々や曲がった水路によって、自然本来の姿を表現しているように感じます。
なぜイギリス式に中国式が融合しているのかは、当時そういう名称が流行していたということぐらいで、よくわかりません。
ただイタリア人のカトリック司祭であるマッテオ・リパが、中国の避暑山荘の銅版画を1724年頃ヨーロッパに持ち帰ったそうなので、そこから広まったのかもしれません。
更にそのあたりには「集落」(Le hameau)と呼ばれるエリアもあります。
これは18世紀末、自然と自然の持つ魅力への回帰というジャン・ジャック・ルソーの考えに基づき、コンデ公子が建築家ジャン・フランソワ・ルロアに造らせました。1774年頃にできたそうです。
マリー・アントワネット王妃の「村里」のモデルになったそうです。
(二コラ・ガルニエ著 シャンティイー およびwikiを参考にしました)
整った形のフランス式庭園の右隣には木々が生い茂っています。
このあたりは英国・中国風庭園(Le jardin anglo-chinois)となります。18世紀末に造られました。
シャンティイには他にイギリス式庭園と呼ばれる場所もあります。
フランス式庭園が整った形なのに対して、イギリス・(中国)風庭園は、木々や曲がった水路によって、自然本来の姿を表現しているように感じます。
なぜイギリス式に中国式が融合しているのかは、当時そういう名称が流行していたということぐらいで、よくわかりません。
ただイタリア人のカトリック司祭であるマッテオ・リパが、中国の避暑山荘の銅版画を1724年頃ヨーロッパに持ち帰ったそうなので、そこから広まったのかもしれません。
更にそのあたりには「集落」(Le hameau)と呼ばれるエリアもあります。
これは18世紀末、自然と自然の持つ魅力への回帰というジャン・ジャック・ルソーの考えに基づき、コンデ公子が建築家ジャン・フランソワ・ルロアに造らせました。1774年頃にできたそうです。
マリー・アントワネット王妃の「村里」のモデルになったそうです。
(二コラ・ガルニエ著 シャンティイー およびwikiを参考にしました)