ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

世紀末の英仏海峡トンネル

2006-12-29 22:55:50 | ヨーロッパ旅行記
今日のラジオフランス語講座では、ユーロトンネル社について取り上げていた。
なんでも、英仏海峡トンネルを営業している、この「ユーロトンネル社」が保護手続きに入ったとのことだった。
財政難で、債務の返済を凍結せざるを得ないらしい。
日本の高速道路のように、このような巨大プロジェクトではよくありがちなことだ。
この英仏海峡トンネルも、長年の悲願を達成し建設されたが、どうしても大志ある野望達成という面がある一方、どろどろとした利益誘導などもあり、財政面は結局どうしても後回しに成り、将来のつけにしてしまっているのだろう。

このトンネルは、一往復だけ利用したことがある。
ユーロスターを利用し、パリからロンドンまで行ったのだ。
ちょうど20世紀最後の年の今日29日にパリを発った。
パスポートを忘れていないか気をつけながら北駅に着く。
ロンドン行きは、普通のホームではなく、別に区分けされた場所になっている。
一階フロアから階段を登り、パスポートとチケットをチェックされる。パスポートは偽造されていないかちゃんと確認していた。
その後、お土産なども売っている、小さなフロアで乗車を待つ。
「外国に出るんだな」という、緊張感を植え付けられて、ユーロスターに乗る。
冬のどんよりした中、北に進む。
トンネル自体は、特に不自然な気はしなかった。まあ海峡トンネルといっても、海の前に入り口があり、波しぶきが見える、なんてことはあるわけがない。
それよりも、ブリテン島に入ってからの、英語の標示になんとなく安らぎを覚えたものだった。
ロンドンに着く。入国審査で人がぎっしりしている。自分と同じような有色人種も多い。
審査ではちゃんとパスポートにスタンプを押してくれた。

31日、20世紀最後の日、ロンドンを離れる。
早めにウオータールー駅に行く。売店に面したガラス張りを思い出す。やっぱり曇っていた。
こちらの方はたいした手続きも無く、スムーズに乗車できた。
午後4時過ぎにロンドンを発つ。外の薄くらい風景を見ながら、なんとなく切なくなる。
そしてまた英仏海峡をくぐり、大陸に戻ってきた。
パリ北駅に着く。時差の関係で、到着は午後8時半だった。
こちらの入国は全くフリーだった。
いつもと同じように、地下鉄に乗り、下宿に帰る。
ただ一つ違っているのは、明日から世紀が変わるということだけだった。

セザンヌのサント・ヴィクトワール山(オルセー美術館展にて)

2006-12-16 23:49:53 | フランス物語
最後はセザンヌについて。
今回の展覧会では、おなじみのサント・ヴィクトワール山と、肖像画が展示されている。
何も知らない時に、セザンヌという名前を聞いたときは、きれいな名前だなと思ったが、いろいろ絵を見たり調べたりしていくうちに、とんでもない頑固おやじなんだなと思った。(もちろんいい意味で)
「トランプをする人」などの人物画でも、なんでもない人たちを、これでもかという感じで描きこんでいる。そして構図に緊張感を持たしている。
構図は原型を大きく崩しているわけではないが、それでも独特で、現代絵画の苦手な自分なんぞにはちょうど心地よく感じる。
今回のサント・ヴィクトワール山なども、いかにもそのような構図である。
自然を残しつつ、独自の視点で微妙に歪ましている。
そのためには、身なりなどにかまわず、時には子供に石を投げられたりしながら、ひたすらこの山に向かい合ったそうだ。
そして、独自の美を表現している。
近代絵画の父といわれるのももっともである。
逆にいえば、彼の後に画家を志した人は大変だっただろうなと思う。
仕方なく?ピカソは思いっきりモチーフをゆがめ、マティスは思いっきり色合いを、どぎつくせざるを得なかった。

今回のオルセー美術館展について印象派を中心に、浅学の身にもかかわらず、いろいろ書いてみたが、とりあえず日本でこれだけのものを見れるのは大変貴重なことだと思う。
神戸では1月そうそうに終わるとのことなので、関西地方の人で、まだ見られていない方はお早めに、行かれた方ももう一度、と頼まれたわけでも、また関係者でもないのに、宣伝しておきます。


フランスサッカーの思い出(頑張ったカレーの市民)

2006-12-10 00:48:54 | フランス物語
フランスフットボールの思い出の続き。
フランスにも、日本の天皇杯と同じような、トーナメント方式の大会がある。
これには、やっぱり日本と同じように、下位リーグからも参加できる。
そして、たまには、下位の弱小で、お金もあまりなさそうなチームが、一番上位であるリーグ1の、恵まれたチームを撃破することもある。
6年位前の、「カレーの市民」で有名な町の、カレーのチームがその例だった。
本来は、3部くらいのチームだが、あれよあれよという間に次々と上位チームを打ち破り、決勝まで勝ちあがってしまったのだ。
勝ち上がるにつれて、カレーの町が、だんだん盛り上がってくる様子が、ニュースとかでも放映されていた。
そして決勝戦。
テレビで観戦する。
カレーのチーム、奮闘するも、敵はさすがにリーグ1のチーム、やはり勢いだけでは無理で、敗戦してしまった。
判官びいきもあり、ひょっとしたら・・・と期待していたが、結局実力どおりだった。
ピッチに座り込み泣き崩れる選手の姿。
「また来年だ!」との言葉を最後にインタビューを終える監督さん。
敗者は勝負事にはつきものとはいえ、大魚を逃したような感じで、こちらまで悲しくなってしまった。
ただ、試合後の打ち上げではムーランルージュ(?)で、明るく騒いでいたようだった。
それがせめてもの慰めにはなった。


フランスリーグのテレビ中継

2006-12-09 22:29:36 | パリの思い出
今週のラジオフランス語講座応用編では、サッカーを取り上げていた。
今回は、アフリカ系の選手が、人身売買のようにリクルートされている実態を伝えていた。
アマチュアリーグのような悪条件なところで、なんの保証もなく練習しているのである。
フランスリーグも、松井選手などの活躍で、日本でもよく報道されている。
それを見ても、やはりアフリカ系の選手が多い。
フランスの旧植民地からの選手であるため、言葉のハンデは少ないものの、他の点では、日本から来る選手より、はるかに苦労が多いのだろう。
そんな中から這い上がってきた選手は、精神的にもはるかにたくましくなっているのだろうなと思う。

フランスにいた時、テレビではこのフランスリーグを見る機会はほとんど無かった。
契約の関係で、有料放送しかしておらず、そんなのに入っていない自分には、ゆがんだ映像しか見れなかった。
土曜の11時のフットボールダイジェストの番組で、ちびちびしか見ていなかった。
その一方、チャンピオンズリーグは普通のチャンネルでもやっており、そちらの方を見る機会が多くなっていた。
こちらでは必ずしもフランスのチームではなく、なおかつそんなに強くないため、出番も少ない。
フランスにいながら、フランスのチームを手軽に見れないのは不幸な気もする。
当然利潤の問題があるのはしょうがいないが、なんとかならないかと思ったものだった。


早朝 曇り空のレプブリック広場(ストラスブール)

2006-12-04 22:37:06 | フランス物語
もうあと数日で
ストラスブールを離れるという
ある夏の朝
空は夏らしからぬ
曇った表情
寝ぼすけな自分には珍しく
早起きをして
石畳の旧市街を横切り
たどりつくは「連邦」広場
プラス・ドゥ・ラ・レプブリク

円形の広場をなぞるように歩いたり
対角線に歩いたりして
まわりに建ってる
ライン宮殿や国立劇場のファサード
そして整えられている、あざやかな花を愛でる

広場の中央には「ピエタ」のごとき、白き彫像
悲しむ母と、息子が一人、また一人
一人はフランスのため
そしてもう一人は、ドイツのために
戦死を遂げた息子たち
アルザスの悲劇の歴史を
忘れるため、そして決して忘れないために
残された彫像

アルザスで過ごした夏も
もう、あとわずか