ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

「ヴェニスの商人」初体験(コメディ・フランセーズにて)

2006-04-29 22:47:44 | パリの思い出
あるきっかけで、「コメディー・フランセーズ」に芝居を見に行く事になった。
この建物の前は、よく通っていたが、実際に中に入るのはこれが初めてであった。
劇の内容は、かのシェイクスピアによる「ヴェニスの商人」である。
かの地では、かなり久しぶりの上演になるらしい。
確かに「ヴェニスの商人」自体、明らかにユダヤ人に対する差別を表しているので、シェイクスピアの時代ではともかく、現代ではいろいろ問題が出てくるのは当然の事だろう。
最近映画化されていたが、やはりこれも現代的に、ユダヤ人シャイロックの立場から描いた内容になっていたようだ。

緊張しつつ中に入る。外から見るより、結構劇場内は広く見える。
いよいよ開演。幕が上がる。
いきなり髪の長い人が、全裸の後姿で立っていた。シャワーシーンのようだ。
男か女かよく分からなかったが、足の間をよくみると・・・、残念ながら男性だった。
このようなシーンや、レオタードの女性が醜く踊るシーン、また、シャイロックの会社らしきところで、現代風にテケテケタイプを打っているシーン、など、現代風にアレンジしていた。
観劇の初心者しては、かえって安っぽさしか感じなかった。
また現代劇としても、中途半端だった。
と自分ごときが書いても、あまり説得力がないので、前回のブログでも参考にさせていただいた「パリ おしゃべり散歩」からの文章を引用させていただく。
「この間、久しぶりにコメディフランセーズに行ったけど、少しがっかりしたわ。あまりにも現代っぽくしようとしている。~かえって野暮で粗雑になりすぎよ。~役者が舞台で服を脱いでいるの。裸を見せられてもなんの興味もわかないわ。」
セレブで人生経験豊富なパリジェンヌがこうおっしゃっていた。「庶民派バッタもんパリジャン」だった自分とは全くレベルが違うものの、考えている事は同じなのは面白い。

劇内ではいろいろどたばたすったもんだあり、当然ながらシャイロックは裁判に負ける。
最後にシャイロックの長い独白のシーンがあった。
ここの内容がしっかり理解でき、なおかつ原作の内容もよく知っておれば、どう現代的に解釈しているのかわかり面白かったのだろうが、そのための語学力も、知識もない自分が情けなかった。
結局「俺はかのコメディ・フランセーズで芝居を見たぞ」という程度だったのが残念だ。
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ニキータのいた風景(ル・トラン・ブルー)

2006-04-26 22:38:46 | パリの思い出
ル・トラン・ブルーの中に入る。
荷物を預けて、席に案内してもらう。
いすに座り、内部の装飾を見つめる。
フランス各地の風景画が描かれていた。いかにもここからいろんなところへ行く事ができますよ、さあみんな旅に出ましょう、という駅らしい、旅情をそそるようにしてある。
ちなみに、こういった天井画や壁画のモチーフは、1901年開店当時にPLM鉄道(パリ・リヨン・地中海鉄道)が走っていた各都市で、計41点あり、30人の芸術家によって描かれているとのこと。
フランスの「歴史的遺産建造物」に認定されている。

ここでまず、シャンパンをぐいっと飲む。さあ食事だ、と思ったら、ご苦労様とプレゼントを渡される。
ありがとうと受け取り、開くと、マルセイユのボスからの、銃と暗殺指令のメモだった。
向こうでブイヤベースを食べさせてもらってたから言う事を聞かざるをえない。銃をぶっぱなし、混乱の中すばやく逃げて・・・。
などと、映画「ニキータ」の一場面をリメイクしてしまう。
それにしても、せめて映画では、シャンパンだけでなく、ちゃんと全部食べさせてあげてから、任務のテストをしてあげればいいのになと思う。
満腹時で酒が入って、油断した状態で、なおかつ任務が遂行できれば、本当に合格、てな感じで上司を説得して、計画書を作成していれば、教育係のおじさんも晩飯が食えてよかったはずだ(セコい)。

などと馬鹿な事を思いつつ、魚料理を食べ、少しばかしのワインを飲み、最後はコーヒーで締め、今回の任務の打ち上げを終えるのであった。

(参考図書 パリ おしゃべり散歩 伊藤緋紗子著 光文社、映画気分でパリを散歩 澤登めぐみ著 ピエ・ブックス) 

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マルセイユからパリ・リヨン駅へ

2006-04-25 23:52:24 | フランス物語
翌日、朝すぐにマルセイユを発たなければならない。
フロントに集まり、運ぶ荷物をみんなで分ける。
自分のチェックインをあわただしく済ませるが、明細の十分な確認をしていなかった。
あとで連れの人に注意される。
確かにこういうことが積み重なると、日本人はカモだとますます見られてしまうかもしれない。
かさばる荷物を持ち、ホテルを出る。
地下鉄でマルセイユ駅まで行く。出発の時間が迫っており、少し焦る。
感傷に浸る余裕もなかった。
無事TGVに乗り、ひたすら北、はるかなパリを目指す。
できればエクス・アン・プロヴァンスなどに立ち寄ってみたかったが、荷物があり、他の人に迷惑をかけるので、そんな事は言えなかった。
マルセイユからしばらくは山がちだったが、北に行くにつれてのんびりした、穏やかな、フランスらしい平原が広がってくる。
大地がなだらかな曲線を描き、緑の麦畑あり、黄色い菜の花畑があり、牧草地では牛や馬がのんびりと草をついばんだりしている。
このような情景を思い出すたび、たまらなくフランスが恋しくなる。

パリ・リヨン駅に着く。
ここで今回のメインの担当の人が、トラン・ブルーというレストランに寄ろうよ、と提案する。
そのお方にとっては、今回は本当にしんどい用件だった。準備からマルセイユに入り、最後の方は風邪気味だったのだ。
やってらんねーよという気持ちだったかもしれない。
自分のように、下働きの立場よりも、何十倍もの苦労である。
その打ち上げの気持ちをこめてのランチである。
プラットフォーム正面の、緑のおしゃれな階段を上り、トラン・ブルーに入る。
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マルセーユ 朝の魚市 夜の地下鉄

2006-04-23 00:42:29 | フランス物語
ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院からからの風景で、松の木と海が入ると、セザンヌの「エスタック」の風景画を思い出す。確かマルセイユの近くだったと思う。
マルセイユの住民や海の男たちの思いのこもった寺院を離れる。坂道をどんどん降りていき、また旧港のそばまで戻る。
港の周りでは、写真のようにささやかな魚市が行われていた。
古いフランス語講座の本に、この魚市のすすけた写真があったっけな、と思い出す。

ホテルに戻り、朝ごはんを食べ、みんなで会場に向かうため地下鉄の駅に向かう。
この日は、地下鉄の入り口に、サルコジ内相言うところの「ごろつき」がたむろしていた。まだ若く、中学生か高校生くらいだ。
中には、棒を持っているものもいた。みんなで固まり、そばをそそくさと通り過ぎる。

結局この日は、片付けや、さらに予期しないことも入ったため、予測よりも更に帰りは遅くなった。
会場から、最終の一本前くらいの地下鉄に乗る。本来ならタクシーを使うべきなのだろうが、人数も多かったため、地下鉄で大丈夫だろうということになった。駅からの距離も近い。
駅には人の気配はない。また切符を入れなければ開かないはずの自動改札が、なぜかそのまま開きっぱなしになっていた。
電車が到着する。幸い中には危ない奴はいない。
目的の駅に着く。がらんとした内部だが、朝とは違う状態に気づく。
階段そばのガラスが見事に割られていたのだ。破片が散らばっている。
たまたまこの日だけだったのだろうか。しかし、朝の連中を思い出すと、いつものことであっても不思議ではなさそうだ。修理代だけでもたいへんだろうなと、つまらいないことを考えてしまった。
またさらに、もっとひどい事を想像してしまう。
ホテルに戻る。もう外に行く元気はない。幸いホテルのレストランは開いており、みんなで簡単な夜食を取った。
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ジダンを生んだマルセイユ

2006-04-22 01:11:28 | フランス物語
マルセイユ旧港沿いを抜け、ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院を目指す。
途中、真っ直ぐで、坂道になっている大通りを登っていく。両側に建物はあるものの、まだ朝で、人通りも少ない事もあり、がらんとした、妙な雰囲気だった。
寺院のふもとにたどりつく。工事中の鐘楼の上に、幼子キリストを抱いた聖母マリア像が、金色に輝いていた。
南仏のマリア信仰が強さを感じる。同じく南仏オランジュの古代劇場裏の丘に立ち、街をみつめる巨大なマリア像を思い出す。
この寺院のあるところには、1214年に初めてチャペルが作られた。そして1524年には、フランソワ1世により城塞が築かれたとのこと。
そして現在の様式の建物は、19世紀中ごろに完成した。
確かに街や海を見渡せ、要衝として、そして心のよりどころとして、重要だったと思われる。
更に港町であるゆえ、街中だけでなく、海上の船からの眺望も重要だった。
いくら屈強な海の男といえ、「船底の下は地獄」であったため、こころのよりどころが必要だった。
出航の時は安全を祈願し、帰港のときは無事を感謝する。
実際寺院の内部には、碇など、船に関する奉納物がたくさんあった。

寺院のテラスからは通ってきた旧港周辺、行きたかったイフ島など、朝日に照らされる海と街が見わたせる。
また、普通の集合住宅の合間にあるサッカーのグラウンドが見える。
ここでサッカーの朝練をする子供たちがいたような気がするが、ただの幻だったかもしれない。
というのも、マルセイユといえば、かのジダンを思い出してしまうからだ。
今では、サッカー界にとどまらず、フランスそれ自体の象徴ともいえる存在である。
明日のジダンを夢見る子供たちの歓声が集合住宅に反映し、海まで、そしてこの聖なる丘の上に届く。
それが自分にとっての理想のマルセイユになるかもしれない
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