「フランス ニュースダイジェスト」 にてフランス県議会議員選挙についての興味深い記事を拝見しましたので転載します。
15. 初の男女平等議席の怪
「夫婦にしては何だか変」―3月末に行なわれた県議会議員選挙(小選挙区制、2回投票)のポスターを見て、そう感じた市民も多いはずだ。候補の男女が必ず1組で登場しているのだが、夫婦やカップルにしてはぎこちなく、親密度にも欠けている。年齢的にも不自然さが感じられる。それにパリ市内ではこの奇奇怪怪なポスターは1枚も見当たらなかった。
エッフェル塔
リヨンの近くのミリベルに貼られた県議会議員選挙のポスター。
候補者は男女一組になり写っている。
この不可思議な選挙ポスターは2013年5月17日発効の法律によって施行が決まった県議会選挙における「2記名投票方式」によるもの。ひらたく言えば県議会での議員数を「パリテ(男女同数)」にするためにとられた措置だ。男女1組の候補者を投票することにより、自動的に議員数が同数になるという仕組みだ。
この「2記名投票方式」が今回の県議会選挙で導入された結果、この奇怪な選挙ポスターの登場になったわけだが、パリ市内で見掛けられなかったのは、今回の県議会選挙で初めて施行されたからだ。
この「男女2記名投票方式」の結果、目的通り、フランス本土で101ある県議会で男女同数の議員が誕生した。これまでの県議会における女性議員は全体の13%にすぎなかったのに比較すれば、約4.5倍という飛躍的な増加だ。
県議会選挙では昨春の市町村議会選挙に続いて左派連合(社会党、ヨーロッパエコロジー・緑の党など)が大敗(選挙前は31県で議員数が過半数以上)した。原因は高失業率、物価上昇、治安悪化などが少しも解消されず、反対に各種税金や物価の上昇などで支持率低下のオランド政権への批判票が多数を占めたからだ。右派連合(国民運動連合= UMPと民主独立連合= UDIなど)は67県で議員数が過半数を超える大勝利に終わった。
ところが、“3回目”の投票、つまり2回の県議会選挙の後の議長選(議員による互選)では、フランス本土101県議会のうち、女性議長が誕生したのはわずか10議会、10%という少なさだ。左右の党派を越えて、まだまだ議長になるだけの政治経験と度量がある女性議員が少ないということか。
そういえば、選挙戦中にテレビのインタビューなどで政治綱領や抱負などを語ったのは、2人1組の候補者のうち、ほとんど例外なく、男性が意見を述べ、女性は、日本の戦前の貞淑な妻よろしく、男性候補者から1歩下がった背後につつましく控え、微笑みを浮かべて男性候補者の話を拝聴するというシーンが多かった。ポスターでもなんとなく、そういう雰囲気が伝わってきていた。地方によっては候補者になり手、というか、ふさわしい人物を探すのに苦労したという。
インタビューなどでは、そのような雰囲気だったのですね。
これはちょっと残念に思います
制度にまだ人間が追いついていないようですね
まあこれからどんどん変えていかないのかもしれませんが
フランスの女性参政権が認められたのは パリ解放後のドゴール将軍による臨時政権時代の1944年だった。45年10月の国民議会(衆議院に相当)選挙では5.6%の女性議員が誕生した。ただ、その後の女性議員数は遅々として伸び悩み、91年には6.1%、97年にやっと10.9%と10%を越えた。時の社会党の首相リヨネル・ジョスパンが社会党に30%の女性候補者を立てるように要請した結果だ。ちなみにジョスパン夫人は哲学者のシルビアンヌ・アガサンスキだ。彼女の元カレは哲学者のジャック・ダリダで彼との間に1児がおり、未婚の母として国民教育相時代のジョスパンと結婚した。彼女の助言があったからとささやかれている。
今回の県議会議員選挙では81歳のベルナデット・シラク元大統領夫人が出馬し、79年以来の議席を堅持した。それもオランド大統領が長年議長を務めた社会党の牙城コレーズ県とあって、右派大勝の象徴的存在として気を吐いていた。さすがに議長選には出馬しなかったが、UMP議長の誕生で「やりやすくなった」と老齢などどこ吹く風だ。若い女性議員の鏡的役割りを果たしそうだ。(昌)
15. 初の男女平等議席の怪
「夫婦にしては何だか変」―3月末に行なわれた県議会議員選挙(小選挙区制、2回投票)のポスターを見て、そう感じた市民も多いはずだ。候補の男女が必ず1組で登場しているのだが、夫婦やカップルにしてはぎこちなく、親密度にも欠けている。年齢的にも不自然さが感じられる。それにパリ市内ではこの奇奇怪怪なポスターは1枚も見当たらなかった。
エッフェル塔
リヨンの近くのミリベルに貼られた県議会議員選挙のポスター。
候補者は男女一組になり写っている。
この不可思議な選挙ポスターは2013年5月17日発効の法律によって施行が決まった県議会選挙における「2記名投票方式」によるもの。ひらたく言えば県議会での議員数を「パリテ(男女同数)」にするためにとられた措置だ。男女1組の候補者を投票することにより、自動的に議員数が同数になるという仕組みだ。
この「2記名投票方式」が今回の県議会選挙で導入された結果、この奇怪な選挙ポスターの登場になったわけだが、パリ市内で見掛けられなかったのは、今回の県議会選挙で初めて施行されたからだ。
この「男女2記名投票方式」の結果、目的通り、フランス本土で101ある県議会で男女同数の議員が誕生した。これまでの県議会における女性議員は全体の13%にすぎなかったのに比較すれば、約4.5倍という飛躍的な増加だ。
県議会選挙では昨春の市町村議会選挙に続いて左派連合(社会党、ヨーロッパエコロジー・緑の党など)が大敗(選挙前は31県で議員数が過半数以上)した。原因は高失業率、物価上昇、治安悪化などが少しも解消されず、反対に各種税金や物価の上昇などで支持率低下のオランド政権への批判票が多数を占めたからだ。右派連合(国民運動連合= UMPと民主独立連合= UDIなど)は67県で議員数が過半数を超える大勝利に終わった。
ところが、“3回目”の投票、つまり2回の県議会選挙の後の議長選(議員による互選)では、フランス本土101県議会のうち、女性議長が誕生したのはわずか10議会、10%という少なさだ。左右の党派を越えて、まだまだ議長になるだけの政治経験と度量がある女性議員が少ないということか。
そういえば、選挙戦中にテレビのインタビューなどで政治綱領や抱負などを語ったのは、2人1組の候補者のうち、ほとんど例外なく、男性が意見を述べ、女性は、日本の戦前の貞淑な妻よろしく、男性候補者から1歩下がった背後につつましく控え、微笑みを浮かべて男性候補者の話を拝聴するというシーンが多かった。ポスターでもなんとなく、そういう雰囲気が伝わってきていた。地方によっては候補者になり手、というか、ふさわしい人物を探すのに苦労したという。
インタビューなどでは、そのような雰囲気だったのですね。
これはちょっと残念に思います
制度にまだ人間が追いついていないようですね
まあこれからどんどん変えていかないのかもしれませんが
フランスの女性参政権が認められたのは パリ解放後のドゴール将軍による臨時政権時代の1944年だった。45年10月の国民議会(衆議院に相当)選挙では5.6%の女性議員が誕生した。ただ、その後の女性議員数は遅々として伸び悩み、91年には6.1%、97年にやっと10.9%と10%を越えた。時の社会党の首相リヨネル・ジョスパンが社会党に30%の女性候補者を立てるように要請した結果だ。ちなみにジョスパン夫人は哲学者のシルビアンヌ・アガサンスキだ。彼女の元カレは哲学者のジャック・ダリダで彼との間に1児がおり、未婚の母として国民教育相時代のジョスパンと結婚した。彼女の助言があったからとささやかれている。
今回の県議会議員選挙では81歳のベルナデット・シラク元大統領夫人が出馬し、79年以来の議席を堅持した。それもオランド大統領が長年議長を務めた社会党の牙城コレーズ県とあって、右派大勝の象徴的存在として気を吐いていた。さすがに議長選には出馬しなかったが、UMP議長の誕生で「やりやすくなった」と老齢などどこ吹く風だ。若い女性議員の鏡的役割りを果たしそうだ。(昌)