ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

立ち向かうジャンヌダルク(コンピエーニュへ)

2006-03-31 00:00:27 | フランス物語
2月のよく晴れた朝、パリ北駅からコンピエーニュに向けて発つ。
この街は、パリの北北東にあり、電車で4~50分といった所である。

がらんとしたコンピエーニュ駅に降り立つ。
街中に行く前に、ガイドブックに載っていたレンタサイクルを探した。
もし時間と元気があれば、後でピエルフォンという街に行こうと思ったのだ。ここは要塞のようなシャトーで有名らしい。ただしこの駅からだと、13キロほどあるらしいので、体力は必要である。
結局、レンタサイクルはなかった。シーズンオフのせいかもしれない。
あと、バスで、ピエルフォン行きを少しだけ探してみるが、見つからなかった。
諦めて、素直にコンピエーニュの市街地を目指す。
駅からすぐ、オワーズ川を渡る。この川を下っていくと、ゴッホで有名なオーヴェル・シュル・オワーズのそばを流れ、ピサロで有名なポントワーズをかすめ、セーヌ河に合流する。

市街地に入り、市庁舎前に出る。この建物、鐘楼を備えた、ゴシック様式のきれいで味のある風情である。搭の中には、1303年制作の、フランスでもっとも古い鐘があるらしい。

この市庁舎に対峙して、ジャンヌダルクの像があった。
左手に長い槍を持ち、すっくとひとりで立っている。
この街も、ジャンヌダルクにゆかりのある街なのだ。
ジャンヌダルクの像というと、馬に乗っているという印象が強い。
パリのいくつかや、ルーアン、オルレアンやシノンなどもそうだった。
武勇伝が残っているところはその傾向があるのかもしれない。
ここコンピエーニュでは、戦いには参加するも、あわれ囚われの身になってしまう。
そういった状況により、微妙に彼女に対するイメージが異なってくるのだろうか。
ここでの戦いを振り返ってみると・・・。
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ブールジュのマリアンヌに決定!

2006-03-28 23:45:37 | フランス物語
ブールジュの丘からの眺めを見た後、ジャック・クールの館に行く。
この人はもともと貧しい家の出だったが、地中海貿易に成功し、ついにはシャルル7世の財政官まで出世したらしい。
しかしこの時は、中には入らなかった。見学にはガイドが付く為、時間が限られている。時間の都合があわなかったようだ。

近くの博物館に入る。
ここではオダリスクという題の、女性の彫像が気になった。
オダリスクとは、手元の辞書によると「(オスマントルコの)ハレムの女」とある。
フランスの芸術において、オリエンタリズムの流れとして、アングルやルノワールによる絵画の作品がある。
異郷の女性として、男の憧れがあったようだ。
この博物館の彫像は、リアルでスタイルもよく色っぽい。
ただ、たいへん気の毒に思ったのは、設置している場所が悪い。
建物の端っこの、ふきっさらしに近い部屋なのである。裸の身には寒いに違いない(?)
なおかつ傍には段ボール箱やブールジュ市のごみ入れまであった。
ああ、哀れなることよ。
いくら異教徒のハレムの女だからといって、芸術作品に対してあんまりである。
まあ、市当局も、限られた予算の中、いろいろ事情があり、展示場所も限られていたのかもしれない。
せめてもの償いとして、この場で「ブールジュのマリアンヌ(フランスの象徴)」の称号を与えたい。
(といっても別にどうってことではないが・・・)
そういえば、かぶりものがフリジア帽に見えないこともない。(かなり苦しい)
今はどうなっているかわからないが、適切に展示してもらっている事を祈るのみである。

と思っているうちに帰りの電車の時間が来た。ブールジュのマリアンヌに見送られながら、旧市街を離れ、駅までの真っ直ぐな道を進んでいった。
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「ガリア戦記」におけるブールジュ

2006-03-26 00:34:02 | フランス物語
ガリア戦記は、カエサル(シーザー)による、紀元前58年から51年にかけて行われた、ガリア(今のフランスやベルギーあたり)での戦いというか、侵略というか、を記した書物である。
ローマにとってその地帯を押さえることは、富や奴隷を得る事であり、なおかつゲルマン人との間の緩衝地帯として、重要な意味を持つものである。
まあ、戦争をするためには、常にいろいろな理由というか言い訳があるわけである。
唯一つ言えることは、人類というものは所詮戦争好きなケダモノであり、それは2000年以上経った今でも、残念ながらあまり変わってないようだ。

ブールジュの街は、ガリア戦記の第7巻で出てくる。
ここからは、カエサルの大敵である、ガリアの悲運の名将ウェルキンゲトリクスも出てくる。
ブールジュは、当時アウァリクムと呼ばれた。
ガリア戦記の中では「ガリアを通じてもっとも美しく部族の護りでもあり誇りでもあった町」や「領地の肥沃な地方にある最も大きな要害の町」ともある。ちなみにこの表現は観光案内のパンフレットにも載せてあった。
確かに、市役所裏あたりからのパースペクティブを思い出すと、そうだったのかな、という気もする。
最初、ウェルキンゲトリクスはこのブールジュを放棄して焼き払おうとした。結構他の町ではそうして、ローマ軍に穀物など、何も手に渡らないようにしていた。しかし、上記のような理由により、住民には反対され、彼もしぶしぶ戦う事を決めた。
その戦いの結果というと、4万人ほどの住民のうち、800名位しか生き残らなかったらしい。
まったくひどい敗戦である。
この後ガリア側もあちこちで抵抗したが、結局カエサルの前に敗れてしまい、あわれウェルキンゲトリクスは潔く降伏し、捕囚の身となった。

観光パンフレットを見るとブールジュではガリア時代をたどる解説ガイドも定期的に行っているらしい。
できるならば、一度参加してみたいものである。

(「ガリア戦記」 岩波書店 及び 「ケルト歴史地図」 ジョン・ヘイウッド著 井村君江監訳 東京書籍を参考にしました)
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ガリアの街ブールジュ

2006-03-25 02:02:22 | フランス物語
昼食を食べ終わり、再び大聖堂まで戻り、中に入る。
この日は曇っていたので、中のステンドクラスがきれいかったという記憶は無い。
この大聖堂の片方の搭は上に登れるようになっている。
とびらを開けてもらい、らせん階段をひたすら登っていく。他の人はいなかった。
搭の屋上に出る。その場全体が展望台のようになっている。そこには小さな風見鶏のようなものしかない。手すりもそんなに高くない。360度の眺望が広がる。
黒っぽい屋根が広がる。
家並の周りには山らしい山は無く、はるか彼方まで地平線が見える。
柔らかな、フランスの大地がそこにはあった。

大聖堂の搭を降りて、公園を横切る。
と、そこから、大通りが緩やかに下っており、目の前にパースペクティブが広がっていた。
この街は意外と丘の上にあったんだなと気づく。
そばの市役所の傍には、ローマ時代の小さい遺跡があった。
ニームやアルル、リヨンやヴィエンヌのように、ローマ劇場跡や円形闘技場などのわかりやすい遺跡こそないものの、ブールジュもフランスがガリアと呼ばれた時からの街だったのである。
丘の上という地形も街として有用だったらしい。
とりあえず、かのカエサル作「ガリア戦記」をひも解いてみると・・・。
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大聖堂を周る(ブールジュ)

2006-03-21 23:51:07 | フランス物語
旧市街に入り、世界遺産サンテティエンヌ大聖堂の正面に着く。
このブールジュでは、シャルトルやアミアンと比べて、大聖堂の真正面の広場というのはほとんどない。
結構そばまで、人家が連なっている。
そばから正面からの写真を撮るのは、どうしても家並が入ってしまい、無理なようだ。
左回りに大聖堂を回ってみる。まだひっそりとして、ほとんど人がいない。めぐみを乞うおばあさんがいたくらいだった。
裏手正面に回る。しっかりとした後陣である。
一番理想的な姿を見るには、後ろ斜めくらいからの角度がいいと思える。ちょうど公園になったところから、どっしりした、飛び梁に支えられた後姿を眺める事が出来る。
冬で草木こそ地味だが、きれいに整備された公園を抜け、大聖堂の真横に回る。
ここに広場がある。店も開いておらず、人もおらずがらんとしている。
近くにある観光案内所は幸い開いていたので入る。ここで街の小さなパンフレットをもらう。
大聖堂の写真集などがないか探してみたが、少なくともこの時は無かったようだ。
一旦大聖堂前を離れ、旧市街をうろつく。
街中の名所にはブールジュ市作成のパネルがあり、ちゃんと説明をしてくれている。
また地方の観光都市にはよくあるように、この街もちゃんと観光ルートも設定しており、それに従っていけば効果的に街中を回れるようになっていた。

昼になったので食事を出来るところを探す。
日曜ということで、あまり開いている所は少なかった。
しかしLe Bistro Gourmandという、わかりやすい名前のレストランがあったので入る。
まだ客はいなかったようだ。窓際の席に行く。そこでSalade Gourmandというボリュームのあるサラダを頼む。サラダと言ってもフランスでは結構量が多い。パンもついているので、これでも十分だった。
ついでにワインも頼んでしまう。そして最後はやはりコーヒーで締める。
最初人は少なかったが、時間がたつに連れてだんだん増えてきた。観光客ではなく、地元の人が、のんびり休日の昼食を喋りながら楽しんでいるようだった。

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