ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

アルコバサの悲恋物語

2006-02-26 23:15:01 | ヨーロッパ旅行記
バスはオビドスを出て、一路アルコバサに向かう。
ここでは、サンタ・マリア修道院を見学する。
ここはペドロ1世とその侍女であり愛人でもあったイネスの石棺で知られている。
ペドロ1世(王子)の政略結婚のためには、イネスの存在が王国にとって邪魔になり、王と家臣は彼女を殺してしまう。
その後王位についたペドロ1世は、イネスの殺人に関わったものをすべて殺したらしい。
このような悲恋物語なのだが、関わった人の中には役目上やむをえなかった人もいたのではないか。そういう人にとっても、まさしく悲劇だったと思う。
正面はバロック風である。内部は天井が高くなっており、窓から外光が入るのみであり、特にステンドグラスなどは無い様だった。
ここでは日本人のツアーに出会う。ここまで頑張って日本人が来ているんだと思うと同時に、なんとなく自分が一外国人で、日本人を客観視しているような、変な気になる。

再びバスに乗り、アルコバサを離れる。
このとき、バスの後ろの方から子供の声で、日本語の数字を読む声が聞こえてきた。
いち、に、さん、し、などと言っている。十くらいまで言っていたようだ。もちろん日本人ではない。
また、日本人である自分に向かって言っているわけでもないようだ。
わざわざ席の後ろに行って、確認する気もおこらなかった。
その時は日本のアニメの影響かなと思ったが、最近読んだ村上春樹のトルコ旅行記で、辺境のトルコの軍事基地で、兵士が日本語の数字を言っていたので、なぜ知っているのか尋ねた、というエピソードが出ていた。
答えは、その兵士が空手を習っていたためとのことだった。
なるほど、その子供も空手などの武道を習っていたのかもしれない。暇つぶしに、家族の前でその成果を披露していたのかもしれない。ヨーロッパでも、空手、柔道はもちろん、合気道なども知られており、道場も多い。

たどたどしい日本語を聞きながら、海辺の街、ナザレに向かう。
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ポルトガルの中世の村(オビドス)

2006-02-24 23:01:54 | ヨーロッパ旅行記
前日の晩、襲われる事もなく、無事ホテルに帰る。
翌日、ホテルを出て、ポンバル侯爵広場に行く。ここで予約していたバスに乗る。
そのターミナルに行く。乗るべきバスを探していると、東洋人の二人の女の子が一番前に乗っているバスがあった。これならいいのにな~と期待して近寄ってみたが、残念ながら他のルート行きだった。ツアーの種類は他にもあるのだ。
別のバスに乗り込む。どうやら日本人は自分一人だけのようだ。あとはスペイン人らしき一族(おじいさんから小さな子供までいた)や、イタリア人らしき若いカップルなどがいた。(イタリア人ってどうしてあんなにかっこいいだろう)
バスはリスボン市街を離れ、一路オビドスに向かう。
郊外の、なだらかな山々の間の自動車道を、曲がりながら進んでいく。山は禿山とまではいかないが、かなり木が少ない状態だった。冬という季節のせいかもしれないが、それでも寂しい。昔の過度な伐採のせいかもしれない。
オビドスに到着する。ここは城壁に囲まれた小さな中世の村である。ここはローマ時代からの歴史がある。「村の門」を通り、狭い路地に入る。白い家の下部に黄色や青色で装飾している。つきあたりまではすぐ到着する。小さな村にもかかわらず、そこには結構高級なホテルがあるらしい。
城壁に登り、村の家並みを眺めていると、バスツアーのメンバーでもあった、中南米系の若い男に写真を頼まれたので撮ってあげた。
村は本当に小さく、一周するのに時間はかからない。中心はサンタ・マリア広場及び教会である。
村の入り口に戻る。ここにも城壁があり、やっぱり上に登ってしまう。朝の柔らかい日差しが家々の白い壁に反射し、まぶしい。
中世のかわいい村を離れ、修道院の街、アルコバサに向かう。

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赤いとさかのジャズマン(パリ見本市)

2006-02-22 22:42:13 | パリの思い出
パリでは4月末から5月はじめにかけて、「Foire de Paris」という催しが行われます。
訳せば「パリ見本市」ということで、いろいろな展示がされます。
住居各所のインテリア、庭、旅行、マルチメディア、料理やワインなど、さまざまなコーナーが設けられます。
場所は「Porte de versailles」の近くのパリ展示場で、かなり広い場所と建物があります。
ここでは他に農業見本市や、オートショーなども行われました。
それにしても「ポルト・ドゥ・ヴェルサイユ」という名前もいいものです。パリ市内ではこのように「ポルト~」という地名の呼称がたくさんあります。もともと後に続く所に行くルートの城門があったところらしいです。
その中でもやはり「ヴェルサイユ」となると何となく高級感漂い、いかにもフランスに来たぜ、という感じがします。自分がはじめてパリに来た時に泊まったホテルもその近くだったので感慨もひとしおです。

さて、この「Foire de Paris」には展示のほかにも楽しみがあります。
それはジャズの演奏です。三ヶ所くらいでいろんなバンドが入れ替わり立ち代り演奏しているのです。
各バンドの聴衆も違います。午前中、室内のコーナーで演奏していたトリオにはほとんど客がいませんでした。席もほとんどおらず、何となく聞きづらかったのを覚えています。
別の場所では、ちゃんと席を用意しているところもあり、座ってのんびり聞けました。女性ボーカルの、いい雰囲気のバンドでたいへん楽しめました。隣に座ったおじいさんが嬉しそうにモゴモゴ語りかけてきましたが、何を言っているのかよくわからず適当にニコニコして相づちを打っていたものです。(日本人らしい・・・)
この催しには何度か行きましたが、一番印象に残ったバンドは6人くらいのFunk Jazzという感じの音を出しているバンドでした。
右端にバンマスらしいギター、その後ろにベース、中央にホーンが3人、その後ろにドラムという構成でした。
みんな普通の白人の男なのですが、一人異彩を放っているのがいました。
ホーンの一人の髪型が赤いトサカなのです。そして顔立ちは女たらしのイタリア人にも見えるし、また一方おしゃれなゲイにも見えました。
そんな連中がジャカジャカパッパラ~やっているので、ほんとにカッコよかったです。ホーンが休んでいる時は、座ってあげて、後ろのドラムがドンシャカ叩いているのをよく見せてあげました。
演奏の終わるのが、名残惜しかった思い出があります。
この、「Foire de Paris」、最近ジャズはどうかわかりませんが、展示はまだ行うと思いますので、その時期におられる方は見学してみるのもいいかと思います。

www.foiredeparis.fr


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リスボン男に襲われる?

2006-02-18 23:09:23 | ヨーロッパ旅行記
テージョ河沿いをほっつき歩き、城に登った1日。この日も疲れてホテルに帰る。
夕食を食べに夜のリスボンに出る。
初日、薄暗い山手のバイロ・アルト方面に行って失敗したので、この日は大通りであるリベルダーデ通りを目指す。
ホテルから少し坂を降りたところに、小さいがこぎれいなレストランがあった。入ってみようかと中を覗くが、誰もいなそうだったのでやめておいた。
結局坂を降りきり、大通りに出る。
しばらく歩くと、割と広い、シーフードを扱った明るいレストランを見つける。正面にいけすのようなものがあったような気もするが、はっきり思い出せない。
中に入り、席に着く。家族連れや団体客もいるようで賑やかだ。料理を注文する。
料理にはカニなどもあった。カニを食べるために悪戦苦闘していると、ウエイターのおじさんが器具を持ってきてくれ、「こう使うんだよ」と教えてくれた。
そのおかげもあり、おいしくシーフードをいただき、満足して店を出る。

しかし、ホテルに帰る道で事件は起こった。
暗い坂道を登っていると、若い男に呼びかけられた。
振り返ると、悲壮な感じで何か大きい声で言ってくる。短髪の若い男性だ。少なくとも見かけはそんなに変ではない。近くに大学もあることから、大学生といっても全く不思議では感じだった。
何かを訴えるように言ってくる。しかし何の事か全くわからない。
次第に距離を詰めてくる。
こちらは後ずさりする。こちらも男とはいえ恐ろしい。
もう1歩来られたら大声をあげよう、と思ったが、幸い諦めてくれたらしく離れていった。
気味悪くなり、ホテルまで振り返りながら走って帰る。
あれは一体なんだったんだろう。未だにわからない。
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リスボンの黄昏

2006-02-17 23:22:41 | ヨーロッパ旅行記
ジェロニモス修道院からさらに東に行き、国立古美術館に入る。
まず中に入ると、キンキラキンの礼拝堂があった。ここはサンタ・アルベルトの礼拝堂と言う。金色でなおかつ内装も細かいところまでほどこされて豪華だった。
この美術館では、日本の屏風絵もあった。南蛮渡来時の情景の屏風で、英語のパンフレットには「Namban Screen」とあった。日本人にとってはわかりやすい表現だ。
この美術館は河に面した、高台のところにある。美術品を見回った後、外のベンチに座り、しばし河を眺め疲れをいやす。
といってももう夕方だ。夕陽にせかされるように、次の目的地、サン・ジョルジュ城を目指す。

街の中心部から、狭いくねくねとした登り道を進む。一応標示はあったので、なんとかたどりつく。
ここは、城といっても、シントラのムーアの城跡と同じく、城壁と低い搭しかないと言ってよい。なんらかの建物があるべきところは公園になっている。
城壁の上に登ると、テージョ河をはじめとするリスボンの街が見渡せる。河は夕陽に照らされ輝き、橋とクリスト・レイが逆光を浴びて、そのシルエットを浮かび上がらせていた。
またこういうところの例にもれず、ポルトガルの国旗があった。隣に白と黒の旗があったが、これはリスボンの旗だろうか。
旗の向こうには、すこしもやがかかった、リスボンの街並みが広がっていた。

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