ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

フランス下院選挙の結果

2022-06-22 19:16:34 | フランス物語

 

 

 

上から、フランス下院選挙の今回と前回の比較、前回2017年の結果、そして左右ではなく、左から得票数の多いグループを表した表です。

極端な方向にいっているのが残念なような気がします。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

窓際のにゃんこちゃん

2022-06-18 06:11:20 | 小説

うちのにゃんこです。

狭い窓際でも、落ち着いて外を見ています。

時々、鳥の口真似もしているように思えます。

ふにゃ、この場所も結構落ち着くのにゃ。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーセールのサン・テティエンヌ寺院とヨンヌ県庁

2022-06-05 07:58:06 | フランス物語

 

オーセールのサン・テティエンヌ寺院を、前回とはちょっと違う場所から撮ります。
その寺院の前に立派な邸宅のような建物がありました。
2001年当時のパンフレットを参照すると、これはヨンヌ県の県庁とのことです。オーセールはヨンヌ県の県都でもあるのです。
現状をグーグルマップで確認してみると、この場所ではなぜかポールダンスの教室が開かれており、県庁は県庁広場沿いの別の建物のようにも見えました。誤りかと思われますが、詳しいことはよくわかりません。
この建物はもともとオーセールの司教館として使われていたものを19世紀に県庁として転用しました。
ちなみに県庁広場は以前、参事会聖堂が建てられていた場所を、大革命時に取り壊され、広場になったようです。
このように、大革命後、参事会の敷地や建物は、国に没収された上、売られたり、取り壊されたりしてしまったようなのです。
まさに、「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」状態だったわけです。
それに比べると、司教館は他の施設に転用されて生き残ったケースは多いようです。
オーセール以外でも、トゥールーズでは同じく県庁、ボルドーでは市役所、ランでは裁判所、ランス、ストラスブール、トロワ、アルビなどでは美術館に転用されているそうです。

(現地のパンフレットおよび「大聖堂」文庫クセジュ、を参考にしました)

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

オーセールのサン・テティエンヌ寺院の歴史

2022-06-04 11:02:15 | フランス物語

 

画像はオーセールのサン・テティエンヌ寺院です。
ここではその歴史について振り返り、まとめてみます。

ローマ時代、「アグリッパ街道」にオーセールの町が創設される。
3世紀にキリスト教化される。最初の司教は346年。
5世紀にこの場所に最初の寺院が建てられる。現在の原型は4番目に建てられたもの。
1210年にオーセールの司教座に任命された若い司教ギヨーム・ド・セイニュレイは、11世紀初頭に建てられた古風と見なされたロマネスク様式の大聖堂を目の当たりにする。当世風を愛する彼は、いわゆる「フランス」流で新しい教会を建設することを決める。イル・ド・フランス発祥の、後に「ゴシック」、つまり「野蛮な」ともされる様式。

1215年に建設が始まり、古いロマネスク様式の地下室の上に建てられた内陣は、1230年に完成した。そのエレガントな「三要素からなる」高まり(大きなアーケード、「トリフォリウム」と呼ばれる偽のギャラリー、高窓)とその並外れた「光の壁」は、1230年から1250年の間に設置された印象的な一連のステンドグラスの窓で構成されており、この非常に明るい内陣は13世紀の偉大なゴシック様式の傑作の1つ。ギヨームは彼の財産の大部分をそこに授けた。


ノートル・ダム・デ・ヴェルトゥス礼拝堂は、1550年から1561年の間に大聖堂の南側に建てられる。その名前は、奇跡的な像(ラテン語の「美徳」の意味)に由来している。


しかし、教会参事会が南塔(右側)の建設を再開する準備をしている間、「宗教戦争」の嵐が建物を激しく襲う。1567年、プロテスタントは街を占領し、大聖堂を完全に略奪した。

革命は大聖堂を大きな被害を与えることなく「理性の寺院」に変え、ナポレオンが宗教を回復した1802年に建物はその宗教的召命を取り戻す。しかし、SensとAuxerreの長老の一部で構成された新しい主教区は、Sensを大聖堂の称号とする。それ以来、サン・テティエンヌ寺院は教区教会の地位になる。

革命時の混乱と帝政の数年間はほとんど維持管理されていなかったため、状態が悪く、19世紀にロマネスク様式の地下室(1845-1848)は建築家ヴィオレ・ル・デュクの指導の下、そしてゴシック様式の建物(1863-1874)はピエプルの父と息子により、教会は大規模な修復を受ける。

幸い第二次世界大戦の爆撃を免れた大聖堂は、21世紀初頭、2001年から2008年にかけて、特にその耐水性(骨組みと身廊の屋根の修復)とその西側のファサードの洗浄が行われる。ゴシック彫刻の傑作である正面玄関は、今では元の優雅さを取り戻す。

2015年にサンテティエンヌ大聖堂は、800周年(1215/2015)を迎えた。

フランスの寺院は大概宗教戦争、革命、世界大戦の影響を受けてしまっているのですが、このサン・テティエンヌ寺院は宗教戦争の破壊が一番大きかったようです。戦争による破壊はやはり悲しくてむなしいことです。

(Diocèse de Sens & AuxerreのHPを参考にしました。自分の語学力、知識不足もありますので、内容については、このHPで再確認してください)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする