シベリアのビートルズ イルクーツクで暮らす
多田麻美 著
亜紀書房 発行
2022年11月1日 第1版第1刷発行
はじめに
著者がイルクーツクに暮らし始めた2018年初頭はBBC、ユーロニュース、ドイチェ・ヴェレ、NHKなどの海外向け放送が常時視聴できたが、ウクライナ侵攻とともにそれらは姿を消した。
国境も封鎖され、「ソ連」への回帰どころではなく、それ以上なのだ。p6-7
Ⅰ スラバ(著者のパートナー)の部屋
1 シベリア、イルクーツク、Z通り一番地
シベリアの主な都市には、イルクーツクの他に、ノボシビルスク、オムスク、クラスノヤルスク、トムスクなどがあるが、実際にシベリアの首都の座を獲得しているノボシビルスク以外の住民も、「本当はわが街こそシベリアの首都であるべき」と思っている。
イルクーツクにも、歴史上のある時期、シベリアや極東地域の首府であった。p13
1825年、帝政期の首都で「デカプリストの乱」と呼ばれる革命運動を起こしたものの失敗した貴族たち、そして1863年にポーランド立憲王国で反ロシア蜂起「一月蜂起」が起きた時の参加者たちも、政治犯としてイルクーツクに流され、この地に無視できない文化的影響を残したといわれる。p15
2 ビートルズで結ばれたきずな
3 愉快でマイペースな仲間たち
ウラジオストクが軍事上の理由で閉鎖都市だった時でも、水兵たちが日本から持ち込んだ品がファルツォフシクと呼ばれる闇屋でいろいろ手に入った。p58
ロシアでよく耳にする男性の名前は種類がとても少ない。恐らくアンドレイ、アレクサンドル、アレクセイ、セルゲイ、ニコライ、ミハイル、コンスタンチン、エフゲニー、イーゴリー、ウラジミールだけで、何十人もいるスラバの友達の親しい友人の大半がカバーされてしまう。p70
Ⅱ ソ連に生まれ、ロシアに生きる
4 サバイバルの時代
1990年代のロシアはギャングが跋扈する恐ろしい世の中
5 ペレストロイカ・ノスタルジー
6 夢見がちな野心家たち
スラバは短波ラジオでボイス・オブ・アメリカで西側のロック音楽を聴いていたが、著者は90年代、フィリピンの「ラジオ・ベリタス・アジア」のロシア語放送を聴いていた。p136
(渋いところ聴いていたのですね・笑)
Ⅲ 二一世紀のビートルズ
7 自分らしい表現を求めて
三年ほどデトロイトに住んでいた著者
日本に帰ってきたら、みんな暗い色の制服を着ていて、顔の表情に乏しく、隣同士で座っていてもあまり話をしないこともある日本の生徒のことを、なんだか不気味に感じてしまった。p158
8 遠ざかるソ連ロック・ビート
2002年頃から北京では、秩序より活力が先走りしていて、一定の評価を得た画家は、しばしば複数の画廊と代理契約を結んでいた。
だがイルクーツクでは、かなり評価を得ている画家でさえ、画廊と契約しているのはまれで、絵を買っていくのは、自分の友人とか知り合いくらいだ。p166
9 過去との出会い
シベリアでは、日本人はアジア系の原住民であるブリヤート人に間違えられることがある。p181