ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ブールジュの大聖堂から見た官庁街

2020-08-29 08:59:40 | フランス物語
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂北塔からの眺めです。
南塔の黒いとんがり屋根を見下ろしています。
その向こうには、何やら貫禄のある建物が見えます。
グーグルマップで確認してみると、Cité administrative Condéとのパネルを発見しました。コンデ官庁街とでも訳すのでしょうか?
この過去を調べてみると、もともと1682年に、この地に神学校が建てられたそうです。
更に革命後、建物は兵営、兵舎となりました。
そして1949年以降、行政機関として使われています。
現在、入り口のパネルをみると、IMPOTSとデカデカと書かれていたので、税務署的な建物なんでしょうね。

この建物だけでなく、この辺りには市役所、県庁、更には地域圏(州)関連施設と、行政機関が揃っていました。
ブールジュはシェール県の県庁所在地ですが、サントル=ヴァル・ド・ロワール地域圏の首府の座は、残念ながらオルレアンに取られています。
wikiを見ていると、印象派の画家ベルト・モリゾはここブールジュの生まれ(1841年)だったとか。
というのも、お父さんがシェール県の知事だったからです。
ただその後あちこちの知事を歴任した後、パリに落ち着いているので、彼女の跡形はなさそうです。
でもひょっとしたら、「ここでベルト・モリゾが生まれた」的なパネルくらいはあるかもしれませんが。
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ブールジュの大聖堂北塔の風見鶏

2020-08-22 07:59:00 | フランス物語
ブールジュのサン・テティエンヌ大聖堂の北塔屋上に昇ります。
そこには画像のような風見鶏がありました。
風見鶏自体は大聖堂の尖塔の上とかでもよく見かけます。パリのノートルダム大聖堂の風見鶏が、あの大火災にも関わらず、奇跡的に残っていたというニュースが伝わっていました。
装飾が植物をあしらったような感じです。アールヌーヴォ様式でしょうか?
覆いの下には鐘らしきものがあります。
あと、ちょっとした機械のようなものも取り付けられています。
風向や風速を計り、そのデータを送るためのものか、鐘を鳴らす仕組みなのか、それ以外の用途なのか、見当がつきません。
とにかく風見鶏は、大聖堂の塔の上から、ブールジュの街を見下ろしていたのでした。
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ブールジュのサンテティエンヌ大聖堂のファサード

2020-08-16 08:38:47 | フランス物語
再び、ブールジュの大聖堂を目指します。
ファサードの全体像を捉えるのは難しいのですが、ギシェ通りからは、中央扉口、バラ窓、そして南北の塔の姿をなんとか垣間見ることが出来ました。
塔の形は揃っていません。
同じ形の方が統一性があり美しいと思うのですが、別々なのもお互い自己主張しているようで面白く感じます。
現実的には、なにぶん年月のかかる大工事であるため、諸事情により統一性を持たせるのが難しかったのでしょうが。
似たような例として、シャルトルの異なった形状の尖塔や、ストラスブールの片方だけの尖塔を思いだします。

こちらブールジュでは、黒いとんがり屋根の方が南塔になります。
こちらは鐘楼の形をしていますが、鐘自体はないため、耳の聞こえない塔、と呼ばれているそうです。
北塔は16世紀初めに倒壊したのですが、ルネサンス様式で再建されたそうです。
この北塔の上、画像で見ると危なっかしそうですが、上にのぼることが出来ました。
大聖堂に入り、らせん階段をのぼっていきます。

(週刊 世界遺産 No.41を参考にしました)
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ヨーロッパの民族学(第3章~第5章)

2020-08-15 20:33:11 | ヨーロッパあれこれ
第三章 遺産の継承、同化、革新

Ⅰ 古代ギリシャ・ローマ文明からの継承

1 ロマンス文化圏

「ラテン語化」「都市化」「市民性」




軍隊とカトリック教会という二つの権威が「ロマニア」の人々を近づける。




ロマンス語圏

イタリア、ルーマニア、フランス、スペイン、ポルトガル

シチリア、カタロニア

ロマンシュ圏またはフリウーリ圏




2 ギリシャ・ビザンチン文化圏

文化圏形成の中心となった言語が、35世紀(!)にわたり存続している。




Ⅱ 「蛮族」からの継承

1 ケルト文化圏




2 ゲルマン文化圏




3 スカンディナヴィア文化圏




4 スラヴ文化圏




5 バルト文化圏

ラトヴィア人とリトアニア人




第四章 アイデンティティの危機

Ⅰ ヨーロッパの中のヨーロッパ人

1 さまざまな理論形成またはイデオロギーによる正当化:旧ソヴィエト連邦における民族の理論




2 連邦内のヨーロッパ系諸民族:アイデンティティの喪失と再発見




3 国民運動と民族闘争




Ⅱ 他者の中のヨーロッパ人

紀元前のインドのギリシャ人、アフリカのローマ人、中世のパレスチナにおもむいた十字軍やエルサレムの王たち、近世のメキシコのコンキスタドール、北アメリカの植民者たち




1 ラテン系モデルの植民

15世紀半ばから18世紀終わりまで、商業資本主義の飛躍と結びついている。




2 ゲルマン的モデルの植民

オランダ人やイギリス人は、組織された商人として海外へでかけた。




3 植民の古いモデルと新しい帝国




Ⅲ ヨーロッパのヨーロッパ人と外国人

1 同化と疎外の歴史:ユダヤ人とジプシー




2 同化か追放か:アフリカ人とアジア人




3 文化変容の受け入れと連帯の承認:(フランスでの)レバノン人とアルメニア人

同化への個人的計画や地位の向上の機会や危機を、親類縁者の援助によって支えながらも、婚姻や親子の関係を超えて彼らを結びつけている絆をメンバーの中で維持しようとする。

このようにしてグループは、一世代あるいは二世代で社会の周縁に押しやられたり、領域的に周縁化することをまぬがれている。




第5章 好みと価値観と信仰

Ⅰ 食物の好みと結婚の選択

1 食性と料理



2 配偶者選択のタブー、規則、好み

ラスレットのよる4つの家族のタイプ

「北部ヨーロッパ」タイプ

晩婚と、新居住と、核家族とに基礎を置き、子供は計画出産である

「中部ヨーロッパ」タイプ

ゲルマンやバルトのヨーロッパで優勢。前者とは違い、始祖の家系(本家)や「家」の永続性や一子相続を重要視する。

「地中海」タイプ

女性の早婚が特徴。配偶者間にかなりの年齢差があり、再婚にはある程度抵抗があり、複合家族の割合が多い。

「東部ヨーロッパ」タイプ

結婚が早く、夫との年の差は大きい。再婚は頻繁であり、若いカップルが両親に依存するしきたりがある。一般に、結婚した子供は両親と生活を共にする。p117



Ⅱ 世界の呪縛と覚醒

1 世界の呪縛と芸術表現



2 世界の覚醒と聖なるものの新しい姿

・古代ヨーロッパの神話と寓話

・スラブ語圏のフォークロア

・キリスト教のフォークロア、異教のフォークロア

・儀礼の形と目的
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ヨーロッパの民族学 第1・2章(白水社 文庫クセジュ)

2020-08-08 20:39:06 | ヨーロッパあれこれ
ヨーロッパの民族学

ジャン・キュイズニエ 著

樋口淳 野村訓子 諸岡保江 共訳

1994年11月25日 発行

白水社 文庫クセジュ 760




この本の最初の一章では、民族に関する知識がヨーロッパでいかに形成されたかを示しています。

つづく二章でヨーロッパ社会に存在する200ほどの民族をいくつかのグループにわけて記述します。

そして最後の二章で、これらの社会で民族的アイデンティティが形成され表現されるメカニズムを分析しています。




第一章 ヨーロッパ民族学の歴史

Ⅰ 差異を記述する




Ⅱ さまざまなイデオロギー

  ロマン主義の台頭とともに、国家の起源をテーマとしながら、ケルト人やゲルマン人、スラブ人に関する広範だが脆弱な知的体系を築こうというイデオロギーの誕生

1 ケルト人、ケルト主義、ケルトマニア




2 ゲルマン人、汎ゲルマン主義、ドイツ国家




3 スラブ人、 スラブ愛好主義、汎スラブ主義




民族学の基礎には、三つの学問的伝統がある。

第一にデュルケムとウェーバーの社会学

第二に文献学、民俗学

第三に文化人類学と社会人類学 p27




第二章 遺産の古層・基層・傍層

Ⅰ 遺産の古層

紀元前三千年から二千年、辺境ではそれよりさらに遅れて、ヨーロッパの古層となる文化が形成される。

ラップ人とバスク人がこのヨーロッパ古層の姿を垣間見せてくれる。




1 ラップ人、あるいはサーメ人

人口、およそ4万人で、ノルウェー、スウェーデン、フィンランド、ロシアにまたがり、北極圏の周辺に住んでいる。




2 バスク人

エウシカラ語(バスク語)を話す人たち




Ⅱ インド・ヨーロッパの基層

インド・ヨーロッパ語という、一つの共通の言語が存在し、そこから歴史上よく知られた類縁語、ギリシャ語、ラテン語、ケルト語などが派生した、という仮説p39

そしてひとつの民族ないし部族連合体が移動し、あちこちに定住していった、という仮説p40




1 インド・ヨーロッパ祖語という共通起源の言語

言語の共通の性質や語彙




2 諸文化の相似性、あるいは思考体系の同一性

デュメジルの方法

用語を個別に研究するのではなく、名や儀礼の秩序だった全体を対照させる。



3 インド・ヨーロッパ人という同一起源の民族

インド・ヨーロッパの諸制度の語彙の全体像を見ると、今日ヨーロッパで様々な言語を話している諸民族の遠い起源は、同一の社会組織を持った一つの組織だったのではないか、と考えられる。p47



4 故郷についてのさまざまな仮説

研究者の多くは、インド・ヨーロッパ人を、戦闘用の斧を携え、縄席文土器を用いた、戦士・遊牧民の「クルガン人」であると考える。p48



Ⅲ 遺産の傍層

フェニキア人、ベルベル人、ユダヤ人、フン族、アラブ人、モンゴル人など、多くの非インド・ヨーロッパ系の民族が、ヨーロッパ大陸にやってきて、一部は定住し、一部は先住の民族と融合した。

その中で、今日のヨーロッパのいくつかの国家の起源になっているフィン・ウゴル系の民族とトルコ系の民族



1 フィン・ウゴル系の諸民族

フィンランド、エストニア、ハンガリーを形作った



2 トルコ系の諸民族
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