ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

日本語の謎を解く 最新言語学Q&A

2023-07-31 20:18:39 | ヨーロッパあれこれ

 

日本語の謎を解く 最新言語学Q&A

橋本陽介 著

新潮新書

2016年4月20日 発行

 

この本では、日本語に関する高校生の疑問に対して、言語学に基づいて明らかにしていくという方式で解説しています。

 

第一章 日本語の起源の謎

日本語と朝鮮語

地理的に近く、文法体系がそっくり。語順も一緒で助詞も使う。

動詞の活用による敬語が複雑に発達している。

しかし比較言語学からは、似ている単語は多くない。

ヨーロッパの言語は、簡単に単語の対応関係を見つけることが出来る。

日本語は南北の様々な言葉が混ざり合って出来ているため、他の言語との関係がよくわからなくなっているのか?

 

第二章 日本語音声の謎

子音

肺から上がってきた空気をいったん口のどこかで阻害して出す音のこと。

母音

息を完全にはブロックしない。だから連続して発音することができる。

 

第三章 日本語語彙の謎

なぜ日本語は同音異義語が多いのか?

同音異義語はたいていは漢語

中国語には声調があって違う発音になるが、日本語にはないので、同じ音になってしまう。

 

なぜ「ニホン」と「ニッポン」という異なる読み方が残っているのか?

おそらく日本を含む東アジア圏には漢字本位主義的な傾向があるからでは?

漢字でどう書くかが重要であって、どう読むかは副次的な問題

 

第四章 言語変化の謎

言語学的にいうと、一人だけ言い間違えるのは「誤用」だが、集団で使われるようになると、それはもはや言語の「変化」p84

 

平安時代の基本的な単語の内、滅びるか変化したのは23パーセントといわれる。

古文の試験では違うところだけが問題になるから、まるで違うような印象を持ってしまう。p89

 

言語というのは常に変化している。

むやみやたらと変化しているのではなく、それなりのケースが見いだされる場合がほとんど。

新聞の投書欄には「最近特に日本語が乱れている」という文書が明治時代から現代まで載り続けている。

言語の変化は、複雑すぎる場合は単純になっていき、逆に単純になりすぎれば複雑になっていく。

一方向に発展なり衰退していくものではなく、循環的に変化していく。

「正しい日本語」とは、ある時点の日本語の姿を整理して、それを人為的に規範にしたものに過ぎない。

しかし、「規範=正しい」という意識が私たちの中には確実にあり、それが「正しいものは美しい」という価値観にもつながっていく。

美しい言葉遣いだから正しいのではなく、正しいと決めたから美しいと感じているだけ。p99

それに、わたしたちは変化を嫌う傾向にある。p100

 

第五章 書き言葉と話し言葉の謎

「仮名」に対応するのは「真名」、つまり漢字のこと

 

片仮名は漢文を読むための補助機能として開発されたもの

現在でも外来語を片仮名で書く習慣が続いているが、これは片仮名がもともと漢文という外国語のためだったことに由来している。

平仮名は和文を表記するため漢字を崩して生まれた字

 

キリスト教を耶蘇教と呼ぶのはなぜか

耶蘇は現代中国語では「イェスー」と発音するからp109

 

歴史的仮名遣いの特徴は語源主義に立っていること

その最大のメリットは、発音の異なるあらゆる時代、あらゆる地域の言葉を同じ方法で表記できること

最大のデメリットは現代の発音と大きく異なっていることp116

 

「は」「へ」「を」が歴史的仮名遣いのまま残ったのは、助詞・助動詞の表記の仕方は伝統が最も濃い部分であり、常識的意識においてその伝統が考えられたからp117

 

英語はヨーロッパの言語の中でも特に発音と表記の違いが大きい言語p118

 

第六章 「は」と「が」そして主語の謎

日本語の文法研究が本格的に始まったのは江戸時代、本居宣長とその門下

明治になると西洋の言語学が入ってくる。それをそのまま日本語に当てはめる。

西洋の近代的な言語学と江戸時代からの研究を折衷した日本語文法を考えたのが大槻文彦

 

日本語では、ものごとを上から客観的に眺めるのではなく、状況の内側からの視点に同化してしまうのが普通p154

 

英語などのヨーロッパの言語は、原則としてものごとを客観的な視点から語る構造を持っている。

ヨーロッパ言語を母語とする人たちにとっては、日本語のように登場人物の主観的な視点に同一化してしまう文は、理解が難しいといわれている。p159

 

第七章 活用形と語順の謎

動詞だけでは表せない様々な意味を追加するために活用している。

 

第八章 「た」と時間表現の謎

 

第九章 同じ意味でも違う構文があるのはなぜか

Taro taught her English.

Taro taught English to her.

前者は英語を教えた結果、英語ができるようになった、というニュアンスがあるのに対し、後者は単に教えただけ

動詞の直後に目的語として置かれる場合、強くその動作が作用すると読まれるので、その結果も達成されたイメージになる。

toを使った形は、単に動作の方向を表しているだけp232

 

第十章 人間の認識能力と文化の謎

 

 

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ヨーロッパの文化景観 風土・農村・都市

2023-07-26 20:17:12 | ヨーロッパあれこれ

 

ヨーロッパの文化景観

風土・農村・都市

佐々木博 著

二宮書店 発行

平成元年6月1日 第3刷発行

 

Ⅰ ヨーロッパの輪郭

ヴァレリーは「ヨーロッパ人」の定義として、その歴史の過程において次の三つの影響を受けたあらゆる民族をあげている。

すなわち①ローマ法②キリスト教③ギリシャ思想・科学である。

しかし、この定義によると、アメリカ・カナダ・オーストラリア・極東ソ連もヨーロッパということになりかねない。

やはり④狭い空間内での自然と文化の多様性と独自性、の第四の要素を加え、範囲を限定する必要がある。p2-3

 

文書に残っているものをもって歴史的発見とすれば、ヨーロッパの発見者はフェニキア人であった。p4

 

マッシリアの人ピテアス(ピュテアス)はB.C.334年頃に大西洋を北上し、イギリスを回ってチューレ島に達したといわれ、それは今日のシェトランド島であると考えられている。p5

(アイスランドとは異なる説ですね)

 

ローマ時代の地理情報はギリシャの地理学者ストラボン(B.C.63-A.D.20)の地理学17巻、アレキサンドリアのプトレマイオス(85-163)の緯線・経線を用いた世界地図などによく収められている。p6

 

Ⅱ ヨーロッパの風土と人

 

Ⅲ 森林の開拓と集落の形成

ドイツ語で本のことをブーフ(Buch, 英語book)というのは、ブナ(Buche,beech)を板状に薄く削って、それに字を書いたことから出ている。p37

 

Ⅳ 都市の発達と都市文化

ヨーロッパの都市の特色として

・都市密度の高さと都市の地域的偏在

・歴史的重層性の厚さ

・形態と機能の多様性

 

ヨーロッパの都市はいつも同じペースで形成されてきたわけでなく

・B.C.6-A.D.4世紀のギリシャ・ローマ時代

・1050-1350年の中世

・16-18世紀ルネッサンス・バロック時代

・産業革命以降の工業都市

・第二次世界大戦後の郊外化・ニュータウン・市街地再開発期

など、ある特定の時期に集中的に形成されてきた。

 

ルネッサンス期の計画的要塞都市

・ヴェネチア共和国によって築かれたパルマノーヴァ

・ベルギーのシャルルロア・フィリップビーュ

・オランダのナールデン p83

 

Ⅴ 工業の近代化と生活様式の変化

 

Ⅵ 農業の発達と農村計画

 

Ⅶ 都市と農村を調整する国土計画

ラ・デファンスの地区開発が公社によって推進

国際企業のIBMやFIATのほか、石油・保険・銀行・フランス電力公社などの高層ビルが建設される。

12-14階建て高層アパート25棟も事務所ビルの裏に建設され、約6000戸の住宅を内包する、居住人口2万、従業人口10万の副都心 p137

 

 

 

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中世イタリア商人の世界 ルネサンス前夜の年代記

2023-07-24 20:11:00 | ヨーロッパあれこれ

 

中世イタリア商人の世界

ルネサンス前夜の年代記

清水廣一郎 著

平凡社ライブラリー

1993年6月30日 初版第1刷

 

フィレンツェの商人、ジョヴァンニ・ヴィッラーニの年代記をもとに書かれた本です。

 

Ⅰ めでたし聖年

1300年2月、教皇ボニファティウス8世は、この年を最初の聖年とするむねの宣言を行う。

この年、20歳くらいにヴィッラーニはローマで巡礼の様子を見ている。

 

Ⅱ 読み書き算盤

アラビア数字は、古代末期の哲学者ボエティウス(480-524)によりヨーロッパに伝えられたという伝説がある。

しかし実際は中世地中海の発展とともに、つまり十、十一世紀ごろから少しずつヨーロッパに入ってきた。

それが、ピサのレオナルド・フィボナッチ(レオナルド・ピサーノ)によって、『算盤の書』(1202)として集大成された。p33

 

Ⅲ フランドルへ 二つのヨーロッパの対立

イタリア商人がアルプスを越えて北西ヨーロッパに進出するようになったのは、十字軍に際して騎士や諸侯に用立てた貸付金を取り立てるためだったと言われている。p44

 

十二、三世紀のヨーロッパ商業地図を描くとすると、その中心は

北のフランドル、南のイタリアになる。

前者は北海・バルト海商業圏に、後者は地中海商業圏に面した商工業の中心地だった。

つまりこの二つの地域は、西ヨーロッパが外の世界と接触する二つの玄関口だった。

この

二つの都市地帯がフランスを中心とする農業地帯を挟んでいる。十三世紀に反映したシャンパーニュの市は、こうした北と南からやってくる商人が落ち合う場所だった。p45

 

イタリア商人の活動の場は、教皇庁財政と結びつくことで急速に拡大した。教会の収入を集め、それを指定の場所に送金する業務を彼らに委任した。p46

 

イタリア商人は一般にロンバルディア人といわれ、怖れられた商人でもあった。

 

Ⅳ 敏腕の商社員 遍歴商人から定住商人へ

十三世紀後半に、それまで遍歴商人として君侯の宮廷や教会を回り歩き、シャンパーニュの市でお互い取引を行っていた商人たちは、各地の主要都市に定住し、それを拠点として商業活動を営むようになった。p64

 

1303年ボニファティウス教皇は捕らえられ、侮辱される。

これをきっかけにアヴィニョン教皇庁の時代を開くことになる。フランスの勢力がこれ以後教皇庁をおおいつくすことになる。p78

 

Ⅴ ブオナッコルシ商社の成功 商人と家

中世人の世界の中に分け入っていこうとするとき、まず注意しなければならないのは、彼らにおいて「家」が占めている重要性のことだろう。p87

 

Ⅵ 妻と子

ジョヴァンニ・ヴィッラーニの偉大な年代記を受け継いだのは、彼の子供ではなく、終生彼に忠実だった弟のマッテオとその子フィリッポだった。p126

 

Ⅶ 市民ヴィッラーニの栄光

中世市民の都市国家では、上層市民たちは、商人や土地所有者であるとともに、都市国家の官吏であり政治家であった。

都市国家には書記局に属する若干の書記=公証人を別とすれば、専任の官吏は存在しなかったので、あらゆる役職は、市民が自由営業者である公証人の援助を求めつつ遂行しなければならなかったのである。p127

 

パリオは今ではシエナしか残っていないが、かつては他の都市でも盛大に行われていた。

シエナの場合、パリオは都市内の地区団体に結び付き、地区団体相互の競争として今日まで生き残ってきた。

しかし、本来パリオは騎士による馬の訓練に由来するものであって、騎士的要素を含んだ都市貴族のものだったと思われ、必ずしも地区団体に結集している庶民が主体だったわけではないらしい。p141

 

敵の面前でのパリオは、軍事的な優位を誇示し、挑戦することを意味していたのであろう。

あと敵に挑戦し、侮辱を与える方法として、敵の見えるところで自国の金貨を製造することだった。p143

 

Ⅷ 危機の時代

十四世紀のヨーロッパは、百年戦争の勃発(1339)と黒死病(1348-49)による人口の急減に象徴される困難な時代だった。p145

1339年以降は、ヴィッラーニの年代記もペシミスティックな影が濃くなってくる。p152

 

1342年、フィレンツェはアテネ公を「終身の君主」に推挙する。

アテネ公は、わずか10か月の生命しかなく、そのシニョーリア制は一つのエピソードに留まったように見える。

シニョーリア制は、上層市民の社会的地位の維持に力を貸してくれるが、かれらの「自由」は必然的に削減される。

そして十五世紀には都市国家体制の維持か君主制かという論争を起こす。

そしてこの論争のはるか延長線上には、近代政治学の開拓者マキャヴェッリの『君主論』が屹立している。

 

Ⅸ 破産

1348年からの黒死病により、ジョヴァンニ・ヴィッラーニの命も奪う。p184

 

Ⅹ 記録への執念

中世におけるイタリア商人の生活を跡付けてみようとすると、彼らにとって「記録する」という行為がいかに重要な意味を持っているか、改めて感じさせられる。p186

 

中世において成分法を重視する地域は、ローマ法の伝統が直接的に残っているイタリアや南フランスの地中海地域であり、

ロワール川以北の北フランスやドイツ、イングランドなどは慣習法の伝統が強固な地域である。p187

 

Ⅺ 死後の裁判

ヴィッラーニらの国際的商人が生きる都市の世界と、プロヴァンスの片田舎の農民の住む世界の違い

 

Ⅻ 歴史を書くこと

初期フィレンツェの歴史はフィエーゾレとの対抗の歴史として捉えられている。p235

 

フィレンツェとフィエーゾレは本来、全く異なった伝統を持つ都市だった。

フィレンツェは紀元前一世紀に建設されたローマの植民都市であったのに対し

フィエーゾレはエトルスク起源の都市で、はるかに古い歴史を持っていた。

 

ⅩⅢ ホーエンシュタウフェン家の運命

 

ⅩⅣ ダンテと年代記作者

ダンテ(1265-1321)はヴィッラーニのよりもおよそ15歳の年長である。

ヴィッラーニの記述がダンテ文献の第一号だった。

フィレンツェの政治的亡命者だったダンテを都市政府が公式に詩人の名誉を認めるには長い年月がかかった。

ボッカッチョが神曲の公開講座の担当者に任命されたのは1373年だった。

しかし市民の間では、かなり早くからダンテの作品が愛読されていた。p280

 

神曲の舞台もちょうど一三〇〇年に設定されている。

ヴィッラーニが一三〇〇年の巡礼から帰ってきてから年代記を書き始めたという記述は、神曲との関連から理解されるべきではないだろうか。p283

 

 

 

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書物の夢、印刷の旅 ルネサンス期出版文化の富と虚栄

2023-07-21 20:41:15 | ヨーロッパあれこれ

 

 

書物の夢、印刷の旅

ルネサンス期出版文化の富と虚栄

ラウラ・レプリ 著

柱本元彦 訳

青土社 発行

2014年12月10日 第1刷発行

 

16世紀、印刷術が発明されてから数十年しかたたない時代のヴェネティアを舞台にした歴史ノンフィクションです。

ラファエロの肖像画でも有名なバルダッサール・カスティリオーネ、彼による出版史上最初のベストセラーの一冊『宮廷人』、その校正者(編集者)であるジョヴァンニ・フランチェスコ・ヴァリエールが主人公です。

 

序 快楽と罪悪

 

第一章

一五二七年秋、ヴェネツィア、書籍ブームの到来。

カスティリオーネの『宮廷人』が印刷にかけられようとしているが、出版者はまだ決まっていない。

 

第二章

碇とイルカの印刷所、アルド・マヌーツィオとその後継者たち。世代交代。校正者は誰か

 

碇とイルカを配した「Festina lente(ゆっくり急げ)」あらゆる判断をひとつひとつ熟慮したら速やかに実行せよという格言、の商標で知られる印刷所p62

 

グーテンベルクは葡萄を絞る臼から印刷機の設計を思いついた。確かにプレスの作業にはまさに葡萄絞りに匹敵する労力が必要だった。p71-72

 

印刷最初期の「校正者」

その仕事は校正の他に、手を加えて文章を磨くこと、誤りを取り除き、より良い言葉に改変し、印刷用の紙頁を「あらゆる細部にわたって彫琢する」ことだった。p76-77

 

第三章

『宮廷人』の仲間たち。

ローマに遊ぶヴェネツィアの文人たち。

誰もが蒐集熱に取り憑かれていた。

 

第四章

ついに校正者は仕事にとりかかる。

略奪されるローマからヴェネツィアへ

 

第五章

「熾烈な競争」。盗難、横領、暴力、虚偽、詐欺。

争う出版者たち。激怒する著者たち

 

出版業の黎明期、ヴェネツィアは、悪意に満ちた苛酷な競争にどっぷりと浸り、詐欺行為、盗難や偽造など日常茶飯事だった。p160

 

第六章

死者は横たわり生者はみなボローニャに赴く。

教皇と皇帝の到着。遺産争奪戦。

 

第七章

ペンは剣より強し。ヴェネツィアの文士たち。

 

第八章

奢侈、祝祭、放縦。『ヴェネツィア婦人』。

良家の子女と巷の噂。

 

1520年代に上演されたマキャヴェッリの『マンドラゴラ』

『マンドラゴラ』は満員御礼で、「あまりに多くの人が入場したので、第五幕を演じることができないほどだった」p220-221

 

第九章

一五四二年九月末。砕かれた野望。仮借ない共和国の審判。われらの編集者に悲劇が。

そして忘却、すべてが無に沈む。おそらく。

 

 

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エラスムスはブルゴーニュワインがお好き ルネサンスつもる話

2023-07-19 20:25:34 | ヨーロッパあれこれ

 

エラスムスはブルゴーニュワインがお好き ルネサンスつもる話

宮下志朗 著

白水社 発行

1996年7月10日 発行

 

温泉でアペリティフを

 

国境の向こう側

 

マントヴァの白日夢

 

聖母に捧げる競馬

シエナのパリオ(十七地区のはだか馬による競馬)について

レースに参加できるのは10地区。前年参加できなかった七地区が優先的に参加し、あと三枠は抽選になる。

馬は抽選で割り当てられるが、騎手は金で雇える。

敵対するコントラーダ(地区)があるが、一方的に憎しみを持つコントラーダや、全く中立のコントラーダもある。

 

ある家事日記について

『グーベルヴィル殿の日記』

16世紀中葉のノルマンディの田舎貴族の日記

 

哲学者の三木清による三種類の人間

・スキャンダルやハレに強く引き付けられる人間。軟文学と結びつく

・英雄伝などを好む、上昇志向の人間。受け皿は大衆文学というが、今なら司馬遼太郎や塩野七生か

・日記や自叙伝を愛する人びと。彼らには心理小説が用意されている。p76

 

いつかグダンスクへ

 

ブールジュの密会

 

自伝としてのファッションプレート

マテーウス・シュヴァルツ(1497-1574)

フッガー家の会計責任者

『服飾自伝』を残す

 

メムリング再び

 

預言者の果実

『ティル・オイレンシュピーゲル』より

 

絞首台上の奇跡

 

『ティル・オイレンシュピーゲル』の謎

 

無銭飽食の手引き

 

ブロワへの旅

田舎領主の家事日記を訳す

 

 

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