ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

青空に映える 中谷芙二子 霧の彫刻 姫路市立美術館前庭

2023-09-28 20:21:26 | ヨーロッパあれこれ

 

先日、NHKEテレ日曜美術館でも紹介されていた中谷芙二子さんの霧の彫刻です。

この日は青空が映えていました。

残念ながら霧の勢いは低いのですが、鮮やかな青空のおかげで、白っぽい姫路城や石畳、美術館のレンガ色、そして緑の芝生がそれぞれに輝いて、自己主張しています。

 

中谷芙二子《白い風景―原初の地球》霧の彫刻 #47769、姫路市立美術館前庭、2023年9月9日
     ©Fujiko Nakaya 2023 ©Himeji City Museum of Art

Fujiko Nakaya, White Landscape/ Primal Earth, Fog Sculpture #47769, Himeji City Museum of Art, September 9, 2023
     ©Fujiko Nakaya 2023 ©Himeji City Museum of Art

 

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ワールドカップフランス大会 ウェールズがオーストラリアに圧勝!

2023-09-25 20:27:28 | ヨーロッパあれこれ

今日は早朝、ワールドカップラグビーフランス大会、ウェールズ対オーストラリア戦を後半から見る。

すでにウェールズリードで、そのままウェールズが圧倒して勝利。

堂々の予選突破である。

個人的にはフランスかウエールズか、アイルランドに優勝してほしいと思っているので、この結果は素直にうれしい。

それにしても試合中、エディ・ジョーンズHCが画面に映ると、ブーイングがうるさい。

試合のレポーターによると、そのブーイングはウェールズサポーターによるものとのこと。

そしてその理由が対戦相手のオーストラリアのヘッドコーチだからではなく、元イングランドのヘッドコーチだったから、とのこと。

恐るべき、ウェールズのイングランドに対するライバルを越えた、怨念の感情。

坊主憎けりゃ袈裟まで憎い

イングランド憎けりゃ元HCまで憎い

 

ウェールズに負けたオーストラリアは予選落ちが濃厚とのこと

リヨンの夜の闇に消えゆくオーストラリア

ローヌの流れに乗ってフランスからさよなら

 

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ダブリンからダブリンへ

2023-09-19 20:54:40 | ヨーロッパあれこれ

ダブリンからダブリンへ

栩木伸明 著

みすず書房 発行

2022年1月7日 第1刷発行

 

『ダブリンからダブリンへ』というタイトルには、時間的な移動、つまりは歴史的観察と空間的な移動、ようするに旅という二つの意味合いが込められているとのことです。

冒頭は少し前、このブログの記事で扱ったホウス岬を紹介しています。

 

Ⅰ ダブリン便り

著者の住むバルドイル暮らしの今を綴ったもの。

バルドイルはホウス岬のつけ根にあって、五、六分歩けば海辺に立てる場所

「バルドイル」はアイルランド語で「黒髪のよそ者の町」を意味する。

今から千年以上前、デンマーク系のヴァイキングがこのあたりへやってきて、集落を営んだ遠い記憶が刻まれた地名

 

Ⅱ 紆余曲折のクロニカル

19世紀半ばから20世紀半ばにいたる約百年のアイルランドが描かれた、映画や文学作品を手掛かりにして、人々がどんなふうに生きたかをたどる。

 

Ⅲ 〈起きているものごと〉が奏でる音楽

この国が1990年代の半ば以降に経験した未曾有の経済躍進〈ケルティック・タイガー〉にはじまり、その躍進が失速し、やがて安定して、現在に至るまでの見聞録

 

Ⅳ 古いビールと冬の高潮

2010年の2月、ミュンヘン空港は見渡す限りの銀世界だった。

カフェの窓際の席で、ボイルした白ソーセージを食べながら白ビールを飲む

このメニューは〈第二朝食〉として供される伝統食とのこと

 

Ⅴ アッシジ発フィレンツェ経由ダブリン行き

 

Ⅵ 低地地方(ネーデルランド)から船出して

赤レンガ造りの巨大なアムステルダム中央駅を背にして、左の方へ歩いていく。

埋め立て地に取り残されたような水が左手に広がっている。駅の背後はすぐ海だ。

そのあたりにもやってあるボートを一艘借りて船頭をひとり雇い、複雑な形の入り江をこぎ抜いて北海に出られさえすれば、やがて西の水平線にグレートブリテン島が浮かび上がり、ロンドンへたどり着けるはずだ。

 

ブリュッセルは坂の町だ。

オランダの町々を巡りながら南下して、ブルージュ、ゲント、アントワープを見物した後、この大都市にやってきてそう思った。

北海に面した低地地方はどこまで歩いても平坦だったのに、二週間ぶりにブリュッセルで坂道を上ったからである。p195

 

Ⅶ おしゃべりなひとびと、北西のひとびと

Ⅷ シェイマス・ヒーニーと仲間たち

個性派ぞろいのアイルランド人を紹介するエッセイ

 

Ⅸ 生きのびていくことば

したたかに生き続けようとすることばの文化に対する期待をこめてこの本を締めくくる。

 

 

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ヨーロッパ近現代の200年 くらべて楽しむ地図帳

2023-09-17 20:49:24 | ヨーロッパあれこれ

 

ヨーロッパ近現代の200年

くらべて楽しむ地図帳

関眞興 編著

山川出版社 発行

2023年8月30日 第1版第1刷発行

 

この本では

・ウイーン体制が成立した1815年

・第一次世界大戦が始まる1914年

・第一次世界大戦と第二次世界大戦の間の1919~39年

・第二次世界大戦後の東西冷戦が本格化していく1950年

・ソ連崩壊により冷戦が終結した後の1993年

・現在

の6つの時代の地図が示されています。

ヨーロッパ近現代史を理解するために、ヨーロッパが近代へ移行する契機の一つといえるウイーン会議後、すなわち1815年を始点としています。

 

フランス絶対王政を代表するルイ14世は自身が行う戦争の目的を「自然国境論」という言葉で正当化した。

これは国境は山や川で決めるとしたものである。p24

 

イタリア中部にあるサンマリノ共和国は世界最古の共和国として知られる。

4世紀初めのローマ帝国でディオクレティアヌスが行ったキリスト教徒の大迫害を逃れた人々によって建設されたという伝説が残る。

17世紀の中頃、ローマ教皇がサンマリノの共和政を承認した。

イタリアに侵入したナポレオンに、アドリア海まで領土を拡大する提案を受けたというが、国際紛争に巻き込まれることを嫌って断った。

ウイーン会議で独立が再確認された。

イタリア統一戦争ではサルディーニャに義勇軍を派遣したが、新生イタリア王国に編入することはなく独立を維持し、イタリア王国もそれを認めた。

イタリアには外交、国防などで大きく依存している。

国土は61平方キロメートルと、世界で5番目の小国家であり、資源に乏しく、地政学的な重要性もないため独立が保たれている。p43

 

第一次世界大戦に敗れたとはいえ、ドイツはなおバルト海沿岸に領土を維持していた。このためポーランドは内陸国家になるのだが、経済発展のためには海への出口が不可欠である。

このためバルト海に面したダンツィヒ(ポーランド語ではグダンスク)をドイツの支配から離れた「自由市」とし、その港の自由使用権を求めた。

しかしそこに至る通路が必要である。

このためドイツ本土と東プロイセンの間の土地を「ポーランド回廊」としてポーランドに割譲した。

ドイツ人の不満が大きいものであったのはいうまでもなく、第二次世界大戦の大きな原因をつくっていく。

 

リトアニアのバルト海沿岸にメーメル(クライペグ)がある。

ここも第一次世界大戦後には国際連盟の管理下に置かれた。

この地域を管理したのはフランスであったが、1923年、リトアニアは軍隊を派遣してこの地域を併合してリトアニア領とし、国際連盟はそれを承認した。

(池内紀さんの「消えた国 追われた人々 東プロシアの旅」では日本の軍事行政官も行ったはずだと書いてあったが、どこまで日本とかかわりがあったのだろうか?)

 

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中世イタリアの都市と商人 清水廣一郎 著

2023-09-16 21:05:14 | ヨーロッパあれこれ

 

中世イタリアの都市と商人

清水廣一郎 著

講談社学術文庫

2021年10月12日 第1刷発行

 

Ⅰ 地中海商業と海賊

地中海の波はおだやかである。秋から冬までの冷たく風の強い季節を別にすれば、海は時にものうげに、時に青空を映して輝かしく広がっている。日本の海辺に漂っている磯臭さ、あの旺盛な生命観というものはどこにも見当たらないように思える。一介の旅行者はその海から何か非現実的な、抽象的な印象すら受けることがある。

 

一 海上交易と保護費用

商業を考える際には、資本、市場、商品、商業技術、輸送手段を見るだけでなく、商業活動が円滑に行われるようにその全過程を安全に保つためのコストが重要であることに注意しなければならない。

関税や賄賂、あるいはその他の費用、つまり「保護費用」が権力者に支払われねばならない。

保護費用の安さによる経済的利益をプロテクション・レント(Protection Rent)と呼ぶ

 

二 商人と海賊

当時の海上商人は武装商人であった。

商業活動と海賊活動を明確に区別する指標は存在しない。

相対する両者の勢力が拮抗していれば、取引はその時点の相場で行われる。

一方がより強力であれば、相場以下の価格で相手の商品を買うか、高い価格で売りつけることになる。

一方の武力が圧倒的に優位を占めていれば、相手の商品を無償で奪ってしまう。

 

海賊には専業の者もいたであろうが、『デカメロン』の例で見たように、商人から海賊へ、また海賊から商人へとすぐに転換できることに大きな特徴があった。

 

三 地中海の商業文化

『デカメロン』の小話

商人の代理人としてナポリに派遣されて修行した経験を持つボッカッチョならではの叙述

もっとも、ボッカッチョ自身は、恋愛、文学、宮廷などの社交などに耽溺した結果、商人としてはついにものにならなかたのだが

 

四 ガレー船

ガレー船は多くの場合は昼間だけ航海し、夜は港に上陸して休むのが普通だった。

したがって、沿岸航路を通って、港々に停泊して航海することになる。

 

五 一六世紀における新しい事態

一六世紀には地中海の東西に二つの強力な集権的国家、西のスペイン、東のオスマン・トルコが成立した。

 

Ⅱ ジェノヴァ・キオス・イングランド

中世の地中海では、帆船とガレー船が行きかっていた。

15世紀半ばから後半にかけて、ジェノヴァが毛織物工業に必須の原料であった「明礬」を、東方貿易の中継地としていたエーゲ海東部のキオス島から、重くかさばるものを多量に運搬できる大型帆船で運び出し、イングランドやフランドルにまで届けていた。

 

Ⅲ 地中海貿易とガレー船

一 ガレー船の形態

古代の軍用船と中世のガレー船の違い

・船体の建造法

・オールの配列法。古代はオールを上下二段に配列。中世は上下に配列せず、右舷左舷に二人掛けあるいは三人掛けのベンチを並べ、こぎ手は並んで、それぞれ自分のオールを引いた。

・舗装。古代は四角帆だが、中世は三角帆。

 

ガレーという言葉は中世に出来上がった。中世ギリシャ語のガレーア=いたち、に由来するといわれる。

 

二 ガレー船の軍事力

ガレー船、特に軽ガレーの軍事力は、水域を支配したのではなく、沿岸を支配した。

 

三 ガレー船の商業活動

ガレー商船は香料などの貴重で軽い商品の輸送独占権を持っていた。

 

Ⅳ イタリア中世都市の「市民」と「非市民」

北西ヨーロッパの都市は、若干の例外はあるにしろ、市壁の外に広がる領土というのを持っていなかった。

しかし、北・中部イタリアの主要都市は、すべて市壁外に広大な農村領域(コンタード)を有する領域国家だった。

 

都市は、周辺の地域を統合し編成する中心地としての機能を持ち、それ故に広い範囲から人々を受け入れる開かれた性格を有しているのであるが、その反面で、共同体として他者を排除する閉鎖的な性格を持っている。

 

14世紀ピサの調査から、都市生活において教区が占めている重要性を感じる。

 

Ⅴ 中世末期イタリアにおける職人・労働者の移動

13世紀の折半小作制度成立以後、イタリア都市農村周辺部で、地主が不在地主化して都市に移り住むほか、保有地を喪った小作人も職人や労働者としてさかんに移住した。

 

Ⅵ 中世末期イタリアにおける公証人の活動

公証人文書において、メモ・登録簿・証書という三重構造を持つようになる過程

イタリア公証人の業務・人数・養成法・官職との関りについて

 

Ⅶ イタリア中世都市再論考

北ヨーロッパの商業都市であるハンザ都市の取り扱い商品が、穀物とか魚とか木材とか、日常生活に不可欠な商品を主とする。

一方南ヨーロッパ、特にイタリア都市はスパイスその他の奢侈品を取り扱っている。利潤の有り方の違いが存在する。

 

Ⅷ イタリア中世都市論再考 清水廣一郎氏遺稿

 

解説 かけがえのない細部を楽しむ 池上俊一

清水氏の仕事の研究の分類

・フィレンツェやピサを中心に、都市国家としての都市の構造と発展、および都市農村関係の史料に即した制度史的仕事

・古文書館に眠る公証人文書、また帳簿などの史料を掘り起こし、そこから分析・再構成できるかぎりの公証人の職務や地方代官職による農村行政を解明した行政史

・ガレー船や帆船を利用したヴェネツィア商人やジェノヴァ商人の活動など、主に地中海貿易を主題にした貿易史

・嫁資に代表される社会史的研究

・ジョヴァンニ・ヴィッラーニの『年代記』を主要史料として一般向けに書かれた『中世イタリア商人の世界』で触れた生活史、心性史

 

イタリアの古文書館に大量に所蔵されている公証人文書を使用して、ピサ人やフィレンツェ人やジェノヴァ人の商業活動の実態を解明したり、ピサのアルノ川の綿密な地域分析をしている清水氏の姿、かけがえのない細部を慈しんでいるような姿に、強く惹かれる。p175

 

 

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