中世イタリアの都市と商人
清水廣一郎 著
講談社学術文庫
2021年10月12日 第1刷発行
Ⅰ 地中海商業と海賊
地中海の波はおだやかである。秋から冬までの冷たく風の強い季節を別にすれば、海は時にものうげに、時に青空を映して輝かしく広がっている。日本の海辺に漂っている磯臭さ、あの旺盛な生命観というものはどこにも見当たらないように思える。一介の旅行者はその海から何か非現実的な、抽象的な印象すら受けることがある。
一 海上交易と保護費用
商業を考える際には、資本、市場、商品、商業技術、輸送手段を見るだけでなく、商業活動が円滑に行われるようにその全過程を安全に保つためのコストが重要であることに注意しなければならない。
関税や賄賂、あるいはその他の費用、つまり「保護費用」が権力者に支払われねばならない。
保護費用の安さによる経済的利益をプロテクション・レント(Protection Rent)と呼ぶ
二 商人と海賊
当時の海上商人は武装商人であった。
商業活動と海賊活動を明確に区別する指標は存在しない。
相対する両者の勢力が拮抗していれば、取引はその時点の相場で行われる。
一方がより強力であれば、相場以下の価格で相手の商品を買うか、高い価格で売りつけることになる。
一方の武力が圧倒的に優位を占めていれば、相手の商品を無償で奪ってしまう。
海賊には専業の者もいたであろうが、『デカメロン』の例で見たように、商人から海賊へ、また海賊から商人へとすぐに転換できることに大きな特徴があった。
三 地中海の商業文化
『デカメロン』の小話
商人の代理人としてナポリに派遣されて修行した経験を持つボッカッチョならではの叙述
もっとも、ボッカッチョ自身は、恋愛、文学、宮廷などの社交などに耽溺した結果、商人としてはついにものにならなかたのだが
四 ガレー船
ガレー船は多くの場合は昼間だけ航海し、夜は港に上陸して休むのが普通だった。
したがって、沿岸航路を通って、港々に停泊して航海することになる。
五 一六世紀における新しい事態
一六世紀には地中海の東西に二つの強力な集権的国家、西のスペイン、東のオスマン・トルコが成立した。
Ⅱ ジェノヴァ・キオス・イングランド
中世の地中海では、帆船とガレー船が行きかっていた。
15世紀半ばから後半にかけて、ジェノヴァが毛織物工業に必須の原料であった「明礬」を、東方貿易の中継地としていたエーゲ海東部のキオス島から、重くかさばるものを多量に運搬できる大型帆船で運び出し、イングランドやフランドルにまで届けていた。
Ⅲ 地中海貿易とガレー船
一 ガレー船の形態
古代の軍用船と中世のガレー船の違い
・船体の建造法
・オールの配列法。古代はオールを上下二段に配列。中世は上下に配列せず、右舷左舷に二人掛けあるいは三人掛けのベンチを並べ、こぎ手は並んで、それぞれ自分のオールを引いた。
・舗装。古代は四角帆だが、中世は三角帆。
ガレーという言葉は中世に出来上がった。中世ギリシャ語のガレーア=いたち、に由来するといわれる。
二 ガレー船の軍事力
ガレー船、特に軽ガレーの軍事力は、水域を支配したのではなく、沿岸を支配した。
三 ガレー船の商業活動
ガレー商船は香料などの貴重で軽い商品の輸送独占権を持っていた。
Ⅳ イタリア中世都市の「市民」と「非市民」
北西ヨーロッパの都市は、若干の例外はあるにしろ、市壁の外に広がる領土というのを持っていなかった。
しかし、北・中部イタリアの主要都市は、すべて市壁外に広大な農村領域(コンタード)を有する領域国家だった。
都市は、周辺の地域を統合し編成する中心地としての機能を持ち、それ故に広い範囲から人々を受け入れる開かれた性格を有しているのであるが、その反面で、共同体として他者を排除する閉鎖的な性格を持っている。
14世紀ピサの調査から、都市生活において教区が占めている重要性を感じる。
Ⅴ 中世末期イタリアにおける職人・労働者の移動
13世紀の折半小作制度成立以後、イタリア都市農村周辺部で、地主が不在地主化して都市に移り住むほか、保有地を喪った小作人も職人や労働者としてさかんに移住した。
Ⅵ 中世末期イタリアにおける公証人の活動
公証人文書において、メモ・登録簿・証書という三重構造を持つようになる過程
イタリア公証人の業務・人数・養成法・官職との関りについて
Ⅶ イタリア中世都市再論考
北ヨーロッパの商業都市であるハンザ都市の取り扱い商品が、穀物とか魚とか木材とか、日常生活に不可欠な商品を主とする。
一方南ヨーロッパ、特にイタリア都市はスパイスその他の奢侈品を取り扱っている。利潤の有り方の違いが存在する。
Ⅷ イタリア中世都市論再考 清水廣一郎氏遺稿
解説 かけがえのない細部を楽しむ 池上俊一
清水氏の仕事の研究の分類
・フィレンツェやピサを中心に、都市国家としての都市の構造と発展、および都市農村関係の史料に即した制度史的仕事
・古文書館に眠る公証人文書、また帳簿などの史料を掘り起こし、そこから分析・再構成できるかぎりの公証人の職務や地方代官職による農村行政を解明した行政史
・ガレー船や帆船を利用したヴェネツィア商人やジェノヴァ商人の活動など、主に地中海貿易を主題にした貿易史
・嫁資に代表される社会史的研究
・ジョヴァンニ・ヴィッラーニの『年代記』を主要史料として一般向けに書かれた『中世イタリア商人の世界』で触れた生活史、心性史
イタリアの古文書館に大量に所蔵されている公証人文書を使用して、ピサ人やフィレンツェ人やジェノヴァ人の商業活動の実態を解明したり、ピサのアルノ川の綿密な地域分析をしている清水氏の姿、かけがえのない細部を慈しんでいるような姿に、強く惹かれる。p175