ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

NHKテレビ語学講座 しあわせ気分のイタリア語・フランス語・ドイツ語・スペイン語

2023-10-28 20:44:30 | ヨーロッパあれこれ

10月開講のNHKテレビ語学講座。

月から木まで、イタリア語、フランス語、ドイツ語、スペイン語と、勉強しているわけではなく、朝の準備をしながらヨーロッパの映像を楽しく観ています。

しっかりは観ていないですが、ひとまず新構成をチェックしてみます。(すべて個人の勝手な感想です)

まず月曜日のイタリア語、女優さんが進行役となって、イタリアの生活を紹介しています。

とりあえずトスカーナの自然を多く扱っているのがいいですね。

火曜日はフランス語、進行係のフランス語が少し間違っている時があるのですが、それもちゃんと字幕で書いているので、自分の語学レベルでは、それはそれで勉強になります。

水曜日のドイツ語、こちらだけは日本人進行役がいません。(ナレーションのみ)

前回の講座で、現地の人とドイツ語でしゃべるコーナーがあったのですが、いつもドイツ人講師にいちいち聞きながらだったので、観ていて気の毒に感じたものです。それが不在の原因かはわかりませんが。

個人的には、モーリーくんやベートーベンさん、モーツアルトくん、バッハさんなどがいなくなったのも残念です。

あとベルリンの若者の共同生活もテキストにしていましたが、今風のなおかつベルリンらしく、入れ墨とか入れているような女の子たちなので、なんだかなあ、と思ってしまいます。

まあこんなことを書いても、古い奴と笑われるだけでしょうが。

金曜日は、サッカー界のレジェンドが、謙虚にスペイン語を勉強している姿に好感がもてます。

今後も朝のあわただしい時間でも、有意義に観ていきたいです。

 


中世イタリア都市国家成立史研究

2023-10-26 20:27:14 | ヨーロッパあれこれ

 

中世イタリア都市国家成立史研究

佐藤眞典 著

ミネルヴァ書房 発行

2001年2月25日 初版第1刷発行

 

この本の具体的な内容

・興隆してきた北イタリアのコムーネが、十二世紀後半、帝国の再建に粉骨砕身するフリードリッヒ=バルバロッサと戦いつつ、「政治的独立」を達成していく過程

・その政治的独立を確立した十三・四世紀の中部イタリアの都市コムーネがどのようにして農村領域(凡そ司教区の範囲)を集約し、地域に深く根を下ろしていったか、その領域支配の確率過程

 

序章 イタリアの中世都市と研究課題

イタリアは東ゴート人やロンバルド人が支配した時代も、ビザンツ人、フランク人、チュートン人、あるいはスペイン人、オーストリア人、ナポレオンやナチ政権などの外国人の支配下でも、さらには戦後の十か月ごとにコロコロ変わるイタリア人政府に代わっても、「都市の地」であり続けた。

 

中世の都市とは

・城壁で囲まれている、軍事的防備施設

・教会が中心になっている、精神的中心地

・市場が真ん中にある、商工業中心地

 

この本で扱った主な史料

・『オットー=フォン=フライジングとラーェウィンのフリードリッヒの事績』

バルバロッサ自身が、司教オットーに依頼して書かせる

・『ロンバルディア地方における皇帝フリードリッヒの事績』

常に反皇帝派であったミラノの無名市民による作品

・『フリードリッヒ一世の物語』

小都市のローディ市が帝国の助けを借りて、近隣の大都市の支配からいかに脱し、帝国の支配にも与しえず、結局、都市同盟に鞍替えしていく過程

 

Ⅰ 帝国内における都市コムーネ体制の成立

フリードリッヒ=バルバロッサとイタリア諸都市

 

第一章 『フリードリッヒの事績』に見るイタリア支配の論理

中世のイタリアで大きな権力政治的な枠組みを示す用語

・キリスト教共同体

・帝国

・王国

・都市国家

 

キリスト教共同体は教権と俗権の至上の権力者同士がそのヘゲモニーをめぐって争い、中世後期には、前者が多少優位に立つが、中世後期に君主国家の権力が確立してくるに従って、後退していく。

帝国はドイツ人による権力集中の努力で、都市国家がイタリア人による領域的地方権力の集中努力であった。

 

中世には増田四郎氏のバウムクーヘン論が伝える如く、多様な政治的・社会的な枠組みがそれぞれ一定の価値をもって存在したところに特色があると思う。

キリスト教共同体、帝国、王国、教皇領、都市国家、公領、伯領、辺境伯領、群小領主の支配圏、司教区、修道院、教区、小教区、市門区、ギルド等々

 

第二章 バルバロッサとミラノ市

 

第三章 バルバロッサに破壊された中・小都市

第一回遠征期

キェーリ、アスティ、トルトナ、スポレート、ヴェローナ

第二回遠征期

ブレーシャ、ピアチェンツァ、クレーマ

 

第四章 バルバロッサと小都市ローディ

小都市ローディの市民にとって、「皇帝」とか「帝国」とは何であったのか

・神聖なる支配者

・近隣の大都市ミラノからの解放者

・中・小都市に「名誉」と「繁栄」をもたらすもの

・安堵の証書を与え、人々を法秩序内に入れ、不正・不平を訴ええる上級裁判官

・しかし、これらは不平・不満を生み出す源にも、抑圧者にもなりうる。

 

第五章 バルバロッサに対抗するロンバルディア都市同盟

イタリアの諸都市は、強健なバルバロッサの統治下で殻を破って育ち、独特の都市コムーネ体制を確立した

 

バルバロッサが百年間の空白を埋めるがごとく、イタリアを再三訪れ、帝国の再建に努力し、そのため諸々の施策を講じた。

このため市民の間に実害が出始め、その実害が大きければ大きいほど、広く広がれば広がるほど、市民たちは手際よく織った都市関係の網の目で柔軟構造を作り出し、こうした上からの支配を下でソフトに捕えようとした。

 

党派争いの国でもあったイタリアには皇帝待望論的気質が常に存在した。

直面した近隣の都市や党派の強者の横暴から逃れたいために、外から支配者を招いて、一旦それから解放されるや、またその支配者の横暴に敏感となり、今度はそれを追放しようと苦心する。その繰り返しがイタリア通史を彩っている。

 

Ⅱ 領域内における都市コムーネ体制の確立

第六章 司教と都市 司教の世俗的支配権の実態

イタリアの地域・都市・教会のまとまりのよさ。都市にあった聖堂と市庁舎

 

ヨーロッパ世界の形成

・南欧的、地中海的要素の古典文化(ギリシャ・ローマの文化)

・北方的要素のゲルマン文化

・東方的要素のキリスト教文化

さらに、ケルト、スラヴ、ユダヤ、アラブ、ノルマンなどなどの多様な文化的要素

 

司教の俗権

・土地所有権

・財政的諸権利

・裁判権

・封建的行政組織

 

第七章 国王証書に見る司教と都市コムーネ

 

第八章 領域支配権の司教から都市コムーネへの移行

12・3世紀中部イタリアの中都市ピストイアの農村支配の分析から

 

第九章 中都市の都市条例にみるコムーネ体制

ピストイアの12世紀と1296年の都市条例の分析から

 

第十章 都市コムーネによる領域支配の確立

ピストイアの農村ポデスタ制

 

付録 フリードリッヒ=バルバロッサとイタリア諸都市に関する研究史

 

 


パリとアヴィニョン 第二部 アヴィニョン 教皇庁の再編 第四章 人間たち

2023-10-24 20:10:09 | フランス物語

 

第四章 人間たち

第一節 教皇

1 クレメンス五世

クレメンス五世の行動は一貫性を欠き、フランス王権の理不尽な主張に十分に対抗しえていない。

クレメンス五世の気質は、きわめて慎重にして温和であり、極端な判断・決定を嫌い、妥協的であった。

しかしながら、アヴィニョン定住とテンプル団訴追という同時に進行した事態には、教皇側の利害も絡んでいる。

 

2 ヨハンネス二二世

イタリア派はガスコーニュ派の最年長である人物が候補者に選ばれたから。七十二歳で教皇に選ばれたが、ヨハンネス二二世は九十歳まで教皇庁に君臨した。

この十八年は、アヴィニョン教皇庁の基礎を築く重要な段階で、教義と教会組織と諸政治組織とのあいだの外交関係のすべてにわたり、困難な課題に直面した。

 

3 ベネディクト十二世

アヴィニョン教皇庁の基礎の上で厳格な修道士が指導性を発揮しうる限界まで、個別的な役割を果たした。

 

4 クレメンス六世

豪華さを愛好し、寛容と多様性を原則とした。教皇庁には多数の文人、芸術家が招かれた。

 

5 インノケンティウス六世

高齢にして、病人風、優柔不断で感受性が強く、落ち込みがちで移り気な地味な人柄であった。

 

6 ウルバヌス五世

イタリア情勢にもとづき、教皇のイタリア帰還が具体化し始めた。

 

7 グレゴリウス十一世

ローマ帰還を達成

 

第二節 枢機卿

1 老練の政治家 ベランジュ・フレドル

2 イタリア政策の先駆 ベルトラン・デュ・プージュ

3 政治力としての枢機卿 ベルトラン・ド・ラ・トゥール

4 派遣外交使節 エムリク・ド・シャテリュス

5 裏側の支配権力 タレーラン・ド・ペリゴール

6 栄光ある権威 ギイ・ド・ブローニュ

7 教皇領、第二の建設者 ジル・アルボルノス

アルボルノスへの反発は、約一世紀半ののち、同じく教皇領の政治・軍事的強化を推進するチェーザレ・ボルジアの場合に類比させることができる。

ボルジア家もまたスペイン出身であり、外国人として教皇庁に乗り込んだのである。

 

8 アルボルノスの影 アンドロワン・ド・ラ・ロッシュ

9 ローマ市貴族⑴オルシニ家

10 ボニファティウスの衣鉢 カエターニ家

11 ローマ市貴族⑵コロンナ家

12 ネポティズムの原理 ギョーム・デグルフイユ

ローマの都市貴族の場合の他に、アヴィニョン庁時代の特色として、西南フランス出身の一族によるネポティズムの例が、いくつか注意される。

 

13 カノン法合理主義 ピエール・ベルトラン

14 王政府からの転身 ピエール・ダラブレー

フランス王政の顕職から教皇庁に転じた。これはアヴィニョン庁にとっては、奇異なことではない。しかしその逆は見いだせない。政治力学のベクトルは一方的に、国王から教皇に向かっているのは明らかである。

 

15 教皇庁神学者 ギョーム・ド・ゴーダン

16 教皇書記官長 ピエール・ド・プレほか

17 教皇庁行政官僚から

18 アヴィニョン司祭 フィリップ・ド・カバソル

 

第五章 補遺と総括

・教義上はドミニコ修道会系の神学理論が優位に立ち、なかでもトマス・アクィナス理論が急速に台頭

・カノン法学の圧倒的優勢

・行政における官僚組織の制度化については、アヴィニョン庁は多分に世俗国家から学んだとみられる。

・教皇庁による権力行使の現実にあっては、知的諸原則は、きわめて多様な局面が絡んでいる。

 

おわりに 結論と展望

フィリップ四世王政府とアヴィニョン教皇庁の共通点

・十四世紀初頭を転換期として、政治構造の変化が進行し、行政官僚による政治上の知見と技術が向上

・十四世紀にあって、知の形態がいちじるしく組織や制度のあり方に関心をよせはじめた。

・このような主要官僚が提起した新たな構図は、彼ら自身をも、特定の制度の下に結集させ、知と政治を論ずる限定されたブレーン集団を生み出した。

 

注p332

テンプル団事件について、従来までの議論が、王権の道徳的背徳性の協調におわっていることに不満が残る。

王権イデオロギーと権力スキャンダルの結合として論ぜられ、あたかも「権力犯罪」の祖型として扱われてきたが、いうまでもなく、テンプル団事件も、中世社会の政治的構造の中で生起したのであって、王権の意図の反道徳性は、その中でのみ論ぜられるべきである。

 


パリとアヴィニョン 第二部 アヴィニョン 教皇庁の再編 第一~三章

2023-10-22 20:56:20 | フランス物語

 

第二部 アヴィニョン 教皇庁の再編

第一章 問題のありか

ペトラルカや聖カタリーナ、ヴィラーニなどイタリア人によるアヴィニョン教皇庁への強い反発 

その一方、ローマにあっては、伝統的なローマ市貴族の支配下で実質上の教会運営を妨げられていた教皇は、新天地アヴィニョンで、はじめて統治機構においても、現実の統治においても、本来の力量を発揮しうるようになった。

しかも十四世紀のヨーロッパ政治においては、教皇がローマではなくアヴィニョンに在ることが、良好な結果をもたらした。教皇ボニファティウス八世とフランス王うフィリップ四世との紛争の事後処理、バイエルン朝ドイツ皇帝と教皇との紛争、十字軍の再興要請、英仏百年戦争などの国際情勢において。

 

論点

・キリスト教会における政治としての権力の行使

・政治上の行政運営の組織

・教会政治全体を成立させている組織原理

・キリスト教の教説にかかわる知

 

アヴィニョン教皇庁における明確な集団

・教皇とその近親者グループ

・枢機卿集団

・書記局をはじめとする主要実務官僚グループ

 

第二章 事件の時代史

1 アヴィニョン時代

クレメンス五世は、アヴィニョンを恒久的な所在地と考えたわけではなく、また当初から執務所が専有されたわけではない。

ひとえにアヴィニョン(地方)滞在という既定事実の固定化によって、「アヴィニョン教皇庁」なる概念が可能となっていった。

 

2 ボニファティウス時代の清算

 

3 フランス王の監視

フランス国王の意のままに操縦される教皇というイメージが形成された。

しかし、実際には南フランス・プロヴァンス地方は、王権の中心たるパリ盆地からは隔たっており、王権の圧力は恒常的とはみえなかった。

ことに、クレメンス五世についでヨハンネス22世が登場すると、教皇庁はフランス王とは距離を置いた独自の政策をとるようになる。

 

4 教会組織整備と集権化

ヨハンネス22世の治世とともに、制度上の整備が急速に着手される。

 

5 職禄政策と財政

6 不満と抵抗

7 皇帝との関係

8 異端の続出

9 思想上の対立

10 ナポリ王国

11 イタリア政策

12 英仏関係

13 黒死病と農民反乱

十四世紀のヨーロッパ史において、もっとも重大な衝撃となったのは、黒死病の襲撃であるといえる。

その到来の後、ヨーロッパ諸国は、大規模な農民反乱にみまわれた。

 

14 十字軍と伝道

15 消費と祝祭

イタリアの著作家たちが、悪意をこめて形容したように、アヴィニョンは栄華を極め、バビロンを思わせるような物質的繁栄が現出した。奢侈と祝典とが、アヴィニョンをきわだたせた。

 

16 ローマ帰還

ローマ帰還後、「教会の大分裂」が1378年から1417年にわたって出現し、カトリック教会に深刻な分裂をもたらす。

 

第三章 構造と機能

1 教皇

2 教皇私局

3 教皇財務局

4 ロタ法院

キリスト教会における実質的な最高法院として、13世紀後半から姿をあらわした。

ロタとは、審決員が円卓(rota)に座して討議するところから名づけられたものといわれる。

 

5 枢機卿

枢機卿には個々について公的執務に必要な書記生、書字生が割り当てられるが、更に私的な多数の奉公人もかかえていた。

枢機卿は個々にも、教皇のミニチュア版を形成する。これは前アヴィニョン期のローマではありえないところであった。

 

6 教皇書記局

7 教皇聴罪局

8 都市アヴィニョン

1177年と1185年のあいだ頃に、アヴィニョン城下にローヌ川をまたぐ橋が、ベネゼ橋が建設された。

ローヌ川対岸は、十三世紀初頭以降、王領地だった。ヴィルヌーヴ・レザヴィニョンはベネゼ橋の西詰にあるが、フランス王がアヴィニョンに圧力を加える際の拠点として利用された。

 


パリとアヴィニョン 西洋中世の知と政治 樺山紘一 著 第一部 パリ フィリップ四世王政府

2023-10-21 20:13:15 | フランス物語

 

パリとアヴィニョン

西洋中世の知と政治

樺山紘一 著

人文書院 発行

1990年3月30日 初版第一刷発行

 

題名は「パリとアヴィニョン」という曖昧なものになっていますが、具体的な内容は

・1285年から1314年のパリにおけるカペー朝のフィリップ四世王政府

・1309年から1377年のアヴィニョンにおける教皇庁

という二つの組織とその主要人物を、詳細に取り上げています。

小説家ならこういう史料から物語を紡ぎだしていくのでしょうね。

 

第一部 パリ フィリップ四世王政府

第一章 問題のありか

フィリップ四世期に官僚制形成過程が成熟に達した四点

・官僚団が数的に成長したばかりか、固有の組織と意思決定機構を持つ集団として姿を現した

・官僚団の多くが、行政上の専門知識を身に着けている

 ローマ法学をはじめとする法学上の知識、技術を習得し、これに基づいて中央、地方を問わず国王行政に参与する人びとのことをレジストとよびならわしている。

・官僚団のイデオロギー的側面が問題となる

・官僚たちの個々の社会的出自と境位

 

第二章 事件の時代史

1 国王と王家

2 外交的諸関係

3 教皇庁の教会政策とフランス王権

4 フランス教会

5 内政と財政

 

第三章 構造と機能

1 国王とその家族

2 国王家政

3 国王顧問会

4 高等法院

5 会計院

6 地方行政

7 パリの勤務空間

 

第四章 人間たち

1 慣習法の集成 フィリップ・ド・ボーマノワール

2 大書記官長 ピエール・フロート

3 練達のイデオローグ ギョーム・ド・ノガレ

アナーニ事件

1303年、教皇ボニファティウス八世が、ローマの南東、アナーニの別荘に滞在するのに狙いを定めて、教皇に直接、談判を持ち込んだ。

二、三百名といわれる兵士が別荘を急襲し、フランス国王の要求をつきつけた。

 

4 明晰なレジスト ピエール・ド・ベルペルシュ

5 分裂する忠誠 ジル・エスラン

6 王権の至上性 ギョーム・ド・プレジアン

7 改宗ユダヤ人 フィリップ・ド・ヴィルプルー

8 解放農奴 ラウル・ド・プレスル

9 法官僚の財政策 ピエール・ド・ラティイ

10 南方(南フランス)からの登用 ポン・ドームラ

11 法曹一族 モルネー家

12 大宰相への道 アンゲラン・ド・マリニ

十四世紀前半のある時期に成立したと思われる諷刺詩『フォーヴェル物語』は、マリニの没落の状況証拠とみなされる。

13 財務官たち

14 ユートピアの構想 ピエール・ド・デュボワ

デュボワはレジストとしては凡庸であったが、政治的著作は多数にのぼり、しかもユニークな性格をもっている。

 

第五章 補遺と総括