ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

「星の王子さま」が遠い空に消えた日

2007-07-30 23:13:54 | ヨーロッパあれこれ
ニューヨークに
一輪の美しい花を残して
彼は大西洋を渡った

祖国にて
ひもじい思いや
辛い思いをしている人を
少しでも助けるために
偵察部隊に復帰し
南仏の空を飛び回る

パリ解放が翌月に迫った
1944年の
7月の最後の日
彼の飛行機は消息を絶った

報告書には
パイロット帰還せず
死亡と推定される、と
記されるのみ

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ルーアンのジャンヌダルク

2007-07-29 22:52:16 | フランス物語
ここルーアンは、ジャンヌダルク終焉の地でもある。
ここで裁判にかけられ、火刑になってしまったからだ。
写真の場所がその場所ということである。
今は、この近くに近代的な教会が建っており、いにしえの風情からは少し離れてしまっているような気がする。

ジャンヌダルクに関わった主な街をあげると、生地のドンレミ村、街を解放したオルレアン、シャルル7世に初めて対面したシノン、シャルル7世を国王の戴冠式へと導いたランス、捕まったコンピエーニュ、そしてこのルーアンであろうか。
ジャンヌの関わりの深さでは、まずオルレアンでそしてドンレミ、次にルーアンという感じだろうか。
しかしジャンヌの要素だけでなく、観光地としての地位から考えると、
個人的な好みではシノンだが、やはりランスのほうが総合的には高いか?
その両市についで、ランスかなという気がする。
その次に、シャトーがあるコンピエーニュとなり、オルレアンはその次かなという気もする。

まあそんなレベルを比べてもしょうがない。
とにかくここでジャンヌダルクは疾風のごとくその生を終えた。

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迷走する帝国(ローマ人の物語ⅩⅡより)

2007-07-27 22:56:56 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語ⅩⅡ
迷走する帝国
塩野七生 著
新潮社
2003年12月15日 発行

カラカラ帝からのローマ皇帝。
めまぐるしく変わる皇帝。
今までと比べると簡単に擁立され、簡単に殺されるような印象。
ついには狡猾なペルシャ王シャプールにより、捕虜になるという屈辱まで遭わされる。
ペルシャ側では、この「偉業」をプロパガンダするため、表紙の写真のように、岩壁に浮き彫りを彫らせた。
馬上のシャプール1世にひざまずく二人のローマ皇帝。

蛮族の絶え間ない襲来により荒らされる国境。
ガリア帝国などという訳のわからないものまで出来てしまう。
当然経済的にも落ち込む帝国。
薄くなった当時のコインが経済悪化を今に伝える。

救世主のような皇帝も現れない。
カエサルのような海千山千の顔、またアウグストゥスのような整った顔の中にひそむ慄然とした冷徹さ。
彼らのような顔を持った皇帝もいない。

社会不安が広まる中、多神教のローマの中で、一神教で、当時としては新興宗教だったキリスト教が力を持ちはじめてくる。
ユダヤ教の様な、一民族の宗教にとどまらない、あたかも帝国を乗っ取るかのような力。
多くの殉教のもと、静かに力を蓄えていく。
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ルーアン大聖堂の尖塔

2007-07-25 23:00:01 | フランス物語
大時計通りを歩いた後、大聖堂にたどり着く。
モネの絵画でおなじみの大聖堂である。
正面の広場は意外に狭い。
モネは、この前の建物の2階部屋を借りて、光に映ろう様々な表情を描き続けた。

みんなと大聖堂の周りを歩く。
写真のような、装飾のある窓の間から、大聖堂の尖塔が見える。
この窓の部分は、恐らく破壊され、復元されなかった残りの部分だろうと推測される。
第二次世界大戦時には、この大聖堂も大きな被害を受けたらしい。
本当に戦争は困る。
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マルクス・アウレーリウス皇帝の「自省録」

2007-07-24 23:45:51 | ヨーロッパあれこれ
自省録
マルクス・アウレーリウス 著
神谷美恵子 訳
ワイド版 岩波文庫
1991年12月5日 第1刷発行

ローマ皇帝、マルクス・アウレーリウスによるこの作品。
最近読売新聞の「本のソムリエ」というコーナーで取り上げていた。
「職を模索の息子に指針を」という親御さんの問いに、この本を推薦していたのだ。
しかし、この点では、自分の考えとは少し違うと感じてしまった。

もともと、マルクス・アウレーリウス(ローマ人の物語ではアウレリウスと表記)は若い頃から、皇帝への教育を受けたものの、決して権力への欲があった訳ではなかった。
思慮深い性格。皇帝なんかよりも、哲学者になり、空理空論に日を過ごしている方が幸せだ、というような人だった。
この点、カエサルとは対称的である。
カエサルは、本宮ひろ志の劇画の主人公の如く、元気よく、楽しげに目標に突き進んでいく人だった。
カエサルの著作「ガリア戦記」を読んで見ても、自分を売り込み、正当化するため、労をいとわず、愉快に進んでいく人だった。

マルクス・アウレーリスの治世は、領土拡大ではなく、帝国の防衛に明け暮れる日々だった。
この本でも、少なくとも最初の二章は、ドナウ河近くで、ゲルマン人たちの間で記す、と書かれている。
しかし本の中では、その戦いの模様はほとんど描かれない。
それよりも、哲学的に、内面から自分を励ますような言葉が続く。
最前線で防衛戦争に苦労している自分の心を励まし、なおかつ逃げ場を作っているかのようだ。

現代人に置き換えてみると、職を探している人というより、現実の中にどっぷり浸かりこみ、そこで格闘している人に対するメッセージの方が強いように思える。
哲学的に、短いパッセージの中で「頑張れ自分」と繰り返しているのが、胸に響いてくる。

(写真はマルクス・アウレーリウスの騎馬像です)
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