ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ダンレアリー港の建造物と謎の島?(アイルランド)

2023-08-29 20:35:48 | ヨーロッパ旅行記

 

ダンレアリー港のイースト・ピア(東桟橋)から、目を転じて海側に向かって写真を撮ります。
向こうに、ちょっとした建造物があります。
ネットで確認すると、BandstandとSunshelterと書かれていました。
Bandstandを辞書で確認すると、(通例屋根付きの)野外(音楽)ステージと書いてありました。
しかし実際の野外音楽ステージにしては、小さ過ぎるように思えます。
散策中の休憩所みたいな感じでしょうか?
もともと1890年代に建てられたものだそうですが、この写真を撮った約十年後の2010年に、新しいバンドスタンドが建てられました。
それはビクトリア朝時代の装飾で、よりオシャレになっています。

更に向こうには、島のようなものが広がっています。
確認してみると、どうやら島ではなく、ダブリン湾を挟んだ対岸のホウスヘッド(Howth Head)半島のようです。
こちらもダブリン近郊で、海岸の美しい風景を楽しめるようです。

(BUILTDUBLINのHPなどを参考にしました)

 

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ダンレアリーの三つの塔(アイルランド)

2023-08-27 20:06:24 | ヨーロッパ旅行記

 

ダンレアリー港のイースト・ピア(東桟橋)をてくてく歩いていき、振り返ってダンレアリーの街を眺めます。
三つの塔が普通の街並みの中にアクセントを与えてくれています。
アルルのローヌ川そばから、街並みに紛れていろいろな塔が見えたのを思い出しました。
Googlemapとかで、どんな建物か調べてみると、向かって右から
ダン・レアリー=ラスダウン市庁舎の時計台
セント・マイケル教会の塔
そしてアイルランド国立海事博物館の塔
のようです。
アイルランド国立海事博物館は、もともと教会だった建物を利用しています。
よって教会の塔もそのまま残しています。
この三つの塔は、船でダンレアリー、更にはアイルランドに帰ってきた人々、あるいは新たにアイルランドを訪問した人たち、を迎え、見守ってきたような気がします。

 

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ダンレアリーの浜辺(アイルランド)

2023-08-23 20:04:49 | ヨーロッパ旅行記

 

ダブリンから電車で東に向かい、画像のような海岸に出ます。
この辺りはダンレアリーと呼ばれる、アイリッシュ海に面した街で、ダブリンの外港というべき場所でした。
19世紀から、アイルランドとイギリスのフェリーの旅客港で、自分が訪問した2001年も、ウェールズのホーリーヘッド行きのフェリーが1日に何回か就航しており、ちょっくら乗ってみたいなあと思ったものです。この時はさすがに時間などを考慮し断念しましたが。
しかし2008年には一日一便だけになり、2015年にはダブリン港に集中し、ダンレアリー便はなくなってしまいました。
今では大型クルーズ船停泊や、ダブリン湾だけの周航船だけになっているようです。
寂しい話ですが、これも時代の流れかなという気がします。
画像の向こうの陸地の先くらいに、ジェイムス・ジョイスの博物館のある塔が建っています。
そこまで海沿いを、てくてく歩いて行くことになります。

(wikiを参考にしました)

 

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ダブリンのオコンネル像(アイルランド)

2023-08-19 20:07:30 | ヨーロッパ旅行記

 

画像はダブリンのオコンネル像です。
このダニエル・オコンネル(1775-1847)はアイルランドの解放者として尊敬されています。
アイリッシュ・カトリックの家に生まれたオコンネルは、富裕な叔父の遺産を相続し、フランスに留学しました。
その時期、ちょうどフランス革命が起こり、現場で革命を見て、強い影響を受ける一方、暴力行使には激しく嫌悪感を覚えます。
彼が25歳の時、イギリスはアイルランドを併合します。
併合には反対しましたが、暴力的手段を嫌い、「Repeal(撤回)!」という言葉を合言葉にし、リピール協会という運動団体まで作ります。
また1843年8月15日、オコンネルはタラの丘という、アイルランド人にとっての伝説の地で大集会を開きました。
非暴力の点がオコンネルの魅力でもありますが、その一方、非暴力ゆえに「青年アイルランド党」という過激な連中から突き上げられ、引退を余儀なくされました。
こうした立派な像が残っているのは、非暴力という面も大きいと思います。
もちろん世界には、独裁者や好戦的な人の像もたくさん残っていますが、かなりの年月を経て、暴力の印象が薄れている場合が多そうです。
多くの場合、政変の際、引き摺り倒されてしまっています。
そういう面でも、オコンネルさんの像は、今後永遠に残りそうです。
ダブリン訪問の際には、ちゃんと挨拶しておきたい像ですね。

(司馬遼太郎著、「街道をゆく 愛蘭土紀行」を参考にしました)

 

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リフィー川のミレニアム橋とフィッツィモンズホテル(ダブリン・アイルランド)

2023-08-13 20:12:41 | ヨーロッパ旅行記

 

今まで「古の写真でめぐるフランス」シリーズを書いてきたのですが、自分が訪問したフランスのパリ以外の地方は一通り紹介できたので、これからは「古の写真でめぐるヨーロッパ」シリーズとなります。
そのうち、まずはアイルランドについて書いてみたいと思います。
訪問時期は2001年の8月でした。
まずは首都のダブリンから。
画像の手前の川が、ダブリンの中心を貫くリフィー川です。
そして架かっている橋はミレニアム橋と呼ばれる歩道橋です。
1999年に架橋されたため、そのような名前になったそうです。
橋の向こうは、テンプル・バーと呼ばれるエリアで、ダブリンで最先端をゆく文化発信基地、とのことです。
昼間の画像を見てもわかりにくいのですが、夜になるとこの歩道橋が盛り場につながる便利な通路になっているのでしょうね。
赤い建物はこの時、自分が宿泊したフィッツモンズ・ホテルです。
一階はバーになっているのですが、部屋に居ても夜遅くまで賑やかな音が聞こえてくる時もあり、困りました(笑)。

 

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