ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ジョイス博物館の旗の謎

2024-01-27 20:30:25 | ヨーロッパ旅行記

 

最後にジョイス博物館の裏から写真を撮っていました。

よく見ると青い旗がはためいています。

最初はEUの旗かなと思ったのですが、確認するとアイルランドのマンスター州の旗でした。

マンスター州は南部地域で、この旗のある地域のレンスター州とは異なります。

なぜここにその旗なのか、理由はよくわかりません。

wikiによると、今のレンスターのハープの紋章が現れる前は、アイルランド全体を象徴する徽章であったということなので、昔のアイルランドを象徴する旗という意味があるのかもしれません。

 

最後に現地の日本語パンフレットからユリシーズについて述べている箇所を引用します。

 

ユリシーズはタワーで有名ですが、書き出しの場面はタワーの頂上から「威厳のある、しかし、ずんぐりした」“ボック・マリガン”が階段を下りてくるところから始まります。彼が髭を剃っている時スティーブン・デダルスが現れ、亡くなった母親の事を未だに嘆いているスティーブンをボック・マリガンは嘲笑います。第一章はボック・マリガン(ゴガティ)、スティーブン・デダルス、英国人のハインツ(トレンチ)が円形の部屋で朝食をとっている描写が続きます。この描写は、ゴガティや彼の友人、賃貸料に関する資料などから、ユリシーズの場面を再現することができます。

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カラー新版 地名の世界地図

2024-01-25 20:12:43 | ヨーロッパあれこれ

カラー新版 地名の世界地図

21世紀研究会編

文藝春秋 発行

文春新書1269

2020年9月20日 第一刷発行

 

世界の地名の起源について述べられています。

メモしてもきりが無いので、ひとまず見出しだけでも載せておきます。

 

序章 外国語地名との出会い

福沢諭吉が著した『世界國盡』

 

第1章 「自然」が生み出した地名

 

第2章 地名は古代地中海から

 

第3章 地名を変えたゲルマン民族の大移動

 

第4章 スラブ人たちの故郷

 

第5章 大航海時代が「世界」を発見した

 

第6章 モンゴルが駆けぬけたユーラシアの大地

 

第7章 ユダヤの離散とイスラームの進撃

 

第8章 アメリカ――新しい国の古い地名

 

第9章 アフリカ「黒い大地」の伝説

 

大索引 国名・首都名でわかった地名の五千年史

 

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サムライ留学生の恋

2024-01-21 20:55:31 | ヨーロッパあれこれ

サムライ留学生の恋

熊田忠雄 著

集英社インターナショナル 発行

2020年7月20日 第1刷発行

 

本書では明治の初期、ドイツ、イギリス、アメリカに留学し、現地女性と恋に落ちたサムライ経験者、もしくはサムライの血をひく者たち九名を取り上げ、彼らが留学先でいかにして現地女性と出会い、いかなる交際を経て親密な関係を築いていったかをたどり、その結末を紹介しています。

様々な困難を乗り越え、恋を貫き結婚した人もいますが、実らぬ恋に終わった人もいる反面、相手女性を単に現地妻的にしか扱わなかった男もいます。

 

第一章 ドイツ女性との恋

青木周蔵とエリザベート・フォン・ラーデ

同じ国(ドイツ)に外交使節の長として三度も赴任した日本人外交官は周蔵をおいていない。

世間では「ドイツ翁」とよばれたが、その一方余りにドイツに肩入れするため、「ドイツ癖」や「ドイツ狂」と揶揄する声も聞かれた。

 

北白川宮能久親王とベルタ・フォン・テッタウ

戊辰戦争での「朝敵騒ぎ」、ドイツでの「恋愛騒動」といい、能久親王は思い込んだら突っ走る猪突猛進タイプ、皇族の中の「お騒がせマン」だった。

 

井上省三とヘードビヒ・ケーニッヒ

北白川宮能久親王に随行した井上。この人は結婚にこぎつけた。

 

当時のドイツ女性の印象は、アングロサクソン婦人、つまりイギリスおよびイギリス系と異なり、気位が高いというわけでなく、家庭的、献身的で、情が濃いということだったか。

 

第二章 イギリス女性との恋

川田龍吉とジョニー・イーディー

「男爵イモ」を開発し、全国に普及させた川田龍吉

 

龍吉を道南の地での農業に駆り立てたのは、この地の気候風土が留学生活を送ったスコットランドと酷似しており、その原野の風景は、恋人ジェニーとしばしば足を運んだグラスゴー近郊の田園地帯を思い出させたからである。

 

尾崎三良とバサイア・キャサリン・モリソン

尾崎は日本人の国際結婚第一号といわれる。

 

尾崎はバサイアとの間に三人の子供、そして日本の本妻の間に一子、そして妾との間に十四人もの子供を残している。

(妾との子どもが十四人というのがゴイス)

 

重婚状態を批判されなんとか解消した尾崎。日本最初の国際結婚は最初の国際離婚となった。

 

藤堂高紹とエリーナ・グレース・アディソン

エリーナ夫人と離縁するため、日本で婚姻届けと離婚届を同時に提出するという強引な方法

尾崎よりも悪質なのは、相手方の同意を一切得ることなく、一方的に離婚を決断し、推し進めたこと

 

第三章 アメリカ女性との恋

松平忠厚とカリー・サンプソン

徳川時代の上田藩は真田家・仙谷家・松平家の三家が治めてきたが、上田市民にとってはやはり真田家への愛着が深い。

 

新渡戸稲造とメリー・パターソン・エルキントン

新渡戸を「知の世界」へと駆り立てた原点は、幼いころ、生まれ育った郷里の藩(盛岡(南部)藩)が戊辰戦争で朝敵とされ、降伏という屈辱を味わった無念さを晴らすためではなかったか。

 

武士道とキリスト教という一見、不調和に思えるものを見事に融合させ、人生のバックボーンとした新渡戸稲造、そうした夫の考えに共感し、支え続けた妻のメリー、明治の中頃にこれほど理知的な判断のもとに結ばれた日本人男性とアメリカ人女性のカップルがいたことに驚きを禁じ得ない。

 

朝河貫一とミリアム・キャメロン・ディングウォール

朝河は福島県二本松市では知らぬものがいないほどの有名人で、郷土の誇り

 

学者として国際的名声を手に入れた朝河だったが、私生活においては妻ミリアムとの死別、恋人ベラとの別離など、愛した女性たちとの縁は薄かった。

 

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現代語訳 欧米漫遊雑記

2024-01-20 20:27:50 | ヨーロッパ旅行記

 

現代語訳 欧米漫遊雑記

鎌田栄吉 著

舘川伸子 訳

博文館新社 発行

2014年3月28日 初版第一刷発行

 

慶応義塾の鎌田栄吉先生が明治29年(1896年)3月から1年9か月をかけて欧米(トルコ・エジプトも含む)を視察した際の記録・紀行文です。

当時の各国、そして国民性の見方が、現代にも通じるものもあれば、無いようなものもあるので、その微妙なギャップが面白いです。

 

第一章 フランス

英仏両国民の最も大きな違いは名称である。

フランス人は規則を画一化して名と実が適合することを好む。

英人は自然の成り行きに任して旧態を改めず、たとえその物にどんな変遷があっても名称を変えることはないので、官庁などの名称もほとんどその実態を表さなくなってきている。

 

アヴィニョンの兵営は、昔ローマ法王の居城だったところにあった。

(過去にはそのような使われ方をしていたのですね)

 

フランスのスペインとの国境にある町セート

スペイン製の酒を輸入して精製し、フランス葡萄酒の銘をつけて外国への輸出品にあてている。

 

第二章 英国

旅行者が、ロンドンを訪れて最も驚くことの一つは、ドイツ人の移住者が多いことである。

ドイツ人は大商、小買、代言人、学者、給仕人、職工、手代として侵入している。

 

第三章 英国のスコットランド

グラスゴー市では、欧州では珍しくない裸体美人画も厳重に取り締まっている。

あるとき、利に敏い一商人が、グラスゴーで発禁となった裸体美人画をロンドン市中で売り歩いた。しかしそれはなんのことはない平凡な画だった。

 

ロンドンは現代のローマである。様々な国の人、様々な宗教、様々な人種、様々な主義がここにやって来るが、来たもので容れられないものはない。

 

英国の下院議会は午後三時から始まるが、昼間はあまり面白くない。午後十時前になるのと、議場は賑やかになってくる。二時、三時まで平気である。昼間職務に忙しい実業家や法律家や学者も出席できるため、夜分に重要な議論をする。

 

英国の下院議員ではアイルランドの議員が時々大騒ぎをする。

一般にアイルランド人は軽佻の気風がある点、英人よりもフランス人に似たところがある。

また女王即位の六十年間は英人にとっては黄金時代だったかもしれないが、アイルランド人にとっては貧困、憂患、不平の暗黒時代としている。

 

第四章 ベルギー、オランダ

1830年独立で、新しくて小さな国であるため、新制度を取り入れやすい。新法制の試験所とでもいえるかもしれない。

 

ベルギーの都市にはそれぞれ特色がある。

ブリュッセルは貴人を誇り、アントワープは金銭を誇り、ゲントは首輪を誇り、ブルージュは美人を誇り、ルーヴァンは学者、マランは馬鹿を誇る。

マランに対するこの酷評は、寺院の塔の上に月が出たのを見て火事と誤り消防器を持ち出して水を注いだ、という話に始まったという。

 

第五章 ドイツ

ドイツは学者が集中する学問の本場というべき地だが、学者が増えてもそれに対応するだけの事業がない。

 

ドイツでは官権が様々なことにまで事の大小にかかわらず干渉し、それでよい結果が出ている。

 

第六章 ロシア

サンクトペテルブルクからモスクワまでの鉄道

その間がまったく茫漠たる原野で、全く人家を見ることがないのは、設計にあたって沿道の村の便を考慮せず、一直線に鉄道を敷設したからである。

ニコライ皇帝が地図上に両都の間に一直線を引き、このように敷設しろと命じたから。

 

ワルシャワ市はもとポーランドの首都で、分割、消滅の後、ロシアに属し、ロシア国総督府の所在地となった。

(当時のポーランドの亡国の哀しみを感じます)

 

第七章 オーストリア・ハンガリー

 

第八章 ブルガリア

 

第九章 トルコ

コンスタンティノープルはトルコ人、ギリシャ人、アルメニア人が大部分で、他にユダヤ人、西欧人などがいる。

ギリシャ人はアルメニア人は卑屈でトルコ人の機嫌を取っていると嘲り、アルメニア人の方はギリシャ人は不正不義であると罵っているが、その両者が会えば、一緒になってトルコ人は無学で怠け者だと笑っている。

 

トルコ人の生涯の目的は文武の官吏になることである。商業などは大いに賤しんでアルメニア人かギリシャ人の業とみなし、学問は西欧人の業とみなしている。

 

トルコ人の長所は、性格は率直であり剽悍にして決死の気性に富んでいるから、軍人としては屈強の兵士として賞賛してあまりある。

 

第十章 ギリシャ

ギリシャ人は忍耐に欠けるところはあるが、文学、商業、政治などの才に富んでいる。

 

第十一章 エジプト

なぜピラミッドのような巨大なものを築いたのかというと、砂漠の中では、通常の墓標のようなものをどんなに巨大にしても、土砂のため埋もれてしまうからである。

 

エジプトの病と言えるのが外債だ。このために列国の干渉を被り、首も回らない状況だ。

 

第十二章 イタリア

かの偉人マキャベリは稀世の材を抱いてイタリア統一の策を画した。そのためには尋常な謀計では充分でないと考え、まず英主にして獅子のような胆勇と老狐のような狡知を兼ね備えたものを求め、内外に隠顕出没の詭計を行い、しかも豪胆な政略で、密かにミラノ王やサルジニア王に望みを属したが、時は未だ熟せず、むなしく幽囚の身となった。

 

第十三章 スイス

 

第十四章 スペイン、ポルトガル

スペインの闘牛は残酷である。

ポルトガルでも闘牛は行われているが、法律で禁止されているので牛や馬を殺すことはない。

ポルトガルは小国である上に外国人の勢力が強いので、動物ほどなども行われているのだ。

 

第十五章 アメリカ

英人は閑散を装ってこれを人に誇り、米人は多忙を装ってこれを人に示す。

 

 

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アナバシス キュロス王子の反乱・ギリシャ兵一万の遠征 クセノポン著

2024-01-15 20:59:47 | ヨーロッパあれこれ

 

 

アナバシス

キュロス王子の反乱・ギリシャ兵一万の遠征

クセノポン 著

松平千秋 訳

筑摩書房 発行

1986年12月20日 初版第5刷発行

 

ギリシャ人軍が現在のトルコ南部を通ってキュロス王子の反乱に加わり、キュロス戦死後、現在のイラクあたりからアルメニアあたりを通りトルコ北部の黒海沿岸に達し、西のギリシャに戻るまでを描いています。

敵の中、食糧不足に常に悩まされながら、悪天候や渡河にも苦しみつつ、一生懸命演説でみんなを説得したり鼓舞したりします。また占いの結果に前途を託す場面がやたら出てきます。

この人たちも大変ですが、通り道にあたる住民も食糧とかとられて可哀そうですね。

 

巻一 サルデイスからクナクサまで(前401年3月-9月)

キュロスが兄アルタクセルクセス攻撃の兵を起こそうとして、ギリシャ人部隊を集めた次第、上征の途次の事件の数々、戦闘の経過、キュロス戦死の模様、ギリシャ人部隊が自軍の全面的な勝利とキュロスの生存を信じつつ陣地に帰還。

 

巻二 クナクサからザバタス河まで(前401年9月-10月)

キュロス上征の途次、戦闘に至るまでのギリシャ人部隊の行動の逐一、およびキュロス戦死の後、ギリシャ軍が敵と休戦協定を結び、ティッサペルネスに同行しつつ撤退する。

 

巻三 ザバタス河からカルドゥコイ人の国まで(前401年10月-11月)

奥地を目指す進撃中、戦闘に至るまでに起こった出来事、会戦後、大王と、キュロスに従って進撃したギリシャ人部隊との間に結ばれた休戦期間中に起こったこと、更に大王とティッサペルネスが休戦協定を破り、追尾するペルシャ軍がギリシャ人部隊に攻撃を加えた。

 

カルドゥコイ人は山中に住み、頗る好戦的で、大王の命にも服さない

(今日のクルディスタンのクルド族の先祖)

 

巻四 カルドゥコイ人、アルメニア人、タオコイ人、カリュベス人、スキュテノイ人、マクロネス人、コルキス人等の国を経てトラベズスに到着するまで(前401年11月―前400年2月)

黒海沿岸に到達するまでの道中において、ギリシャ軍の行ったことどと、ギリシャ人の町トラペズスに到着したこと、友好的な土地に到達した暁には、無事脱出を感謝して捧げることを神々に誓った供犠を果たした。

 

占者たちが河(神)に生贄を供えていると、敵は矢を射かけ、石を投じてきたが、まだこちらには届かなかった。生贄が吉兆を示すと、全軍の将士が戦いの歌を高らかに唱して鬨の声をあげ、それに合わせて女たちもみな叫んだ。 隊中には多数の娼婦がいたのである。p120

 

雪の中では、足については、絶えず体を動かして決して静止せず、夜は履物を脱ぐのが良策であった。靴を履いたままで眠る者は、革紐が足の肉に食い込み、靴が足に凍り付いてしまう。p126

 

アテナイ人クセノポンとスパルタ人ケイリソポスのののしり合い

スパルタでは子供のころから盗みの稽古に励み、法が禁じておらぬものならどんなものでも盗むのが恥辱ではなく、手柄になると聞いている。

アテナイ人は公金を盗むことにかけては名人だと聞いている。p132

 

この四人はいつも互いに負けじと武勇を競い合う競争相手だったがらで、こうして競い合いながら砦を占領したのである。p136

(こうした同じ軍の仲間たちの競い合いの場面、平家物語にも同じような感じの場面があったような気がする)

 

忽ち兵士たちが「海だ、海だ」と叫びながら、順々にそれを言い送っている声が聞こえてきた。

全軍が頂上に着くと、兵士たちは泣きながら互いに抱き合い、指揮官にも隊長にも抱き着いた。p137

(長征を経て、黒海を見た場面です)

 

巻五 トラペズスからコテュオラまで(前400年3月-5月)

ギリシャ人の黒海沿岸の町ケラススに着いた時点で、総員8600名だった。これだけのものが生き残った。その他は敵に討たれたか雪中に果てたり、病死した者もいた。

 

モッシュノイコイ人

これまでに通過した様々な土地の住民の中でも、この部族が最も野蛮であり、ギリシャの習俗から最もかけ離れていた。それというのも、衆人の中で普通の人間なら独りの時にしかせぬようなことをするし、独りの時に他の人間と一緒にいる時にするようなことをする。

ひとり言を言ったり、ひとり笑いをしたり、ふと立ち止まるとその場で、まるで他人に見せているかの如く、踊ったりもする。

 

クセノポンに殴られたと糾弾する男に対して、クセノポンが言うには

「どういう理由で君が殴られたのか、言ってくれ。私が君から何かねだって、それを君が呉れぬので殴ったのか。それとも何か返せと私がいったのか。あるいは美少年のことで喧嘩になったのか。あるいはまた私が酒に酔って乱暴をしたのだろうか」

(男たちの喧嘩の原因として美少年が出てくるのが古代ギリシャらしい)

 

巻六 コテュオラからクリュソポリスまで(前400年5月-6月)

 

巻七 ビュザンティオン、トラキアのセウテス王の許でのこと。ギリシャ軍、ベルガモンでティプロンの部隊に加わる(前400年10月―前399年3月)

 

訳注

町々について「人の住む」という語が添えられているのは、砂漠の多い荒野では住民によって見捨てられたゴースト・タウンが多かったことの証拠であろう。p265

 

プリギュアの伝説の王は、いくつもの民話の主人公としてポピュラーな人物である。手に触れるものをすべて黄金に変えたいという願いをかなえられて苦労する話。アポロンを怒らせて驢馬の耳をつけられる話等々。p266

 

解説

この話は、祖国に幻滅を感じ新天地を求めてペルシャに渡ったアテナイの一青年が、測らずもペルシャ王家の内紛に巻き込まれ、叛乱軍に加わって苦闘した顛末を、自伝風に記述した一種のドキュメンタリーである。

 

遠征に参加したとはいうものの、クセノポンは指揮官でも隊長でもなく、また兵卒でもなかった。いわば一種のオブザーバーとして、キュロスの戦いぶりを見学させてもらうといったものであったらしい。

しかしクセノポンは指揮官に推されて、クセノポンの適切な判断によって危機を克服する。

 

本書のみならず、クセノポンの全著作を通じて浮かび上がってくるのは、師ソクラテスの教えを実践しつつ、美しく善く生きようと努めた、誠実な敬神家の姿にほかならない。

 

クセノポンの文体は平明で、複雑な修辞技巧を用いぬために大変読みやすい。内容も道徳的なものが多いために、古代から広く愛読された。

ことに「アナバシス」は近世以来、ギリシャ語学習用の初級読み物として愛用され今に至っている。

 

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