ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

古都プラハよ いつまでも

2005-09-18 00:05:56 | プラハ探索
地下鉄の駅の入り口を見つけ、降りようとするとき、ふと前を見ると建物の下にあるアーチ型の短く、暗い通り道の向こうにプラハ城が見えた。
曇天でかすんでいるものの、大聖堂とその前の宮殿が見える。
思わず立ち止まり、しばし眺め、名残を惜しむ。
プラハの象徴に別れと感謝の気持ちを告げ、地下鉄への階段を下りていった。

ここプラハだけでなく、ヨーロッパの主な都市を見て感動することは、古い建物、古い街並みがしっかりと保存されていることである。
人によると、それはヨーロッパの後進性であり、単に過去の遺産に頼っているだけじゃねえか、という意見もある。
しかし商業主義や利便性の誘惑にめげず、過去の遺産を保存することは本当にたいへんなことなのである。そしてそれは、自分の地域の文化や歴史に対する愛情につながっているのだ。
チェコもEUに加入し、経済的にも発展していくと思うが、古都のよさを引き続き残していき、あまり派手にならないでほしいと強く願う。

地下鉄A線にのり、終点まで行く。バス乗り場を探すのに少し手間取ったが、空港の標識があったのでそこでバスを待つ。
バスに乗り込む。しばらくすると、雨が降ってきた。フロントガラスのワイパーが激しく動く。自分がいる間は、曇りがちのときもあったものの、雨は降らなかった。晴男の面目躍如たるものがある。
プラハの郊外の自然を抜け、空港に着く。出発時間には十分間に合った。
チェコの通貨があまっていたので、チェコ産の白ワインを買う。チェコといえばビールのイメージが強いが、ちゃんとぶどう畑もあり、ワインの製造もしているのだ。
飛行機に乗る。途中窓から月を見る。地上から見るのとは違い、自分と月がほぼ同じ高さにあるような錯覚にとらわれる。
パリに着く。テロにも遭わず、無事帰って来れた事にほっとする。空港からエアフランスのバスに乗り込む。
エトワールに着く。凱旋門が美しくライトアップされている。パリの象徴に出迎えててもらったような感じだ。プラハ城を見たのと同じく、しばし立ち止まり、その威容を眺める。
翌日、冷やしておいたチェコの白ワインを思い出と共に痛飲する。さっぱりとした辛口で、おいしく飲み干した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ユダヤ地区を彷徨う

2005-09-11 00:19:20 | プラハ探索
二泊三日のプラハ旅行、今日で最終日だ。
ホテルをチェックアウトして外に出る。この日は前日の青空とは違い曇っていた。
まずプラハ市立博物館に入る。ほとんど一番の客のようで、中にはほとんど人はいない。
ここには1830年代に作られたプラハ市の巨大な模型がある。地区のボタンを押すと、その辺りがライトで光る。人がいないのを幸い、子供みたいに遊んでしまった。
次に再びヴォーツラフ広場に行く。騎馬像の前にはやはり「~テロリズム」との横断幕がかけられたままだった。
広場の南端の国立博物館に入る。ここには鉱物の展示室がある。さまざまは色や形の鉱石を見る。見ものとしては、巨大なダイヤモンドの鉱石があった。また動物の剥製などがならんだ、少し薄気味悪いフロアをうろうろする。
博物館を見学し終わった後、ユダヤ人地区に行く。
共通のチケットを買う。これでいろいろなシナゴーグを見学できるわけだ。
また男性は小さなユダヤの帽子をかぶらなければならない。帽子といっても、頭の上にちょんとのせる感じで、うまくおさまってくれない。何度も落としてしまう。
ユダヤ人墓地は平らな墓石がびっしりと連立しており、その間の石畳を歩いていく。さすがに怖く感じる。
シナゴーグにはホロコーストのい犠牲者になった人の名前がびっしり書かれたのとか、昔の暴動で殺された人の血痕が残ったようなところもある。途中有料トイレに行ったが、そこの受付のおばさんまで怖く感じてしまう。
一方普通にユダヤ人の文化・歴史を扱ったところもあり、ほっとした気分になる。またスペインシナゴーグと呼ばれる建物の外装は壮麗で明るく感じる。
もうそろそろ帰りの時間が近づいてきた。ユダヤ人街を抜け最寄の地下鉄の駅に向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チェコのテレビに出演?

2005-09-09 22:52:14 | プラハ探索
プラハ城前の銅像のところに、戦争に反対するグループがいたのだ。
何人かの、若い連中が、小さなプラカードを持っている。チェコ語と英語で書いているものがあり、英語では“War IS NO solution"と書いてあった。9.11のテロに対する報復の軍事行動を非難するものだ。
マスコミもおり、大きなテレビカメラを持って取材している人もいた。デモの写真を撮っていた自分も映されているような気がした。何だこの東洋人観光客は、という感じかもしれない。
デモの群集から離れ、国立美術館を探す。地図ではこのあたりなのだが、それらしき建物が見当たらない。とりあえず美術館方面らしき坂道があったので降りていく。とすると下のほうから「えー今日休みなのかよ」との男声の日本語が聞こえてくる。一応自分も降りて確認すると確かに休みだった。
そばの広場で少し休んだ後、プラハ城内に入る。昨日入れられなかった旧王宮に入る。中の広々としたヴラディスラフホールを見学する。
ホールから外に出て、バルコニーからプラハの街を眺める。この日は晴れていたおかげで、さわやかな夕陽が古い街並みの屋根を照らしている。プラハは相変わらずの美しさだった。デモの喧騒がうそのようだ。
ホテルに帰り、レストランでチェコ料理を食べた後、部屋でテレビを見る。ニュースを見るとやはりデモの状況が報告されていた。自分のカメラをテレビに向けて構える。恥ずかしながら、自分が出たら写そうと思ったのだ。デモの様子を映した後、テレビカメラは野次馬の方にカメラを向けた。あっ、俺だ、と思ったのもつかのま、すぐ終わってしまった。自分のカメラのシャッターを押すいとまもなかった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「ボヘミア・ベーグル」で 今時のチェコ娘

2005-09-02 23:42:31 | プラハ探索
カレル橋を渡り再び旧市街、ユダヤ人地区方面に戻る。
まだ昼食をとっておらず、食べるところを探す。
ガイドブックで見つけたボヘミア・べーグルを目指す。2号店が旧市街内にあるらしい。
くねくねと道を曲がり見つけ出す。かなり足が疲れている。
ランボーの詩、『「居酒屋みどり」で』の一節を思い出す。この詩の安楽感を望んでいたのかもしれない。
この時の自分の状況とはかなり違っているが、疲れていた部分だけは同じかもしれない。

八日この方、石ころ道を、歩きつづけた僕の靴
すっかり破れてしまっていた。シャルルロワへと今ついた。

自分は靴ずれこそできていたが、さすがに破れてはいなかった。
またここは美しい中世都市プラハである。シャルルロワはベルギーの南部の街で、今はそれなりに整備されているものの、当時炭鉱などの工業都市で、かなりすすけた街だったんだろうなと想像できる。若きランボーはシャルルビルから家出し、歩いてシャルルロワまで来たのだ。
また詩は、

目もと涼しく乳房のやけにでっかい別嬪が
出て来たのだからすばらしい

とあるが、ここボヘミア・べーグルでは、

目もときつくやけにピアスをつけた短髪娘が
出て来たのだから残念だ

であった。
場所的に、バックパッカー用だけでなく、現地の学生もよく来ているようだ。
べーグルサンドとコーラを頼み、中庭の粗末なオープンカフェで食べる。
しばらく休み、痛む足を引きずり、再度プラハ城に向かう。前日時間の関係でじっくり見れなかったのだ。
坂をのぼり、正面の広場に着く。彫像の前で、マスコミを含めた人だかりができていた。
なんだろうと覗いてみると・・・。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムハ(ミュシャ)美術館にて

2005-08-30 23:31:06 | プラハ探索
ヴァーツラフ広場を離れ、近くにあるムハ美術館に行く。
チェコではムハだが、パリでの呼び方ミューシャ(ミュシャ)の方がポピュラーかもしれない。
白い建物の入り口に「MUCHA MUSEUM」とあり、そばに小さいパネルが置かれていた。
入り口は狭く、内部は細長いが、奥行きはある。
七つのセクションに分かれており、パリでのポスター、パネルやチェコに帰ってからの作品、装飾品や絵画、そして一番奥はビデオコーナーになっている。
一通り見終わった後、入り口のそばが売店になっている。そこで「MUCHA アールヌーヴォーの夜明け」と題した画集があったので買う。TASCHENという出版社が発行している。幸い日本語版があったのでありがたやと買い込む。
恥ずかしながら、パリに住み、ナンシーのアールヌーヴォーの美術館を訪れていたにもかかわらず、この画家についてはあまりよく知らなかったので、単にわあ、きれいやな~と思ったくらいだった。
その後改めて画集やNHKの番組などを興味深く見たが、個人的には彼の出世作、サラ・ベルナールを描いた一連の作品が一番好きである。特に「ジスモンダ」と「サマリテーヌ」がよい。
サラ・ベルナール自身、確かに美人かもしれないが、面長で、とびきりの美人とはいえないと思う。
それが、ミューシャの腕により、華麗な装飾を伴い、颯爽とした美しい姿を見事に描き出している。彼女大いに喜び、即座にミューシャと契約を結んだのもうなずける話である。
チェコでの作品は、民族的覚醒に目覚めた後のもので、このようなものは、ある程度その思想に共感した上でないと感動できないものかもしれない。
演劇のポスターという、コマーシャルなものの方が、単純に人を惹きつけやすいのだろう。
今の感想はともかく、ムハ美術館を出た時点では、世の中に、また一つ美しいものを見つけて嬉しくなってしまった。
街中から、ヴルタヴァ河方面に向かう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする