ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ローマ人の物語ⅩⅣ 司教アンブロシウス

2007-08-27 22:32:57 | ヨーロッパあれこれ
ユリアヌス帝が亡くなった後、ヨヴィアヌス帝が七ヵ月後に死体で発見された後、蛮族出身のヴァレンティアヌスが皇帝についた。
10年間、蛮族相手の戦いにもかかわらず、何とかローマ帝国を持たせたが、彼は54歳で急死する。
後を継いだヴァレンス帝。
しかしフン族という強力な勢力により、さらにローマ帝国周辺は不安定な情勢となる。
そしてハドリアノポリスでの敗北。その中でヴァランス帝も亡くなる。
その後のテオドシウス帝、ゴート族の移住を公認する。
蛮族に、より支配されるローマ帝国。
そして親キリスト教路線の復活。
アンブロシウスは「高級官僚」の道を捨て、司教への道を選択する。
巧みに権力者を取り込んでいくアンブロシウス。
異端や異教の排斥。
多くのローマの神々の排斥。
現代から見ると美しい芸術作品である、神々の像も、打ち壊されていく。
たまに出てくる完全な像は、ひょっとすると、こっそりと保存されたのではないかという「仮説」。
そしてキリスト教はローマ帝国の国教となる。
更に洗礼を受けた以上は、皇帝でさえ、一匹の羊。
アンブロシウスの鮮やかな手腕。
一神教ゆえ、守護神ではなく、多くの守護聖人を持つキリスト教。それにより人々の素朴な願いも聞きやすくする。
これもアンブロシウスの考えたことといわれる。

395年、ローマ帝国は、完全に東西分割され、最後の世紀に入っていった。
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皇帝ユリアヌス(ローマ人の物語ⅩⅣより)

2007-08-26 01:22:45 | ヨーロッパあれこれ
ローマ帝国の隣で力を持つペルシャ。
皇帝コンスタンティウスは、ペルシャ遠征のため、副帝ユリアヌスの精鋭の兵士を送り出すよう依頼する。
それに対する兵士の不満。
そしてわきあがる「ユリアヌス 正帝!」の声。
内乱の危機。しかしコンスタンティウス、病に倒れ、自らの手を血で汚すことなく帝位につく。
まず行った、リストラ大作戦。肥大した官僚機構の縮小。
そしてローマ帝国民の信教状態を、「ミラノ勅令」に戻す。
それにより、あらゆる信仰が再びその存在を公認される。
しかしその後の中近東の騒乱。
「ミソポゴン」という書に、苦い思いをつづるユリアヌス。
その後のペルシャ戦役。
激戦のさなか、363年、31歳と3ヶ月の人生、そして皇帝として1年と9ヶ月の在位を終える。

時代の流れに逆行するような宗教政策。
「背教者」とも言われるユリアヌス。
しかしそれは単なる時代錯誤ではなかった。
一神教の利点だけでなく、弊害にも気づいていたゆえ、ではないかとも、思われている。
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サント・シャペル聖堂 ゴシックの宝石

2007-08-25 22:11:26 | パリの思い出
写真はパリのサント・シャペル大聖堂の内部です。
内部は二階に分かれており、一階部分は王家の使用人の礼拝堂、二階は王家の礼拝用として利用されたそうです。
そういわれると、この豪華なステンドグラスは二階にありました。
一階を通りすぎた後に、この部屋に上ります。
そこには壁面一杯に、このようなステンドグラスがあり、結構強烈な印象がありました。
「ゴシックの宝石」のようなこの美しい光の中に、身を浸せたことに、つくづく大きな幸せを感じることができました。

このサンシャペル聖堂は1248年、ルイ9世がコンスタンチノープルの皇帝から購入した聖遺物のコレクションを納めるために、建築家ピエール・ド・モントイユに命じて建築させたものです。

(ぶらりあるき パリの博物館 中村浩 著 芙蓉書房出版 を参考にしました)
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ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利

2007-08-23 00:25:27 | ヨーロッパあれこれ
ローマ人の物語ⅩⅣ キリストの勝利
塩野七生 著
新潮社
2006年1月20日 二刷

コンスタンティヌス死去の後、彼の三人兄弟及び甥がローマ帝国を引き継ぐような形になっていた。
しかし突然の謎の粛清により、三人兄弟だけが引き継ぐようになってしまう。
長男 コンスタンティヌス二世
次男 コンスタンティウス
三男 コンスタンス
(紛らわしい名前だ)
しかし、父の死から三年も経たぬうち、長男が早くも殺害される。
そしてまもなく、コンスタンスも殺害され、コンスタンティウスが唯一の皇帝となる。
唯一となって初めて、血のつながった協力者がいなくなったのに気づくコンスタンティウス。
仕方なく、粛清のさい、幼少ということで生き残ったガルスを副帝にする。
しかし長い幽閉生活の影響もあったのか、不始末により処刑される。
そして出てきたのが、ガルスの弟であったユリアヌスが副帝となる。
幽閉生活から、学究生活、そして突然のガリアでの副帝としての生活となる。
戦闘とは縁が無かったにもかかわらず、意外とガリアでは蛮族撃退に活躍する。
責任の自覚と、任務を続けていく高揚感が、彼をそこまで強くさせたのか?
そんな彼の活躍が、アルプスを飛び越え、東側にも知れ渡るようになる。
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ロートレックのポスター展

2007-08-18 23:16:55 | パリの思い出
前回の記事で、マイヨール美術館の事を書きましたが、そこに行ったきっかけは、その時に行っていた特別展によるものでした。
その情報は、パリの日本人向けの本屋や食料品店に置かれている、在住日本人向け新聞から得たものです。
しっかり読んでいると、結構イベントの紹介などもあったりして、重宝したものでした。

さて、その特別展というのは、トゥールーズ・ロートレックのポスター展でした。
暗い部屋の中で、彼の元気良く、生き生きとしたポスターが展示されていました。

ロートレックは、シェレー、ミュシャと共に、近代ポスター創成期を飾る三巨匠といわれています。
画家としての副業・余技として、ポスターの仕事をこなしていました。
彼の作品の特徴は、流れるような描線、大胆な平面化、明暗のコントラストを強調する色面の配置だと言われています。
そして瞬間の動きを、即興的に捕らえています。
美しさという点では、ミュシャによるサラ・ベルナールを扱ったポスターなどには劣っていますが、ムーランルージュという、雑然とした華やかさには、ロートレックの筆致がよく似合います。

この特徴は、浮世絵や水墨画など、ジャポニズムにより影響を受けたとされています。
まだ日本人自身がその価値をあまりわからなかった時代、すばやく取り入れてくれた鑑識眼には感心します。

(別冊宝島EX デザインの読み方 西岡文彦 著 JICC発行 を参考にしました。) 
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