ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ALLEZ アミアン!(フランスの世界遺産を訪ねて)

2005-07-15 23:25:34 | フランス物語
パリ北駅からアミアンに向かう。アミアンはピカルディ地方にあり、ちょうどパリの真北に位置する。
特急電車にのり、ちょうど誰もいない客車があったので、一人乗り込む。
しばらくして、ぼくよりもでかい黒人の兄ちゃんが、ボンジュールとの挨拶と共に客車に入り、向かいの席にごろんと横になり寝てしまった。夜勤帰りかもしれない。ぼくは静かにガイドブックに目を通す。
その兄ちゃんは途中の駅で降りていった。
アミアンに着く。駅を降りると、社会主義的な高層建築物が目に入る。そこから大聖堂を目指す。
通りを抜けると、後陣からの大聖堂が見えた。バランスよくしっかりと建っている。
ファサードに回る。今までにフランス国内で見た他の大聖堂に比べ白っぽい。ベルギーのブリュセルで見たのはこのように白っぽい感じだったような気がする。地理的に近いのも関係しているのだろうか?
しばらく眺めた後、観光案内所に立ち寄る。そして美術館に向かう。
途中、出店でサッカーグッズを売っている。アミアンのサッカーチームがフランスサッカーのトーナメントで決勝に進出し、明日決勝戦という状態だったのだ。もともと2部か3部リーグくらいのチームで、そんなに強くないのだが、トーナメント形式で、あれよあれよという間に決勝まで来てしまった。街が盛り上がるのも無理はない。あちこちに応援幕がある。
美術館に入る。子供たちのグループをすりぬけながら鑑賞する。
歩行者天国にあるカフェで軽食を取る。そこから大聖堂が半分見える。再び中に入り、光の強くなったステンドグラスを愛でた。
北側にある川沿いの公園を散策する。小さな池もあったが、少し前の大雨でかなり増水していたようだ。フランスは日本と比べ、じわじわと増水していく。その分水が引くのもゆっくりである。緑が多く、並木や池と共に見える大聖堂も素晴らしい。また公園内の小川をみると、母ガモが子ガモを連れて川面をのんびり進んでいく。ほのぼのする風景だった。
運河沿いのカフェで休んだ後、みたび大聖堂に戻る。上に登れる事を発見し、らせん階段をえっちらおっちら登る。上からは少し霧がかった、黒い屋根の街並みが見えた。
街のカルチャーセンターなどを覗いた後、駅に戻っていく。途中ふとバスを見ると、正面の電光掲示がおかしい。よく見ると、通常の終点表示の合間に、ALLEZ AMIENS(行け!アミアン)と出ているのだ。そんなところまで、おらが街のサッカーチームを応援しているのかと思うと切なくなる。アミアンに関しては、大聖堂だけでなく、カモの親子までも気に入っていたため、この街のチームなら勝ってほしいと思った。
しかし一方、相手はストラスブールで、1ヶ月ほど滞在した大好きな街なので、どちらも負けてほしくなかった。複雑な気持ちで、翌日、テレビで決勝戦を見る。
試合自体は0対0だったものの、ドローは許されない。PK合戦でアミアンが負けてしまった。まあストラスブールのキーパーはあの名キーパー、チラベルトだったので仕方が無い。アミアンの監督はドリフのひげダンスみたいな、立派なひげの持ち主だった。監督を模したつけひげを付けたアミアンサポーターの残念そうな姿が忘れられない。



ローマ遺跡とゴッホの街 アルル

2005-07-08 23:29:15 | フランス物語
アヴィニョンからアルルに向かう。
前日ニームに行く時、バスに乗り、プロヴァンスの田舎をのんびり眺めることができたことに気をよくして、再びバスで行こうとした。しかし少し遅れてしまい、バスの発着時間には間に合わなかった。幸いすぐ後にアルル行きの電車があったのでそれに乗り込む。ただし途中乗り換えである。
乗り換えの駅に着きしばらく待つ。ホームにいてもしょうがないので、駅の外に出てみる。すると、そこにはアルル行きのバスがあった。ダメもとで電車のチケットを運転手に見せ、乗れるかどうか尋ねてみた。するとOKとのこと。喜んでバスに乗り込む。昨日のバスは最初客はぼく一人だったが、このバスは若い客が何人かいた。
アルルに着く。バスは駅前に到着する。陸橋の下をくぐり、ゴッホの「黄色い家」のモデルになった家の前の広場から、城門を通り、市街に入る。
まず闘技場に入る。ニームの時は自由に見せてくれたのだが、ここは時間が決まっており、ガイドさんについてみんなでぞろぞろ見て回る。上から見る古い街並みおよびローヌ川ののんびりした眺めがよい。
次に古代劇場に入る。受付のお姉さんがけだるそうに応対してくれる。中には誰もいない。今日はじめての客のようだ。リヨンやヴィエンヌのそれと違い、平地にあるため、さほど大きくない。舞台の上の大理石の柱もほとんど崩れている。しかし壊れかけのほうが、いかにも遺跡だ、という感じがして有難い。
劇場を出て、サン・トロフィーム教会に行く。ちょうど日本からの団体客もいた。そのグループのそばにさりげなく寄っていき、ガイドさんの貴重な説明を一緒になって聞く。
ローヌ川沿いに行く。そばにあるローマ浴場跡を見た後、しばらく休んでゆったりと流れるローヌを見る。
橋のところまで歩き、そこから大通り沿いにエスパス・ヴァン・ゴッホを目指す。地図上にあるその場所に来たが、建物だけだった。ドアの前にいると、地元の人が「むこうに回っていけ」と教えてくれた。大回りして中庭に行く。絵のパネルがあり、それと同じように写真を撮ってみる。
中心街から離れたところにあるローマ墓地アリスカンに行ってみる。しかし非情にも、昼休みと言う事で扉を閉めるところだった。残念無念と、すごすごと街中に戻る。
予定時間も迫っているので、アルル駅方面に戻る。城門の手前の土産物屋で、プロヴァンスとアルルのガイドブックを買う。店のおばちゃんがわざわざ日本語版を探してくれたが、アルルの本は英語版しかなかった。
駅方面にローヌ河沿いを歩く。ふりかえると闘技場などの搭が5つほど見える。右手にはローヌがあいかわらずのんびり流れている。このような構図のゴッホの作品があったはずだ。
さようなら、アルル、と別れを告げ、駅に向かった。
先日、ゴッホ展に行く。本当に人気があり、人々が長い列を作っていた。待ち時間の後、アルルの「黄色い家」などの絵を鑑賞する事が出来た。この絵は彼が芸術家の家を作ろうと夢見た時の絵で、その気持ちとその後の顛末を思うと、とても切なくなってくる。しかし、今、彼が愛した芸術を生み出した国の末裔が、しかもとても多くの人々が、絵を見ようとしているのである。その情景を見て、心の中に熱いものを感じ、救われたような気がした。

勇士はパリを目指す(ツールドフランス)

2005-07-07 00:00:36 | パリの思い出
今年もツールドフランスが始まった。
昨日もテレビで見ていたが、アンボワーズ、シノン、シャンボール、ブロワなどの城と街が見れたのが懐かしくて嬉しかった。
コースは毎年変わるものの、最後はパリである。これがなんとも言えずかっこいい。
フランスおよびその周辺の美しい大地の中、長いレースを戦い、最後パリに向け疾走する。郊外から、セーヌ川沿いを通り、パリを周回する。女神のごときパリが選手の今までの苦労を慰め、完走を祝福する。
こういうのが似合うのはパリだけである。それだけでも、パリは十分誇りを持って良い。オリンピックに落ちたことなどたいした事ではない。
筆者もパリにいたとき、見に行ったものだ。
といってもなまけものの筆者は、早めに行っていい場所を取る様な事をしなかった。
最初はテレビで見ていた。実際に現地に見に行こうか迷っていた。テレビの方が、ずっと効果的にレースを見れるからだ。しかし、選手たちが、パリに近づいているのを見て、たまらず下宿を抜け出した。
下宿のある15区から、地下鉄8号線に乗り、アンバリッドで降りる。
そこから、歩いてコンコルド広場に向かっていく。
手前のコンコルド橋の上から、コースから少し離れているが、警備員や他の観客の間からレースを見ることが出来た。
上空には中継のヘリコプターの音がうなる。
カラフルなユニフォームの選手たちはあっという間に疾走していく。そのたびに歓声があがる。
コンコルド広場では、海軍省の建物をバックに、オベリスクがそびえている。
それに対抗するように、中継のはしご車が伸びていた。少しでも選手全体を効果的に捉えようと、オベリスクに負けじと伸び上がっていた。
何周か見る。雰囲気でもう選手は来ないような感じがした。もう少し残ってみるが、確かに終わっているようだ。また地下鉄に乗り下宿に戻る。
部屋でテレビをつける。シャンゼリゼで、凱旋門をバックにした表彰式の模様が映し出されていた。



天にすっくと伸びる尖塔(シャルトル)

2005-07-02 22:50:56 | フランス物語
パリ・モンパルナス駅からシャルトルに行く。
春から夏にかけてパリから電車に乗り、特に西のほうに向うと、フランスの平原とそこに生える麦や菜の花の美しさに感動する。ただし季節は限られる。今回はまだ春には少し遠かったようだ。
約1時間ほどして、電車がゆるやかに曲がると、前方にお待ちかねの大聖堂を望む事が出来た
駅で電車を降り、坂道を大聖堂目指して歩いていく。
正面広場に出る。
真正面からの写真を撮ろうとするが、なかなか全体像がカメラにおさまってくれない。ぎりぎりまで下がり、なおかつしゃがんで写真を撮る。
聖堂内に入る。太陽光が弱く、まだステンドグラスは十分に輝いていない。
狭い螺旋階段で鐘楼に上る。そこから見るもう一つの鐘楼はがっしりたくましく天に突き出している。間近にみる尖塔は迫力がある。鐘楼の別の面からは駅や今来た線路、更にのんびり広い平原を眺めることができる。
大聖堂を一旦出て、旧市街の狭い道を抜け、昔の城門の跡があるところまで降りてくる。そこからの大聖堂の眺めもよい。川沿いにのんびり散策する。
もう一つの見所、ピカシェットの家にも行ってみる。
車の多い幹線道路に出て、普通の住宅街を歩いていく。少しわかりにくかったが、表示があったのでなんとかたどり着く。
若い学生のグループもいた。中は小さい装飾された家であまり面白くなかった。しかし、後で撮った写真を見ると、意外とあざやかだった。
再び旧市街に戻り、美術館に入る。ヴラマンクの絵の具をべちゃーと塗りたくった冬の道の絵が面白い。
また大聖堂のご当地だけあってそれを扱った絵が印象に残る。一つは火事の大聖堂、もう一つは夕焼けの中で羊の群れと描かれているものだった。
美術館を出、もう一度大聖堂に戻る、曇りで、ステンドグラスがあまり輝いてくれなかったのが残念だった。
シャルトルに行ってから数年後、「須賀敦子のフランス」(河出書房新社)での写真と記述、および須賀のエッセイ集「ヴェネツィアの宿」(白水Uブックス)の「大聖堂まで」を読み感動する。強い願いをもち大聖堂を訪ねた須賀たちの気持ちを思うと切なくてしょうがない。もし今後シャルトルを訪れる機会がある方には、ぜひ前もって読んでほしい本である。
と、偉そうに書いてる自分は、強い精神のよりどころを探していたわけで無く、のんびり、ぼんやりと訪れただけだったが。
シャルトルを離れ、モンパルナスに戻る。