ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

ダヴィンチの黄昏(ロワール、アンボワーズ)

2005-09-21 23:24:30 | フランス物語
11月の祝日と週末を利用して、ロワールの城めぐりに行こうと決めた。
ただ、この時期、天気が心配である。
前もってロワールの中心地、トゥールのホテルを予約し、TGVの片道チケットを買う。あとは雨が降らないのを祈るのみだった。
パリのモンパルナス駅から、TGVに乗る。1時間ほどで、トゥールの手前の駅で乗り換える。
12時にトゥールに着き、ホテルにチェックインし、駅前のオフィスドトゥーリズムで城めぐりのバスツアーの案内をもらう。まだこの時点では予約はしなかった。
この日は一番近い城、アンボワーズに向かう。幸いこの日は天気が良かった。
アンボワーズはトゥールから電車に乗り、約20分である。
駅から城に向かう。普通の住宅地を抜け、ロワール河に達する。川の向こうに城が見えてきた。途中で買ったパンを食べながらしばし眺める。
橋を渡り、城に近づいていく。
早速チケットを買い、中に入る。
芝生と白い居城が優雅である。
上から河を眺める。ゆったりと流れる河、そして木々におおわれた平原が広がる。
城の中には小さな聖堂もある。ファサードのレリーフが細かい。
城を出て、狭い路を通り、クロ・リュセに向かう。ここはダ・ヴィンチが晩年を過ごし、なくなった場所なのだ。フランソワ1世が、彼をイタリアから招いたのである。そして城から地下道を通り、毎夜話を聴きに行った。大天才であり、なおかつ変態?でもあったダヴィンチ、若かりしころの情熱にあふれた、いろいろ面白い話が聞けたに違いない。
彼にとって、ダ・ヴィンチはイタリアのルネッサンスの現人神であり、深く敬愛した。まだこのころは、文化面でイタリアのほうがフランスよりぐんと進んでいたことが伺える。
建物の中の、ダ・ヴィンチの発明品の模型を見学する。また、別の建物の中で、ダヴィンチを解説するビデオを見たが、暗い中、途中でうとうとしてしまった。
クロ・リュセ内でジュースを飲み休んだ後、アンボワーズの街中を散策する。
秋の日は短い。もう陽が傾きかけている。聖堂や城本体を、夕陽が美しく照らし出していた。
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ライヴ・エイドのDVD

2005-09-18 22:50:26 | MUSIC
ライヴ・エイドのDVDを見た。
このところ、深夜のテレビを見ていると、このDVDの通信販売をさかんにしていた。懐かしい画像が一杯だったので、タワーレコードに行って、買いに行ったのだ。
このライヴ・エイドは、アフリカの飢餓に対する募金のため、1985年7月13日、イギリスとアメリカで行われたものだ。20年以上前である。
自分も、このときテレビで一部は見れたのだが、80年代ブリティッシュロック好きには、改めてじっくりDVDで鑑賞できるのはありがたいことだ。
主な感想をあげると、
まずこのライヴの主宰者、ボブ・ゲルドフ率いるブームタウンラッツの「I don't like mondays」に涙する。
もともとセンティメンタルな曲なのだが、それを彼に熱唱されると、感激してしまう。
ただ、このボブ・ゲルドフ、今見ると、大泉洋に見えてしょうがない。
「水曜どうでしょう」のファンとしては、笑ってしまう。泣き笑いの状態である。
あと、女性歌手、シャーデーのセクシーさに魅了される。白い衣装がなんともよい。
DISC1の最後はU2である。ボノが詰襟の学生服のような衣装で、舞台の上下動き回っている。やはり別格である。ステージの下まで行き、ファンの女の子を呼び寄せ、抱きしめたりしていたが、ファンの安全を守るスタッフからするとひやひやものだろうと、余計な心配をしてしまった。
クイーンも、U2と同じくやはり別格である。客ののりがすごい。フレディのステージは圧巻である。くねくねと怪しい動きをし、カメラマンのおっさんにまで迫っていたのには笑ってしまった。
あと、マドンナのかわいさが光っている。この時期のマドンナが一番好きである。この後の日本でのライブでは下着姿だったが、見せ過ぎで、食傷してしまった。
シンプル・マインズも個人的には嬉しかったが、ステージがアメリカだったこともあり、客のノリが一部だったのは残念だ。
以上、ぱっと思い当たるところを書いてみたが、これを見て、ロック好きだった昔の血が騒ぐ。今度はU2のライヴDVDでも買ってみようか。
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古都プラハよ いつまでも

2005-09-18 00:05:56 | プラハ探索
地下鉄の駅の入り口を見つけ、降りようとするとき、ふと前を見ると建物の下にあるアーチ型の短く、暗い通り道の向こうにプラハ城が見えた。
曇天でかすんでいるものの、大聖堂とその前の宮殿が見える。
思わず立ち止まり、しばし眺め、名残を惜しむ。
プラハの象徴に別れと感謝の気持ちを告げ、地下鉄への階段を下りていった。

ここプラハだけでなく、ヨーロッパの主な都市を見て感動することは、古い建物、古い街並みがしっかりと保存されていることである。
人によると、それはヨーロッパの後進性であり、単に過去の遺産に頼っているだけじゃねえか、という意見もある。
しかし商業主義や利便性の誘惑にめげず、過去の遺産を保存することは本当にたいへんなことなのである。そしてそれは、自分の地域の文化や歴史に対する愛情につながっているのだ。
チェコもEUに加入し、経済的にも発展していくと思うが、古都のよさを引き続き残していき、あまり派手にならないでほしいと強く願う。

地下鉄A線にのり、終点まで行く。バス乗り場を探すのに少し手間取ったが、空港の標識があったのでそこでバスを待つ。
バスに乗り込む。しばらくすると、雨が降ってきた。フロントガラスのワイパーが激しく動く。自分がいる間は、曇りがちのときもあったものの、雨は降らなかった。晴男の面目躍如たるものがある。
プラハの郊外の自然を抜け、空港に着く。出発時間には十分間に合った。
チェコの通貨があまっていたので、チェコ産の白ワインを買う。チェコといえばビールのイメージが強いが、ちゃんとぶどう畑もあり、ワインの製造もしているのだ。
飛行機に乗る。途中窓から月を見る。地上から見るのとは違い、自分と月がほぼ同じ高さにあるような錯覚にとらわれる。
パリに着く。テロにも遭わず、無事帰って来れた事にほっとする。空港からエアフランスのバスに乗り込む。
エトワールに着く。凱旋門が美しくライトアップされている。パリの象徴に出迎えててもらったような感じだ。プラハ城を見たのと同じく、しばし立ち止まり、その威容を眺める。
翌日、冷やしておいたチェコの白ワインを思い出と共に痛飲する。さっぱりとした辛口で、おいしく飲み干した。
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ユダヤ地区を彷徨う

2005-09-11 00:19:20 | プラハ探索
二泊三日のプラハ旅行、今日で最終日だ。
ホテルをチェックアウトして外に出る。この日は前日の青空とは違い曇っていた。
まずプラハ市立博物館に入る。ほとんど一番の客のようで、中にはほとんど人はいない。
ここには1830年代に作られたプラハ市の巨大な模型がある。地区のボタンを押すと、その辺りがライトで光る。人がいないのを幸い、子供みたいに遊んでしまった。
次に再びヴォーツラフ広場に行く。騎馬像の前にはやはり「~テロリズム」との横断幕がかけられたままだった。
広場の南端の国立博物館に入る。ここには鉱物の展示室がある。さまざまは色や形の鉱石を見る。見ものとしては、巨大なダイヤモンドの鉱石があった。また動物の剥製などがならんだ、少し薄気味悪いフロアをうろうろする。
博物館を見学し終わった後、ユダヤ人地区に行く。
共通のチケットを買う。これでいろいろなシナゴーグを見学できるわけだ。
また男性は小さなユダヤの帽子をかぶらなければならない。帽子といっても、頭の上にちょんとのせる感じで、うまくおさまってくれない。何度も落としてしまう。
ユダヤ人墓地は平らな墓石がびっしりと連立しており、その間の石畳を歩いていく。さすがに怖く感じる。
シナゴーグにはホロコーストのい犠牲者になった人の名前がびっしり書かれたのとか、昔の暴動で殺された人の血痕が残ったようなところもある。途中有料トイレに行ったが、そこの受付のおばさんまで怖く感じてしまう。
一方普通にユダヤ人の文化・歴史を扱ったところもあり、ほっとした気分になる。またスペインシナゴーグと呼ばれる建物の外装は壮麗で明るく感じる。
もうそろそろ帰りの時間が近づいてきた。ユダヤ人街を抜け最寄の地下鉄の駅に向かう。
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チェコのテレビに出演?

2005-09-09 22:52:14 | プラハ探索
プラハ城前の銅像のところに、戦争に反対するグループがいたのだ。
何人かの、若い連中が、小さなプラカードを持っている。チェコ語と英語で書いているものがあり、英語では“War IS NO solution"と書いてあった。9.11のテロに対する報復の軍事行動を非難するものだ。
マスコミもおり、大きなテレビカメラを持って取材している人もいた。デモの写真を撮っていた自分も映されているような気がした。何だこの東洋人観光客は、という感じかもしれない。
デモの群集から離れ、国立美術館を探す。地図ではこのあたりなのだが、それらしき建物が見当たらない。とりあえず美術館方面らしき坂道があったので降りていく。とすると下のほうから「えー今日休みなのかよ」との男声の日本語が聞こえてくる。一応自分も降りて確認すると確かに休みだった。
そばの広場で少し休んだ後、プラハ城内に入る。昨日入れられなかった旧王宮に入る。中の広々としたヴラディスラフホールを見学する。
ホールから外に出て、バルコニーからプラハの街を眺める。この日は晴れていたおかげで、さわやかな夕陽が古い街並みの屋根を照らしている。プラハは相変わらずの美しさだった。デモの喧騒がうそのようだ。
ホテルに帰り、レストランでチェコ料理を食べた後、部屋でテレビを見る。ニュースを見るとやはりデモの状況が報告されていた。自分のカメラをテレビに向けて構える。恥ずかしながら、自分が出たら写そうと思ったのだ。デモの様子を映した後、テレビカメラは野次馬の方にカメラを向けた。あっ、俺だ、と思ったのもつかのま、すぐ終わってしまった。自分のカメラのシャッターを押すいとまもなかった。
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