ヨーロッパの限りない大地

ヨーロッパの色々な都市を訪問した思い出をつづっていきたいです。

日本遺産と播磨

2020-10-16 20:47:23 | ヨーロッパあれこれ
日本遺産と播磨
播磨学研究所 編
神戸新聞総合出版センター 発行
2020年9月10日 初版第1刷発行

この本は、播磨の日本遺産を総合的に概観する初めての書物、とのことです。
生野鉱山を発する「銀の馬車道」は播磨の中央部を縦断して飾磨津に至ります。
その飾磨津は高砂、室津、赤穂(坂越)とつながる「北前船」の重要ルートを構成し、赤穂では「日本第一の塩」を生産してきました。
また、全国有数の古刹、清水寺、一乗寺、円教寺は「巡礼道」の中核を形成しています。
播磨では、日本遺産ゾーンが縦横に走り、交差して、特異な文化地帯を作り上げています。p320



銀の馬車道を設計したのは、フランス人技師レオン・シスレー。
シスレーは生野銀山再開発のために主任技師として明治政府に雇用されていたジャン=フランソワ・コワニェの義弟で、コワニェの要請によりお雇いフランス人技師となった。p62

コワニェファミリーは理系が多かったが、シスレーファミリーは画家のアルフレッド・シスレーやヤン・フランス・ファン・ダールや、絹織物、園芸関連など、芸術系が多く、対照的な家系だった。p75

コワニェらお雇いフランス人を通してフランスから得たものが、高島北海を通じて日本からの贈り物としてフランス芸術におけるジャポニスムやアール・ヌーヴォー開花に影響を与えた。
銀の馬車道はフランスの美術にとって大きなカギを握るものだったのでは。p83



近代的な道路舗装を論ずる上で欠かせない工学者

フランス人技師トレサゲ(1716~96)

イギリス人技師テルフォード(1757~1834)

スコットランドのマックアダム(1756~1835)

マックアダムの考案したマカダム式が一番単純かつコスト的にも廉価で、のちに世界的に普及していく。p127

そして播磨の銀の馬車道にも使われる。

その後、石油燃料の副産物である、タールを使ったアスファルト舗装が普及し始める。当初はアスファルト舗装と呼ばれずにタールマカダムと呼ばれていた。



江戸前期の高砂には大型の廻船がたくさんあり、山形の酒田など遠隔地にも物を運んでいた。

運んでいたのは、主に「あらい」といわれる塩。荒井の塩は良質で赤穂よりも古く、周辺の的形や大塩、北脇、西浜それに高砂の塩も「あらい」という一種のブランドとして江戸に運ばれた。p185



山陽電鉄が神戸から姫路に延伸されたとき、運賃は他の鉄道会社の運賃よりも低価に設定されていた。

それは、大阪からの瀬戸内の回漕、旅船など船舶の往来が昔から活発であり、鉄道を利用するうえで、最大のライバルは瀬戸内海の海上交通だった。p211



羽柴秀吉が播磨を所有していた天正9年(1581)頃、小西行長が室津を所領する。

小西はキリシタン大名だったので、室津はキリシタン一大布教地となる。

フロイスやシーボルトも室津の美しい風景を絶賛している。p216-218



赤穂は海だったところが陸地化していった。

赤穂を流れる千種川の50キロメートル北の上流jには、佐用や千種という中世から製鉄が盛んだった地域がある。

砂鉄を採る過程で、山を削って土砂を川に流す「かんな流し」と呼ばれる方法。

このために、多量の土砂が下流に流れ、広い干拓地が出来て、塩田となった。p249
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

十五の夏(上) 佐藤優 著

2020-10-11 20:10:13 | ヨーロッパあれこれ
十五の夏 上
佐藤 優  著
(株)幻冬舎 発行
2018年3月30日 第1刷発行

1975年、十五歳、高1、当時は離れ島の中学校の英語教師になることを目指していた筆者。個人旅行でプラハ、ワルシャワ、ブダペシュト(ブダペスト)、ブカレスト、キエフなどを旅した紀行文です。
十五歳で個人旅行で海外、特に難しそうな東欧、ソ連、を訪問する勇気、そして現地の人々と自然にコミュニケーションをとる姿に感服します。

第1章 YSトラベル 
旅行前の様々なややこしい手続き
安いエジプト航空を使いカイロ空港経由でチューリッヒに降り立つ。

第2章 社会主義国
スイスから西ドイツを経て、チェコスロバキア、ポーランドを通り、ハンガリーに入る。
同じ社会主義国でも違うお国柄。

ワルシャワのユースホステルで出会った東ドイツの大学生。
東ドイツのことを常にDDRと呼んでいる。

ワルシャワの食堂で出会った四人の男。
自宅まで行き、ウオトカを飲まされる筆者。
ウオトカにもロシアへの対抗心を見せつける男たち。

プラハではホテルや切符の確保に苦労する。それに対してワルシャワでは地元の人々と触れあう。チェコスロバキアには住みたいとは思わないが、ポーランドだったら引っ越してもいいと思った。

第3章 マルギット島
マルギット島はブダペシュト(ブダペスト)のドナウ川の中洲。
ホテルやレストラン、ギャンプ場やプールもある観光地。

第4章 フィフィ
フィフィはブダペストに住むペンフレンド。
その家に泊まり家族とも交わる。
ハンガリーにおける反ルーマニア感情。

第二次世界大戦ではドイツと共に敗戦国のハンガリー。戦後、ドイツよりひどかったハンガリーのインフレ。

ブダペストの本屋で働く日本語の流暢な店員。大学教育ではなく、夜間学校で高いレベルの日本語を身に付けた。

第二次世界大戦まで、ハンガリー人は生活していくためにドイツ語の知識が不可欠だった。
戦後はロシア語が必修科目になった。
ハンガリー動乱で国民の圧倒的多数がソ連を嫌いになったが、知識人はロシア語やソ連事情について一生懸命に勉強するようになった。
ハンガリーが生き残るために、ソ連との関係が死活的に重要だから。

第5章 寝台列車
ブダペストからルーマニアのブカレストに入る。
フィフィの父が言っていたようにルーマニアの税関職員は物を要求してきた。
ブカレストからキエフ行きの列車に、現地の中年男性が助けてくれるが、乗れなくなるハプニング。
駅の事務室の50歳くらいの上品な女性次長が助けてくれる。

ルーマニアのソ連に対する感情はよくない。
それはベッサラビア(モルダビア)問題があるから。
もともとモルダビア人という民族はいない。それはルーマニア人。モルダビアとは、スターリンがベッサラビアの併合のため人為的に作った民族。p373

ソ連に入国して一人になったのは、ホテルの部屋が初めて。
ソ連人は親切だと思ったが、別の見方をするならば、動きは厳重に監視させている。
もっともこういう不愉快でない、ソフトな監視ならば歓迎だ。p410

ルーマニアは別として、チェコスロバキア、ポーランド、ハンガリーはヨーロッパの国だった。まだキエフにしか滞在していないが、ソ連は雰囲気がだいぶ異なる。p416

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンジェルマンアンレーから見た「フランスの島」

2020-10-10 08:19:06 | フランス物語


引き続きサンジェルマンアンレーのテラスからルペックを見下ろします。
このLe Pecq市民の呼び方は、パリ市民ならパリジャンやパリジェンヌと呼ぶのですが、なぜかアルピコワAlpicoisと、市名とはかけ離れた呼び方になっています。
ちなみにサンジェルマンアンレー市民はサンジェルマノワ(ズ)となっていました。
更にこの辺りはイル=ド=フランス地域圏になるのですが、その住民の呼び方はフランシリアンFranciliensとなっていました。
いくらFranceという言葉が入っていても、フランス人と同じくフランセ、フランセーズとは呼べず、独自の呼称を編み出したのでしょうか。



ほろほろ歩いていくと、秋のイル=ド=フランスの風景がどんどん広がっていきます。
「フランスの島」という意味のイル=ド=フランス。
画像ではその姿を隠しているけど、イル=ド=フランスのなめらかな大地を、変幻自在にクネクネ流れるセーヌやマルヌ、オワーズ。
内海であるかのようにフランシリアンを幻惑していきます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

サンジェルマンアンレーそばのブドウ畑

2020-10-04 20:55:35 | フランス物語
サンジェルマンアンレーのテラスから下を見ると、斜面にブドウ畑がありました。
グーグルマップで確認するとle vin des Grottes 洞窟のワインと書かれていました。
この写真を撮ったのは2001年の11月だったと思うのですが、2001年の9月24日に「最初の」収穫が行われたそうです。
なぜ最初にカッコがついているのかというと、この場所では昔からブドウ栽培が行われていたのですが、1935年に栽培が中止になり、2000年に栽培を再開したからです。
現在はオーガニックのピノノワールを栽培しているそうです。

この斜面は行政区画上、厳密にはルペックというコミューン(市町村)に属しています。
テラスのラインがサンジェルマンアンレーとのおおよその市境になります。
このルペックは704年に成立し、セーヌ河の河港や修道院の村として、長い歴史を経てきました。
今に至るまで、サンジェルマンアンレーと合併しなかったのはフランスらしいといえばそれまでですが、興味深いことです。
このブドウ畑の運営はサンジェルマンアンレーとルペックとの多目的事務組合(SIVOM)より行われています。
このブドウ畑で子どもたちが楽しそうに収穫している画像もありました。
自分はブドウの収穫をしたことはありませんが、子どもの頃芋掘りはしたことを思い出しました。それと同じ感覚かもしれません(笑)。

(ルペック市のHPなどを参考にしました)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

NHKテレビドイツ語講座「旅するためのドイツ語」大活躍のモーリー

2020-10-03 07:17:46 | ヨーロッパあれこれ


NHKのテレビドイツ語講座が「旅するためのドイツ語」と題して始まりました。
前からドイツ語とかNHKの語学講座はよく見ています。
特にドイツ語は明るい佐藤めぐみさんや、バーゼルやフライブルクなど自分も訪問した街が出てきたので、よく見ていました。
でも、ドイツ語自体は全く覚えられず、せいぜい「うんだばー」くらいなのですが。
今回の新番組では、画像のモーリーくんが大活躍していました。
アニメだけでなく、パペットとして、3D的にも頑張っていました。
また、アニメで、ベートーベンさんやモーツァルトくんが復活していたのも嬉しかったです。
語学講座の中では、ドイツ語講座が一番センスがいいように感じます(個人の感想です・笑)。
今回も楽しく拝見して、少しは言葉も覚えたいものです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする