方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その6
醍醐随筆による方丈の庵 (1)醍醐随筆 江戸時代初期に、醍醐に庵を結んだの医師中山三...
方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その5
* 追加 (1)鴨長明集鴨長明集の後人の追加に鴨長明集養和元年五月 日鴨長明いまはたゝ...
方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その4
3 方丈記日野関連文献(1) 各記録後世の者が記録した方丈記の日野関連文書は、以下の...
方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その3
* 4 庵跡の推定現在の方丈石の周辺では視界が全くなく、また谷間の場所にあるため、南方面の槇島がまったく前の山で見えず、あり得ない。宅地開発前の昭和26年の地図から推察すると、御...
方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その2
(1) 日野山の奥に 日野は、日野家初代藤原真夏以来、代々日野家の荘園として、弘仁十三...
方丈記 日野の方丈の庵跡の推定について その1
(ウェッブリブログ 2014年10月30日~) 1 はじめに 鴨長明の方丈記では、大原に遁世...
方丈記と平家物語について9 完成版
5 鴨長明と平家物語その周辺(九条家の人々)(1) 鴨長明 方丈記の作者である鴨長明は、下鴨神社の祢宜の子として生まれ、幼くして父に死に別れ...
方丈記と平家物語について8 完成版
4 方丈記異本と平家物語異本(1) 平家物語の異本と方丈記 平家物語の異本間の差違と方丈記との関連を見ると、先ず方丈記と類似点が多く、大火の日時、内裏の...
方丈記と平家物語について7 完成版
(5) 元暦の大地震 元暦の大地震は、元暦二年(1185年)七月九日午刻に発生した。三月に平家が壇ノ浦で滅亡した直後の事で、「平家の怨霊にて、世のうすべきよし申あへり。」(長門...
方丈記と平家物語について6 完成版
* (4) 養和の飢饉 養和(1181年~82年)の飢饉は、天変地異の凶作に加え、源義仲軍、武田軍に包囲され、地方からの食糧の供給が途絶えた事も原因となっていると推察される。 平...