11月3日(土)。10回目を迎える日光街道まるっと学び舎プロジェクト初日は、待ちに待った、考古学者・岡村道雄先生の講演の日でもありました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/34/d8/c564ed08b1dc082747086a8c9bf03392.jpg)
私たちの職場で、ご縁があって埼玉に「縄文ファーム」が生まれたのが、3年前。農地を貸してくださった春日部の地域企業・おづつみ園の尾堤社長から、「この場所には、約4000年前の縄文の暮らしのあとがある」というお話を伺い、畑の名前を”縄文ファーム”にしたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/6e/1d6b1ca18b91969dd6d280c055b3b148.jpg)
神明貝塚という縄文時代のコミュニティの跡があり、数年前には発掘調査も行われたとのこと。貝殻や土器、貝輪などさまざまな”暮らしのあと”が明らかになった土地の上に、お借りする畑ができたというお話を聴くにつれ、私たちの中で「縄文時代」に対する興味が一気に高まっていたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/09/168145fa8948af2c39e0db1851cfa30c.jpg)
一方、働き方改革や書籍『ティール組織』のブームの流れの中で、「縄文からみる組織のあり方」について綴られた記事に出合いました。
そこでインタビューを受けていた方こそ、岡村道雄先生でした。
社長や上司といった階級がないのになぜ縄文のムラは組織として持続していたのか?というテーマを、考古学の切り口で語る岡村先生の姿を拝見し、「これからの新しい時代の働くかたちを、最も旧い縄文時代から学ぼう」ということで、今回の講演のお声がけをさせていただいたのでした。
![](https://www.city.kasukabe.lg.jp/bunka_sports/bunka/bunkazai/shinmei.images/shinmeinokurashi.jpg)
当日の講演は、岡村先生の少年時代、縄文への興味が高まった頃のお話から始まりました。
多様性に満ちて自然豊かな地域の風土にどう適応しようかを考え実践した結果、縄文の高度な文化がつくられた、ということ。
その自然の循環の一部の存在であることを謙虚に受け入れ身を委ねたからこそ、持続的であった、ということ。
更には、広場を中心としたムラの暮らしかた、「神である自然の一部として山に還っていく」という縄文の死生観、など、考古学の専門的な視点に添えられた、ヒトやコミュニティに対する本質的な捉え方に、非常に多くの学びをいただきました。
縄文を組織づくりの視点で捉えた時に、「リーダー不在の組織が成り立っていた」という点があります。
しかし、実際にリーダーがいなかったわけではなく、リーダー的な役割は存在していた、というのが、岡村先生がおっしゃるところです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/59/3c/1f6f3adf0e1006e1e1a2882e03db5ea3.jpg)
岡村先生曰く、「小学校のクラスのように、学級委員(リーダー)はいるけれども、お互いを認め合う中で得意分野を活かして係になり、お互いの期待にこたえながらワークシェアで協働していく組織が、縄文のコミュニティであった」とのことですが、この学級委員の存在がリーダーであり、そして、係においてもリーダーシップを発揮する人がいて、コミュニティが成り立っていたわけです。
何らかの分野においてうまい人・得意な人がリーダーとなり、その中でもコミュニティの象徴的な存在でまつり(まつりごと)を行なっていたのがシャーマンだと言います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/79/0b/e403d5e7a5181259e6e64457f843af18.jpg)
日常の中に祈りがあった縄文の暮らしにおいては、ハレの場としてまつりが定期的に行なわれていました。
まつりとは、現代に置き換えれば、経営方針発表会や社内運動会のような皆が一堂に会する場のこと。自社の理念やビジョンを共有する場でもあります。
朝礼や月次会議、IRODORI会議などは、いわばケの場として、日常的に行なう機会であると言えます。
そのハレの場をとりしきっていたのがシャーマンであり、コミュニティの皆が”私たちの大切なもの”を確認する機会として、土偶などの道具を用いたまつりが行なわれていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fc/4742c151ab8862c147987e4960715d2d.jpg)
そして、コミュニティを持続的に運営するために大切にされていたのが、『つながりを大切に共にはたらく機会をもつ』ことでした。
多様性の中でお互いを認め合い、協働しながら価値(狩猟・土器づくりなど)を生み出していくこと。
自然の一部としての自分たちの存在を受け入れていたからこそ、その自然に適応すべく、知性を働かせ、感情豊かに意志をもって物事と向き合っていました。その真善美を兼ね備えたコミュニティのあり方が、持続的で質の高い文化が成り立っていたのです。
まさに、いま問われている自律分散型のES経営のあり方と重なるところが大きく、日頃の私たち自身の職場や関わる企業の組織を頭に思い浮かべながらお話を伺いました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/02/97/8880caa86330e2d86ef15952772ded85.jpg)
縄文の思想は、いまも私たちの暮らしに根付いていると言います。
例えば、葬儀を行う際の、野辺送りの風習。長野の御柱祭やどんと祭のような各地のおまつり。
ウチの中にありながらもソトと触れる場である、日本独特の縁側というつくりも、集団の営み方として縄文の思想を受け継いでいると言えるかもしれません。
「発展が良し、ではなく、継続こそ力」とおっしゃる岡村先生の言葉のように、コミュニティを安定的に創り上げることが持続可能性を高め、コミュニティの生産性も高める、という縄文の思想は、今、働き方改革で変化に直面している多くの企業の組織づくりにおいても活かせることがあるのではないかと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b9/63a277c8eb4a209e8192e335fb68d64b.jpg)
さまざまな偉人の足跡が残る日光街道を歩くという当イベント。
そのスタート地点である開会式で、岡村先生から縄文のお話をいただいたことで、参加した皆が「ご縁を大切に共にはたらく」という共通言語をもち、一つの道を共に歩くという共通体験のもとで、ESのアンテナを掲げながら無事にゴールに到着することができました。
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私たちの職場で、ご縁があって埼玉に「縄文ファーム」が生まれたのが、3年前。農地を貸してくださった春日部の地域企業・おづつみ園の尾堤社長から、「この場所には、約4000年前の縄文の暮らしのあとがある」というお話を伺い、畑の名前を”縄文ファーム”にしたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/6e/1d6b1ca18b91969dd6d280c055b3b148.jpg)
神明貝塚という縄文時代のコミュニティの跡があり、数年前には発掘調査も行われたとのこと。貝殻や土器、貝輪などさまざまな”暮らしのあと”が明らかになった土地の上に、お借りする畑ができたというお話を聴くにつれ、私たちの中で「縄文時代」に対する興味が一気に高まっていたのでした。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/09/168145fa8948af2c39e0db1851cfa30c.jpg)
一方、働き方改革や書籍『ティール組織』のブームの流れの中で、「縄文からみる組織のあり方」について綴られた記事に出合いました。
そこでインタビューを受けていた方こそ、岡村道雄先生でした。
社長や上司といった階級がないのになぜ縄文のムラは組織として持続していたのか?というテーマを、考古学の切り口で語る岡村先生の姿を拝見し、「これからの新しい時代の働くかたちを、最も旧い縄文時代から学ぼう」ということで、今回の講演のお声がけをさせていただいたのでした。
![](https://www.city.kasukabe.lg.jp/bunka_sports/bunka/bunkazai/shinmei.images/shinmeinokurashi.jpg)
当日の講演は、岡村先生の少年時代、縄文への興味が高まった頃のお話から始まりました。
多様性に満ちて自然豊かな地域の風土にどう適応しようかを考え実践した結果、縄文の高度な文化がつくられた、ということ。
その自然の循環の一部の存在であることを謙虚に受け入れ身を委ねたからこそ、持続的であった、ということ。
更には、広場を中心としたムラの暮らしかた、「神である自然の一部として山に還っていく」という縄文の死生観、など、考古学の専門的な視点に添えられた、ヒトやコミュニティに対する本質的な捉え方に、非常に多くの学びをいただきました。
縄文を組織づくりの視点で捉えた時に、「リーダー不在の組織が成り立っていた」という点があります。
しかし、実際にリーダーがいなかったわけではなく、リーダー的な役割は存在していた、というのが、岡村先生がおっしゃるところです。
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岡村先生曰く、「小学校のクラスのように、学級委員(リーダー)はいるけれども、お互いを認め合う中で得意分野を活かして係になり、お互いの期待にこたえながらワークシェアで協働していく組織が、縄文のコミュニティであった」とのことですが、この学級委員の存在がリーダーであり、そして、係においてもリーダーシップを発揮する人がいて、コミュニティが成り立っていたわけです。
何らかの分野においてうまい人・得意な人がリーダーとなり、その中でもコミュニティの象徴的な存在でまつり(まつりごと)を行なっていたのがシャーマンだと言います。
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日常の中に祈りがあった縄文の暮らしにおいては、ハレの場としてまつりが定期的に行なわれていました。
まつりとは、現代に置き換えれば、経営方針発表会や社内運動会のような皆が一堂に会する場のこと。自社の理念やビジョンを共有する場でもあります。
朝礼や月次会議、IRODORI会議などは、いわばケの場として、日常的に行なう機会であると言えます。
そのハレの場をとりしきっていたのがシャーマンであり、コミュニティの皆が”私たちの大切なもの”を確認する機会として、土偶などの道具を用いたまつりが行なわれていたのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/74/fc/4742c151ab8862c147987e4960715d2d.jpg)
そして、コミュニティを持続的に運営するために大切にされていたのが、『つながりを大切に共にはたらく機会をもつ』ことでした。
多様性の中でお互いを認め合い、協働しながら価値(狩猟・土器づくりなど)を生み出していくこと。
自然の一部としての自分たちの存在を受け入れていたからこそ、その自然に適応すべく、知性を働かせ、感情豊かに意志をもって物事と向き合っていました。その真善美を兼ね備えたコミュニティのあり方が、持続的で質の高い文化が成り立っていたのです。
まさに、いま問われている自律分散型のES経営のあり方と重なるところが大きく、日頃の私たち自身の職場や関わる企業の組織を頭に思い浮かべながらお話を伺いました。
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縄文の思想は、いまも私たちの暮らしに根付いていると言います。
例えば、葬儀を行う際の、野辺送りの風習。長野の御柱祭やどんと祭のような各地のおまつり。
ウチの中にありながらもソトと触れる場である、日本独特の縁側というつくりも、集団の営み方として縄文の思想を受け継いでいると言えるかもしれません。
「発展が良し、ではなく、継続こそ力」とおっしゃる岡村先生の言葉のように、コミュニティを安定的に創り上げることが持続可能性を高め、コミュニティの生産性も高める、という縄文の思想は、今、働き方改革で変化に直面している多くの企業の組織づくりにおいても活かせることがあるのではないかと思います。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6e/b9/63a277c8eb4a209e8192e335fb68d64b.jpg)
さまざまな偉人の足跡が残る日光街道を歩くという当イベント。
そのスタート地点である開会式で、岡村先生から縄文のお話をいただいたことで、参加した皆が「ご縁を大切に共にはたらく」という共通言語をもち、一つの道を共に歩くという共通体験のもとで、ESのアンテナを掲げながら無事にゴールに到着することができました。
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