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DXの地から届いた切手 Isle of Man(21)

2019年05月06日 00時00分59秒 | DX stamp

GD - Isle of Mas、マン島の切手である。

歴史的な経緯から今は英国王室の属領の島であるが、自治権を持っている島だ。

EU加盟国ではないが特別領域として定義されていることや、租税回避地として国際的に有名であり

切手も独自のものを発行している。

多くの人がこの島のことで一番知っているのは、おそらくマン島TTレースのことだろう。

宗一郎氏の時代のホンダが、1961年に初優勝したことが有名。ちなみに1963年にはスズキが50ccで優勝している。



このレース、世界最古の議会と言われるマン島議会ティンワルドが決めた道路閉鎖令に

基づいて国内の道路を行政が閉鎖して実施されるという。

当時とはバイクそのものの性能も時代も変わり、2019年のマン島TTのトレーラー

Isle of Man TT 2019 - Epic Pump Up Trailer


四輪だとSUBARUのタイムアタック映像は迫力あります。

スバルWRX STIがマン島を全開走行!狂気の走りが凄すぎる!



アマチュア無線では、恐ろしく珍と言う程ではないものの、年に数回くらいしか信号を聞くこともないので

聴こえるときにはやっておきたいエンティティだ。

このゴールデンウィークにJH0CJHさんと、MD0HWX Hiroさん、MD0IUX Shinさんの3名でマン島からQRVされたので

追っかけてみた。


期間中、あまり良いコンディションではない日が多かったが、30日の日本の夕方に

20mCWがShort Pathで聴こえていたので、MD0HWX Hiroさん(JF1OSL)と無事QSO出来た。



JH0CJHさんのBlogに詳細が掲載されており、大変興味深く読ませて貰いましたが

紋章の「Quocunque Jeceris Stabit」の意味については全く知りませんでした。

Unitedの一言で片づけていますが、それぞれに歴史があり、文化があり、人がいる。

これはやはり行ってみないと分からないことでしょう。

たいへん良い刺激になりました。
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DXの地から届いた切手 Gibraltar(20)

2019年03月05日 00時01分11秒 | DX stamp

ZB2 - Gibraltarの切手

 EA9(No.12)の回で触れたが、ここは1713年ユトレヒト条約以降今日までイギリスの海外領土だ。

かつての海軍力がモノをいう時代には地中海の門番として極めて重要な戦略拠点だったが

英国海軍の役割も少なくなり、代わる米国第六艦隊もここではなくイタリアを港としており

歴史的に各国が奪い合ってきたこの地は、ジブラルタルロックを中心とした街並みのみが残る。

Gibraltar Vacation Travel Guide | Expedia



 この街は見ての通り極めて小さな街だが、空港がある。当然短い滑走路しか無理だが

海に突き出た形で1,626mを確保している。しかし、街のド真ん中に滑走路があるものだから

飛行機が使う時だけ閉鎖し、普段は車や人が滑走路を横断している。

Amazing: Road crosses Runway at Gibraltar Airport | 4K



 無線では日本から見て欧州の深いほうに入るので、交信が容易という訳ではないが

ロングパスでは非常に強力に聴こえることもある。

英国から来て運用する局が目立つが、DJ9WHのBertin、奥様DJ7KJのMiekoによるZB2CNで

LoTW含めてZB2をConfirmした方も多いだろう。


 Great Britainが苦しんでいる。

かつて世界を制覇したGreatが時代の変化とともに苦しんでいる。

EUに残るか出るかが目先の問題だが、たくさんある海外領土をこの先も一定の負担をしながら

継続するのか否かも現実問題として検討の俎上に上がるのだろう。
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DXの地から届いた切手 Rodrigues Island(19)

2019年03月03日 10時28分47秒 | DX stamp

3B9 - Rodrigues Island

切手は3B8 - Mauritiusだが、消印に島名RODRIGUESと街名のMont Lubinがある

誰もがご存知の3B9FR Robertさんからの島からの返信で、最近はM0OXO経由になったのでRodriguesの消印は貰い難いかも。


 モーリシャスは今はUK加盟国だが、大発見時代にはCT、PA、Fによる統治の時代があったことと

Gはこの島周辺に対してはほとんど具体的な介入をしてこなかったため、隣のFR - Reunion同様にフランス文化が強いようだ。

DXエンティティではモーリシャスは3分割されており

3B6 and 3B7 - Agalega , Saint Brandom
3B8 - Mauritius
3B9 - Rodorigues

VQ9 - Chagosもそもそもイギリスはモーリシャスの管轄として管理していたが、米軍が基地化した頃からの

領土問題としてイギリス、モーリシャス間で争いが継続している。


 島は長いほうの東西でも18km程度なので小さな島だ。島の北側にホテルは集中して建っているようだ。

切手の消印が押されたMont Lubinは島の中央にある山(300m程度)の中にある街だ。




 アマチュア無線では、日本から近いアフリカとしては楽なほうで、160mから6mまで結構強力に伝搬する。

Zone39が初めてのアフリカだった、と言うお方も多いのではないか。

 イタリア局がモーリシャスへペディされた時のビデオがあり、その中でロドリゲスへも足を伸ばしたので

島の雰囲気を感じることができる。

Mauritius and Rodrigues Islands micro-dxpedition

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DXの地から届いた切手 QATAR(18)

2019年02月28日 00時00分11秒 | DX stamp

A7 - QATARの切手

この国の名前「カタール」はアラビア語の「噴出=qatura」が語源、正に噴出する資源で成り立つ国である。


 そもそも歴史的にアラブ人のイスラム地域のど真ん中であるが、他のイスラム地域同様にオスマン帝国時代を経て

第一次世界大戦のオスマン帝国敗北によりヨーロッパからの、特に英国の資本進出が始まり、これによりアラビア半島の

石油掘削が本格的に始まった。

 そのインパクトが巨大すぎるので、ペルシャ湾西岸のこの地域も石油に代表される地下資源の話に尽きる。

わが国でもカタールからは原油、天然ガスを多く輸入しており特に天然ガスの輸入量は多いが

近年は若干カタールからの天然ガス輸入量は減少している様だ。とは言えエネルギー資源の取引で

カタールと日本の関係は強いものだ。





 英国は1968年にスエズ以東から撤兵したものの、この地をサウジアラビアに独占させないよう周辺部族に積極的に介入してきた。

サウジの北はヨルダン、イラク、クエート、東はアブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラアス・ル・ハイマ、フジャイラ、

バーレーン、カタール、アジュマン、ウンムルカイワイン、南はオマーン、イエメン。これらの部族をサウジが呑み込まないように

独立を陰で後押しするが、既に原油益で潤い自力で国家独立する経済力のある2首長は独立した国を興した。

一つがA9(バーレーン)、もう一つがA7(カタール)。残った7首長はA6(アラブ首長国連邦)を結成した。

サウジの独占支配は阻止したものの、細かな各国はサウジともう一つの大国である対岸のイランとの関係も

模索しはじめ、更にはサウジに介入してきた米国との関係、さらにさらにかつての帝国トルコとの関係、等々

この地の勢力関係と敵味方の関係は目まぐるしく変わるとともに、出口が見えにくい。その複雑さのためか

私たち日本人は中東について余りにも知らないことが多い。


 今は2022年のFIFA ワールドカップ開催に向けて盛り上がっている様だ。

Doha Katar. One day in Doha Qatar. Doha city tour. 4k ultra hd. (1/3)


 アマチュア無線局もオイルマネーの恩恵か設備は景気いい。

LUSO36XX and XTR36MG A71VV



 歴史的にはこの辺りのアラブの民は漁業が真珠獲りで生活してきた人々。ところが御木本幸吉が真珠養殖を発明したお陰で

商売は壊滅的になった。生活に困った人々はペルシャ湾の外まで船を出して海賊業をせざるを得ず、ソマリア、イエメンと併せて

この海域は今でも海賊が多く出るエリアだ。

 そんな国に石油が出て、莫大なオイルマネーの恩恵を受ける。

石油様様で金持ちになったバブルな人達だ。カタールには所得税が無いし、電気・医療・電話など全て無料。

一人当たりの富は先進国よりはるかに上を行く。有名な放送局アルジャジーラは首長がポケットから300億円以上を

ぽんっと出して作ったものだ、スケールが違う。


 そんなカタールだが、ちょうど先日OPECから脱退し、同時に天然ガス輸出量の増加を発表した。

軸足を原油から天然ガスへ移して、国際エネルギー市場でのカタールのプレゼンスをさらに高めようとしている。

イランに代表されるシーア派との協調関係も明らかになっており、サウジ及びバーレーン、UAEから断交されたばかり。

かつては混乱時に米国の去就が大きな影響力を発揮したが、今の米国ではそんな力は無い。

一触即発の状況である中でサウジが意向に沿わない論説を書くジャーナリストを殺害する事件が起こり

米国がイラン核合意から離脱したことで大国イランとの関係が急激に悪化し、もう一つのこの地域の大国トルコは

エルドアンが張り切ってどこにでも顔を出しオスマン帝国復活をもくろんでいる気配。


 この地域の情勢は猫の目の様に変わるが、A7の信号が途絶えることが無いことを願いたい。


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DXの地から届いた切手 Romania(17)

2019年02月26日 00時01分22秒 | DX stamp

YO - Romaniaの切手

黒海の西岸に東欧の中では広い領土を持つルーマニア

日本ではドラキュラ伯爵と体操女子のコマネチくらいしかイメージが無い国かもしれない。


 この国は国名で明らかなように「ローマ人の国」。ヨーロッパの民族マップで見ると赤色はラテン系民族。

青色はスラブ、黄色はゲルマン、灰色はその他だが、ルーマニアはイタリア、フランス、スペイン、ポルトガル等と同様に

ローマ人が進出したラテン語を話す民族、いわゆるラテン系に属する。


 この地にローマ人が進出した最大の契機は、コンスタンチノーブルへのローマ帝国の遷都が行われた時で、周辺一帯ローマ化される。

その後、西隣へはアジアからマジャール人が移ってきてハンガリーを生み、南隣へはブルガール人が移ってきてブルガリアを生み

肝心のコンスタンチノーブルはアジアのオスマントルコが制圧し、第一次世界大戦でそのひずみは爆発し、その後も社会主義国化したり

民主化したりを繰り返して現在に至っているわけだが、1000年以上一貫してドナウ川河口の肥沃な土地を守り通しているのが

ルーマニアである。

Why not get to know Romania?


しかし、この独裁者がこの国を壊滅的に貶めた。わずか30年前の話だが、まるで現代のあの国の様だ。

チャウシェスク政権の崩壊 市民が撮った革命の7日間


詳細は割愛するが、この国難ともいえる混乱と貧困の中で多くの人が人生を翻弄され、国を捨てている。

コマネチもルーマニア革命が起こる前にアメリカへ亡命した。


 それから30年が経ち、今のルーマニアで一番有名なのはアレキサンドラスタンか。

彼女は1989年ルーマニア革命の年に生まれた。

Alexandra Stan - Get Back (Official Video)


ちょっと退廃的で切ないような悲しげな雰囲気と妙に冷めた眼つき。

かつてのローマ帝国の自滅崩壊していく時代を彷彿させる雰囲気だが、それは意図的にしているのか?

もしくは無意識に出てしまうのか。

後者なら余りに切ない。
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DXの地から届いた切手 Guyana (16)

2019年02月22日 00時01分01秒 | DX stamp

8R - Guyanaの切手

ガイアナ共和国

No.11で取り上げたSurinameの隣、南米の北岸に並ぶ国

Surinameで細かく書いたが、ここは英国が分捕ったギニアだ。

同じ様なことを書くことになるので、話題を変える。


 となるとガイアナと言えば、世界最高額で落札された記録を持つ古切手だ。

19世紀にまだイギリス領ギニアだった当時、例によってロイヤルメールを倣ってここでも切手が発行されだした。

実際に4centと1centの切手が発行されたそうだが、当時のこの地で使うものはおらず

記録によれば8名が使い、4cent切手を8枚、うち1枚に速達用に1cent切手が使われ、他の利用は無かった様で

他は全て焼却による廃棄処分されたとのこと。

 これがその世界に1枚だけある使用済みの1cent切手



 ところがだ、

その1枚しか現存されていない1cent切手。その後転々と競売されていく。

一時は米製薬大手デュポン社創業者が落札し、銀行金庫に仕舞われたまま他界。


 それが2014年に遺産としてニューヨークのサザビーズオークションに登場した。

British Guiana 1¢ Magenta stamp sold for $9.5 million


 なんと1cent切手1枚が950万ドル。ざっと10億円程度。

誰も見向きもしなかったことが功を奏して、極レア切手になって陽の目を見た。

切手おそるべしだ。

 手元に表題の写真の鳥の絵柄の切手と、もう一つ下記の物があった。

100年くらい経ったら、ビンテージ値が付くか?、いや、もう付くことは無いだろう。
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DXの地から届いた切手 Cape Verde(15)

2019年02月19日 00時01分00秒 | DX stamp

D4 - Cape Verdeの切手

カーボベルデはアフリカのセネガルの沖合の島嶼からなる共和国

アフリカの西の果てはダカールがあるベルデ岬だが、その更に西の沖に位置しており

国名はそのものズバリCape Verde(ENG.)=Cabo Verde(ESP.)=ベルデ岬


 アジアとヨーロッパ間もそうだが、物流と人の移動は最初陸地を使い、大規模化するにつれて

海運に移っていく。アフリカではサハラ砂漠が今の規模になる前には、アルジェリア、マリ、モロッコ、リビアなどは

内陸部との中継点であった。実際マリのトンブクツーは歴史上大繁栄した商業都市だったという。

8世紀から15世紀の北アフリカはイスラム圏であったので、商業的な恩恵は全てイスラム商人が得た。


 で、こりゃやっとれんゾ、と積極的にカウンターを打ち込んだのがポルトガル。

エンリケ航海王の代、いわゆる大航海時代。

ちなみに「大航海時代」と呼ぶのは世界で日本だけらしい。

グローバルスタンダードは"The age of Great Discoveries"で「大発見時代」のニュアンスに近い。

それはさておき、

ポルトガルで有名な「発見のモニュメント」


ポルトガルはじめヨーロッパの国々はヨーロッパ外とのロジスティックマージンをイスラムに奪われないようにする手段として

陸路ではなく海路でイスラム陣営を介さずインド、中国との交易(当時はアジア市場の方が圧倒的に巨大だった)の方法を模索した。

現代で言う、産地と消費者を直結する流通経路の新規開拓ってやつです。


 何故カーボベルデでなくポルトガルの話からしているかと言えば

ポルトガルのカウンター作戦の途中の1ページがカーボベルデだからだ。

時系列に並べると下記となる。

1419年 CT3(Madeira)まで海路開拓
1427年 CU(Azores)まで海路開拓
1444年 D44(Cape Verde)まで海路開拓
1445年 6W(Senegal)のダカールまで海路開拓し、対アフリカの迂回ルート開拓
1470年 S9(Sao Tome)まで海路開拓
1488年 ZS(SouthAfrica)の喜望峰までバーソロミューディアスが到達
1498年 VU(India)のカリカットまでヴァスコダガマが到達し、対インドの迂回ルート開拓

この流れで、ヨーロッパの連中は1500年代には極東まで開拓路を伸ばしてきて我が国にもやってくる。


 更に脱線すると、ポルトガルがダカールまで到達した頃、クリストファーコロンブス(イタリア人)が生まれ

1485年にポルトガル国王に逆回り(東へ向かってインドに行くのではなく西に向かってインドへ)作戦を

提案したが、ディアスがアフリカ最南端突破目前であったため、コロンブス案は却下。諦めきれないコロンブス

その案を持ってスペイン国王に売り込み。数年がかりの提案プレゼンの結果、1492年にスペインの援助を受けて出航。

インドへ行くはずが、その前にアメリカを見つけてしまったのはご承知の通り。


 そんな熱く激しい時代にヨーロッパ人たちが橋頭堡にしたカーボベルデ

Cabo Verde (Africa) Vacation Travel Video Guide


帆船で世界の海に飛び込んでいったヨーロッパ人達の最前線営業所であったカーボベルデ

今も場所柄中継地であるのと、リゾート地としても活きている様だ。
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DXの地から届いた切手 Czech Republic(14)

2019年02月16日 05時06分27秒 | DX stamp

OK - Czeck Republicの切手

 最初にNo.2で書こうか迷った国。

一人当たりビール消費量世界トップのチェコ、世界一のビール大国だ。

このブログでも登場したピルスナーウルケル、スタロプラメンを筆頭にピルスナーの国。


 この大量なビールを毎日消費しているのがチェコ人

少し前まではチェコスロバキアとしてソ連共産主義時代もあったが、今はチェコとスロバキアに分離した。

人種としてはこの二国にポーランドを加えた西スラブ人種であり、ベラルーシなどと同じく人種の交差点の歴史だ。

しかし、この国の人々は静かに賢い。共産圏から離脱するときも、スロバキアと分離するときも

戦争にはならず静かに成し遂げ、世界はそのことをビロード革命、ビロード離婚と称賛している。


 この地でビールが発展したのは、隣国ドイツのミュンヘン地方で活発に製造されたラガーの技術が導入されたのが大きい。

ラガーは、そもそも軟水を使って冬の間寒いところで醗酵、熟成して作る手法だ。(ラガー=ドイツ語のlagern。意味は貯蔵)

その技術を1842年にチェコへ導入したのが独バイエルン出身の醸造家ヨーゼフ・グロル。チェコのボヘミア地方の醸造家達が

優待した様だ。今も昔も、おらが村にも優れた特産品を、ってとこだ。ヨーゼフ29歳の時だ。


で、ヨーゼフ、チェコでラガーを作ってみて驚いた(かどうかは知らないが)

ボヘミアの超軟水、ザーツ産ホップ、地元のモルト

この3つから出来上がったのは、ミュンヘンでは出来なかった明るく澄んでフレッシュに香り立つ黄金色のラガー。

当時の技術ではミュンヘンの水ではあの黄金色は出せなかった。またザーツ産ホップは当時は国家最高機密の輸出禁止品。

これをチェコのピルゼン地方から命名してピルスナーと呼ぶようになる。

今ではドイツのラガーをジャーマンピルスナーとも呼ぶことがある。

WHAT TO DO IN PILSEN, CZECH REPUBLIC


ちなみに、ピルスナーとして世界的に有名になるまでには更に時間が掛ったわけだが

チェコはその間にピルスナーウルケルだけでなく、ブジェヨヴィキ・ブドヴァルという銘柄も作った。
(他にもイエーバーなどいくらでもあるが)


そのブドヴァルと言うのを真似てヤンキーが作ったのがバドワイザー(ブドヴァイスの英語読み)である。

このブドヴァルが今もチェコにあるので、バドワイザーは欧州でバドワイザーと名乗ることを禁止されている。

ピルスナーでボヘミアに敵うものはこの世に無いのである。
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DXの地から届いた切手 San Marino(13)

2019年02月14日 00時00分34秒 | DX stamp
T7 - San Marinoの切手

 イタリアの国土の中にポツンとあり、世界最古の共和国と言われる。

小さな国だ、国土の端から端まで10km無い程度だ。

国家と言うより都市と言った規模だ。


 イタリア半島には2019年現在、イタリア共和国(I)、サンマリノ共和国(T7)、それにバチカン市国(HV)の3つの国が存在するが

かつてはサルデーニャ王国、パルマ公国、ミラノ公国、モデナ公国、ナポリ王国、トリナクリア王国、ルッカ公国、トスカーナ大公国、などがあった。

これはイタリアに限った話ではなく、ヨーロッパ全域に沢山ある形態で、大国に成長せず、大国に呑み込まれることもなく

小さな規模で独自に生き延びた単位集団。

21世紀の今でも、ルクセンブルク公国、アンドラ公国、モナコ公国などが脈々と残っている。


言い伝えに拠ればサンマリノの街の起源は301年とのこと。極東では三国時代を終えた頃、まだ日本国が誕生する前の邪馬台国、大和国の頃だ。

何故このような小さな町が国家として周辺に吸収されずに存続出来てきたのかはとても興味深い。

歴史家が言うには、イタリア統一運動の活動家ガリバルディをサンマリノの街が匿ったことから

その後ガリバルディが統一新政権を発足させた際に、その恩義からサンマリノの独立を推した、とのことらしい。


#026 "Most Serene Republic of San Marino" in 4K (サンマリノ共和国) 世界一周8カ国目


この山頂の城郭にあるカフェで下界の景色を眺めながらイタリアワインでも呑むと最高に気持ちいいでしょうね。




このエンティティではT77C Tonyさんとの交信のお世話になっている方が多いと思いますが

Tonyさんの場所は、San Marinoの街から北側のボルゴ・マッジョーレ(BORGO MAGGIORE)。

この切手はTonyさんからの返信に貼ってあったものなので、消印はBORGO MAGGIOREで押されているのが判る。

山頂の城郭にアンテナ立てれたらさぞかし良く聞こえ良く飛ぶでしょうね。
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DXの地から届いた切手 Ceuta Melilla(12)

2019年02月11日 00時00分05秒 | DX stamp

EA9 - Ceuta,Melilla

切手はスペイン本土と共通だが、CEUTAの消印がはっきり見える。


 Callsignから判別できる通り、ここはイベリア半島の対岸にあるスペイン領

ジブラルタの対岸にあるのがセウタ、その東約200kmにあるのがメリリャ


 かつてフェニキア人が大活躍した時代に街が起こり、イスラムの時代、それに対する700年間にわたるReconquista(レコンキスタ)を経て

欧州側にスペイン、ポルトガルが誕生、その後のフランス、イギリスなどとの欧州各国間の攻防、等々、歴史の荒波に

翻弄されつつ、今はスペイン領。

しかしモロッコからは再三返還の要求をされており、今まだ領土問題として存在している。


 この地域の最大の特徴は「アフリカ大陸で唯一の陸続きのヨーロッパ」であること。

映画カサブランカをご覧になった方は想像つくだろう、ヨーロッパが進出したアフリカ都市の賑わいを。

政治的不安定さはあっても、所詮人の歴史と言うものは「物流」と「人の流れ」、つまり交易環境次第だ。

従って、中南米と合衆国の間で起こっていることは、ここアフリカとヨーロッパ間でも起こっている。

移民だ。

Europe’s most fortified border is in Africa



 日本でも若者は故郷を捨てて東京へ出る者が多い。

理由は単純だ。故郷には仕事が少なく、若者の本能で「あっちへ行かなきゃ自分の人生真っ暗だ」と感じ取っているからだ。

同じように、モロッコ、アルジェリアから憧れのヨーロッパへフェンスをよじ登って向かう者は後を絶たない。

今に始まったことではない。数千年前から人類が繰り返してきていることだ。

陸続きの国境を持つことの意味を、我々日本人はなかなか理解しづらい。
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DXの地から届いた切手 Suriname(11)

2019年02月08日 00時00分28秒 | DX stamp

PZ - Surinameの切手

 ここは以前はオランダ領ギニアと呼ばれていた。Callsignもオランダ系に多いPから始まるPZだ。

今も隣がフランス領ギニアで、ギニア高原に象徴されるこの地に最初はスペインが侵略し

スペイン滑落後はオランダ、イギリス、フランスが奪い合った地だ。

オランダ領となったのは、英蘭戦争(第二次)の和約、ブレダ条約でオランダ保有のニューアムステルダムと

イギリス所有の南米ギニアを交換した時からだ。

 この時のオランダが保有していたニューアムステルダムはイギリスに譲渡されてからニューヨークに都市名が改称された。

今のニューヨークである(この後も英蘭戦争は続き一進一退だったが最終的にはニューヨークはイギリスとなった)。

ご承知の通り、その後欧州大陸から来た夢を追った開拓者達が英国からの独立、その当時からのフランスの応援

北部工業と南部農業の激突、劇的な経済発展となり、現在のニューヨークとなる。

オランダがニューアムステルダムのまま保有していたら同じ結果になっていたのだろうか。


 で、代わりに貰ったギニアは後に独立してスリナムと名乗ったが、オランダとの関係は今も強い。

現在のオランダ本国にはスリナムの人が35万人ほど住んでいるそうで、サッカーでオランダが世界トップクラスになれた要因の一つに

国内に南米スリナム人が沢山いることがある様だ。実際スリナム人でオランダ代表入りしている選手は多い。

またスリナムに限らず南米は皆同じだが、植民地時代に大量に連れてきたアフリカ系、インド系が国内に大量におり

元々の人種と欧州から来た子孫などとの間で様々な問題を引き起こしている。

ただし植民地時代からスリナムではオランダ語を使っていたこと、オランダ自体が他からも移民を多く受け入れる国であったこと

などから比較的オランダ本国のスリナム人はほかの国の例よりも上手くいっているようだ。


 この地には英国の8R-ガイアナ(ギニアの英語読み)、蘭国のPZ-スリナム、仏国のFY-フランス領ギニアと3分割されているが

いつの日か統一されることはあるのだろうか。

カリブ海の各国も大同小異で似たような状態だが、そのあたりの動きにも米ロ中の熾烈な争いが作用するのだろう。
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DXの地から届いた切手 Jersey(10)

2019年02月05日 00時00分20秒 | DX stamp

GJ - Jerseyの切手


体操服でお馴染みのジャージは、この島で作られた生地であるがゆえにジャージと呼ばれる。

カッコいいジャージで思う浮かぶのはこのビデオで、自分は結構好きだ。決してテツ&トモではない。

hide with Spread Beaver - ROCKET DIVE



 Jerseyはノルマンディーのすぐ横なので場所的にはほとんどフランスだ。ここGJやGU - ガーンジーなどのチャネル諸島が

仏領でないのは13世紀ごろに大陸側の領土をどんどん失ったイングランド王John(欠地王)の時代にフランス王PhilippeII(尊厳王)が

ノルマンディー地区奪還に留まってドーバー海峡を越えて侵略までは出来なかった、この時からチャネル諸島は

イングランド王家の属領が続いている。


 ブレグジットで激震が走る英国だが、こことガーンジーはU.K連合には入っておらず、EUにも加盟していない。

政治はU.Kだが行政は独自、と非常に変わった形式で運営されており、切手も独自に発行している。

日本のように極めてシンプルな歴史でしかない国から見ると、英国のUnited kingdomや米国のUnited statesは歴史の闘争の中で

生み出されたやり方で、西洋の合理性というのはその辺に源流があるのではないかという気がする。


 日本にいると殆ど情報が露出されないが、ジャージーこんな場所らしい。

あんまり飲み食いが素敵な場所では無さそうだ。確かに大陸で美味いものを食って恵まれていれば

わざわざ手間と犠牲と多額の費用をかけて侵略したい気はしなかったのかもしれない。

Jersey Vacation Travel Guide | Expedia (4K)
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DXの地から届いた切手 Belarus(9)

2019年02月01日 00時00分58秒 | DX stamp

EU - Belarusの切手

 黒海からバルト海の間の大平原のほぼ真ん中に位置している海無し国である。

その地理的環境により、太古からノルマン、スラブ、ロシア、ユダヤ、アジア騎馬民達が

ぶつかり融合してきた人種の交差点となり、血が混ざることが原因なのだろう、この国はやたらめったら美人が多いことで有名だ。

無線では、旧ソ連時代のベロルシア・ソビエト社会主義共和国だった時も含めてアクティビティ高いので容易に交信でき

東欧、バルト三国、ウクライナと同様に容易に交信できるヨーロッパだ。


 ソ連崩壊の時からベラルーシ初代大統領になったルカシェンコが今も大統領で「ヨーロッパ最後の独裁者」の

異名通り、前回のSwaziland国王と似たり寄ったりじゃないかと見えるお方の様だが、ネガティブな話ばかり

取り上げても楽しくないので割愛する。


画家シャガールとテニス選手シャラポア

シャガールはソ連時代のベラルーシに生まれたユダヤ人、シャラポアも生まれはロシアだが両親はベラルーシだ。

シャガールはナチスに追われてアメリカへ行き、シャラポア両親はチェルノブイリの放射能に追われてロシアへ行った。

二人ともアメリカへ渡って活躍の環境を見出した。

ベラルーシは大平原で森とジャガイモの国。世界に羽ばたくには田舎過ぎたのだろうか。


二人の生き様を見ていると、何というか逞しさの様なものを強く感じる。

才能があるのは勿論だが、ブレない意思と柔軟な発想が上手に使い分けられていると思う。

たぶん人種の交差点であることと、透き通った北欧の白い肌を持っていることと

大国ではないこと、等々の地理環境がこういう生き方を育んだのだろう。


 ウクライナ同様にロシアは吸収統合したいようだが、バルト海3国同様に

ユニークな国は独自の生き残り方を突き詰めてもらいたいと思う。
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DXの地から届いた切手 Swaziland(8)

2019年01月29日 00時00分54秒 | DX stamp

3DA - Swaziland 2018年4月に国名変更されエスワティニとなった。

正式には、The Kingdom of Eswatini

アフリカ大陸の南端にある。

国名が変更され、ISOの国名表記はEswatiniに変更されていたが、ICANNのドメイン名は".sz"のまま。

ちなみにARRLのエンティティリストもSwazilandのままだ。


 太古は人類発祥の地に近いので、ヒトがいたことに関しては恐ろしく古いと思われるが

19世紀になってから、欧州から流れてきた入植者(オランダ、ドイツ、フランスが多かったらしい。

その子孫が現在のナミビア、南アフリカの白人達だ)に侵略され、トランスヴァール共和国が生まれてイギリスに

保護を求めた時代を経て、その後イギリス自治領、1968年にスワジランド王国として独立、の歴史だ。


 と、ここまでは他の欧州に侵略されたアフリカ各国と似た歴史だが、ここスワジランドは王様一族がいただけない。

行き過ぎた国王専制で、議会は潰すわ、憲法は廃止するわ、歯向かうものは逮捕して牢屋に入れるわ

暴君で、後を継いだ息子の王様も同様。国民は極貧であるが、王様は自家用ジェットにエアバスA340を購入し

贅沢三昧の悠々自適。文句を言うやつはしょっ引く。21世紀にまだこんな国があったのかと驚く。

現国王は1968年生まれだからまだしばらくご健在なのだろう。


 もう一つは、この国は世界一HIV/AIDSが蔓延している国だ。もちろん保健衛生面の問題も大きいのであろうが

最大の原因はこの国の文化にある様だ。

生殖による人口増大は文化信条とされるお国柄であること、一夫多妻の複婚は当たり前とされていること

男性は複数の女性を妊娠させてなんぼ、と信じられていること、結婚していない男性もどんどん女性を妊娠

させていること、暴力的性行為が決して珍しくないこと、そして国王自ら10代の女性を次々と娶っていること。

それでいて、HIV/AIDSに感染するのは不名誉なこと、とされ検査、治療が一向に進まないこと。

そのため平均所得はアフリカでは高いほうだが、平均寿命は60歳未満で、世界でも一番長生きできない国の一つだ。


 欧州に翻弄されて苦難の歴史を歩んだアフリカの国は多いが、この国は国内の問題が多すぎる。

このままなら国が自滅する恐れがある。


そんなswazilandだが、この国はアフリカで唯一中華民国(台湾)を認めている国で、蔡英文総統が死守したい国だ。

当然中国は猛烈に台湾との断交を促しており、両国のラブコール合戦が繰り広げられている。

それが余計に甘えた国化を助長していると思われるが、こういう国が自立するには何が足りないのだろう?
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DXの地から届いた切手 Fiji(7)

2019年01月25日 00時00分42秒 | DX stamp

3D2 - Fijiの切手

南の楽園パラダイスのイメージがあるフィジーだが、国としては人口の半分を占めるインド人対フィジアンの問題や

経済不振に端を発する治安の悪化、などで近年やや不安定だ。


 歴史上の有名どころではクック船長(イギリス)やタスマニアの名づけの親タスマン(オランダ)などが大航海時代に

フィジーを訪れているが、一番縁が深いのはWilliam Bligh船長、クック船長の航海に何度も乗船した経歴ある海軍士官だが

一番は、バウンティ号の反乱で追い出されたことで有名な船長である。

バウンティ号の反乱をDXCCエンティティで追うと、我々ハムはVP6となるが、そもそも事件は3D2周辺で起こったものだ。

まず首謀のクリスチャンら造反組は、A3-Tonga付近の海上で反乱を実行し、Bligh船長他数名を小舟で追放した。

追放された小舟は長く漂流を続けるが、その時に初めてFiji周辺の地図情報が漂流中のBlighらによって作られたという。

ちなみに漂流は48日後に4W-Timorへ漂着して終わり、BlighらはそこからG-Englandへ帰任している。

一方、造反組の方は、バウンティ号ごとFO/A -Austral、FO-French Polynesiaを経て最後はまだ海図に載っていなかった

VP6-Pitcairnへ逃げ込んだ。その末裔が今のPitcairnのTom - VP6TC達クリスチャン一族で、子孫たちが増えるに連れて

現在はイギリス、オーストラリア、ニュージーランド等の協力で、末裔の多くをVK9/N-Norfolkへ移住させており

Norfolk島の住人2,000人強のうち半数以上はPitcairn島からの移住者の系統だという。


 そんな時代に開拓されたフィジーは今もイギリス連邦加盟国であり、ちょっと前までイギリス保護領時代にはVR2だった。

イギリスの影響に翻弄され続けてきた国だが、18世紀にイギリス人が大量に労働者として連れてきたインド人の問題が

近年最も深刻な問題になっている。現在のFiji人口の40%はインド人で、先住のフィジアンと比率はさほど変わらない。

加えて勤労意欲、経済感覚がフィジアンより優っているインド人が政治でも経済でも活躍しているにもかかわらず

フィジアンと差別されている。最大の差別と思われるのが土地所有に関する問題だが、それよりもやはり、頑張っても報われない

インド人の不満と、勝手に人のうちに上がり込んできて急かすだけのよそ者に不満なフィジアン、と言った

お互い頭では分かっても心情的にはちょっと許しがたい、の図式なのだろう。


 それに加えて、西欧が勝手に入ってきてズタズタにしておいてから独立を果たした太平洋の島々共通だが

政治も経済も不安定なため、左派軍部の力がどうしても強くなり、軍部によるクーデターも21世紀になってからも

複数回発生していて、結果治安は決して良いとは言えない(離島などの高級リゾートは別)。2014年までは軍事政権で

一時は憲法廃止発言やマスコミの検閲などが実施され、民政となった現在でもまだまだ安定したとは言えない様だ。


 南の島の水上コテージで「ブラ!」のイメージ強いところであり、南太平洋のハブ的な地理的位置づけでもあり

安心して訪れる場所であって欲しいが、小さな島国がそれを成し遂げるのは相当な困難が必要と思われる。
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