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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

会話

2012-09-24 08:29:02 | 日記
 普通に生活しているだけで、身の回りのモノはどんどん増える。だから年齢とともに自分のモノが周囲にあふれることになる。かなりストイックな生活をしている人でも1年も生きればかなりあれやこれやとモノが増えるはずだ。人はこのうず高く積もる「自分のモノ」をどう整理して生涯を終えるのだろうか。
 
 父が亡くなった時、私はすでに実家を出ていて、しかも単身赴任中の身だったため、父の残した様々なものを整理した経験がない。特にこれといった趣味を持たない人だったから趣味の道具がたくさん残ったという事もなかったはずだ。もう誰も読まないような、ほこりが積もった茶色い紙の本ばかりが大量に残っていたかもしれないが、父の葬儀から数カ月後にまた実家に帰った時には、すっかり無くなっていた。
 
 先週、友人の父上が亡くなり葬儀に参列した。医者に診てもらった時にはすでに末期の癌だったそうで、宣告されてから半年で亡くなったと聞いた。本人も家族も覚悟の半年だったようで、自分で自分の後始末をしっかりやり尽くして亡くなったという。通夜の夜に行くと、子供の頃遊びに行くと見せてくれた笑顔と変わらない優しい顔で静かに寝ていらっしゃった。残された時間の中でやるべきことをすっかりし終わった満足の表情だったのだろう。
 
 モノが多い時代だ。食料に限らず形あるものはほとんど消費されて行く。消費されずに残ったものは次代に残す遺産とはみなされず、ただゴミとして捨てられる。どのぐらい残るのかわからないが、残るのは結局形を持たない思い出ばかりだ。人と繋がることもなくモノばかりに埋もれて生活した人には、実は後始末が大変なゴミ以外何も残さない結末が待っているかもしれない。せめて生きているうちに少しでも身の回りのモノを片付けて自分が亡くなった後の誰かの苦労を軽くしておこうと通夜の線香に火をつけながら考えた。
 
 これからはディジタル化された思い出がネット上に残る時代を迎える。そこに残っている電子化された記号こそ人生の真実であったように解釈する人も現れるだろう。電子的な場で取り交わされた言葉の数々こそが人との交流であると考える人も増えていくだろう。現実世界ではいずれゴミとなるモノに囲まれ、ディジタル化された人々との交流の世界でのみ生きていく人がどんどん増えていく。このネット世界では「自分のモノ」を自分で整理するすべが用意されていない。すでに消費されて過去のものとなった様々な記録が捨てられることもなくアクセスしようと思えばいつでもアクセスできる状態で保管されていく。すでにこの世にいない人と会話しているような錯覚を引き起こすことも当たり前にできる時代が来るだろう。
 
 目の前にいて同じ時代の空気を一緒に吸いながら生きている人たちと生(なま)の声で交わす会話がいかに大切なことであるか、人との直接的な関わりを通して残る思い出の数々がいかにかけがえのないものであるか、あらためて考えた。捨ててもいいようなモノはできるだけ整理し、できるだけたくさん会話してやろう。(三)


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株式会社ジェイエスピー
  横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
  製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
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