6月である。GWのある5月は執筆をお休みしていたため、2ヶ月間が空いてしまうと、もはやブログ執筆の事が完全に頭から抜け落ちていた。危ない危ない。
今年は雨不足で野菜が高騰しているが、そろそろ梅雨に入りそうな気配である。農家の方々も多少は安堵しているのだろうか。
何はともあれ、久々に説教臭い記事の登場である。ご無沙汰してました。
さて、字数を稼いだところで本題の「思い込む」である。
人は誰でも、日々の中で色々な事を思いこんで生きている。
明日事故でも病気でも天災でも、宇宙人の襲来でも、何かの原因する可能性をいちいち確認して自分が明日は死んでいるかも知れないという事を常に考えている人は少ないのではないか。
基本的には明日も変わらず生きているという事を「思い込んで」日々を過ごしていると思われる。
それだけ日本が平和で安全だ、とか終末期患者の気持ちはどうなのよ、というのはここでは論点が外れるので言及しない事にする。
極端な表現をしてしまえば、都合の悪い情報を遮断する。あるいはそれが現実だという事を認めようとしないで人は日々過ごしている。
こういう風に書くとそれ自体はとても悪い事の様に思えるが、精神の自己防衛本能というべき現象でもあるので、完全になくして生きて行く事は大変難しいだろう。
短期的には思いこむ、信じ込む、信じない、認めない事をすることにより、良い効果をもたらすケースもある。
新しい事を始める際には、出来ると信じる事により、成功へと導く事が出来る。最初から出来っこないと思っていては何も成功しないからだ。
もちろん明らかに失敗すると分かるリスクは出来得る限り潰し、準備を行う事も重要ではあるが、考えていても仕方ないリスクについては賭けに出るしかない。また、進めて行く中で想定外の事態に対して調整をしていく事も必要だ。
しかしある程度以上長期的なものに関して、そうするのは危険である。起きている変化を見て見ぬフリをする。明らかな失敗を認めず、ここまで来たら引き下がれないとして進める。自分達だけは影響を受けないと根拠無く信じ込む。たまたまうまく行った事を、次もうまく行くと思いこむ。等々、これらは程度の大小はあれ、失敗プロジェクトを経験した人では誰でも苦い思い出とともに身に染みているのではないだろうか。
要件定義や、設計等の開発作業であったり、または全体の進捗や方針のレベル、あるいはそもそもこの事業ってどうなのよという領域までそこに参画している人の数だけ「思い込み」は存在している。
人は聞きたいという話しか聞いてくれない。また、信じたい事しか信じない。都合のよい方に解釈し、信じたいと思う方向に信じ込む。
日常レベルでも、
・誰かがやってくれているはずだと信じ込む。
・当然期限は延びるはずだと信じ込む。
・そんな事は常識的にあり得ないと信じ込む。
そんな経験は無いだろうか。
そういった思い込みを少しでも排除する手段として、第三者視点で状況を把握してみるのも一つの手である。
何のしがらみも制限も無い状態の立場に立って、状況をひとつひとつ検証、および俯瞰してみるのである。
冷静に見ると「あー、これダメだよね。」とか「うーん、これは俺も悪かった」と気づく瞬間はそうした視点変化が良い方向に機能していると思われる。
忙しいとか、思い通りに進まないとか、精神的に行き詰っている状態で、視野や視点を制限しないようにしましょうね、って話でなんとなく取りとめが無いが、今回はここまで。
「しかし今回は締切ギリギリでしたね。」
「うむ、昨晩寝ている間に小人が出てきて、記事を書いてくれると信じていたが甘かった。」
「・・・」
ダメだこりゃ。はっはっは。
(刑事長)
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
病院を離れる夜間でも安心
ASSE/CORPA
センサー、IoT、ビッグデータを活用して新たな価値を創造
「できたらいいな」を「できる」に
OSGi対応 ECHONET Lite ミドルウェア
短納期HEMS開発をサポート!
GuruPlug
カードサイズ スマートサーバ
株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業
今年は雨不足で野菜が高騰しているが、そろそろ梅雨に入りそうな気配である。農家の方々も多少は安堵しているのだろうか。
何はともあれ、久々に説教臭い記事の登場である。ご無沙汰してました。
さて、字数を稼いだところで本題の「思い込む」である。
人は誰でも、日々の中で色々な事を思いこんで生きている。
明日事故でも病気でも天災でも、宇宙人の襲来でも、何かの原因する可能性をいちいち確認して自分が明日は死んでいるかも知れないという事を常に考えている人は少ないのではないか。
基本的には明日も変わらず生きているという事を「思い込んで」日々を過ごしていると思われる。
それだけ日本が平和で安全だ、とか終末期患者の気持ちはどうなのよ、というのはここでは論点が外れるので言及しない事にする。
極端な表現をしてしまえば、都合の悪い情報を遮断する。あるいはそれが現実だという事を認めようとしないで人は日々過ごしている。
こういう風に書くとそれ自体はとても悪い事の様に思えるが、精神の自己防衛本能というべき現象でもあるので、完全になくして生きて行く事は大変難しいだろう。
短期的には思いこむ、信じ込む、信じない、認めない事をすることにより、良い効果をもたらすケースもある。
新しい事を始める際には、出来ると信じる事により、成功へと導く事が出来る。最初から出来っこないと思っていては何も成功しないからだ。
もちろん明らかに失敗すると分かるリスクは出来得る限り潰し、準備を行う事も重要ではあるが、考えていても仕方ないリスクについては賭けに出るしかない。また、進めて行く中で想定外の事態に対して調整をしていく事も必要だ。
しかしある程度以上長期的なものに関して、そうするのは危険である。起きている変化を見て見ぬフリをする。明らかな失敗を認めず、ここまで来たら引き下がれないとして進める。自分達だけは影響を受けないと根拠無く信じ込む。たまたまうまく行った事を、次もうまく行くと思いこむ。等々、これらは程度の大小はあれ、失敗プロジェクトを経験した人では誰でも苦い思い出とともに身に染みているのではないだろうか。
要件定義や、設計等の開発作業であったり、または全体の進捗や方針のレベル、あるいはそもそもこの事業ってどうなのよという領域までそこに参画している人の数だけ「思い込み」は存在している。
人は聞きたいという話しか聞いてくれない。また、信じたい事しか信じない。都合のよい方に解釈し、信じたいと思う方向に信じ込む。
日常レベルでも、
・誰かがやってくれているはずだと信じ込む。
・当然期限は延びるはずだと信じ込む。
・そんな事は常識的にあり得ないと信じ込む。
そんな経験は無いだろうか。
そういった思い込みを少しでも排除する手段として、第三者視点で状況を把握してみるのも一つの手である。
何のしがらみも制限も無い状態の立場に立って、状況をひとつひとつ検証、および俯瞰してみるのである。
冷静に見ると「あー、これダメだよね。」とか「うーん、これは俺も悪かった」と気づく瞬間はそうした視点変化が良い方向に機能していると思われる。
忙しいとか、思い通りに進まないとか、精神的に行き詰っている状態で、視野や視点を制限しないようにしましょうね、って話でなんとなく取りとめが無いが、今回はここまで。
「しかし今回は締切ギリギリでしたね。」
「うむ、昨晩寝ている間に小人が出てきて、記事を書いてくれると信じていたが甘かった。」
「・・・」
ダメだこりゃ。はっはっは。
(刑事長)
monipet
動物病院の犬猫の見守りをサポート
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ASSE/CORPA
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「できたらいいな」を「できる」に
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株式会社ジェイエスピー
横浜に拠点を置くソフトウェア開発・システム開発・
製品開発(monipet)、それに農業も手がけるIT企業