学生時代は自主制作で映画を作っていたこともあり、週に何度も映画館に足を運んでは、友人とあれこれと映画について話すことが日常だった。
社会人になり、既に5年が経過した今、映画館に行く機会どころか映画を見る機会すら減ってしまったが、今週末は外出の自粛要請が出ていたこともあり、ずっと見ようと思っていた作品を自宅で鑑賞することにした。
タイトルは「ROMA」。監督は「ゼロ・グラビティ」で有名なメキシコの巨匠、アルフォンソ・キュアロン監督である。今回はこの「ROMA」について、徒然に書いていこうと思う。
公開は2018年。興味深いのは、動画配信サービスを行うNetflixが配給を行っている点である。
既に業界の中心的存在になりつつあるNetflixが配給もしているとは。私が学生の時代とは違い、業界全体が大きく変動していることを感じる。
Netflixと言えば、2019年暮れにかけて「アイリッシュマン」という大規模作品を全世界配信したことでも記憶している。
「アイリッシュマン」もおすすめなので、3時間半の鑑賞時間を確保できる方にはおすすめ。
…話が逸れたが、タイトルは「ROMA」。なのだが、物語の舞台はイタリアではなく、1970年~1971年のメキシコである。
本作は、主人公は女性(若い家政婦)ではあるものの、男性であるキュアロン監督の半自伝的作品である。
「ROMA」とは、キュアロン監督が幼少時代を過ごしたメキシコの首都、メキシコシティの「コロニア・ローマ地区」のことらしい。
物語のあらすじはというと、主人公である家政婦、クレオの日常に交えて、雇い主夫婦であるアントニオ、ソフィア一家に起こる出来事を交えて描いている。
医者であるアントニオの一家に雇われている家政婦、クレオ。住み込みで働くクレオはアントニオの妻、ソフィアや子供たちからも大変好かれており、家族のように暮らしていた。
ある休暇中、クレオは友人と映画館に行くことになるが、そこでボーイフレンドとなるフェルミンと出会う。
フェルミンと過ごしている中で、クレオは妊娠し、彼に子供ができたことを伝える。フェルミンは「良いことだ。」と言ったが、その場を去り、クレオの元に戻ることはなかった。
フェルミンが去り、妊娠したことに悩むクレオだったが、雇い主であるソフィアが妊娠を受け入れ、クレオを雇い続けると言ったことで、一件落着したのだった。
新年となり、クレオはソフィアに連れられ、田舎の村へ行く。そこでは新年のお祝いが催され、人々が大いに賑わっていた。
新年のお祝いが終わり、街に戻ったソフィアとクレオ。ある日、子供たちと映画を見に行ったクレオが目にしたのは、若い女性と一緒にいるソフィアの夫、アントニオだった。
ソフィアは夫の状況を把握しており、実際には別居状態だったが、子供たちには、お父さんは仕事で遠くの町にいて、なかなか帰ってこられない、と話していた。
一方、クレアは去ってしまったフェルミンの居場所を突き止めようと、郊外の村までやって来ていた。
やっとの思いでフェルミンに会うことができたクレアだが、フェルミンから「この村から出ていけ」というようなことを言われ、村から立ち去るより他なかったのだった。
クレオのお腹が大きくなり、出産が近づいてきた。クレオは、ソフィアの母、テレサとベビーベッドを見るため、買い物に出掛けた。
店の付近では、警官隊に抗議する学生たちが暴動を始めていた。そんな中、クレオとテレサのいる店の中にも暴徒と化した学生が入り込み発砲した後去っていく。
直後にクレアは破水し、病院へと急ぐが、暴徒で渋滞が起きてしまい、病院への到着が遅くなってしまう。
分娩室に到着したクレアから生まれた赤ん坊から心音が聞こえることはなかった。
しばらくして、仕事場に復帰したクレア。
一方でソフィアは、車を買い替え、夫と別れ、新たな生活を始めようとしていた。
これまでの生活に別れを告げるため、ソフィアは家族旅行を計画し、気乗りしないクレアも付いていくこととなった。
ビーチで遊ぶソフィアと子供たちとクレア。ソフィアは幼い子供達と少しビーチを離れる。
年上の子供の面倒を見るクレア。波打ち際より遠くの方に泳いでいく子供達に注意するが、子供達はどんどんと遠くに泳いで行ってしまう。
子供達を見ていたクレアは駆け出し、泳げないにも関わらず、溺れかけた子供達を懸命に助ける。
一命をとりとめた子供達とクレアの元にソフィアが戻ってくる。ソフィアが子供達の元に駆け寄り、クレアに感謝の意を伝えると、クレアは言った。
「本当は生まれて欲しくなかったのだ」。
街に戻ってきたソフィアとクレアと子供達。父親のいない新たな生活が始まろうとしていた。
クレアが洗濯をしに屋上に向かい、空が映し出される。そのままエンドロール。
長々と書いたが、自伝的映画にありがちな脈絡のない物語なので、文章化すると、かなり分かりづらい内容かもしれない、と改めて感じた。
見どころは色々とあると思うのだが、ビーチのシーンはクレアが本当の気持ちを話しているのかどうかすら分からず、そこにまた意味があるのでは、と色々と考えさせられたシーンになっているように思う。
白黒映画であり、舞台も1970年のメキシコのため、ちょっと古い映画を見ているような感覚にもなる。こういった表現は、「アーティスト」にも見られるように最近流行しているスタイルなのだろうと感じた。
メキシコの学生運動や政治、経済等、時代背景も知った上で見るとまた違った見え方があると思い、勉強してからまた見たいと思った次第である。
しばらく休日の外出が自粛になるのであれば、ゆっくり自宅で映画を見るのもおすすめである。(江)
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タイトルは「ROMA」。監督は「ゼロ・グラビティ」で有名なメキシコの巨匠、アルフォンソ・キュアロン監督である。今回はこの「ROMA」について、徒然に書いていこうと思う。
公開は2018年。興味深いのは、動画配信サービスを行うNetflixが配給を行っている点である。
既に業界の中心的存在になりつつあるNetflixが配給もしているとは。私が学生の時代とは違い、業界全体が大きく変動していることを感じる。
Netflixと言えば、2019年暮れにかけて「アイリッシュマン」という大規模作品を全世界配信したことでも記憶している。
「アイリッシュマン」もおすすめなので、3時間半の鑑賞時間を確保できる方にはおすすめ。
…話が逸れたが、タイトルは「ROMA」。なのだが、物語の舞台はイタリアではなく、1970年~1971年のメキシコである。
本作は、主人公は女性(若い家政婦)ではあるものの、男性であるキュアロン監督の半自伝的作品である。
「ROMA」とは、キュアロン監督が幼少時代を過ごしたメキシコの首都、メキシコシティの「コロニア・ローマ地区」のことらしい。
物語のあらすじはというと、主人公である家政婦、クレオの日常に交えて、雇い主夫婦であるアントニオ、ソフィア一家に起こる出来事を交えて描いている。
医者であるアントニオの一家に雇われている家政婦、クレオ。住み込みで働くクレオはアントニオの妻、ソフィアや子供たちからも大変好かれており、家族のように暮らしていた。
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新年となり、クレオはソフィアに連れられ、田舎の村へ行く。そこでは新年のお祝いが催され、人々が大いに賑わっていた。
新年のお祝いが終わり、街に戻ったソフィアとクレオ。ある日、子供たちと映画を見に行ったクレオが目にしたのは、若い女性と一緒にいるソフィアの夫、アントニオだった。
ソフィアは夫の状況を把握しており、実際には別居状態だったが、子供たちには、お父さんは仕事で遠くの町にいて、なかなか帰ってこられない、と話していた。
一方、クレアは去ってしまったフェルミンの居場所を突き止めようと、郊外の村までやって来ていた。
やっとの思いでフェルミンに会うことができたクレアだが、フェルミンから「この村から出ていけ」というようなことを言われ、村から立ち去るより他なかったのだった。
クレオのお腹が大きくなり、出産が近づいてきた。クレオは、ソフィアの母、テレサとベビーベッドを見るため、買い物に出掛けた。
店の付近では、警官隊に抗議する学生たちが暴動を始めていた。そんな中、クレオとテレサのいる店の中にも暴徒と化した学生が入り込み発砲した後去っていく。
直後にクレアは破水し、病院へと急ぐが、暴徒で渋滞が起きてしまい、病院への到着が遅くなってしまう。
分娩室に到着したクレアから生まれた赤ん坊から心音が聞こえることはなかった。
しばらくして、仕事場に復帰したクレア。
一方でソフィアは、車を買い替え、夫と別れ、新たな生活を始めようとしていた。
これまでの生活に別れを告げるため、ソフィアは家族旅行を計画し、気乗りしないクレアも付いていくこととなった。
ビーチで遊ぶソフィアと子供たちとクレア。ソフィアは幼い子供達と少しビーチを離れる。
年上の子供の面倒を見るクレア。波打ち際より遠くの方に泳いでいく子供達に注意するが、子供達はどんどんと遠くに泳いで行ってしまう。
子供達を見ていたクレアは駆け出し、泳げないにも関わらず、溺れかけた子供達を懸命に助ける。
一命をとりとめた子供達とクレアの元にソフィアが戻ってくる。ソフィアが子供達の元に駆け寄り、クレアに感謝の意を伝えると、クレアは言った。
「本当は生まれて欲しくなかったのだ」。
街に戻ってきたソフィアとクレアと子供達。父親のいない新たな生活が始まろうとしていた。
クレアが洗濯をしに屋上に向かい、空が映し出される。そのままエンドロール。
長々と書いたが、自伝的映画にありがちな脈絡のない物語なので、文章化すると、かなり分かりづらい内容かもしれない、と改めて感じた。
見どころは色々とあると思うのだが、ビーチのシーンはクレアが本当の気持ちを話しているのかどうかすら分からず、そこにまた意味があるのでは、と色々と考えさせられたシーンになっているように思う。
白黒映画であり、舞台も1970年のメキシコのため、ちょっと古い映画を見ているような感覚にもなる。こういった表現は、「アーティスト」にも見られるように最近流行しているスタイルなのだろうと感じた。
メキシコの学生運動や政治、経済等、時代背景も知った上で見るとまた違った見え方があると思い、勉強してからまた見たいと思った次第である。
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