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IMジェイエスピー社員が綴る日替わりブログ

七夕

2016-07-07 09:00:00 | 日記
今日は7月7日、七夕である。
が、七夕に関するネタが思い浮かばなかったので七夕には触れずに話を進めよう。

今我が家では巷でも話題の「スプラトゥーン」が流行っている。これは2015年の5月に発売されたシューディングアクションゲームで、発売当初はやりたくて欲しくて仕方なかったのだが、色々あって購入することができず、発売後定期的に行われていたアップデートにより武器やステージが増えて行く様子をネットでみては「いいなー欲しいなー」とつぶやいていた。

ようやく我が家にスプラトゥーンが来たのは発売されてから半年が経った2015年の12月、サンタさんがプレゼントしてくれた。しかしその頃にはすでにほとんどのアップデートが終わりつつあり、ステージも武器もほぼ出そろっていた。アップデート内容を楽しむ波に乗れなかったのだ。

アップデートの波には乗り遅れてしまったのものの、ゲームとしてはまだまだ楽しくプレイできるので何も問題はない。このゲームは定期的に「フェス」と呼ばれるイベントがあるのだが、近々またフェスが行われる。しかし、それが最後のフェスであるというからショックである。毎回フェスを楽しみにしていたのに…
もっと早く購入していれば、アップデート時も楽しめ、フェスも何回も参加できたのに…などと今更になって少し後悔をしている。

ゲームに限らず、新しい技術や製品がどんどん出てくる世の中で、気になっていたものがここ最近有名になってきた何てことはよくある。学生時代、気になったものは(身に付くだとか続けるだとかは置いておいて)すぐに手を出していたのだが社会人になってからはあまり手を出す機会が減ってきた。

これはいかんと、最近少しずつ色々手を出そうと動くようにしている。展示会に行ってみたり、Androidアプリを作ろうとしてみたり、アイディアをひねり出してみたり。この「とりあえず手を出そう」と熱がすぐに冷めないことを祈りながら楽しもう。

(ツ)


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2016-07-06 12:01:27 | 日記
7月に入り、年度で言えば1/4が終了。年で言えば1/2が終了した事になる。いやはや時の過ぎるのは早いもので、七転八倒している間に暑くなってきた。仕事も炎上して熱くなってきた。
何もかもあつい。暑いのは苦手だがビールは各段にうまくなるのが唯一の楽しみではある。

さて恒例の字数稼ぎが済んだところで本題の「本」である。

最近はWeb上でも情報が溢れ、下手な書籍よりもお手軽かつ詳しい情報が簡単に手に入る時代になっている。それでも本屋に寄って立ち読みをしたり、古本を探したり、ネットを使いながらも某通販サイトでついポチっと本を買ってしまう事をやめられない自分がいる。

猫も杓子もエコの時代。持ち運びであったり、専有面積を考えると電子書籍の方が便利には違いない。本屋に足を運ぶ時間も節約できるとなればいい事づくめの様にも感じてくるはずなのだが。なぜだろう。

自分は新聞のコラムをスマホでよく読んでいるのだが、新聞紙で読んでいる時とは違った感覚になる。コラムを読み進めていくと必然的に残りのテキスト量を視界の隅で把握し、そろそろオチかなー、という心の準備ができるわけだが、スクロールだと唐突に文章が終わってしまうからだ。読み終わった後に得も言われぬ物足りなさを感じるのはこんなところではないかと思う。

特ににスマートフォン、タブレットは基本的にスワイプ動作にて画面をスクロールさせるため、PCブラウザの様にスクロールバーを操作することが殆ど無い。従ってスクロールバーそのものが不要という事になるのだろう。これが違和感を感じさせる一因ともいえる。

万人に当てはまるわけではないかも知れないが、もともと書籍を読む場合まず、
・本の厚みを把握
・目次にて章立ての把握
・はしがき等で、1ページに収まっている文章の量を把握
といった全体把握を無意識の間に行っている。

特に面白いと感じる本に関しては、しおりの挟んである位置で、
「ここまで読み進んじゃったか。よく読んだな。」とか
「あと少しで終わりか。うーん、どういう引きになるんだろう。」とか
頭の中に浮かんでくる。
書籍というオブジェクトそのものが紙の厚みや文字の大きさ、装丁まで含んで一つの知的な芸術品として機能しているのではないかと思えてくる。大げさかもしれないが。
未だに紙の書籍も求めてしまうのは、こんなところに原因があるのではないかとも思う次第。

ネットで調べてディスプレイ上で表示されている文章は、上記の一連の流れはし難くなる。キーワードとリンクでヒョイヒョイと八艘飛びの様に渡り歩いていく感覚だ。電子書籍リーダはそこまで極端ではないとは言え、視覚的な全体把握のしづらさはブラウザ上の文書と大して変わらない。

確かに保管や検索の性能は明らかに電子媒体の方が上だ。一発で探し当てられるが故、辞書などは電子の方が向いているのだろうが、調べた周辺の単語等も見てしまう自分としては、語句を調べるという目的以外での楽しみ方が減ってしまう様でさみしい。ただWebでは関連のリンクが張られていたりと、また違った別方面の情報追跡の形もある。これはこれでついついリンクをたどりまくってしまう。仕事しろよ、自分。


また一方で電子化に伴って文章のパラダイムシフトも既に起こっているとも考えられる。上記関連リンク以外にもネット時代の文章の構成や書き方、表現手法は、紙の書籍で育ってきた世代からは考えられない進化を始めているのかも知れない。
ワープロ(表現が古い・・・)の登場により、実際文章を書く側でも、紙と違って容易に間に文章を差し挟んだり、削除したりできるようになって、原稿用紙に書くときとまた違った文章の記載の仕方になってきているのではなかろうか。見出しをまず書いてその間に文章を差し込めるのは、考えてみれば紙に比べて便利で仕方ない。

ただ全体構成を把握し、細部のストーリーを作っていく能力が退化しなければいいのだが、とも感じる時がある。検索のみで必要な(と自分で認識している)情報のみをつまんでいては、経緯や周辺情報が抜け落ちてしまい、所謂コピペで満足するようになってしまうのでは、という漠然とした不安感もある。

体系的に情報を整理、精査し、文章を組み立てる能力が何か別の形で脳内で進化していく事も考えられる。それに伴った文章力(読み/書き双方)の能力の変化が楽しみでもあり、怖くもある。
本を読むのは楽しいし、やはりページを手でめくって読むのはやめられそうにないが、電子書籍の存在を無視するわけにはいかないし利点も多い。
スマフォが当然のごとく普及していっている時代の中でどう人の頭も変わっていくのか注意して観察していった方がいいだろう。


「結局書籍形態の方がいいって事ですかね?」
「ああ、カップラーメンの蓋に最適だしな。特にハードカバーの本、あれはいいぞ。」
「・・・・」


本はちゃんと読んであげましょう。お粗末。

(刑事長)

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新・思い出ダイバー 8(FC~SFC編)

2016-07-05 08:45:00 | 日記
ゲームに興味が無い人にはちょっとつまらない内容かもしれないな、と思いながらもこの記事を楽しみにしてくれている8人くらいの読者のために書こう。


たまたまPlayStationVRの体験会がやっていた。心を躍らせて体験した後、ゲームってこんなになってんだなぁと感慨深くなった。

我が家で最初に出会ったカセットは「五目並べ」だった。

これ、ファミコンのROMカセットのことだが、実は当時我が家にはファミコンは存在していない。なのに何故か「五目並べ」だけがあったのだ。意味が分かりません。

ファミコンを持っている友達の家へ行き、「マリオブラザーズ」で協力プレイをしているのか対戦プレイをしているのか分からない状態でワイワイ楽しんでいた。当然「POW」ブロックの周辺は牽制し合い、領域の確保が戦略上大きなポイントを占めていた。

そこへ『ぼく、こんなの持っているんだけど・・・』と「五目並べ」を出せるほどタフなメンタルを当時は持っていなかった。その結果、一度も本体とドッキングすることなく「五目並べ」は時空の狭間に放り込まれてしまった(失くした、とも言う)。

我が家にファミコンがやってきたのは小学4年生の頃だ。これまでに幻の1本目を大切に保管しておけばよかったものの、既に後の祭りなのでしょうがない。「ベースボール」と「新人類」が新たにラインナップに加わった。ちなみにこの「新人類」は、プロレスラーでもある「長州力」が登場する。興味がある方がいてもググらなくてよいです。

初めてドラゴンクエストを購入したのは「IV」だ。本当にやりこんだ。小さなメダルの場所やメタル系スライムの倒し方、必ず会心の一撃を出す裏技等、ナンバリングタイトルの中で「VII」に続くプレイ時間の長さだったと思う。ちなみに「IV」が発売されたのが小学6年生の時。自分の部屋にテレビが導入されたのもこの頃だ。まだ弟と一緒の部屋で二段ベッドで寝ていたが、兄の特権か横暴か、上段が私の寝床だった。ちなみにテレビはタンスの上に置かれていた。となると、夜中にやることはレベル上げ一択だよね。夜な夜なザラキを連発する神官を横目にはぐれメタルに聖水をぶちまけていた。

中学2年生のとき、スーファミが仲間入りされた。祖父母に「スーファミが欲しい、って言っているよ」と弟が言ってくれた。というか言わせた。2人で仲良く遊ぶことを条件に「F-ZERO」を手に入れた。近未来をテーマにしたレースゲームである「F-ZERO」だが、非常に面白かった。パワーアップされたグラフィックやサウンド、操作するボタンの数が増えたことによる高度な操作を要する技術介入度など、私の心を鷲掴みしたソフトの1本だ。ただね、この「F-ZERO」には大きな欠点があった。なんと、レースゲームなのに一人用!仲良く遊ぶことが全くできない!後に弟は「兄ちゃんがゲームをやり過ぎているのを見て、俺はあんまりゲームに興味が無くなった」と言っている。スマン。


---続く


(照)

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ワタシ

2016-07-04 08:29:02 | 日記
 あなたは自分のことを何と呼んでいるだろうか。先日こんな話しを聞いた。「オレはオレのことをオレって呼んじゃうんですけど、それはまずいぞって先輩に叱られて、オレはオレのことをボクって呼ぶようにしようと練習してるんすよ」。なるほど、しかし練習の成果は全く感じられなかった。
 
 人前で話す時、つまり複数の人に話しかける時と個人的に誰か仲のいい人や人達と内輪の話しをする時では呼び方が異なる、という人もいれば、いつでも同じ、どんな場合でも使い分けない、という人もいるだろう。確かに自分をボクと呼ぶ人は、いついかなる時でもボクで通している場合が多いような気がする。話し言葉とは別に文字にする時もまた様々だ。ボクなどとカタカナで書いてしまうと、ひらがなの「ぼく」のような親近感がわかない。ただしひらがなの「ぼく」はかなり幼い感じがする。ある程度成長したら僕になってもいいようにも思う。実際そのように変化してきた人がいるなら、何歳ぐらいから「ぼく」が「僕」になったのか聞いてみたい。
 
 ありがちなのは、幼い時期は「ぼく」ないし家族が呼ぶ自分の名前の愛称を一人称として使い、家族以外の友人が増えて来たある時、急にオレと呼び始める例ではないかと思うが、その例通りに変化してきた自分自身の例も含めて、変化の瞬間については全く記憶がない。

 参院選の選挙運動を見ていると、候補者はおおよそ自分のことをワタクシと呼んでいる。ボクとかオレと呼ばないばかりかワタシとも呼ばない。文章にした時にこれは本当に区別が難しい。このブログを書き始めてからずっと、一人称は「私」と書いてきた。これは声に出せば「ワタクシ」ではなく「ワタシ」と読んでもらいたい「私」だったのだが、選挙運動をしている皆さまの「ワタクシ」もおそらく「私」と書く。日本語は難しい。
 
 しかも男性と女性ではまた変化の様子が異なる。最近では女性も自分自身のことをオレとかボクとかワイとかワテとか地方色も取り混ぜて様々な呼び方をするようだが、ある程度年齢が高くなると人前で話す時は別としてアタシと呼ぶ例が多いようだ。アタシは明らかに「私」と言う文字とは異なるニュアンスなのだが、書くときはなぜかこの「私」になってしまうために読む側でアタシなのかワタシなのかワタクシなのかを読み分けなければならない。

 参院選の候補者が「と、ワタクシは思うのであります」とマイクを通して話した言葉と、同じ人が親しい友人の前で「オレはさあ、こう思うんだよね」と言った言葉が完全に一致しているとは限らない。推薦してくれる党や団体の意向を汲んでワタクシはものを言わなければならないからだ。同じ自分の中にオレとボクやアタシやワタクシが異なる心を持って生きているとき、そのうち誰の言い分に一番重きを置いて暮らして行くかを決めなければならない事態も発生してくるだろう。まさにそのことで悩んでいる人の声も聞く。さて、あなたは自分を何と呼びますか?(三)



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6月の餃子

2016-07-01 10:32:29 | 日記
毎月1回は家族で一緒に餃子を作ると誓って2ヶ月、6月も美味しいものができました。

今回は誰かを交えたわけではありませんでしたが、味噌を入れるのがミソだと旦那の上司の方が教えてくださったので、6月はより美味しい餃子の研究に励むことにしました。

1.基本


旦那が買ってきました。何事も基本が大事。基本を知らずに独自路線に走っても結果的にはうまくいかないものです。「守破離」ですね。お酒を入れないのは意外でした。

2.具材の切り方
横浜ダイヤモンド地下街に、我々の思い出の餃子屋があります。ここもまた美味しいのですが、フードプロセッサを作っているのか具が細かすぎて食感があまりないのがちょっと残念なところ。好みではありますが、我々は食感がある方がいいね、ということで落ち着きました。

3.隠し味
いよいよ上記を踏まえてタネ作り。半分はいつも通りで、もう半分は味噌を入れてみました。焼き上がりはこちら。


見た目バッチリ。ちょっと焼きムラができちゃったかな。さて肝心のお味は。味噌を入れるとしっかり味が付くとのことでしたが…
いつもよりキャベツが小さかった(それしかなかった泣)にもかかわらず調味料をいつもと同じ量にしてしまい少々味濃く仕上がってしまったせいで、どちらがいいか比べにくくなってしまいました。。。まぁ美味しかったですが、次回やり直しですね^^;
乞うご期待!

(い)

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