弊社ブログを閲覧いただいている皆さんこんにちは。
最近ちょっと散財し過ぎてちょっと財布の紐きつくしなきゃなと焦ってる(清)です。
ブログタイトルでお察しの方もいらっしゃるかもしれませんが、先月愛知県のほうに一人旅に行ってきました(これが散財の理由の一つ…)
折角旅行に行ってきたので訪れた場所の一部を+αの情報とともに紹介しようと思います。
まずはタイトルにもある「織田家の基盤」について。
「織田」と聞くと大抵の方は「織田信長」を思い浮かべるかと思いますが、元々織田信長の家はそこまで立派な家格では無かったことはあまり知られていないのかなと思います。
信長の出身地である尾張国(愛知県西部)を治めるトップの立場である守護は斯波氏で、その下に織田氏がNo.2の立場である守護代として就いていました。
この守護代の織田氏は2つの家に分かれており、岩倉城を本拠地として上四郡を管轄する「織田伊勢守家」と清洲城を本拠地として下四郡を管轄する「織田大和守家」が存在していました。
で、織田信長の家はどこかというと、先述の守護代・織田大和守家に仕える「清洲三奉行」と呼ばれた3つの家の一つ「織田弾正忠家」になるんですね。
尾張という1つの国のNo.2に仕える重臣なので決して身分が低いわけではありませんが、甲斐国守護家(No.1)の生まれである武田信玄や、越後国守護代家(No.2)の生まれである上杉謙信あたりと比べてしまうと見劣りする家格であることは事実です。
…と、ここまで話すと多くの方が「そのポジションから天下統一寸前までいった信長ってやっぱり凄い!」という感想になってしまいそうですが、信長が活躍できた背景には祖父や父が築き上げた強力な基盤があったことを忘れてはいけません。
では、その基盤とは何かというと…
ズバリ「経済力」です!
「えっ、結局お金かよ…」と思うかもしれませんが、城を建てるための資材、兵を雇うための食糧、鉄砲などの武器を揃えるための代金、朝廷や将軍家といった偉い人達と仲良くするための献金…その他諸々、ぜ~んぶお金が必要ですよね。
…うん、いつの世も世知辛い。
…ゴホン。話を戻しますが、この経済力を得るために必要なものとして挙げられるのが「港」と「神社」です。
港は言わずもがな物流の重要拠点であり、港の近くには人が集まり商いが行われ経済活動が活発に行われると容易に想像がつくかと思いますが、神社というと「???」となってしまう方もいらっしゃるかと思います。
近所にあるような小さな神社をイメージしてしまうと「???」となりそうですが、名のある大きな神社や寺院になるとその周辺には門前町が形成されます。すると神社や寺院を目的とした参詣者が各地から集まってくるため、参詣者をターゲットとした店が立ち並ぶようになり商いが行われ経済活動が活発になるというのが神社が経済基盤となるカラクリです。
(浅草寺の仲見世通りあたりをイメージすると分かりやすいかも)
実は尾張国にはこの港と神社が両方揃っている夢のような場所が2箇所存在しており、信長の祖父・信定と父・信秀の代にこの両方を支配下に組み入れたことが織田弾正忠家の繁栄や後年の信長の活躍に繋がっているのです。
…だいぶ長くなりましたが、ここからが本題。
この織田弾正忠家の繁栄の礎となった2つの地に是非一度行ってみたいと思ったのが今回の旅の目的のひとつでした。
というわけで、この2つの地についてちょっぴり紹介してみようと思います。
1箇所目は「津島」
名古屋市より更に西の方に向かったこの地には江戸時代中期まで津島湊という港が存在しており、その跡地周辺は公園として整備されていました。
そして、この港の近くには東海地方に分布する津島信仰の中心地として名高い津島神社も鎮座しています。
津島神社の神紋は織田氏の家紋の木瓜紋と同じものであり、このことからも織田氏と津島神社との関わりの深さが見てとることができます。
また、本殿と楼門は国指定の重要文化財にも指定されている代物で、非常に見ごたえのある建築でした。
2箇所目は「熱田」
名古屋市熱田区として区の名前にもなっているこの地にもかつて熱田湊という港が存在していましたが、熱田といえば何より熱田神宮が有名です。
(熱田と言えばひつまぶしの老舗として非常に有名なあつた蓬莱軒さんの本店もあるのですが3時間以上待ちで断念しました…)
この熱田神宮は三種の神器の一つである草薙剣を祀る神社として知られるほか、毎年秋に開催される全日本大学駅伝のスタート地点としても有名だったりします(また駅伝の話してる…)
また、桶狭間の戦い直前に織田信長が戦勝祈願をしたことや、大宮司である千秋氏が織田氏に仕えたこともあり、こちらも津島神社と同様に織田氏との関わりの深さがうかがえます。
正面から入っていくと東京の明治神宮のように両脇に木々が生い茂った参道があり、いくつかの鳥居をくぐって真っすぐに進んでいくと立派な拝殿が待ち構えています。
というわけで、今回は織田弾正忠家とその繁栄に関わる2つの地津島・熱田を紹介させていただきました。
よく知られている歴史上の人物に関わる場所というのは案外あちこちにあったりするものですので、皆さんも好きな人物・気になる人物に関わる場所を調べて訪れてみてはいかがでしょうか。
今回も長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆さんありがとうございましたm(_ _)m
また次のブログでお会いしましょう。それでは。
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折角旅行に行ってきたので訪れた場所の一部を+αの情報とともに紹介しようと思います。
まずはタイトルにもある「織田家の基盤」について。
「織田」と聞くと大抵の方は「織田信長」を思い浮かべるかと思いますが、元々織田信長の家はそこまで立派な家格では無かったことはあまり知られていないのかなと思います。
信長の出身地である尾張国(愛知県西部)を治めるトップの立場である守護は斯波氏で、その下に織田氏がNo.2の立場である守護代として就いていました。
この守護代の織田氏は2つの家に分かれており、岩倉城を本拠地として上四郡を管轄する「織田伊勢守家」と清洲城を本拠地として下四郡を管轄する「織田大和守家」が存在していました。
で、織田信長の家はどこかというと、先述の守護代・織田大和守家に仕える「清洲三奉行」と呼ばれた3つの家の一つ「織田弾正忠家」になるんですね。
尾張という1つの国のNo.2に仕える重臣なので決して身分が低いわけではありませんが、甲斐国守護家(No.1)の生まれである武田信玄や、越後国守護代家(No.2)の生まれである上杉謙信あたりと比べてしまうと見劣りする家格であることは事実です。
…と、ここまで話すと多くの方が「そのポジションから天下統一寸前までいった信長ってやっぱり凄い!」という感想になってしまいそうですが、信長が活躍できた背景には祖父や父が築き上げた強力な基盤があったことを忘れてはいけません。
では、その基盤とは何かというと…
ズバリ「経済力」です!
「えっ、結局お金かよ…」と思うかもしれませんが、城を建てるための資材、兵を雇うための食糧、鉄砲などの武器を揃えるための代金、朝廷や将軍家といった偉い人達と仲良くするための献金…その他諸々、ぜ~んぶお金が必要ですよね。
…うん、いつの世も世知辛い。
…ゴホン。話を戻しますが、この経済力を得るために必要なものとして挙げられるのが「港」と「神社」です。
港は言わずもがな物流の重要拠点であり、港の近くには人が集まり商いが行われ経済活動が活発に行われると容易に想像がつくかと思いますが、神社というと「???」となってしまう方もいらっしゃるかと思います。
近所にあるような小さな神社をイメージしてしまうと「???」となりそうですが、名のある大きな神社や寺院になるとその周辺には門前町が形成されます。すると神社や寺院を目的とした参詣者が各地から集まってくるため、参詣者をターゲットとした店が立ち並ぶようになり商いが行われ経済活動が活発になるというのが神社が経済基盤となるカラクリです。
(浅草寺の仲見世通りあたりをイメージすると分かりやすいかも)
実は尾張国にはこの港と神社が両方揃っている夢のような場所が2箇所存在しており、信長の祖父・信定と父・信秀の代にこの両方を支配下に組み入れたことが織田弾正忠家の繁栄や後年の信長の活躍に繋がっているのです。
…だいぶ長くなりましたが、ここからが本題。
この織田弾正忠家の繁栄の礎となった2つの地に是非一度行ってみたいと思ったのが今回の旅の目的のひとつでした。
というわけで、この2つの地についてちょっぴり紹介してみようと思います。
1箇所目は「津島」
名古屋市より更に西の方に向かったこの地には江戸時代中期まで津島湊という港が存在しており、その跡地周辺は公園として整備されていました。
そして、この港の近くには東海地方に分布する津島信仰の中心地として名高い津島神社も鎮座しています。
津島神社の神紋は織田氏の家紋の木瓜紋と同じものであり、このことからも織田氏と津島神社との関わりの深さが見てとることができます。
また、本殿と楼門は国指定の重要文化財にも指定されている代物で、非常に見ごたえのある建築でした。
2箇所目は「熱田」
名古屋市熱田区として区の名前にもなっているこの地にもかつて熱田湊という港が存在していましたが、熱田といえば何より熱田神宮が有名です。
(熱田と言えばひつまぶしの老舗として非常に有名なあつた蓬莱軒さんの本店もあるのですが3時間以上待ちで断念しました…)
この熱田神宮は三種の神器の一つである草薙剣を祀る神社として知られるほか、毎年秋に開催される全日本大学駅伝のスタート地点としても有名だったりします(また駅伝の話してる…)
また、桶狭間の戦い直前に織田信長が戦勝祈願をしたことや、大宮司である千秋氏が織田氏に仕えたこともあり、こちらも津島神社と同様に織田氏との関わりの深さがうかがえます。
正面から入っていくと東京の明治神宮のように両脇に木々が生い茂った参道があり、いくつかの鳥居をくぐって真っすぐに進んでいくと立派な拝殿が待ち構えています。
というわけで、今回は織田弾正忠家とその繁栄に関わる2つの地津島・熱田を紹介させていただきました。
よく知られている歴史上の人物に関わる場所というのは案外あちこちにあったりするものですので、皆さんも好きな人物・気になる人物に関わる場所を調べて訪れてみてはいかがでしょうか。
今回も長文となってしまいましたが、最後まで読んでいただいた皆さんありがとうございましたm(_ _)m
また次のブログでお会いしましょう。それでは。
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