昨日一人、今日一人とわたしの地区でお二人の女性が亡くなられました。
お一人はまだ60歳に満たない方でガンによる死でした。もうひと方は80歳を
少し過ぎ、先日の老人会にも元気な姿で、自分よりも若い方をお世話されていた
程でしたが、今朝起きてこないので見にいったらなくなられていたそうです。
いつ、誰に死が訪れるかは分かりません。「死」は不公平であり、理不尽だと
誰しも感じるでしょうと作家の五木氏は言います。死ななくてもよい人が死に、
罰を受けるべき人がのうのうと生きている事実に納得できないと誰しも思う。
「天命」とはなんなのか。天が人間に与えた命で、個人ひとりひとり違うものかも
分からない。「運命」とはどこか異なる。運命は一方的な受身の考え方であり、
天命はすすんでそれを肯定する、認める、信じるともいえる。
「天命を知る」、「天命に従う」ことは「天命によって生きる」と言う感覚として
とらえていくことで、日々の健康を維持するための努力はそれで大事でしょう。
しかし、努力しようと思っても出来ない時あり、何となく努力しなくても続くこと
もある。自分が孤立しなくても、自分が何か大きな、たしかなものの1部として
生きていると感じれば心が安らぐところがある、と。
人間生まれてくると言うことは、死を選択させられたと言うことです。緩慢な
自殺であるとも・・・・・
この五木氏の「天命」には親鸞の「歎異抄」(たんにしょう)や浄土など仏教
に関する言葉が多く語られています。