東日本大震災の義援金のお話。
日本中・・・いや世界中から温かい支援の輪が広がっています。
私もいくつかの機関を通じて協力させていただきました。
この先もできる範囲で継続していきたいと思っています。
それにしても 今、用事で出かけると あっちにもこっちにも募金箱を持った人たちを見かけます。
これでもかっ ってくらいです。
ある時は 出先のスーパーの近くで、箱を持って買い物に来た人を追いかけまわしている人を見ました。
まあそこまでひどいのはそうそうないかもしれないけれど
街頭で集められているそれらのお金は本当に被災地の人たちを救うためのものなんだろうか、と つい疑ってしまう自分がいます。
義援金詐欺、なんて嫌な事件も多発してるみたいだし、なんだか悲しくなりますね。
先日、療育の卒業の記事を書きましたが その時にまとめ役の先生からこんなお話がありました。
「阪神大震災の時もそうだったんですけど 発達障害を持った子どもたちは 避難所での大人数での生活がとても大変です。
大きな声を出してしまったり 走りまわったりして、自分達も被災者であるのに 家族はとても肩身の狭い思いをしています。
今度Y先生が被災地にそういう子ども達のケアに行くのですが
その時に支援物資と一緒に義援金も持っていくことになっているので、良かったら募金をお願いします。」
私はその話を聞いて そうか・・・そうだった・・・と 大切な事を忘れていた自分に気が付きました。
私も含めてそこにいた親たちは身をもってその大変さを経験してきてるので
先生のお話にいちいち大きく頷いていました。
18歳になった二男が 今もしそいういう状況に置かれたとしても、もう走りまわったりはしないでしょう。
でももしそれが幼稚園や小学校の頃だったら?
きっと私も肩身を狭くして 地震のことよりも我が子の対応に精根尽き果てているかもしれない。
予期しない場面展開や 見通しの立たない事への不安を 人の何倍も大きく感じとる彼らには
避難所は私たちの想像を遥かに超えた過酷な環境になっているはずです。
想像しただけで手が汗で湿り、それを吹きながら私はお財布を出して募金箱にお金を入れました。
義援金・・・たくさんの人のいろんな思いがそこには含まれています。
義援金配分割合決定委員会 という舌を噛みそうな委員会が設置され
既に被災都道県への配分割合が決定したとか。
集められたお金が、被災された皆さんに一番良い方法で届くことを祈っています。