愛媛県宇和島市からの良いたより♪

私のブログでは次の内容を紹介致します。
1.「神の王国の良いたより」、聖書教育
2.花々、風景写真
3.俳句、他

詩編43編の紹介:「わたしの魂よ、なぜお前は絶望しているのか。・・・神(エホバ)を待ち望め」

2016-10-27 23:47:37 | 神の言葉・聖書

 詩編42編には、流刑になっているレビ人が、エホバの聖なる所に行って崇拝が出来ないことを悲しみ、エホバの霊感を受けて詩編を書き記しています。その言葉の中には、雌鹿が命を養う水を必死に探し求めるように、「わたしの魂(命または体全体)は、生ける神を求めて渇いている」と記されていました(詩編42:1,2)。どんなに心の思いが絶望してしまうことが起きても「神(エホバ)を待ち望め」と記しています(詩編42:11)。今日紹介する詩編43編も、同じく詩編作者は「わたしの魂(命または体全体)よ、なぜお前は絶望しているのか。・・・神(エホバ)を待ち望め。・・・わたし自身の大いなる救い」と記されています(詩編43:5)。試練や迫害に耐えて、神エホバへの忠誠を保ち信仰に堅く立つ助けの言葉が記されています。

 詩編43編には次のように記されています。

 「神(エホバ)よ、わたしを裁き、

      忠節でない国民に対するわたしの訴訟を

         処理してください。

      欺まんと不義の人から

         わたしを逃れさせてください。

  あなたはわたしの要塞の神だからです。

      なぜあなたはわたしを

         捨て去られたのですか。

      なぜわたしは敵の虐げのゆえに

         悲しんで歩き回るのですか。

  あなたの光と真理とを送り出してください。

      それらがわたしを

     導いてくれますように

      それらがわたしをあなたの聖なる山

         あなたの大いなる幕屋

         連れて行ってくれますように。

  そして、わたしは神の祭壇へ、

      わたしの歓喜の歓びである

     神(エホバ)のもとへ行くのです。

      そして、神、わたしの神よ、

     わたしはたて琴を奏でて

     あなたをたたえます。

 わたしの魂(命または体全体)よ、

     なぜお前は絶望しているのか。

   なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。

      神を待ち望め

         わたしは、わたし自身の大いなる救い

         わたしの神として、

     なおもこの方をたたえるからだ」(詩編43:1~5)。

 上記の聖句の中で詩編作者は試練の中にあって、エホバ神を「わたしの要塞の神」と呼んでいます。それでもエホバ神に「捨て去れた」かのように感じ、悲しみにくれることもありました(詩編43:1,2)。それでも、詩編作者はエホバ神の「光と真理」を祈り求めエホバ神の光と真理が「わたしを導いてくれますように」と真理の道をしっかり歩む決意を表明しています(詩編43:3)。また詩編作者は「わたしの歓喜の歓びである神(エホバ)のもとに行くのです」と明言しています(詩編43:4)。加えてたて琴を奏でて賛美の歌を歌っています(詩編43:4)。現在においても、神エホバへの賛美の歌は、神聖な崇拝の歌となって歌われています。前書きに書きましたように体全体が絶望し、騒ぎ立つような試練に直面しても、「神(エホバ)を待ち望み。・・・大いなる救い」と全き信仰を抱き、かつ、エホバ神を「たたえる」ことはふさわしいことなのです。現在も真のクリスチャンは、パウロが記した通り、イエス・キリストにあって敬虔な専心の内に歩む人はみな迫害を受けます(テモテ第二3:12)。ですから、詩編作者の言葉は、試練や迫害に耐え、神エホバへの忠誠を保つ助けになるでしょう。

            WWW.JW.ORG

     すすき穂の 風に揺れおり 散歩道 今日の一句

                道辺の「朝顔」

 

    

       

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フジバカマと秋の淡いピンクのバラ

2016-10-27 01:06:12 | 四季折々の花々

 フジバカマの花は地味な感じですが、

 秋の趣を表わしています。

 花弁を観察するととても繊細な花です。

 花期は8月~10月です。

 今日はフジバカマと秋の淡いピンクのバラを紹介致します。

                      庭に咲いている「フジバカマ」

                    バラの愛好家の鉢植えの「秋のバラ」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

詩編42編の紹介:わたしの魂(体全体)は、生ける神を求めて渇いている

2016-10-26 22:51:15 | 神の言葉・聖書

 詩編41編は「立場の低い者に対して思いやりをもって行動する人は幸いです」と記され、エホバ神が「災いの日にその人は逃れさせてくださいます」という言葉で始まっていました(詩編41:1)。病気の時にもエホバ神に祈り、いつでもエホバ神に依り頼む忠誠ゆえに、エホバ神が支えてくださったことが記され、永遠に亘ってエホバがほめたたえられるようにという言葉で締めくくられていました。ダビデ王はどのような時も全き信仰に立ち、エホバ神に栄光と賛美を帰していました。今日紹介する詩編42編は、コラの子孫の一人で、流刑の身になっていたレビ人の状況を私たちを益する為に書き記されています。霊感を受けたそのレビ人の詩編の言葉は、仲間の信者の交わりに対して、また不利な状況の下で忍耐することに対して、エホバ神に喜ばれる認識を保つ点で非常に役立ちます。雌鹿は、水なしでは長く生きることはできません。鹿は猛獣の攻撃にさらされても、命を支える水を探し出し、水を飲みます。鹿が必要に迫られて水を切に求めるように、エホバ神を切に求め「わたしの魂(体全体)は、生ける神を求めて渇いている」と詩編作者は書き記しました(詩編42:1,2)。至聖所に入る特権失ったコラの子孫の切なるエホバを求める気持ちが伝わって来ます。

 詩編42編には次のように記されています。

          指揮者へ。

      コラの子たちのためのマスキル。

 水の流れを慕う雌鹿のように

     神よ、わたしの魂もあなたを慕います

  わたしの魂は、生ける神を求めて

     渇いているのです

     わたしが来て、神のみ前に出るのは

         いつのことでしょうか。

  わたしにとっては、昼も夜も涙が

         食物となりました。

     一方、彼らは一日じゅう、

         「お前の神はどこにいるのか」と

         わたしに言います。

  わたしはこれらのことを思い起こし、

      わたしの内なる魂を注ぎ出します。

      わたしはよく群衆と共に進んで行き、

      神の家に向かって彼らの前を

         ゆっくり歩いたものだからです。

      祭りを祝う群衆の

         歓呼と感謝の声と共に

  わたしの魂よ、なぜお前は絶望しているのか。

      なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。

      神(エホバ)を待ち望め

         わたしは、わたし自身の大いなる救いとして、

         なお神をたたえるからだ。

  わたしの神よ、わたしの内で

      わたしの魂が絶望しています。

      ですから、わたしはあなた(エホバ神)を

      思い起こすのです。

      ヨルダンの地とヘルモンの峰々から、

          小さい山から。

  あなたの水竜巻の音で。

      水の深みが水の深みへと

          呼びかけています。

      あなたのすべての砕け波と大波 -

      それがわたしの上を超えて行きました。

  昼、エホバはその愛ある親切を

          お命じになり、

      夜には、その歌がわたしと共にあります。

      わたしの命の神への

      祈りがあります

  わたしの大岩である神

      わたしは言います。

      「なぜあなたはわたしをお忘れになったのですか。

      なぜわたしは敵の虐げのゆえに

      悲しんで歩くのですか」と。

  わたしに敵意を示す者たちは、

      わたしの骨に対する殺害をもって

         わたしをそしりました。

      そして一日じゅう、「お前の神はどこにいるのか」と

         わたしに言います。 

  わたしの魂よ、なぜお前は絶望しているのか。

      なぜお前はわたしの内で騒ぎ立つのか。

      神(エホバ)を待ち望め

         わたしは、わたし自身の大いなる救い

      わたしの神として

         なおもこの方をたたえるからだ」(詩編42:1~11)。 

 上記の聖句に示されている通り、詩編作者はあざけりに遭って、苦悩を深めることがあっても、その悲しみに打ち負かされないようにするため、自分自身を励ましています(詩編42:3~6)。神(エホバ)を待ち望め」、「わたしの神よ・・・あなたを思い起こすのです」と、常に神エホバに焦点を合わし、自分自身を強めたのです(詩編42:5,6)。詩編作者の流刑地の環境は美しいものでしたが、それでも深い苦悩を言い表しました(詩編42:7)。詩編作者は「あなたのすべての砕け波と大波 - それがわたしの上を超えて行きました」と述べている通りです(詩編42:7)。それでも詩編作者はエホバ神を、敵に追われた時に安全を見いだせる強力なと見做していました。それでも詩編作者には苦悩がありました(詩編42:9)。しかし「神(エホバ)を待ち望め。・・私自身の大いなる救い、わたしの神としてなおもこの方をたたえる」と、エホバに栄光と賛美を帰す信仰を表明しています(詩編42:11後半)。詩編作者は試練の時にも、「生ける神(エホバ)を求めて渇望しいる」時にどのようにしたかを学ぶなら、私たちも強められ、み言葉が力を及ぼし、私たちを強めます(詩編42:2.ヘブライ4:12)。

                   WWW.JW.ORG

        秋の暮れ 手押し車の 老婦人 今日の一句

                     庭に咲いている「ミニバラ」

 

 

       

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

10月の俳句(その5)

2016-10-25 23:56:51 | 趣味の俳句

 こちらは、今日も昼間は夏日の暑さでしたが、

 朝は15,6℃まで気温が下がり秋の深まりを感じます。

 今年は気温が高いため、金木犀の開花が遅れましたが

 庭の金木犀の満開が過ぎ、早くも庭に散っています。

 今日は10月21日から25日までに詠んだ俳句を紹介致します。

       輪切りされ トウモロコシの 甘さかな

       雨の朝 金木犀の 散りし朝

       しまなみの 海道越しに 秋の海

       しまなみの 大橋点灯 秋の瀬戸

       風なくも 甘き香深し 金木犀

           秋晴れや 仲間ら平和 義に満ちる

           秋の雲 さざ波に似て 里の空

           花センナ 青き空背に 快(こころよ)き

           開かぬ窓 拘置所静か 秋晴れて

           道辺にて 多彩なりけり 秋のバラ

                     青空を背に快い「花センナ」

                     優しい愛情を感じる「バラ」

                  ブランドの柿原の柿「前川次郎」

                       早くも散った「金木犀」

                    個体数の少なくなった「赤トンボ」

                     道辺に咲いている「ミゾソバ」

 

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

赤のリコリスと秋の花センナ

2016-10-25 23:45:24 | 四季折々の花々

 リコリスの花は彼岸花の一種です。

 この花は「キツネのカミソリ」としても知られています。

 花期は7月~10月です。

 用途は切り花、庭植へです。

 花言葉は「感傷に浸る」と紹介されています。

 今日は赤のリコリスと秋の花センナを紹介致します。

                      庭に咲いている「リコリス」

                      秋晴れの下の「花センナ」

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする