雨の中、お訪ねしたお家の庭にアベリアが咲いていました。
花弁は小さいのですが、雨の中でも清楚な印象を与えています。
花期は6月~10月です。
用途は鉢植え、生垣です。
花言葉は「恋多き人生」と紹介されています。
今日は雨の中のアベリアと淡いピンクの山茶花を紹介致します。
雨の中の「アベリア」
ご近所の垣根の雨の中の「山茶花」
雨の中、お訪ねしたお家の庭にアベリアが咲いていました。
花弁は小さいのですが、雨の中でも清楚な印象を与えています。
花期は6月~10月です。
用途は鉢植え、生垣です。
花言葉は「恋多き人生」と紹介されています。
今日は雨の中のアベリアと淡いピンクの山茶花を紹介致します。
雨の中の「アベリア」
ご近所の垣根の雨の中の「山茶花」
詩編38編は、ダビデ王の重大な罪の悔い改めの祈りの言葉が記されていました。その祈りの言葉の中で、ダビデ王は「わたしの神よ、わたしから遠く離れないでください」と懇願していました(詩編38:21)。つまり、愛と公正と知恵と力の源のエホバ神に対して、いつも自分の近くにいてくださるように祈り求めたのです。私たちも同じように、エホバ神に傍で支え保護し、祝福を与えてくださるように祈ることが出来ます。今日紹介する詩編39編には、ダビデ王は言葉で「罪を犯すことがないようにしょう」と、決意を祈りの言葉で表明しています(詩編39:1)。また、謙遜に「わたしのすべての違犯からわたしを救ってください」と、懇願しています(詩編39:8)。エホバ神は廉直な者の祈りの言葉に答え応じてくださるのです。加えて率直に、ダビデ王は「わたしの涙に対して沈黙しないでください」と祈っています(詩編39:12)。自分の心情をダビデ王は常にさらけ出し、祈っています。皆様方はダビデの祈りの言葉からどのような宝を見いだされるでしょうか。
詩編39編には次のように記されています。
エドトンの指揮者へ。ダビデの調べ。
「わたしは言った、「わたしは自分の道を守って、
舌で罪を犯すことがないようにしょう。
邪悪な者がわたしの前にいる限り、
わたしは自分の口にくつこを
守りとしてはめよう」。
わたしは口の利けない者となって沈黙した。
わたしは良いことから押し黙っていた。
すると、わたしが痛みを受けることは
締め出された。
わたしの心はわたしの内で熱し、
わたしが溜め息をついている間、
火は燃えつづけた。
わたしは自分の舌で言った。
「エホバよ、わたしの終わりをわたしに知らせてください。
わたしの日の長さを - それがどれだけかを。
自分がどんなにはかないもの
であるかを知るためです。
ご覧ください、あなたはわたしの日を
ごくわずかなものとされました。
わたしの寿命はあなたのみ前には
ないも同然です。
実に、地の人は皆、しっかり立ってはいても、
ただの呼気に過ぎません。
実に、人は幻像のように歩き回ります。
実に、彼らはいたづらに騒ぎ立ちます。
物を積み上げますが、だれがそれを
集めることになるか知りません。
それで今、エホバよ、
わたしは何を待ち望んでいたのでしょうか。
わたしの期待はあなたに向けられています。
わたしのすべての違犯からわたしを
救い出してください。
わたしを無分別な者のそしりとしないでください。
わたしは口がきけませんでした。
わたしは口を開くことができませんでした。
あなた自身が行動されたからです。
あなたの災厄をわたしから取り除いてください。
あなたのみ手の敵意のために、
わたしは終わりを迎えたのです。
あなたはとがに対する戒めによって
人を正されました。
そしてその願わしい物を
蛾のように食い尽くされます。
実に、地の人はみな呼気なのです。
エホバよ、わたしの祈りを聞いてください。
助けを求めるわたしの叫びに
耳を向けてください。
わたしの涙に対して
沈黙しないでください。
わたしはあなたにとって外人居留者にすぎず、
わたしのすべての父祖と同じく移住者だからです。
わたしから目をそらしてください。
わたしが去って(死んで)、いなくなる前に、
わたしの気持ちが
晴れやかになるために」(詩編39:1~13)。
上の聖句に示されている通り、私たち人間の寿命は、永遠から永遠に亘って存在されるエホバ神のみ前では、無いも同然であることが明らかにされています。しかも、人間は「しっかり立ってはいても、ただの呼気にすぎない」のです(詩編39:5)。そでも、ダビデ王は、自分の期待はエホバ神に向けられている、ことを明らかにし、常にダビデはエホバ神に依り頼みました。エホバ神は「呼気」にも等しい人間の祈りの言葉、エホバに依り頼む言葉を聞き、私たちの歩む道筋をエホバ神ご自身が真っ直ぐにしてくださるのです(箴言3:5,6)。エホバ神は、謙遜なご自分の民を必ず顧みてくださるのです。エホバ神はご自分の廉直な民が、快い道、平安の道、命の道を歩むことを喜びとされるのです(箴言3:17,18)。あなたもエホバ神に依り頼む人のお一人であれば幸いです。
雨の朝 金木犀の 散りし庭 今日の一句
雨の朝、早くも散った「金木犀」
まだ日中は26,27℃になることもありますが、秋の深まりを感じます。
庭の金木犀も一挙に満開になり、早くも少しずつ散り始めています。
金木犀の甘い香りの期間は短いです。
鳥取県で震度6弱の地震があったことをニュースで伝えています。
被災地の皆様方にお見舞いを申し上げます。
今日は10月16日~20日までに詠んだ俳句を紹介致します。
みの虫や 風に揺られし 庭の枝
玄関を 開けば香る 金木犀
青柿は サラダにすると 婦人買う
赤じゅうたん 丘に広がる コキアかな
ー コキアの広がるニュースを見て -
幼き日 思い出多し 栗ご飯
極早生の ミカンの甘し 友来る
ミゾソバに 身をかがめ見る 朝の道
貨物船 静かに入る 秋の海
道辺に咲いている「ミゾソバ」
- ピンボケになりました -
庭に咲いている「ホトトギス」
庭に咲いている「秋の花センナ」
柿原の柿「前川次郎柿」
庭に咲いている「金木犀」
近くの道辺に毎年この時期にミゾソバが咲いています。
小さな花ですから、見過ごしてしまいそうです。
ピンクを装った可愛い山野草です。
今日は道辺のミゾソバと秋のバラを紹介致します。
道辺に咲いている山野草「ミゾソバ」
庭に咲いている「秋のバラ」
詩編38編の前半には、エホバ神が否とされる事柄を行なった場合、「感覚を失い、極度に打ちひしがれる」苦悩を刈り取る結果になることを教えていました(詩編38:8)。ですから、人は何であれ撒いたものを刈り取る絶対の原則を、ダビデの経験を通して教えています(ガラテア6:7)。ですから、聖書は公正を行い、親切を愛し、慎みをもってあなたの神エホバと共の歩むように促しています(ミカ6:8)。「悪いことから遠ざかり、善いことを行なえ」と、ダビデも書き記していました(詩編37:27)。今日紹介する詩編38編12節~22節には、ダビデの魂(命)を狙う者は1日じゅう欺まんをつぶやくことが記されています(詩編38:12)。邪悪な者は、一時的ではなく、悪を考え続けることを教えています。それは背後に偽りの父悪魔サタンがいるからです(ヨハネ8:44)。私たちは神エホバからの完全にそろった霊的な武具が必要なのです(エフェソス6:11)。
詩編38編12節~22節には次のように記されています。
「しかし、わたしの魂(命)を求める者たちは
わなを仕掛け、
わたしに災いをもたらそうとする者たちは
逆境について語りました。
彼らは一日じゅう欺まんを
つぶやきつづけます。
しかしわたしは、耳の聞こえないような者のように
聞こうとせず、
物の言えない者のように
口を開こうとはしませんでした。
そして、わたしは聞いていない者のようになり、
わたしの口に反論はありませんでした。
それは、エホバよ、わたしがあなたを
待ち望んだからです。
わたしの神エホバよ、あなたご自身が
答えてくださったのです。
わたしはこう言ったからです。「さもなければ、
彼らはわたしのことで歓ぶだろう。
わたしの足がよろめき行くなら、
彼らは必ずわたしに向かって
威張るだろう」。
わたしはびっこを引きそうになり、
わたしの痛みは絶えず
わたしの前にあったからです。
わたしは自分のとがを言い表し、
自分の罪について思い煩うようになったからです。
そして、生きているわたしの
敵は力強くなり、
何の根拠もなく
わたしを憎む者は多くなりました。
彼らは善に対して悪をもってわたしに報い、
わたしが善いことを追い求めることに対し、
わたしに抵抗して応じました。
エホバよ、わたしを捨てないでください。
わたしの神よ、わたしから
遠く離れないでください。
急いでわたしを助けに来てください。
わたしの救いであるエホバよ」(詩編38:12~22)。
上の聖句に示されている通り、邪悪な者の欺まんに対して、ダビデは「聞いていない者のようになり」、口論をすることはありませんでした。それは、常にエホバ神を信頼し、すべてをエホバ神に委ね、エホバ神を待ち望んだからです(詩編38:12~15)。ダビデはエホバ神を避難所とし、信仰に堅く立ち続けました。
邪悪な者たちとは異なり、ダビデはエホバのまえに「自分のとがを言い表し」、悔い改めをしています(詩編38:18)。邪悪な者は「善に対し悪をもって報い」ましたが、いつもダビデはエホバ神に、「わたしの神よ」、と親しく呼びかけ、エホバ神に近づき「わたしから遠く離れないでください」と懇願しています(ヤコブ4:8)。ダビデ王は謙遜な特質を明らかにしています(詩編38:20,21)。ですから、ダビデ王は「わたしの救いであるエホバよ」よ(詩編38:22)、と、確信を込めてエホバ神に祈ることが出来たのです。私たちもダビデの精神態度に見倣うことが出来ます。
輪切りされ とうきびも出る 夕餉かな 今日の一句
宇和島湾の風景