醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  95号  聖海  

2015-02-18 10:58:12 | 随筆・小説

  恋は秘めてこそ恋   わせの香や分入(わけいる)右は有磯海

 句郎 『おくのほそ道』に載っている芭蕉の句の鑑賞がいよいよ終わりに近づいてきた。
華女 そうね。あと何句ぐらい残っているのかしら。
句郎 そうだね。十数句じゃないかと思う。
華女 今日はどこで詠んだ句なの。
句郎 那古の浦から金沢にいたる有磯海で詠んだ句を鑑賞してみたい。
華女 どんな句なの。
句郎 「わせの香や分入(わけいる)右は有磯海」という句なんだ。
華女 早稲の田のあぜ道に入っていくと右手に有磯海が見えてきたというだけの句なの。
句郎 あゝ、ここが有磯海か。それだけの句だと思う。
華女 「有磯海」への芭蕉の思い入れが分からなくちゃ、鑑賞できないわね。
句郎 有磯海を詠んだ「かくてのみありその浦の浜千鳥よそになきつつこひやわたらむ」というよみ人しらずの歌が拾遺集にある。芭蕉はこの歌を思って、ここが有磯海かと詠んだ句が「わせの香や分入(わけいる)右は有磯海」だったんじゃないかと思う。
華女 「かくてのみありその浦の浜千鳥よそになきつつこひやわたらむ」。この歌の意味はどんなことなの。
句郎 このように荒い海に鳴く浜辺の千鳥のようにあなたと離れた場所であなたをずっと恋い慕い泣き続けてている想いは届くのだろうか。
華女 想いが届かない苦しみを詠ったものなのね。
句郎 この歌を読み、恋の苦しみを知って初めて芭蕉のこの句が味わえるように思うんだけれどね。
華女 有磯海は恋の歌枕なのね。
句郎 そのようだよ。この海で恋を秘めた女性がいたということを知らないと芭蕉のこの句を味わえないのではないかとね。
華女 早稲の香が漂う畦道を分け入っていくと右手にあの有磯海が見える。それだけの句がこの海を詠んだ歌を知っていると味わいが出てきたように感じるわ。
句郎 恋は秘めてこそ恋なのかな。
華女 遠い遠い昔の話ね。でも、姉の姑さんが老人ホームに入って恋をして元気になったという話を聞いたわ。
句郎 そういえば、そんな話があったね。
華女 姉が会いに行くとそのおじいさんの話ばっかりして、腕を組んでソファーに座っているんだって。この間は彼に聞いたそうよ。「私、トイレが近いからオシメした方がいいかしら」と尋ねたら彼氏が「そうした方がいいよ」と言ったんだって。姉、大笑いしていたわ。
句郎 現代の恋はとても軽いものになっているんだな。
華女 そうよ。軽い恋がいいのよ。それが芭蕉の「軽み」なんじゃないの。

醸楽庵だより  94号   聖海

2015-02-17 12:05:35 | 随筆・小説

 「一家に遊女と遊ぶ芭蕉かな」聖海   「一家に遊女もねたり萩と月」芭蕉

句郎 市振で芭蕉の詠んだ句が「一家に遊女もねたり萩と月」だ。この句に僕は芭蕉の人生観があるように思っているんだけれどね。
華女 どうしてそんなことが言えるの。そんなことよりこの句の季語は何なの。
句郎 そうだね。萩も月も季語だね。二つ季語が入っている。主従がはっきりしていれば問題ないと言われているけれどね。
華女 この句の場合、萩と月、どちらが主で、どちらが従なの。
句郎 どちらが主たる季語なのか、はっきりしていないね。二つが同時に季語になっているように思う。
華女 そんな句もありなのね。
句郎 俳句の名人にはなんでもありなんじゃないかな。将棋なんかでも「名人に定跡なし」というからね。
華女 主従のはっきりしない二つの季語がある句としてこの句を覚えておこう。
句郎 「おくのほそ道」本文を読むと市振旅立ちの朝、遊女たちが芭蕉にお願いする。「行衛しらぬ旅路のうさ、あまり覚束なう悲しく侍れば、見えがくれにも御跡をしたひ侍ん。衣の上の御情に大慈のめぐみをたれて結縁せさせ給へ」と。この文章に続く芭蕉の言葉に芭蕉の人生観があるように思うんだ。
華女 芭蕉は何と答えるの。
句郎 「我々は所々にてとヾまる方おほし。只人の行にまかせて行べし。神明の加護、かならず恙なかるべし」と。芭蕉は遊女たちの願いを断るんだ。
華女 芭蕉は冷たい人だったのね。
句郎 うん。冷たいんだ。この冷たさに芭蕉の人生観があるように思うんだ。
華女 人に対する冷たさは私が最も嫌うことね。人には優しくなくちゃね。
句郎 一見、冷たく感じられるんだがね、ここに人生を慈しむ優しさが秘められていると思うんだけどね。
華女 どうしてそんなことが言えるの。
句郎 芭蕉は市振の宿で遊女と同衾したのではないかと思っている。「一家に遊女とねたり萩と月」じゃ、句にならないでしょ。だから「一家に遊女もねたり萩と月」にしたんだと思う。
華女 もし、本当にそうだったとしたら、ますます芭蕉は許せないわ。そんな薄情な人だったと芭蕉を思いたくもないわ。
句郎 うん。人生は出会いと別れでしょ。どんなに愛した子どもであっても、その子どもといつかは分かれなくちゃならないでしょ。誰にも死は絶対に避けられないじゃない。子どもが生まれ、出会いがあり、死をもって別れが来る。
華女 あったりまえのつまらないこと言わないでもらいたいわ。
句郎 人生の出会いと別れを象徴的に表現した文章と句が章が「市振」だと思う。
華女 「市振」の章は実話ではないと言いたいの。
句郎 実際にあった話なのか、なかったのか、それは分からない。人生には別れという無慈悲な出来事がある。我々の目の前には絶えず無慈悲な現実があるということなんだ。この無慈悲な現実を受け入れて人間は生きていかざるを得ない。この現実の無慈悲さをしっかり知ることが生きていく力となる。そのようなことを表現した章なのではないかと思うんだ。
 

醸楽庵だより  93号   聖海

2015-02-16 11:51:37 | 随筆・小説

  佐渡への想いを詠む   荒海や佐渡によこたふ天河

句郎 「荒海や佐渡によこたふ天河」。この句は佐渡への芭蕉の想いを詠んだ句だと僕は思うんだけどね。
華女 芭蕉の佐渡島への想いとはどんなものだったのかしら。
句郎 佐渡と云えば流人の島だよね。
華女 金山だったんじゃないの。
句郎 佐渡で金山が発見されたのは慶長6年(1601)のことだというから芭蕉が佐渡島に寄せた想いは金山じゃないと思う。
華女 流人というと誰が流されたの。
句郎 承久の乱に敗れ、佐渡に流刑となった順徳院を芭蕉は思い出したのではないかと思う。
華女 どうして芭蕉が順徳院を思い出したと句郎君は分かるの。
句郎 そりゃ、三百年前の人の気持ちが分かるはずがない。しかし想像はできるように思うんだ。芭蕉はもちろん百人一首にある歌は全部知っていたんじゃないかと思う。百人一首に順徳院の歌がある。「ももしきや古き軒端のしのぶにもなほあまりある昔なりけり」だよ。
華女 この歌は何を詠んでいるの。
句郎 「ももしき」はズボンの下に履く下着じゃないよ。
華女 失礼ね。そんなことわかっているわ。
句郎 宮中のことだよね。大宮の古くなった軒端は荒れ果てしのぶ草が繁茂している。昔ここにあった宮中の栄華を偲ぶにも偲べない。今はただ古い軒端にしのぶ草があるだけ。
華女 昔の栄華はただ私の胸にだけ「なおあまりある思い」だけがあると。
句郎 さうだ。「もののあわれ」だよ。芭蕉はこの歌を知っていた。だから佐渡島を眺めた芭蕉は流刑になった順徳院を思ったんじゃないかとね。
華女 佐渡島に流された人は順徳院だけじゃなかったんでしょ。
句郎 「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」。この言葉を知っている?
華女 聞いたことがある言葉だわ。誰だったかしら。
句郎 世阿弥だよ。
華女 「風姿花伝」にある言葉ね。どんな意味かしら。
句郎 俳句初心者がよく言われる言葉に「言い過ぎちゃいけい」があるでしょ。俳句でいえば「言い過ぎない」ということを「秘すれば花」と世阿弥は言ったんだと思う。言い過ぎちゃうと俳句にならないということを世阿弥は「秘せずば花なるべからず」と言ったのだと思う。
華女 芭蕉は世阿弥の謡曲を知っていたのかしら。
句郎 謡を見て芭蕉は楽しんでいたのじゃないかと思う。「おくのほそ道」遊行柳も謡にあるでしょ。当時の民衆の楽しみを芭蕉も楽しんでいたじゃないかな。政治犯流刑の島、佐渡島を芭蕉は荒海越に見て詠んだ句が「荒海や佐渡によこたふ天河」だったんじゃないかと思う。

醸楽庵だより   92号   聖海

2015-02-15 12:13:11 | 随筆・小説

  恋心を詠む越後路  「文月や六日も常の夜には似ず」芭蕉

華女 句郎君、越後路で芭蕉が詠んだ句「文月や六日も常の夜には似ず」。この句は何を詠んでいるのか、全然分からない句ね。
句郎 文月というと何月のことだったっけ。
華女 文月は七月のことを言うのよ。
句郎 七月というと季語は夏だよね。
華女 あら嫌だ。句郎君。文月は秋よ。
句郎 あっ、そうか。旧暦じゃ、七月はもう秋か。
華女 そうよ。七夕には短冊に思いを込めた文をしたためたのよ。だから七月を文月と云うらしいわよ。
句郎 「文月や」と読むと当時の人々にとっては七夕が来るんだなァーと云う気持ちが湧き出てくるんじゃないかな。
華女 「六日も常の夜には似ず」とはなんなの。
句郎 分からないかな。イヴだよ。
華女 あっ、そうなの。七夕の前夜ね。
句郎 イヴというと若者は盛り上がるでしょ。カップルなんか。特にね。
華女 分かったわ。普段の夜じゃなく、気分が盛り上がる夜ということね。
句郎 明日は七夕だ。華やいだ気配が漂う中に吹く夜風に秋がにおう。季語、文月の本意はこんなところにあるんじゃないかな。
華女 元禄2年7月7日というと新暦の何月何日になるのかしら。
句郎 8月21日になる。文月は秋の気配を感じ始める頃だね。
華女 古今集、藤原敏行が詠んだ歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の頃ね。
句郎 そうだよ。芭蕉の句には秋の気配は詠み込まれていないね。いや、季語「文月」そのものに秋の気配があるのかもしれない。
華女 そうなのよ。「文月や」と詠んだだけで秋の気配が漂うのよ。
句郎 そうかもしれない。七夕の前夜でさえも華やいだ気分になるということか。
華女 明日、織女は牽牛と逢うと思うだけで気分が盛り上がったんだわ。
句郎 当時の若者たちは七夕の夜に逢瀬を楽しんだのかもしれないな。
華女 芭蕉はそんな若者たちの気持ちに添ってこの句を詠んだのね。

醸楽庵だより   91号   聖海

2015-02-14 11:19:15 | 随筆・小説

   ただごとか、諧謔か、「汐越や鶴脛ぬれて海涼し」

句郎 象潟で芭蕉が詠んだ「象潟や雨に西施がねぶの花」は有名だけれども「汐越や鶴脛ぬれて海涼し」の句は「おくのほそ道」を読んだ人でなければ、知らない句だね。
華女 そうね。私もこんな句を芭蕉は象潟で詠んでいるんだと思ったわ。
句郎 「おくのほそ道」の本文に「海北にかまへて、浪打ちいる所を汐こしと云」と書いているから固有名詞と考えていいんじゃないかな。
華女 「鶴脛」というのは衣の丈が短くて、脛が長くでていることをいう普通名詞よね。汐越に出て働いている人を見た芭蕉は足元が海水に曝され涼しそうだなと感じたことをそのまま述べただけの句のように思うわ。
句郎 ただごと、ただごと。そんな感じがする句だね。
華女 芭蕉が詠んだ句、「おくのほそ道」に掲載されている句だから読まれる句のように感じるわ。
句郎 芭蕉にも凡作があるなぁーと我々を喜ばしてくれる句かもしれないね。
華女 でも汐越にいたのが人でなく、舞い降りた鶴が浅瀬にいたと考えると違ってくるようにも思うわ。
句郎 なるほどね。でも真夏の海浜に鶴が舞い降りてくるようなことが本当にあるのかな。
華女 そうね。鶴は渡り鳥ですものね。
句郎 鶴が日本に渡ってくるのは冬だね。真夏の鶴なんていうのは見たことも聞いたこともない気がするよ。
華女 象潟の汐越で芭蕉が見た鳥はアオサギだったかもしれないわ。アオサギは鶴ほど大きくはないけれども足は長いわ。
句郎 確かに鶴に似たアオサギがいることはいるらしいね。
華女 汐越にいた鶴に似た鳥を見た芭蕉がこりゃ本当の鶴脛だとしゃれたことだとしたら諧謔になるんじゃないかしら。
句郎 そうかもしれない。ただごか、諧謔、どっちなんだろうな。
華女 俳句はそもそも諧謔から始まったんでしょ。
句郎 うん。談林の俳句というのは諧謔だものね。
華女 そうでしょ。芭蕉はもともと笑いの好きな人だったんじゃないかしら。
句郎 庶民はいつの時代も権威あるものを笑って生きていく力を得たようなところがあるね。
華女 俳句もそうなんじゃないの。ただごとに笑いを見つける。当たり前に見えるものに笑いを発見する。そんな文芸が俳諧だったんでしょ。
句郎 この句もそうすると諧謔の句だと勝手に解釈したいね。
華女それでいいんじゃないの。偉そうな人にそうじゃないと言われてもね。

醸楽庵   90号   聖海

2015-02-13 11:04:19 | 随筆・小説

  日本酒も製造直売に

侘輔 ノミちゃん、日本三大歓楽街というとどこか、知っているかい。
呑助 どこでしょうね。東京の歌舞伎町は東洋の歓楽街でもあるわけでしょうから、第一の歓楽街は新宿・歌舞伎町でしょうね。第二はやはり大阪でしようか。大阪というとキタでしようか。それとも札幌・ススキノあたりでしようか。第三は福岡・中州でしようね。
侘助 札幌・ススキノが大阪の歓楽街を凌いでいるらしいですよ。
呑助 あっ、そうかもしれませんね。
侘助 先日、日本を代表する札幌の大歓楽街・ススキノがえらく寂しくなっているという話を聞いた。
呑助 へぇー、そうですか。
侘助 飲屋ばかりの入ったビルのネオンは点いているが三割ぐらいの店が営業していないらしい。
呑助 もしかしたら、消費税増税の影響でしようかねぇー。
侘助 そんなことはないとは思うんだけどね。今、全般的にデパートを初め、消費者の動向に大きな変化が現れてきているらしい。
呑助 日本酒にはどのような変化がでてきているのでしょうか。
侘助 もう、十年も前の話になるけれども、野田に大きな酒問屋A商店があったけれども店を閉めた。
呑助 代変わりしてから徐々にダメになったと聞いていますよ。
侘助 そうらしい。小売店に対して横柄だったと。
呑助 小売店に横柄じゃ、売って貰えないですね。
侘助 確かにね。東京に全国展開している地酒の酒問屋・小泉商店がある。
呑助 山形の「出羽桜」や石川の「手取川」を持っている酒問屋ですね。
侘助 うん。そうだ。その酒問屋から去年、抜け出た酒蔵がある。青森の酒蔵「田酒」を醸す西田酒造だ。酒問屋に酒を卸すことを辞め、直接酒販店に卸すことにしたようだ。
呑助 一切、問屋に酒を卸さないんですか。
侘助 そうらしい。日本全国にある百三・四十店の酒販店を特約店にしてここだけに酒を卸すようにしたらしい。一切、問屋との付き合いを止めてしまった。それでも生産が追い付かないようだよ。
呑助 青森の「獺祭」ですね。
侘助 「田酒」というと浅草の居酒屋「松風」を思い出すんだ。「田酒」と「出羽桜」を一杯づつ飲むとそれ以上売ってくれない店だよ。
呑助 そんな居酒屋があるんですか。
侘助 珍しい居酒屋なんだ。「田酒」は飲み飽きしない酒なんだ。綺麗で咽越しがいいんだ。
呑助 はっきりした個性のない酒なんですね。
侘助 そうなんだ。自宅で一人、飲む酒にしては物足りない、そんな感じを私は持っているんだけどね。それが料飲店で飲む酒にしては具合がいいのかもしれない。何しろ、すいすい入っていくからね。料飲店では使い勝手がいいお酒のようだ。
呑助 料飲店用のお酒なんでしようね。
侘助 酒質が確かに「獺祭」に似ているようにも感じるな。軽快で飲み飽きしない酒だから。「獺祭」も「田酒」も酒問屋に卸さず、特約店の酒屋に卸す。消費者はコンビニやスーパーで日本酒を買うことをしなくなってきている。専門店で日本酒を買うようになってきている。

醸楽庵だより   89号   聖海

2015-02-12 11:04:41 | 随筆・小説
  女の憂いは男への哀しみか  「象潟や雨に西施がねぶの花」

 
 象潟に咲く合歓の花に雨が降っている。その景色は古代中国・春秋時代、越国の美女、西施がまどろんでいるようだ。「ねぶ」という言葉が掛詞になっている。「ねぶの花」という言葉に「眠っている」という意味を含ませている。
 この句は「西施」という言葉が何を意味しているかを知らなければ鑑賞することができない。高校生の頃、私は「西施」を楊貴妃と並ぶ中国の絶世の美女だと教わったような気がする。夏、磯でまどろんでいると雨が降ってきた。夏の強い雨をものともしないですやすやと眠っている美女を想像したように思う。そうずっーと思ってきた。
 今回、「奥の細道」を読み、私が想像した世界とは違ってることに気付いた。今まで三回ほど「奥の細道」を読んだことがある。にもかかわらず、記憶に残っていなかったことがある。それはこの句の前に「象潟はうらむがごとし。寂しさに悲しみをくはえて、地勢魂をなやますに似たり」とある。美女、西施の美しさはうらむがごとく、寂しさに悲しみを加え、悩んでいる姿なのだ。
 西施は越の王から呉の王に献上された女奴隷だった。この女奴隷の哀しみを表現した句が「象潟や雨に西施がねぶの花」なのだ。
 呉越同舟という四語熟語がある。春秋時代は小さな都市国家がいくつも出現した時代である。それらの小さな国々が興亡を繰り返し、最終的には戦国の七雄といわれる七つの国にまとまっていく。その過程は戦乱につぐ戦乱であった。最終的には中国南部の地域は呉の国に統一されていく。この呉の国の文化が日本に影響を与えた。その一つに呉服がある。呉服の起源は呉の国の服装であった。また漢字に呉音読みがある。これは当時の呉の国の漢字の読みの音だ。呉は大国であった。呉が大国になっていく過程で南に位置した国、越の国の人々は更に南へと追いやられていく。越国は呉国に敵愾心を抱いていた。越国の人が敵国呉国の人と同じ船に乗ることを呉越同舟という。また「臥薪嘗胆」という四語熟語がある。日清戦争後、下関条約で遼東半島の割譲を清国に承認させたが、三国干渉によって遼東半島を清に返還させられた。この時、欧米諸国に復讐を誓ったスロ―ガンが「臥薪嘗胆」である。薪の上に臥して屈辱を忘れない。三国干渉の屈辱を忘れてなるものか。同じように越の国が呉の国への復讐を誓った言葉が「臥薪嘗胆」である。復讐に燃える越国の王は美女西施を呉国の王に贈り、女の体に溺れさせようとする。呉国の王への贈り物にされた西施は男の遊び者にされた悲しみにくれている。戦の好きな男たちに対するやり切れない哀しみ、寂しさに満ちた儚い美しさが篠つく夏の雨ではなく、霧雨に煙るような雨に打たれて眠る西施の姿を芭蕉は胸に思い描いて詠んだ句だと考えるようになった。
 臥薪嘗胆などという復讐を誓う男がいなければ、呉の王に女を贈り物として届けられるようなことはなかった。戦の好きな男に対する深い絶望に裏打ちされた女の哀しみを表現したのが「象潟や雨に西施がねぶの花」という句なのではないか。
 古代ギリシアでも同じように戦を好む男を笑う喜劇「女の平和」という演劇がある。男は戦が好き。女は平和が好き。女たちが団結してセックスを拒否し、男たちに戦をやめさせる芝居である。

醸楽庵だより   88号   聖海

2015-02-11 10:42:30 | 随筆・小説

 「たり」と「たる」。句にどんな違いが起きるの
   「暑き日を海にいれたり最上川」と「涼しさや海に入(いれ)たる最上川」
 
句郎 「涼しさや海に入(いれ)たる最上川」。この句は芭蕉と曾良が酒田の豪商、寺島彦助亭に招かれて歌仙を巻いたときに芭蕉が発句として詠んだ句だ。季語は「涼しさ」、「夏」。亭主への挨拶句なのだろうね。
華女 最上川の涼しさを運んできた川水が海に流れ込み、このお屋敷は涼しゅうございます。このように挨拶をしたのよね。
句郎 歌仙の発句はこれが良かったんだろうね。
華女 歌仙の発句を推敲した芭蕉はこの句を自ら添削して「暑き日を海にいれたり最上川」とした理由は何だったのかしら。
句郎 「涼しさや」を「暑き日に」と上五に置いた季語を変えた。こうすることによって亭主寺島氏への挨拶性が消えた。大きな違いだ。歌仙の発句であった挨拶句が独立し、自立した句になった。
華女 大きな違いね。
句郎 更に「海に入(いれ)たる」を「海にいれたり」に推敲した。「たる」は最上川を修飾するが「たり」はここで文を切る。「暑き日を海にいれたり/最上川」「涼しさや/海に入(いれ)たる最上川」。句の切れの位置が変わっている。こうすることによって句が表現する世界に大きな違いができてくる。
華女 二つの句が表現する世界の違いが分かるわ。涼しさを運んできた最上川が海に入ってここは涼しいですねと、いうような世界から最上川は夏の暑き日を海に沈め、夕ぐれは涼しくなったと、いうような世界かしら。
句郎 僕もそう思う。最上川河口の世界を詠んだ句が宇宙の普遍性、太陽が海の彼方に沈んでいくと夕暮は涼しくなる世界を詠っている。本当にこの句を詠んだ日は暑かったんだろうね。
華女 この句を芭蕉が詠んだ日はいつだったのかしら。
句郎 曾良旅日記、俳諧書留によると旧暦六月十五日となっているから今の暦にすると七月三十一日になるようだ。
華女 真夏だったのね。
句郎 真夏の暑さを十七文字で表現するところに俳句という文芸の凄さみたいなものがあるのだろうか。
華女 きっとそうなんじゃないかしら。

醸楽庵だより   87号   聖海

2015-02-10 10:04:14 | 随筆・小説
 
  酒田で芭蕉が詠んだ句、「あつみ山や吹浦かけて夕すゝ゛み」。この句に「や」は必要か

華女 句郎君「あつみ山吹浦かけて夕すゝ゛み」。「や」を抜いてもいいと思わない?
句郎 岩波文庫「芭蕉俳句集」を見ると「あつみ山や吹浦かけて夕すゝ゛み」と「あつみ山吹浦かけて夕すゝ゛み」。「や」を抜いたものが載せてある。
華女 「おくのほそ道」に芭蕉はなぜ「あつみ山や吹浦かけて夕すゝ゛み」を載せているのかしら。
句郎 確かに「あつみ山」は五音。「あつみ山や」は六音になってしまう。五音の方がすっきりしているしね。
華女 そうよね。強いて字余りにした理由はあるのかしら。
句郎 この句を芭蕉が詠んだ所はどこだと思う?
華女 「おくのほそ道」に書いてないもの、分からないわ。
句郎 江戸時代の注釈書「奥細道菅菰抄」によると「此の句は、袖のうらにての吟なるよし。酒田の磯、最上川の落口に、袖形の洲崎あり。此処を袖の浦と云。名所にて、古歌多し」と書いてあるから最上川河口の袖の浦で詠んだものだろうと考えられている。
華女 詠んだ場所が「あつみ山」に「や」を付けた理由になるの。
句郎 詠んだ場所の関係から「あつみ山」に「や」を付けた理由がわかるかもしれない。
華女 どんな関係があるの。
句郎 その前に芭蕉は何に感動してこの句は詠んでいるんだろう?
華女 「あつみ山」が北の吹浦の方まで見渡して夕涼みしている。雄大な景色に感動して詠んだのじゃないかしら
句郎 「あつみ山」を擬人化して詠んだと思ったんだね。
華女 違うのかしら。
句郎 「あつみ山」というのは酒田から南の方にある山の際から温泉の出る所がある。その温泉は海に流れ、海水が暖かい。その場所を人々は温海(あつみ)というようになった。海の際にある800m弱の山を「温海山」という。吹浦は酒田から北にある所だよ。「あつみ山」から吹浦にかけて一望できる袖の浦で芭蕉はこの句を詠んだ。九十九里浜のような海岸線が一望できる浜での景観に感動したんじゃないかな。
華女 雄大な海岸を一望した感動を詠んだ句だというわけね。
句郎 袖の浦という場所が一望できる場所なんだと思う。
華女 袖の浦がそのような一望できる場所だということは分かったわ。しかし「あつみ山」に「や」を付けた理由にはなっていないわ。
句郎 「世の中は三日見ぬ間に桜かな」という俳句を知っている?
華女 知っているわよ。江戸時代の人が詠んだ句よね。
句郎 そうだ。あっという間に桜が咲いた。その感動を詠んだ句だ。天明中興の五傑の一人、大島蓼太の句だ。この大島蓼太が『七部棚捜』の中で「あつみ山や」の「や」について、「やの字はあつみ山やふく浦と首をめぐらしたる句なり」と述べているという。この指摘を「おくのほそ道・全訳注」久富哲雄著(講談社学術文庫)で知った。
華女 「あつみ山や」の「や」は「あつみ山」や「吹浦」をという意味の「や」なの。
句郎 久富は「聴くべき言葉だ」と言っている。
華女 芭蕉は南に向けた首を北に巡らして海岸線を眺めたということなのね。
句郎 「あつみ山や」と切って「吹浦かけて夕すゝ゛み」。雄大な海岸線が見えてくるでしょ。
華女 そうね。
http://www2.yamanashi-ken.ac.jp/~itoyo/basho/okunohosomichi/okuno26.htm  

醸楽庵だより  86号   聖海

2015-02-09 11:24:33 | 随筆・小説

   地女に男は惚れない  「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」

華女 句郎君、芭蕉には奥さんがいたの。
句郎 いや、いなかったようだよ。
華女 「数ならぬ身とな思ひそ玉祭」という芭蕉の句は誰を詠んだ句なのかしら。
句郎 芭蕉とかかわりをもった女性の追悼句のようだよ。
華女 でも、奥さんじゃなかったのね。
句郎 「数ならぬ身」と思うことはないよ、と仏となった女性に呼びかけている。私はこうしてお前の極楽往生を墓前で祈っているのだから。
華女 その女性は自分を「数ならぬ身」と思うような状況にあったということなのね。
句郎 そうかもしれない。寿貞尼と言われている女性なんだ。芭蕉とどのようなかかわりがあったのか杳としてわからない。
華女 芭蕉の寿貞尼に対する思いは熱そうじゃない。
句郎 芭蕉は自分の身の周りにいた人への篤い思い入れを持っていた人なのじゃないのかな。
華女 そうなのかもしれないわね。きっと女性にはモテタかもしれないわ。
句郎 芭蕉は女性だけでなく、男にも人気のある人だったようだよ。
華女 政治家という人に「人たらし」とでも言う人がいると聞くけど、芭蕉もそうだったのかもしれないのね。句郎 芭蕉は寿貞尼に惚れていたのかというとそういうことはなかった。
華女 どうして、そんなことが分かるの。
句郎 芭蕉が生きた時代の男たちは地女には惚れなかった。
華女 地女とは何なの。嫌な言葉ね。女性にとって失礼な言葉じゃない。
句郎 確かにそうだね。元禄時代に生きた男たちにとって恋の対象となる女性は遊女だったようだよ。
華女 当時の男は遊女が恋の対象だったから、寿貞尼を芭蕉が恋したとは考えられないということなの。
句郎 そうなんだ。子を産み育て、おさんどんに掃除、洗濯、家の仕事をする女性を地女と言うんだ。
華女 江戸時代というのは、とんでもない女性差別の時代だったのね。生活を背負った女性には恋をしないとは、何ということかしら。
句郎 生活の匂いがプンプンする女性に男は女を感じなかったということだよ。
華女 そりゃ男の勝手な理屈ね。生活感のある女性こそ女性としての魅力があると私は思うわ。
句郎 生活感もあり、女の魅力を兼ね備えることが当時は無理だったんじゃないかな。
華女 だから、男は生活臭のない遊女のような者に恋をしたというの。
句郎 日常生活のこまごましたことにとらわれることなく、精神的なところで結びつく歓びのようなものを当時の男たちは遊女に求めていたみたい。
華女 とんでもないことだわ。どうして厳しい生活を背負う女性になぜ精神的な結びつきを求めないの。理解できないわ。
句郎 当時の男たちは単に身体的な快楽をだけ遊女に求めていたわけじゃないということを言ったまでだよ。
華女 じゃ、地女に男は身体的快楽を求めることはなかったとでも言うの。
句郎 そのようだよ。当時にあっては、家の存続が一番大事だったから、子づくりとしての営みはあったけれども、快楽を求める営みは遊女に求めたということなんじゃないかな。
華女 許せない話だわ。女の歴史は哀しみに満ちているのね。