醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  797号  白井一道

2018-07-21 12:47:08 | 随筆・小説


  明治維新に思う⑧


句郎 岸信介は小菅刑務所にA級戦争犯罪人として収監されていた。その時、米ソ冷戦が厳しさを増せば俺は釈放されるという判断をしていたようだ。そのような発言をしていたという記録が残っている。
華女 米ソ冷戦と一部戦犯の釈放は一枚の紙の裏と表の関係になっていたということなのね。
句郎 そうなんじゃないのかな。現実はそのようになったわけだからね。
華女 戦後日本の政治の土台のようなものを築いたのは吉田茂という人なん
じゃないの。
句郎 吉田茂と岸信介という二人の政治家が米ソ冷戦を戦うアメリカの要請を受け入れ、日本を米軍基地に仕立て上げた。それは今も続いている。沖縄に米軍の新基地を日本国の税金で作ってあげようとしているんだから。
華女 吉田茂と岸信介は具体的にどんなことを政治家としておこなったのかしら。
句郎 それは日米安保体制というものを盤石なものに仕立て上げたということなんじゃないのかな。
華女 戦後すぐのころは日本の社会主義化阻止が最大の課題だったわけなんでしょ。
句郎 そう。戦争直後の日本に対してアメリカは当初、日本の戦前の戦争勢力を過大に評価し、土地改革をしたり、刑務所に入れられていた政治犯などの釈放などをした。その結果、日本が社会主義化するのではというの危険性をアメリカは感じ始めたんだ。中国では毛沢東率いる人民解放軍が蒋介石率いる国民党軍を圧倒し始めていたからね。
華女 戦争直後の東アジアは風雲急を告げる状態だったわけね。
句郎 米英仏はなんとしても社会主義勢力の拡大を阻止したいというのが最大の課題だったんじゃないのかな。
華女 そのためにアメリカは日本に対して何をしたの。
句郎 一九四九年中華人民共和国が成立すると日本をいつまでも占領下にしておくのは危険だと気付いた。日本を独立させよう。独立させて日米安保条約を結ばせ、日本を米ソ冷戦の最前線基地にしよう。また日本の政治を安定させるには日本国民の生活向上だと判断したんだ。その結果一九五一年にサンフランシスコ平和条約を制定して日本を独立させると同時に日米安保条約を結ばせた。吉田茂の最大の仕事とは、これだったんじゃないかと私は考えているんだ。
華女 一九四八年にはソ連の占領下にあった北朝鮮に朝鮮民主主義人民共和国が成立しているのよね。
句郎 翌年には中華人民共和国が成立した。その余勢をはったのか、一九五〇年には北朝鮮がソ連の支援を得て南朝鮮解放戦争が始まっているからね。
華女 朝鮮戦争とは、米ソ冷戦の東アジアにおける熱い戦争であったのかしら。
句郎 そうだと思う。当時のソ連の指導者スターリンが仕掛けた朝鮮半島解放戦争が朝鮮戦争だったんじゃないかと思う。
華女 この戦争は間違いよね。このような戦争をしてはいけないわ。
句郎 スターリンは間違った戦争を起こした。その結果、アメリカはなんとしても強固な米軍基地を日本に築こうとしたしたんじゃないかと思う。

醸楽庵だより  796号  白井一道

2018-07-20 06:32:03 | 随筆・小説


  明治150年に思う⑦


句郎 戦前の日本と前後の日本、日本国の本質は変わったんだろうか。それとも日本国の本質は変わっていないんだろうか。
華女 日本は大きく変わったんじゃないのかしら。そうでしょ。私の実家は中規模程度の地主だったけれども農地改革があったでしょ。その結果、小作に出していた土地はすべて小作人の土地になったしまったのよ。
句郎 確かに農村は大きく変わったといえると思うな。しかし日本国の本質は変わらなかったんじゃないのかなと私は考えているんだけどね。
華女 どうしてそんなことが言えるの。戦後新しい憲法が制定され、戦争を放棄したんでしょ。
句郎 平和憲法が制定されて、日本は戦前のような侵略戦争をすることはなかった。新しい憲法は基本的人権を尊重もしているし、国民主権を詠っているからね。
華女 戦前に言われていた国体というものが戦後は国民主権というものに変わったんじゃないのかと私は思っていたんだけど、違うのかしら。
句郎 日本国憲法は国を、時の政府を縛ってきたという経過があるようには考えているんだ。しかし実際はそうではないような現実が多々あるようにも思っているんだ。
華女 そもそも主権とは、何なのかしら。
句郎 学校の授業のようなことを言うとね。主権という言葉は翻訳語なんだ。英語で言うとsovereignty。この語を辞書で引くと君主、主権という訳語が書いてある。だから国民主権とは、国民が君主だという意味だと思っている。
華女 天皇主権の戦前の国家と国民が主権者、君主である国では国体が大きく変わったといえるんじゃないの。
句郎 国民は不断の努力によって憲法を守ろうと努めないと大きな力を持っている政府は国民が君主であることを無視するような事態が生まれてくるんだ。
華女 政府といえども政府は憲法を護持するよう努めないといけないんじゃないのかしらね。
句郎 そうなんだけれども大きな力を持った外国の影響や国内の人々が国に働きかけ、国民主権をないがしろにするような事態が戦後日本にはたくさんあったように感じているんだ。
華女 どんな出来事があったのかしら。
句郎 例えば、戦後、極東軍事裁判で東条英機は戦争犯罪人として絞首刑になった。そうしたA級戦争犯罪人として訴追された人々の中に安倍総理の祖父、岸信介もいた。その岸信介が釈放された理由は何だったのかというとアメリカ占領政府が日本国を支配するに利用できる人材だと判断したからなんじゃないかと思っているんだ。
華女 岸にはどんな利用価値があるとアメリカ占領軍は考えたのかしら。
句郎 それは第二次世界大戦後、米ソの冷戦が厳しさを増していたからね。日本は戦後社会主義化するのではないかと欧米諸国の指導層の人々の中にはこのような考えを持つ人々がいたんだ。それには何としても日本の社会主義化を阻止しなくてはならない。なぜなら日本は米ソ冷戦の最前線基地だったからね。
華女 その仕事を岸にさせようとアメリカ占領軍は考えたということね。

醸楽庵だより  795号  白井一道

2018-07-19 11:12:20 | 随筆・小説


  明治150年に思う⓺


句郎 一九三七年七月七日夜,中国,北京南西郊の盧溝橋付近で,演習中の華北駐屯日本軍一木大隊の中隊に対して十数発の射撃がなされたことを契機に日本軍は戦端を開いた。これが盧溝橋事件というものだった。日本軍は当初優勢だったが、徐々に敗色が濃くなり、中国共産党軍が指導する中国人民軍によって打ち負かされてしまう。
華女 日本軍は中国共産党軍によっても敗戦したのね。
句郎 日本は米軍に原子爆弾を落とされて敗戦した
ような印象が強いけれども中国人民軍にも手痛い敗北をしていたんだ。
華女 三月十日の東京大空襲にあった母の話を聞いていたのでどうしても日本はアメリカに敗戦したという印象が強いのよね。
句郎 実際、米軍に日本は占領支配された経験があるからね。どうしても日本はアメリカに負けたという気持ちは強いよね。中国では日本に勝利したことによって日本との戦争中は共産党軍と国民党軍は形だけだとしても国共合作して日本軍と戦っていたが日本に勝利する
 と共産党軍と国民党軍は戦争を始めてしまったからね。
華女 日本敗戦後、中国では内戦が始まってしまったのね。
句郎 米軍は国民党軍を支援したが、圧倒的に中国人民の支援を得た共産党軍が優勢になり、最終的には一九四九年、共産党軍は勝利をおさめ、中華人民共和国成立の宣言をした。
華女 一八六八年の明治維新から日本敗戦の一九四五年までの七七年間の日本の歴史は戦争につぐ戦争の時代だったということができるわね。
句郎 最終的には手痛い敗北を喫して戦前の日本歴史は終わるということなのかな。
華女 戦前の日本の歴史は近隣のアジア諸国を侵略した歴史なのね。
句郎 問題は戦前のアジア諸国を侵略した日本の歴史を反省し、アジア諸国に謝罪し、平和友好関係を結ぼうとしてきたのかどうかということなんだ。
華女 元西ドイツ首相のシュミットさんが日本には友人がいないと言ったということは日本が侵略したアジア諸国に日本は謝罪していないということなのね。
句郎 そうなのかもしれない。第二次世界大戦が終わるとすぐ米ソ冷戦が始まっていくからね。
華女 アメリカ、イギリス、フランスらとソ連は協力しファシズム国家ドイツやイタリア、日本と戦ったのが第二次世界大戦だったのよね。
句郎 そう。しかし第二次世界大戦という戦争には民主主義国がファシズム国家と戦ったという側面があるが一方には共産主義勢力を打倒するという側面もあったように感じているんだ。民主主義国を代表したアメリカ、イギリスはドイツファシズムの力を利用してソ連を倒そうとした側面があるように感じているんだ。
華女 第二次世界大戦中にすでに冷戦の萌芽があったということなのね。
句郎 そうなんだ。資本主義という経済の仕組みを廃止しようとしている社会主義勢力は敵だという認識をアメリカやイギリスの政府はもっていたからね。
華女 それは今もあるんじゃないのかしら。

醸楽庵だより  794号  白井一道

2018-07-18 11:23:11 | 随筆・小説


  明治150年に思う


句郎 一九〇五年に日露戦争を終えると一九一四年には、第一次世界大戦がヨーロッパを戦場として始まると日本はこの機会だとばかりに中国への侵略を窺う。一九一四年八月にはドイツ帝国に宣戦し、ドイツが中国に持っている権益を狙う。
華女 翌年の一九一五年には対華二一カ条要求を中華民国に突き付けたのよね。
句郎 日本は日清戦争に勝利し、台湾を植民地支配した。さらに日露戦争に勝利すると一九一〇年には韓国を日本の植民地に
した。
華女 第一次世界大戦とは、どことどこの国々が軍事同盟を結び合い、戦争したんでしたっけ。
句郎 西洋列強がアフリカや西アジア地域を奪い合う植民地争奪戦だった。イギリス、フランス、ロシアが軍事同盟を結び、ドイツの侵出を阻止しようとした。それに対してドイツ、イタリア、オーストリアが軍事同盟を結んで、英仏ロに植民地の分け前を求めた戦争だった。日本はイギリスとの間に日英同盟を結んでいたからね、三国協商側、
英仏ロ側に立ってドイツに宣戦布告をした。
華女 第一次世界戦はドイツ側の敗戦で終わったのよね。
句郎 そうなんだ。第一次世界大戦中の一九一七年、ロシアでは革命が起き、ロマノフ朝が崩壊、ロシア革命政府は直ちに一方的にドイツと講和を実現し、第一次世界大戦から離脱してしまった。ドイツでも革命が起き、皇帝ヴイルヘルム二世は退位し、一九一八年降伏した。
華女 日本はヴェルサイユ条約で中華民国に要求した権益を認められたのよね。
句郎 おおよそね。南満州鉄道の経営が安定し、発展していくことになったからね。
華女 徐々に日本は中国東北部への侵出を本格化していくわけね。
句郎 一九二〇年代になると近代社会に対する疑問が提出されてくる。ドイツでベストセラーになった本がシュペングラーの「西洋の没落」だったからな。
華女 戦争に対する反省ね。
句郎 そう、戦争が西洋社会を破壊することに気づいたということなのかな。
華女 ロシア革命やドイツ革命も世界に大きな影響を与えたのじゃないの。
句郎 そうなんだろうな。日本でも大正デモクラシーなんていう動きがあったからね。
華女 侵略戦争に反対する大きな動きはなかったのよね。
句郎 1920年代というのは、西洋列強が日本の中国侵出を阻止しようとする動きが徐々に本格化していく時代じゃないのかなと思うんだ。
華女 欧米の列強は日本が中国に侵出するなんて生意気だぐらいに思っていたのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。中国民衆もまた中国政府がヴェルサイユ条約調印かることに反対する五四運動が起きてくる。ロシア革命の影響下に中国共産党も成立してくる。
華女 明治維新後の日本は戦争に次ぐ戦争の中にあったということなのよね。
句郎 その行き着く先が太平洋戦争だった。1928年の張作霖爆殺事件から日本軍の中国侵略戦争は本格化していくんだ。一九三一年には柳条湖事件(満州事変)を起こす。一九三七年には本格的な日中戦争が始まっていくからね。

醸楽庵だより  793号  白井一道

2018-07-17 12:08:46 | 随筆・小説


  明治150年に思う④


句郎 一八六八年、明治維新があった。徳川幕藩体制が崩壊し、新しい明治政府が成立した。このことをもって日本の近代社会が成立していくと教わってきたように思うね。
華女 四民平等の社会が実現し、徐々に新しい時代が始まったように思っているわ。
句郎 一八七一年(明治四年)十月、宮古島から首里へ年貢を輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風で遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。この日本人が台湾人に殺されるとい
う事件になった。このことを理由に明治政府は軍隊を台湾に派遣し、制裁した。話し合いによって解決するのではなく、出兵した。これが明治政府の侵略の始まりだった。
華女 明治政府は成立すると同時にすぐ侵略戦争を始めたのね。日本の近代化とは侵略戦争の始まりだとも言えるということなのね。
句郎 一八九四年、朝鮮で東学党の乱が起きる。この農民反乱は庚午農民戦争とも呼ばれている。「庚午」の年に起きた農民戦争だからね。当時の朝鮮
の農民たちは近代的な西洋の思想や学問は朝鮮の農民たちの暮らしを破壊するものだという素朴な考えを持つようになっていたんだ。そのような西学に対して地元古来の文化を尊重することを東学と言っていたんだ。近代化・西洋化は農民の生活破壊、朝鮮の植民地化だと直感したんじゃないかと思うんだ。だから現在の韓国ではこの農民反乱を東学農民革命と言っているらしい。朝鮮人にとって誇り高いできごとだったという認識なんじゃないのかな。
華女 その出来事に日本の明治政府と中国の清王朝が介入した結果が戦争になったのね。
句郎 そうなんだ。日清戦争の勃発だ。台湾出兵後十年の一八九四年に日本は朝鮮に出兵し、中国の清軍と戦った。清朝政府はアヘン戦争敗北後、軍事の近代化を進める洋務運動を進め、その成果が李鴻章が率いる北洋艦隊だった。圧倒的に清朝政府軍北洋艦隊の威力は日本軍を圧倒していたが、結果は日本軍の勝利に終わった。日本は朝鮮半島から満州への侵略を狙っていた。
華女 日本は明治政府が成立するとすぐ台湾に出兵し、成功すると直ちに朝鮮に出兵したのね。まさに近代化し、ヨーロッパ化すると侵略戦争を始めたわけね。
句郎 福沢諭吉が掲げたスローガン、「脱亜入欧」とは、同じ近隣のアジア諸国への侵略を西洋諸国と競い合ったということなのかな。
華女 明治日本の指導者たちは侵略戦争が日本の生きる道だという認識を持っていたということなのね。
句郎 そうなのかもしれないな。さらに日清戦争後、窮乏化した中国農民を助ける仇教運動が起きてくるんだ。中国の独立を守り、欧米諸国の植民地になることを防ごうとする運動の中から義和団が結成されてくると、この義和団を弾圧するするためにヨーロッパ諸国が出兵し、日本も西洋諸国に負けじと出兵する。
華女 日清戦争の十年後、一九〇四年に日露戦争が始まるのね。
句郎 明治時代とは侵略戦争をした時代だった。

醸楽庵だより  792号  白井一道

2018-07-16 11:29:58 | 随筆・小説


  明治150年を思う③


句郎 イギリスは世界で一番早く市民革命を実現した。その結果、法の支配、話合いによる議会政治が実現した。その指導者であったクロムウェルは政権をとるとアイルランド侵略戦争を行った。封建社会と同じような弱肉強食の社会を招来した。
華女 自由、平等、友愛を掲げたフランス革命の結果はどうだったのかしら。
句郎 フラン革命の中から出てきたナポレオンもまたスペイン侵略戦争をしているからね。
華女 近代世界の成立とは、新たな侵略戦争の時代の
幕開けだったということなのかしら。
句郎 そうなんじゃないのかな。世界的に見て中世世界の弱者というか、被支配者たちは酷かった。がしかし近代社会に生きる労働者と呼ばれる人々も植民地に生きる被支配者たちは酷かった。
華女 市民革命のスローガンであった「自由、平等、友愛」はまだ実現していないということなのね。
句郎 「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と福沢諭吉は『学問ノススメ』の中で述べているがこの「人」とは、
日本人のことを意味していると私は考えているんだ。アメリカの独立宣言を学んだ福沢諭吉は人間の平等を唱え、身分制を批判した。このアメリカ独立宣言が唱えた自由、平等はアメリカに入植した白人たちのことであって、先住民やアフリカ人奴隷の自由、平等を意味してはいなかったからね。
華女 確かにそうよね。アメリカ合衆国にあっては、一九六〇年代になって初めて公民権法が成立し、黒人と白人の法的平等が実現したんですものね。
句郎 侵略戦争はしてはいけないということが世界の常識になったのはまだ最近のことだからね。
華女 第一次世界大戦後からかしらね。
句郎 ロシア革命の指導者レーニンが掲げたスローガンがあったんだ。「第一次世界大戦は帝国主義戦争だ。強盗の戦争だ」。直ちに止めろと、述べたんだ。敗戦国から富を奪うことはしてはいけないと主張したんだ。それが第一次世界大戦即時講和に関する提案「平和に関する布告」というものなんだ。その内容は「無賠償」・「無併合」・「民族自決」だった。敗戦国からお金を奪ってはならない。領土を奪ってはならない。植民地支配をしてはいけないというものだった。
華女 アメリカのウイルソン大統領も「平和十四カ条」を提案しているわね。
句郎 レーニンに先を越されて提案されたので負けじと提案したらしいけどね。
華女 「民族自決」を世界中の国々は認め合いましょうということなのね。これが侵略戦争はしてはいけないという世界の常識へとなっていったということなのね。
句郎 それでもまだまだアメリカ合衆国は世界中で第二次世界大戦後も侵略戦争してきているからね。
華女 例えばどんな侵略戦争をアメリカはしてきたのかしら。
句郎 第二次世界大戦後の東アジア世界における最大の戦争はベトナム戦争だったと考えているんだ。第二次世界大戦後、ベトナム人は民族の独立戦争をフランスと戦った。このベトナム人の民族独立戦争を許さじと戦ったのがアメリカだった。このアメリカの戦争は侵略だ。

醸楽庵だより  791号  白井一道

2018-07-15 12:23:31 | 随筆・小説


  明治150年を思う


句郎 中世ヨーロッパ世界にあってイギリスはいち早く市民革命を実現した。フランスは人権宣言を制定した大革命、フランス革命を実現し、法の支配という民主主義社会を実現した。一方神聖ローマ帝国の領域にあったプロイセン、オーストリアやロシア帝国の場合は再版農奴制という中世ヨーロッパの古い制度が復活し、強化されていった。ヨーロッパの西側に位置する英仏に比べて東側に位置したドイツやロシアにあっては、世界史の大きな流れに逆行する動きがあ
ったんだ。
華女 歴史とは不思議な発展をするものなのね。
句郎 そうなんだ。イギリスで綿布生産が隆盛を極めるとアメリカ南部でアフリカ人奴隷が綿花を栽培をする大農園が出現していったんだからね。アメリカ南部に入植した白人たちの豊かな生活の裏にはアフリカ人奴隷の涙があったんだ。
華女 欧米諸国が近代化したいうことは、アジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の人々にとって時代に逆行する社会に突き落とされてしまったとい
うことなのね。
句郎 どうもそのようなんだ。現代社会にあっても「低開発の開発」ということをいった学者がいる。一九七六年にフランクは『世界資本主義と低開発』という著書を著した。この著書の中で発展途上国はヨーロッパ中世においてあったような再版農奴制のような状況にあるということを述べている。第三世界の発展とは、低開発を強制されていると述べている。
華女 日本はいち早く西洋諸国の仲間に入れてもらい、アジア諸国の仲間に入ったら大変なことになると悟ったのね。
句郎 福沢諭吉がそのような歴史観を持っていたのじゃないのかなと思っているんだ。
華女 アジア諸国を踏み台にして日本は欧米諸国の仲間に入れてもらおうとしたということなのね。
句郎 そうなんだ。「脱亜入欧」というスローガンを福沢諭吉は唱えているからね。
華女 凄まじい生存競争を勝ち抜くためだと福沢諭吉は考えていたのかしら。
句郎 そうなのかもしれない。英の政治家セシル・ローズはイギリスの貧しい人々を救うためにアフリカ諸国を植民地支配したと述べているからね。英国も生存競争を生き抜くため侵略戦争をしたということなんじゃないのかな。
華女 「乏しきを分かち合う」という思想を現実に実現するということは難しいことなのね。
句郎 中国がアヘン戦争によってイギリスの半植民地になっていった。このことを福沢諭吉は知っていたのかもしれないな。だから中国のようになってはならないと考えたのかもしれない。しかしアヘン戦争、アロー戦争に対する中国人の抵抗が激しかったので英仏は日本を植民地支配する軍事的余力がなかったので、日本は英仏の植民地にならずに済んだ。
華女 あら、そうなの。日本が西洋諸国の植民地にならずに済んだは、日本と言う国を西洋諸国は恐れたからだというような話を子供のころに聞いた気がするわ。
句郎 そう、日本は神の国だというような神話がまだ生きているのかな。

醸楽庵だより  791号  白井一道

2018-07-14 11:16:47 | 随筆・小説


  明治150年を思う ①


句郎 今年、二〇一八年は明治一五〇年というこで、政府や日本各地の自治体、大学、研究機関がいろいろイベントを催しているようだよ。
華女 一八六八年の明治維新から数えると確かに今年は明治一五〇年目になるわね。
句郎 一五〇年前の日本とか、明治維新以来の日本の歴史はどのような歴史であったのかといったようなことがいろいろ議論されているらしい。
華女 日本とは世界の中にあってどのような国であったのかということは、
確かに日本人にとっても、また日本と何らかの関係を持つ国にとっても興味、関心のあることだとは思うわ。句郎君は日本という国はどのような国だと思っているのかしら。
句郎 元西ドイツの首相ヘルムート・シュミットが一九八六年十一月号雑誌『世界』に投稿した「友人を持たない日本」という評論文があるんだ。日本は近隣のアジア諸国に友人がいないと元西ドイツ首相シュミットは言っていた。この指摘に日本という国の本質が表現されているのではないかと私は考えているんだ。
華女 シュミットさんとは、失礼なことを言う人ね。友人がいんいなんて、言われて好い気持ちする人はいないでしょう。
句郎 なぜシュミットはアジアに友人のいない国、日本と言ったのだ思う?
華女 中国をはじめとしてアジア諸国を日本は侵略したということなのかしら。
句郎 そうなんだ。日本は東アジア諸国の中にあっていち早く近代化を成し遂げたからね。
華女 近代化することがなぜ近隣諸国を侵略することになってしまったの?
句郎 近代化とは、ヨーッロッパ化だと明治維新を指導した人々は考えてしまったからなんじゃないのかな。
華女 西洋諸国が近代化するとなぜ海外諸国に西洋諸国は侵略を始めたのかしら。
句郎 いち早く産業革命を果たしたイギリスは直ちにインドから輸入した綿花を紡績機で糸に紡ぎ、綿布を生産し、インドへ輸出し始めているからね。
華女 じゃー、インドは原料を提供し、製品をイギリスから買い入れるようになったのね。でもそれは侵略じゃないわよね。
句郎 そう、でもインド人がイギリスの綿布によって手織り綿布を生産してきたインド人手工業者が仕事を失っていくとイギリスへの不満が高まり、イギリス綿布への不買運動のような出来事が起きてくるとイギリス東インド会社はインドを植民地支配するようになっていったからね。
華女 産業革命は急激な生産力の向上をもたらしてくれた結果、過剰な生産が海外に市場を求めて進出していったということなのね。
句郎 そう、対等な交易が先進国と発展の途上にある国とでは、対等な交易であっても発展途上国にとっては不利になってしまうということがあるからね。
華女 先進国は後進国を見下げるようなことが起きてくるかもしれないわね。
句郎 ヨーロッパ諸国の近代化とは、産業革命の進展とアジア、アフリカ、ラテンアメリカ諸国の植民地化、侵略の歴史であったといえるように思う。
華女 でも近代化とは民主主義化でもあったのよね。

醸楽庵だより  790号  白井一道

2018-07-13 11:00:59 | 随筆・小説


  鳥取の名酒「諏訪いずみ」を楽しむ


侘助 今日の酒塾、唎酒は唎酒でも趣向を変えて、美味しいと感じたことを言葉で表現をする。その言葉の表現を競うというのはどうかな。
呑助 どこの酒を唎酒するんですか。
侘助 鳥取のお酒なんだ。
呑助 鳥取というと何か、めぼしいお酒があるんですか。
侘助 鳥取というと智頭(ちず)の「諏訪泉」、鳥取市にある「日置桜」、それから境港の「千代むすび」が有名かな。
呑助 境港というと、水木しげるの生まれ故郷です
よね。
侘助 そうなんだ。漫画「ゲゲゲの鬼太郎」を書いた水木しげるの故郷が境港かな。
呑助 今日はどの酒を唎酒するんですか。
侘助 境港の「諏訪いずみ」の酒を唎酒して、一番気に入った酒を言葉で表現してもらう。その後、誰の表現が一番良かったか、皆で手を上げ、一番手の上がった人が一位ということにしては、と考えているんだがね。「諏訪いずみ」の五本の酒は試供品だから、全部飲むことはできないんだがね。
呑助 そりゃ、いいですね。
侘助 「諏訪いずみ」の酒を唎酒したら、今日は四本の酒をマッチングしようと思っているんだ。
呑助 時間が大丈夫ですかね。
侘助 時間が難しそうだったら、四本の酒を飲み比べ、「水芭蕉」の酒、二本と「雪の茅舎」「美冨久・三連星」を楽しみましょう。
呑助 そうですね。今日のポイントは「千代むすび」ですね。
侘助 初めて飲む人が多いんじゃないかと思うんだ。今は取り扱ってはいないんじゃないかと思うんだけれども、川間の中田屋酒店さんが昔、取り扱っていた。その後は同じ川間のマコト酒店が「千代むすび」の酒を扱っていたから、「千代むすび」の酒に親しんだ方がこの中にもいるかもしれないよ。
呑助 マコト酒店が主催していた「本物の酒を楽しむ会」ですか。
侘助 うん、きっと「本物の酒を楽しむ会」に出品されたことがある酒なんじゃないかなと思うけれどね。
呑助 その会を私は知りませんけれどね。
侘助 今は昔のことになってしまったよ。野田には「吟醸酒を飲む会」という飲ン平の会もあったらしいから、そこで楽しんだことがあったかもしれない酒が「千代むすび」の酒なんだ。
呑助 いろいろ同好の士の集まりがあったんですね。
侘助 それもこれも、みな特定名称酒という上級酒が普及した結果なんだと思う。特級酒より美味しい二級酒の出現が特定名称酒を生み、日本全国の吟醸酒を飲み比べ、楽しむ吟醸酒メッセが東京赤坂プリンスホテルで開催されるようにもなったからね。また酒場詩人の吉田類の「酒場放浪記」がテレビ放送されるようになったのはいつからなのかな。もう何年も放送しているからね。ノミちゃんは見たことあるかい。
呑助 へぇー、そんな番組あるんですか。
侘助 日本全国の酒蔵の社長たちはほとんど皆、この番組を見ているらしいよ。うちの蔵の酒が飲まれていたというと何かしら、励みになるみたいらしい。

醸楽庵だより  789号  白井一道

2018-07-12 11:05:24 | 随筆・小説


  『時代閉塞の現状』石川啄木著 を読む


句郎 石川啄木が一九一〇年八月に書いた『時代閉塞の現状』という評論を読んだ。
華女 一九一〇年というと明治よね。
句郎 明治四三年かな。
華女 明治は四五年まであったのよね。
句郎 そう、明治四五年は七月二九日までのようだよ。七月三十日から大正元年らしいからね。
華女 日本という国の時間を天皇は支配しているのね。
句郎 天皇が亡くなり、新しい天皇が即位すると新しい時代が始まる。天皇が存在して、初めて新しい時間が始まる。
華女 天皇陛下は日本国の宇宙と時間を支配する絶対的な存在として君臨していると明治以来の日本政府は認識しているということなのよね。
句郎 天皇制はいろいろ曲折はあるが奈良時代から延々と続いてきている制度だからね。
華女 日本という国の特色というか、個性のようなものなのかもしれないわ。
句郎 石川啄木は明治末、時代閉塞の現状を嘆いている。「強権、純粋自然主義の最後および明日の考
察」と副題を付けて、当時の若者たちに希望を語ったものが、『時代閉塞の現状』という評論だと思うんだ。
華女 明治末から大正の初めに生きた若者たちは社会の閉塞感に苦しめられていたということなのね。
句郎 そう、仕事を求めても就職口がない。当時の旧制中学を卒業しても仕事が見つからない。
華女 若年失業者がいたということなのね。
句郎 若者の不満が出口を求めていたが、どこにもその不満の出口が見つからない状況があったんじゃないのかな。そのことを時代閉塞の現状と認識し、明日(未来)に向かってどうにかしよう。それには政治権力に働きかけることによって打開できる道があるに違いないとと啄木は述べていると私は理解した。
華女 明治末の政治権力を「強権」と啄木は言っているということね。
句郎 明治政府に対して国民に向いた政治をしてくれということなんじゃないのかな。
華女 若者にも、貧しい人にも仕事をということなのかしら。
句郎 明治政府の富国強兵政策は国民の生活を少しも豊かにしなかった。軍事強国への道は国民の生活を豊かにしない。そのような認識を啄木はおぼろげながらもっていたのじゃないのかな。
華女 そうよね。日本は日清戦争にも日露戦争にも勝利したにも関わらず、国民の生活は苦しく、若者には仕事がなく、閉塞感に苦しむということは、変だと啄木は感じたんじゃないのかしらね。
句郎 そうだよね。啄木が『時代閉塞の現状』を書いたのは一九一〇年だからね。日清戦争も日露戦争も終わり、第一次世界大戦の前夜とも言えるような時だよね。
華女 戦争は国民の生活を少しも豊かにすることはないということなのよね。
句郎 一九一〇年というと大逆事件が六月に起き、幸徳秋水や菅野スガらが天皇暗殺を企てたとして処刑されているからね。
華女 大逆事件とは、フレームアップ、冤罪だったんでしょ。
句郎 一九六〇年代には再審請求が出されているからね。社会主義者を弾圧した明治政府のでっちあげ事件かな。世論を誘導する政府の政治的詐術が大逆事件だったのかな。