醸楽庵(じょうらくあん)だより 

主に芭蕉の俳句、紀行文の鑑賞、お酒、蔵元の話、政治、社会問題、短編小説、文学批評など

醸楽庵だより  788号  白井一道

2018-07-11 12:28:26 | 随筆・小説


  山形の酒「出羽桜」を楽しむ


侘助 今日の酒は、誉れ高い山形県の「出羽桜」だよ。
呑助 山形県の地酒では最も有名な酒ですね。
侘助 そうかな。華やかな香りを売りに有名になった酒蔵の一つだったのかな。香りが鼻に突き刺さるような酒があった。
呑助 「十四代」も山形の酒でしたよね。
侘助 そうだよね。山形県には有名な酒蔵がたくさんあるかな。
呑助 「出羽桜」、「十四代」のほかにどんな酒があるんですか。
侘助 私の好きなお酒で言
うと山形市の「秀鳳」とか、酒田市の「上喜元」、鶴岡の「栄光富士」、東根の「六歌仙」、軽快な「鯉川」とか、ね。
呑助 そんなにいっぱいあるんですか。
侘助 山形というと、なんとなくダサいというイメージがあるでしょ。
呑助 そうですね。茨城の酒というのと同じですね。
侘助 茨城にも「武勇」とか、「霧筑波」、「一人娘」なんていうお酒があるけれども何となく泥臭い感じがあるよね。
呑助 どうしてなんですかね。
侘助 同じ東北でも秋田に行くとイメージが良いでしょ。お酒も美味しそうだしね。
呑助 その地域が醸しだすイメージなんですかね。
侘助 そうなんじゃないかな。秋田美人という言葉はあるけれども、山形美人という言葉は聞かないからな。
呑助 美人の多い地域の酒は美味しいのかもしれませんね。
侘助 そんなイメージがあるんだろうな。山形の蔵人たちは、そのイメージを払拭するのにホントに美味しい酒を造ったんじゃないかな。
呑助 ダサいイメージを払拭した山形の酒蔵が「出羽桜」だったんですかね。
侘助 そう吟醸香のある酒を造ったからね。
呑助 フルーティーな香りのあるお酒ですか。
侘助 そうなんだ。リンゴやメロンのような香りを吟醸香と言うんだ。
呑助 それで若い女性の間に人気が出たんですね。
侘助 そのようなんだ。お燗した日本酒のムッとする匂いが女性に嫌がられていたからね。それなのに飲んでみたら爽やかでフルーティーな香りの酒に若い女性がびっくりした。そんなお酒を最初に造った酒蔵が出羽桜だったのかな。
呑助 そのフルーティーな香りが山形のイメージを払拭したんですね。
侘助 そうなんだ。その後、新酒鑑評会や杜氏会品評会で香りより味に力点が置かれるようになると出羽桜の酒もまた味に力点をおくようになったから、今は香りにこだわってはいないようだ。
侘助 今年、ロンドンで開かれたIWC(インタナショナル・ワイン・チャレンジ)で入賞した「出羽の里」純米酒と純米吟醸「出羽燦燦誕生記念(本生)」を飲み比べてみようと思っているんだ。そのほかに「高千代」、「浦霞」、「普通酒」も唎いてみようとおもっているけれどね。
呑助 「出羽燦々」とはなんですか。
侘助 山形県農業試験場が1985年に開発した酒造好適米が「出羽燦々」なんだ。長野県が開発した酒造米、美山錦を品種改良した酒造米が出羽燦々なんだ。この酒造米が山形の酒を醸している。





醸楽庵だより  787号  白井一道

2018-07-10 12:06:39 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』から「塚も動け我泣声は秋の風」 芭蕉


 私の気持ちに応えて、塚よ応えてほしい。私があなたにどんなに会いたかったか、その気持ちをわかってほしい。あなたが亡くなったと聞いて秋風のごとく悲しみにくれています。
 このような芭蕉の気持ちを表現した句でしょうか。小杉一笑という金沢では有名な俳人に会いたいと思って芭蕉はやってきた。芭蕉はまだ一度も一笑にあったことはない。それにもかかわらずにこのような句を詠んだ。なにか一笑からの手紙に芭蕉の心に触れるもの
があったのであろう。江戸時代にあって手紙は今では
考えられないほど人と人とを結びつける力があった。噂に聞く一笑の俳諧の力に学びたいという気持ちが芭蕉にあったのかもしれない。きっと芭蕉は人間関係を大事にする人であったのであろう。俳諧そのものが人と人との交わりを楽しむ遊びでもあった。そんな遊び事に芭蕉は命をかけた。
 芭蕉は「塚よ動け」とは詠まずに「塚も動け」と詠んだ。まずここに芭蕉の芸があるように思う。「よ」と「も」ではどのような違いあるのだろう。細見綾子の
句に「春の雪青菜をゆでてゐたる間も」がある。この
「も」は「春の雪」も「ゆでていたる間」もという解釈でいい。「春の雪も」の「も」は省略されている。この「も」を読者に喚起させる言葉が「ゆでていたる間も」の「も」である。「塚よ動け」と詠んだのでは「我泣声も」の「も」を読者に喚起させることはできない。だから「塚も動け」でなければならない。
 「我泣声は 秋の風」の中七の言葉と下五の言葉の間に小さな切れがある。このことに気づかせてくれるのも「塚も動け」の「も」の働きである。「我泣声は」のは、「も」という意味をも表現していることに気付く。この句の解釈は塚も動いて私の言葉に答えて下さい。私が泣く声も私の哀しい思いを乗せた秋風になってあなたに語りかけています。どうか私に一笑さん、応えて下さい。こう解釈することで追善句になる。静かに故人を思う気持ちが表現されることになる。
 芭蕉学の泰斗、鴇原退蔵がこの句ははげしい悲しみの情をのべたと解釈したのに対して上野洋三は違和感を覚えた。この句は慟哭の句ではない。そもそも追善句とは静かに故人への思いを表現するものである。
 芭蕉の他の追善句を上野洋三は読む。
 なき人の小袖もいまや土用干し
 土用干しする小袖を見て今は亡き故人を偲ぶ。
 数ならぬ身とな思ひそ玉祭
 寿貞を偲んで詠んだ
 埋(うづみ)火(び)もきゆやなみだの烹(にゆ)る音
 火鉢の埋火も消え、悲しみの涙もなくなり、会葬の人もいなくなった。囲炉裏にかかっている鉄瓶の音だけが部屋にこだましている。
 会葬者のいなくなった棺の前で故人を思う気持ちが静かに表現されている。これが追善句なのだ。
 整えられ、鎮静された感情を表現してこそ此岸から彼岸に向けて故人が彼岸に渡っても幸せであってほしいという気持ちが表現されるのだと上野洋三は主張する。
慟哭では追善にならない。
 この句を激情、慟哭を表現したものとするのが大勢の中にあってこのような解釈をしたのは勇気ある試みであろう。私もこの上野洋三の解釈に従ってこの芭蕉の句を鑑賞したい。

醸楽庵だより   786号  白井一道

2018-07-09 13:31:05 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「文月や六日も常の夜には似ず」  芭蕉


 恋心を詠む越後路  文月や六日も常の夜には似ず


華女 句郎君、越後路で芭蕉が詠んだ句「文月や六日も常の夜には似ず」。この句は何を詠んでいるのか、全然分からない句ね。
句郎 文月というと何月のことだったっけ。
華女 文月は七月のことを言うのよ。
句郎 七月というと季語は夏だよね。
華女 あら嫌だ。句郎君。文月は秋よ。
句郎 あっ、そうか。旧暦じゃ、七月はもう秋か。
華女 そうよ。七夕には短
冊に思いを込めた文をしたためたのよ。だから七月を文月と云うらしいわよ。
句郎 「文月や」と読むと当時の人々にとっては七夕が来るんだなァーと云う気持ちが湧き出てくるんじゃないかな。
華女 「六日も常の夜には似ず」とはなんなの。
句郎 分からないかな。イヴだよ。
華女 あっ、そうなの。七夕の前夜ね。
句郎 イヴというと若者は盛り上がるでしょ。カップルなんか。特にね。
華女 分かったわ。普段の
夜じゃなく、気分が盛り上がる夜ということね。
句郎 明日は七夕だ。華やいだ気配が漂う中に吹く夜風に秋がにおう。季語、文月の本意はこんなところにあるんじゃないかな。
華女 元禄二年七月七日というと新暦の何月何日になるのかしら。
句郎 八月二一日になる。文月は秋の気配を感じ始める頃だね。
華女 古今集、藤原敏行が詠んだ歌「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」の頃ね。
句郎 そうだよ。芭蕉が小松で詠んだ句がある。「あかあかと日は難面(つれなく)秋の風」。
華女 この「文月や」の句には秋の気配は詠み込まれていないね。いや、季語「文月」そのものに秋の気配があるのかもしれないわね。そうよ。そうなのよ。「文月や」と詠んだだけで秋の気配が漂うのよ。
句郎 そうかもしれない。七夕の前夜でさえも華やいだ気分になるということか。
華女 明日、織女は牽牛と逢えると思うだけで気分が盛り上がったんだわ。
句郎 当時の若者たちは七夕の夜に逢瀬を楽しむ風習があったのかもしれないな。
華女 ちょうど、今のクリスマス・イヴみたいなものね。芭蕉はそんな若者たちの気持ちに添ってこの句を詠んだのね。









醸楽庵だより  785号  白井一道

2018-07-08 12:39:20 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」


  寂しさや須磨にかちたる浜の秋


 寂しいなぁー、種の浜の秋は。寂しさを古歌が詠んだ須磨より種の浜の秋は寂しいなぁー。芭蕉は古今集に馴染んでいた。「わくらばにとふ人あらば須磨の浦に藻塩たれつつわぶとこたへよ」。(たまたまでも私を尋ねる人がいたら、須磨の浦で藻塩にかける潮水を垂らしながら侘びしく暮らしていると言って下さい)。須磨の寂しさと比べて芭蕉はこの句を詠んだ。寂しい印象が強かった。その印象を述べる。寂しさを強調したい。
その気持ちを上五にもってくる。「寂しさや」と思いが流れ出て、「浜の秋」と体言で思いを止める。この俳句の型はオーソドックスな型として現代俳句に定着している。『おくのほそ道』にはこの句の他にも同じ型の句がある。
「あらとうと青葉若葉の日の光」 あぁー貴いなぁー、青葉若葉に朝日が光る日光には厳粛な貴さがあるな。
「閑さや岩にしみ入蝉の声」 蝉の鳴き声が岩に沁み込んでしまうような静かさがあるなぁー。森の中の静かさが何と厳粛なのだろう。厳粛に静かさが表現さ
れている。
「有難や雪をかほらす南谷」。有難いなァー。汗かいた体に吹く風の有難さが表現されている。
「涼しさやほの三か月の羽黒山」。三日月のかかった羽黒山を眺めていると涼しいなぁー。このような解釈の他に羽黒山から眺める三日月の涼しさを詠んだという解釈もある。
「むざんやな甲の下のきりぎりす」。甲の下で鳴くキリギリスの鳴き声を聞いているこの甲を被って戦った実
盛の無惨さが偲ばれ。
芭蕉の俳句は気持ちを詠む。古歌に詠まれた名所で刺激された感情や主観を詠む。歴史的遺物を見て引き起こされた気持ちを詠む。殷賑とした蝉の鳴き声を森の中で聞き、心に起きた変化を詠む。キリギリスの鳴き声を聞き、悲劇の武士の心意気を偲び、句を詠む。
「夏草や兵どもの夢の跡」夏草が繁茂している。ここで義経は戦ったんだ。繁茂している夏草、自然を見て、芭蕉は義経を偲ぶ。
「荒海や佐渡によこたふ天河」。この荒海の向こうに流人の島、佐渡があるんだなぁー。天河を見て島流しにあった人々は本土の事を偲んだにちがいないだろうなぁー。越後路から佐渡を眺めて昔を偲んだことを詠む。
「野を横に馬牽むけよほととぎす」。時鳥が鳴いたぞ、どっちだ。馬の首を時鳥が鳴いた方に牽き向けよう。
鳥の鳴き声に反応したことを詠む。
 このように見てくると芭蕉の句は自然の風景や自然の音、その土地にまつわる歴史、西行が歌を詠んだ場所、そのようなものによって刺激された主観を詠んでいる。ここに特徴があるようだ。しかしそうではない句もある。例えば、「五月雨をあつめて早し最上川」。梅雨の後、水量の増えた最上川の河の流れの速さを詠んでいる。これは客観写生の句のように思う。「蚤虱馬の尿(ばり)する枕もと」。「尿(しと)する」と読む人もいる。
この句も一見、客観写生の句のようだけれども、違う。リアルな表現になっている。リアルと写生は似て非なるものだ。宿った先をリアルに表現している。元禄時代に生きた庶民の生活が目に見えるように表現されている。芭蕉の句には子規を越える近代西洋文学が課題とした問題を先取りしている所がある。

醸楽庵だより  784号  白井一道

2018-07-07 12:07:28 | 随筆・小説


  名酒「福小町」を楽しむ


侘助 今日の目玉は秋田の名酒「福小町」雄町・特別純米だ。
呑助 何年か前、話題になったお酒ですよね。
侘助 そうそう、猪瀬元東京都知事がオリンピック招致ローザンヌ会議の日本ブースに出品したお酒なんだ。その時、日本酒ファンの間で話題になった酒だったかな。
呑助 ノーベル賞授賞式で振る舞われたお酒だとかいうことで話題に上るお酒がありますね。
侘助 そう言えば、伊勢志摩サミットで振る舞われた日本酒が話題にならなかったね。
呑助 獺祭だったんじゃないですか。
侘助 いや、それほど安倍総理は恥知らずじゃなかったみたいだよ。やはり三重県のお酒をふるまいたいと安倍晋三氏は述べたようだ。伝え聞くところでは、「G7伊勢志摩サミット2016」1日目の昼食会の乾杯酒として「作(ざく)智(さとり)純米大吟醸 滴取り」が提供されたようだ。
呑助 三重県のお酒だったんですか。
侘助 鈴鹿市の清水清三郎商店のお酒だ。
呑助 われわれの口に入ることのないお酒なんでしようね。
侘助 大きな話題になることがなかったにも関わらず、「作」や初日のディナーで乾杯に供された「半蔵」は一日で同じ銘柄のお酒は完売したらしいよ。
呑助 選ばれるってことは物凄いプロパガンダですね。
侘助 二十一世紀は広告時代なのかもしれないな。
呑助 今日のお酒「福小町」はどうなんですか。
侘助 秋田県湯沢のお酒だからね。味の乗ったお酒だと思うよ。酒造米「雄町」で醸したお酒だからね、綺麗なお酒だと思うよ。精米歩合が60%であるにもかかわらず、綺麗にできているようだ。
呑助 なんか女性的な感じがするお酒なんですかね。
侘助 「福小町」というくらいだからね。秋田県湯沢は小野小町の生誕地の一つとして認められているからね。柔らかで、ふくよかな味わいが売りのようだ。
呑助 じぁー、仕込み水は軟水ですか。
侘助 軟水のようだ。ミネラル成分の少ない水が軟水だから、酵母はなかなか元気がでない。発酵がなかなかはかどらない。
呑助 発酵には硬水の方が良いんですか。
侘助 そりゃ、そうだよ。カルシウムやマグネシウムといったミネラル成分が酵母の生命活動を活発にするからね。人間だってミネラルが肝臓を元気にするみたいだからね。宮水というでしょ。宮水は硬水だよ。硬水で醸した酒が男酒、軟水で醸した酒が女酒という場合があるみたいだよ。
呑助 それで灘の男酒、伏見の女酒というんですか。
侘助 灘の水は硬水。伏見の水は軟水だと言われているからね。
呑助 ヨーロッパの水と比較とよく日本の水は軟水だと言われていますよね。
侘助 イギリスやフランスの水は日本の硬水とは比べものにならないくらい硬い水のようだよ。この硬い水で入れたコーヒーを飲みなれると日本のコーヒーは飲めないなんて言う人がいるくらいだからね。しかし日本人は日本の水、軟水で入れたお茶やコーヒーの方がはるかに美味しい。味が引き立つからね。

醸楽庵だより  783号  白井一道

2018-07-06 11:21:30 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』より「名月や北國日和定なき」  芭蕉


華女 お月見に芭蕉は格別の想いがあったみたいね。
句郎 どうも、そのようだ。
華女 「十四日の夕ぐれ、つるがの津に宿をもとむ」と、わざわざ「おくのほそ道」に書いているところを見ると敦賀でお月見をしようという意志のようなものが芭蕉にあったということよね。
句郎 そうなんだ。十四日は中秋の名月の前夜だものね。
華女 「その夜、月殊晴(つきことにはれ)たり。『あすの夜もかくあるべきにゃ』といへば『越路の習ひ、猶明夜の陰晴(いんせい)はかりがたし』」と「おくのほそ道」に書いているわ。
句郎 今日と同じように明日の夜も晴れるでしょうかねと芭蕉は宿の主人に尋ねているんだものね。
華女 「十五日、亭主の詞(ことば)にたがわず雨降」と前書きして「名月や北国日和定なき」と残念な気持ちを表現しているわけよ。
句郎 「名月や」と心に描いたお月見をしたんだろうね。
華女 雨夜のお月見に俳句の味が出ているのかもしれないわ。
句郎 今夜は雨夜の月見だよと、自分を笑っているということかな。
華女 お月見というのは年中行事の一つでしょ、こうした年中行事に想いを寄せる気持ちが芭蕉は強かったのかしら。
句郎 芭蕉だけでなく、当時の人々一般が年中行事を待ち焦がれる気持ちが強かったんじゃないかと思う。
華女 お月見という行事が庶民にまで広がったのはいつごろからだったのかしらね。
句郎 お月見という行事が広く農民や町人にまで広がったのは元禄時代だったのじゃないかな。
華女 お月見という行事は古くからあるんでしょ。
句郎 中国にあった行事を日本が真似たんだろうね。奈良時代の遣唐使が伝えたのじゃないかと思う。
華女 唐時代の詩人、李白に月を詠んだ詩があるじゃない。
句郎 李白の「静夜思」とか「月下独酌」かな。
華女 「牀前 月光を看る疑ふらくは是れ地上の霜かと 頭を挙げては山月を望み 頭を低れては故郷を思ふ」こうした月を詠んだ詩が広まることによってお月見という行事が生まれ、広がっていったのじゃないかと思うわ。
句郎 唐時代の詩人が月を詠むことがお月見という行事を普及させたのかな。
華女 文学は社会に大きな影響を与えるのよね。
句郎 そうなんだろうね。
華女 中秋の名月というのは満月のことなんでしょ。
句郎 初秋、秋、晩秋と三分すると秋の満月のことを中秋の名月という。
華女 中秋の名月を静かに愛でたお月見がいつかお酒を楽しむ行事になっていったわけよね。
句郎 きっと元禄時代の頃にお月見が町人の行事になった頃にはお酒を楽しむ娯楽だったんだろうね。
華女 「あるじに酒すすめられて」と芭蕉は書いているわ。
句郎 農民や町人にとって今のように娯楽が満ち溢れていたわけではなかったから、お酒が呑めるというだけでお月見を待ち焦がれた人々が大勢いたのかもしれないなぁー。
華女 男はそうだったんじゃない。女の人がお酒を楽しむなんて当時は遊女ぐらいだったんじゃない。


醸楽庵だより  782号  白井一道

2018-07-05 12:22:39 | 随筆・小説


  『おくのほそ道』より「月清し遊行のもてる砂の上」  芭蕉


句郎 旧暦の八月十日前後(新暦9/23ごろ)に芭蕉は敦賀の宿でお酒を頂き、夜風に吹かれながら気比の明神に参拝した。
華女 今の気比神宮と言われている所ね。
句郎 福井県敦賀市にある神社だ。越前一の宮といわれ、戦前官幣大社といわれた神社のようだ。
華女 大変な権威ある神社だったのね。
句郎 芭蕉は「仲哀(ちゅうあい)天皇の御廟也」と書いている。神社の門前に立つと神々しい雰囲気に包まれる。松の木の間から月光がもれている。神社に敷き詰められている白砂が一面の霜のように見える。このような神社に夜、お参りした。その時の句が「月清し遊行のもてる砂の上」だった。
華女 「遊行のもてる砂の上」とは何なかしらね。
句郎 「田一枚植て立去る柳かな」と芭蕉が蘆野の里で詠んだ柳を「遊行柳」と言っている。これは謡曲『遊行柳』からきているが、「月清し遊行のもてる砂の上」。この句の「遊行」は遊行上人のことのようだ。
華女 「遊行上人」とはどんな人かしら。
句郎 僧侶が布教や修行のため各地を巡り歩くことを「遊行」と言った。
華女 昔のお坊さんは、みんな日本各地を巡り歩いて布教して歩いたんじゃないの。
句郎 うん、でも特に布教や修行のために日本各地を巡り歩いたお坊さんというと奈良時代では東大寺を建立に大きな力を発揮した行基がいる。平安時代の終わりごろになると弘法大師・空海が四国各地を巡り歩き、布教すると同時に修行した。それが現在のお遍路さんとなって残っている。鎌倉時代の中ごろになると空也上人、時宗を起こした一遍上人が有名だ。江戸時代、芭蕉と同じころ生きたお坊さんに円空がいる。円空仏で有名なお坊さんだ。また『チベット旅行記』を残した河口慧海も遊行僧かな。
華女 観光旅行の旅ではなく、僧侶の遊行、旅は修行・布教・学びが一体化したものだったようね。
句郎 芭蕉の旅もまた、人間の真実を追求した。
華女 人間の真実を芭蕉は追求したから芭蕉の句は文学になったのかもしれないわね。
句郎 そうかもしれない。「遊行のもてる砂の上」の「遊行」とは一遍上人が唱えた念仏をして日本各地を巡る僧侶を「遊行僧」と言ったようだ。念仏を唱えることが楽しかったんだろうね。きっと。一遍のことを「遊行上人」
ともいうようだ。
華女 巡り歩くことを楽しんだのよね。
句郎 修行を楽しむ。芭蕉もまた句を詠む楽しさを満喫してた。
華女 楽しみながら、厳しい旅をしたのね。
句郎 江戸時代は神仏習合だったから、一遍の教えを受けた「遊行二世の上人」、他阿上人が大願を発起し、参道がぬかるみ、雑草が繁茂したのを刈り、土石を運び入れ、砂を撒いた。こうして参道が立派になったので参拝者が
足元に苦しむことがなくなった。このことを「遊行の砂持」と言ったようだ。
華女 神々しい月光が遊行上人によって盛り土された上に撒かれた白砂に降り注いでいる。そういうことを詠んだ句が「月清し遊行のもてる砂の上」という句だったね。

醸楽庵だより  781号  白井一道

2018-07-04 18:13:51 | 随筆・小説



  日本酒の味


侘助 ノミちゃん、日本酒の肴といえば、何かな。
呑助 私が好きなのは、酒盗ですかね。
侘助 鰹の塩辛だな。
呑助 最近は鮪の酒盗もあるそうですよ。
侘助 なんで鰹の塩辛を「酒盗」と云うようになったか、知ってるかい。
呑助 もちろん、知っていますよ。酒盗を肴に酒を飲むとお酒が盗まれたように無くなる。お酒が美味しく飲めるからというでしょ。
侘助 うん。そういうことらしいね。ここに日本酒の味の特徴があると思う。
呑助 同じ醸造酒でも酒盗をツマミにワインは飲めませんね。
侘助 ビールだって、紹興酒だって、飲めないよ。
呑助 そうですね。確かにイカの塩辛や鰹の酒盗で美味しく飲める醸造酒は日本酒でしょうね。
侘助 塩を升のふちに置いて飲む樽酒なんていうのも、美味しいね。酒が甘くなるような味わいがあるなぁー。
呑助 山上憶良の貧窮問答歌を高校生のころ、習いましたよ。「雪降る夜は術(すべ)もなく寒くしあれば堅塩(かたしお)を
取りつづしろひ糟湯酒(かすゆざけ)うち啜(すす)ろいて咳(しわぶ)かひ鼻びしびしにしかとあらぬ」。奈良時代の頃から日本人は塩を舐めて酒を飲んでいたんですね。
侘助 塩は日本酒の肴の定番として奈良時代から続いているじゃないかなと思う。それが鎌倉時代になると武士が陣中に酒を酌むときは味噌を肴にしたようだ。伊達正宗は「仙台味噌」を造った。武田信玄は「じんた味噌(信州味噌)」、上杉謙信の「越後味噌」、徳川家康は「三河八丁味噌」。戦国武士は味噌さえあれば、兵の活力を養うことができたようだ。だから味噌作りに励んだ。味噌と日本酒も相性がいい。戦国武士は味噌を肴に酒を酌んだ。
呑助 梅干しはどうなんでしようね。
侘助 「般若湯」といって坊さんたちは梅干しを肴に酒を楽しんだようだ。
呑助 日本酒にはしょっぱいものが合うんですね。
侘助 そのようだ。朝ごはんの「おかず」に合うものはすべて日本酒の肴になるということかな。
呑助 日本酒は米で造られた酒というなんでしようね。米の味を突き詰めた味が日本酒の旨味ということなんでしようかね。
侘助 そうなんじゃないかなと思う。米を研ぎ、磨き、麹菌でコメのデンプンを糖分に変える酵素を造る麹を誕生させる。微生物の力を借りて米と水で酒にする。
呑助 日本酒と他の醸造酒との味の決定的な違いというと何でしようかね。
侘助 米飯というのはパーフェクト食品のようだ。ご飯と塩さえあれば、人間が必要とする栄養はすべて網羅しているらしい。
呑助 すると日本酒はパーフェクトな醸造酒ということになるんですかね。
侘助 そうだよ。日本酒は料理した肴を、ツマミを必要としない酒なんだ。
呑助 長命不死の菊の水とは日本酒ですか。
侘助 美味しいご飯と味噌汁、漬物があれば、他に食べるものは必要ない。ここに日本人の食生活の原点があるように思う。
呑助 すると米と水だけで造った日本酒に本来の日本酒の味があるということですか。
侘助 シンプルということ、ここに美味しさがある。

醸楽庵だより  780号  白井一道

2018-07-03 16:00:12 | 随筆・小説


 『おくのほそ道』より、今生の暇乞いを詠む芭蕉「物書て扇引きさく余波(なごり)哉」  


 
華女 「物書て扇引さく余波(なごり)哉」。芭蕉は何を詠んでいるのかしら。
句郎 そうだよね。この句だけを読んでも分からないよね。
華女 それとも元禄時代の人にとっては分かったのかしらね。
句郎 どうなんだろう。現代の我々と同じように分からなかったのではないかと思う。
華女 そうよね。句を読んで伝わらないのは句としてどうなんだろうと思う
わ。
句郎 そうだよね。他人様に伝わって初めて句だよね。
華女 私もそう思うわ。芭蕉の句にも何の注釈なしに伝わってくる名句があるけれども、伝わらない句もあるということよね。
句郎 そうだね。この句は『おくのほそ道』の本文を読むと分かってくる部分もあるよ。
華女 『おくのほそ道』の本文に芭蕉は何と書いているの。
句郎 「金沢の北枝(ほくし)といふもの、かりそめに見送りて此処までし
たひ来る。所々の風景過さず思ひつヾけて、折節あはれなる作意など聞ゆ。今既別に望みて」て書いている。
華女 金沢の北枝(ほくし)はどこまで見送ったの。
句郎 今でいうと金沢から福井県丸岡の天龍寺までほぼ一日、北枝は芭蕉の伴をした。
華女 今では考えられない見送りね。
句郎 江戸時代の人にとって遠くの人との別れは今生の別れだったんだろう。
華女 日本人がアフリカの小さな町を旅して仲良くなった現地人との別れのようなものだったのかも。
句郎 そうだったんだろうな。
華女 句郎君、この句の季語はどれなの。
句郎 扇じゃないかな。
華女 「扇」は夏よね。でも夏じゃ、おかしいんじゃないの。
句郎 「扇引裂く」と詠んでいるから、いらなくなった扇、「秋扇」のことを言っているんじゃないかな。
華女 「秋扇」ね。天皇の寵愛を失った女ね。
句郎 「秋扇」には、そんな意味があるんだ。
華女 そうよ。季語「秋扇」には人生の哀しみが色濃くあるんじゃないの。
句郎 そうか。生きる哀しみかな。
華女 そうよ。独り秋の景色を眺める哀しみよ。
句郎 芭蕉のこの句の意味が分かってきたような気がしない。
華女 そうね。いらなくなった扇を引裂き、引き裂いた紙に何を書いたのかしら。
句郎 「物書て扇引さく余波(なごり)哉」と書いたんじゃないの。
華女 そうか。この句は北枝との別れに詠んだ挨拶句だったのね。
句郎 そうなんじゃないかな。北枝はこの挨拶句に何と応えたのか、分からないけれども七七の句を書いて芭蕉に渡したのかもしれない。
華女 互いに別れの挨拶句を書き合い、渡しあったということなのね。
句郎 そんなことを想像したんだけれどね。
華女 芭蕉は北枝さん、本当にお名残りおしゅうございます。ここまで見送っていただきありがとうございました。こんな気持ちを込めた句なのよね。
句郎 多分。そうだよ。


醸楽庵だより  779号  白井一道

2018-07-02 14:27:57 | 随筆・小説



   グラスの話


侘輔 ノミちゃん、盃で酒の味が変わるのを経験したことがあるかい。
呑助 そんなことって、あるんですか。
侘助 あるみたいだよ。ワインはグラスで味が変わるって言うでしょ。
呑助 そういえば、そんな話を聞いたことがありますね。
侘助 リーデルグラスでワインを飲むと味が変わるという話を聞いたことがあるでしょ。
呑助 リーデルグラスって、言うんですか。白ワインと赤ワインではグラスが違うと言うことですよね。
侘助 うん。そういうことらしい。
呑助 赤ワインと白ワインではグラスがどう違っているんですか。
侘助 赤ワインは白ワインに比べて渋いでしょ。そうではない場合もあるかもしれないけれど、普通は赤の方が渋くて酸味があるじゃない。
呑助 そうですね。確かに赤は白に比べて渋いですね。赤の方が酸味の強いワインが多いようには思いますね。
侘助 そうでしよ。そのお酒の特徴というか、個性によってグラスを分けて
 作っているグラス会社がリーデル社なんだ。
呑助 リーデル社というのはもちろんフランスの会社なんですよね。
侘助 フランスの会社のようだ。ワインの風味は、ブドウ品種の個性的な果実の味、酸味、タンニン、アルコールのバランスによって決まるらしい。
呑助 日本酒の場合はどうなんですかね。
侘助 日本酒の場合は米の精米歩合、水、硬水か、軟水か、酵母、造りの違いによって味が違ってくるようだ。
呑助 赤と白のワインではグラスの違いによって味がどう違ってくるんですかね。
侘助 渋くて酸味が強い赤の場合は細いグラスで飲むと美味しく飲めると言われている。白の場合はやや口が広めのグラスがいいようだよ。
呑助 赤ワインはどうして細いグラスのほうが美味しく飲めるんでしょうね。
侘助 細いグラスでワインを飲むと頭をやや後ろに傾け口をすぼめて飲むようになるから少しづつ飲む。だから渋さや酸味を強く感じることが無いみたいなんだ。だから赤ワインを美味しく飲めると言われているようだよ。
呑助 白ワインはグラスの口が広がったグラスで飲んだ方が美味しいということになるんですか。
侘助 そのようだよ。口の広がったグラスだと細いグラスに比べてより多くのワインが口に入ってくるからね。白は赤に比べて酸味や渋みが柔らかだから一気に口の中にたくさんのワインが入ってきても美味しく飲めるという訳なんだ。
呑助 なるほどね。アブサンのようなアルコール度の高い蒸留酒は少しづつしか飲めないというのと同じことですか。
侘助 そうだよ。個性の強い酒は少しづつ、穏やかなお酒は少し量を多く飲めるということだと思う。
呑助 日本酒はワインやビールに比べてアルコール度数が高いからお猪口は小さかったということですか。
侘助 そうなんじゃないかなと思うね。ついこの間、青森の「田酒」の蔵のグラスを貰ったんだ。このグラスが軽快な白ワイン用のグラスに似て、日本酒を飲むと旨いんだ。