6日オンラインで開かれた原水爆禁止2020年世界大会広島デーでの国連事務次長軍縮担当上級代表の中満泉さんの発言の一部を紹介させていただきます。(「しんぶん赤旗」7日付より)
「今の状況は被爆者の教訓や体験をこれまで以上に必要としています。国連は、被爆者の証言が継承され、多くの人々、特に若い世代にその声が必ず届くよう常に心がけます」
「75年という長い間、私たちは核兵器による絶滅という暗い影の下で生きてきました。光の中へ踏み出すのに遅すぎることはありません。被爆者の方々のため、核兵器のない世界の実現を再度誓いましょう」
広島で被爆したサーロー節子さん(88)=カナダ・トロント在住=が世界197カ国の首脳に核兵器禁止条約の批准、核兵器廃絶を求める書簡を送ったことについては、紹介させていただいています。「しんぶん赤旗」日曜版8月9日・16日合併号に、サーロー節子さんが書簡に込めた思いを電話インタビューした記事が掲載されました。早速、読ませていただきました。以下、サーロー節子さんの声の一部を紹介させていただきます。(「全文」を是非、「しんぶん赤旗」でお読みください)
「非常に怖いです。核兵器という大量虐殺の道具が何十万人もの人々を一瞬にして焼き殺してしまう、あのイメージが強烈にあるんです」
「安倍(晋三)首相への手紙では、被爆者の声に耳を傾けよと訴えました。日本の市民の過半数が核廃絶を求めていると思いますが、政府は聞く耳を持っていません。国民と語り合い、『世界でこんなことが二度あってはならない』と日本が世界に道徳的な指導性を示せば、どんなに素晴らしいかと思います」
「トランプ米大統領への手紙では、目前の問題をいくつか提起しました。例えば米国は最近、核兵器に関する条約を破棄していますでしょ。来年2月には(米ロ新戦略兵器削減条約=新START=が失効すれば)何もなくなるじゃないですか。それは危険だから、交渉のテーブルに戻りなさいと言いました」
「彼が核の発射ボタンを押す権限を持っているのは怖いことです。米国でも、法的に抑えようという運動が起きています」
「カナダのトルドー首相への手紙では、広島と長崎に投下された原爆の開発にカナダも参加していたことを認めて遺憾の意を示し、核兵器禁止条約の批准をするよう求めました」
「私が核兵器反対の団体をカナダで始めたのは被爆30年の1975年でした。当時のカナダの人たちは『それは日米間の問題だ』『カナダには関係ない』と横を向いていました。その静けさを破ろうと思って動き始め、米国でも訴えてきました」
「(北米は)こういう孤独な荒野、広大な国土でしょ。夫のジムが背中を押してくれなければ始められませんでした。私の頭の中で考えること、胸の中で感じることを周囲の人と語り合い、だんだん、だんだんと同志ができてきました」
「なぜ私が、このようにやっているか。やはりね、この問題への責任感というか使命感があると思うんです。広島に原爆が投下され(爆心地から1・8㌔の学徒動員先で)私は生き埋めになりました。真っ暗闇の中で兵隊さんが『光が入ってきてるあそこにはって逃げろ』と声をかけてくれ、はい出すことができました。同じ部屋にいた約30人の学友は、ほんとんど焼け殺されてしまいました」
「ああいうことを2度と他の人に経験させてはいけない。そのために全力を発揮して働くんだ、と学生の頃、みんなと誓いあったのを覚えています。やっぱりイメージや記憶が大切ですね。ああ大変だと思った時、かつてのイメージや記憶がよみがえり、また歯を食いしばる。そうやって運動を続けてきました」
6日の広島・平和記念式典でこども代表が「平和への誓い」のなかで次のように元気に話しました。
「『あのようなことは2度と起きてはならない』」
「広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます」
「人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です」
「私たちの未来に、核兵器は必要ありません」