作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんのエッセーが、「朝日」紙に毎月第2木曜日に掲載されています。瀬戸内寂聴さんは1922年生まれで、今年98歳を迎えました。寂聴さんは時々「しんぶん赤旗」にも登場し、「日本共産党と私は同じ年なんですよ」と元気な発言で私たちを励ましていただいています。今日の「朝日」掲載のエッセーで、寂聴さんは次ぎのように述べています。一部で恐縮ですが、紹介させていただきます。
「戦争を経験して生き残った私たち世代の人間は戦争中の不自由さをありありと思いだす。着物の袖を切れとか、千人針をして戦場に遅れとか命じられたことを今更のように思いだす。若さを示す着物の長い袖を短く切ったところで、切った袖の残りは使い道もなかった。千人針も、戦場の兵隊は、敵の銃弾が、赤い木綿の千の糸玉にひっかかって、かえって危険な目に遭ったと、後に聞かされた」
「2、3日前、長崎の原子爆弾落下の記念日が廻ってきた。戦争の経験者も、年々死亡してゆき、私の身辺に残っていた、広島や長崎の被爆者たちも、次々、みんな亡くなってしまった。どの人もやさしい魅力的な人たちだった」
「今の若い人たちに、戦争中の学生の、日の丸弁当のことを話しても、笑いだすだけである。あの戦争のやりきりない空しさに、新型コロナの不気味さは負けてはいない」
「毎年、この国の夜には、川で流す精霊舟の注文を採る声が往来から聞こえてくるのだが、今年はその声もない。精霊舟を見送る人垣が嫌われているのだろう」
「戦争中とはまた違った不気味さが、身の廻りをひしひしと包みこんでくる。生きていくということは、苦の川や谷を、どうしても渡らなければならないのだろう」
「コロナを撲滅する人間の智慧が、やがて必ずあらわれるだろう。そうしてすぐ、その後、前より強烈な力を持つ新コロナが生まれることだろう。人間の智慧とコロナの競走は、品を更え、質を更えても、繰り返しつづき、果てる時は来ないのではないか。国どうしが絶対戦争を止める時が来ないように」
寂聴さんの豊かな、波乱にも満ちた長い人生からの心配は深く、大きなものがあると思います。同時に、多くの国民の不安であり、心配してることでもあるのではないでしょうか。とりわけ、核戦争を阻止し、核兵器の禁止・廃絶は、文字どおり、人類が生存し続ける上で最大の緊急課題です。
「長崎被爆の日」の9日、44カ国目の核兵器禁止条約批准国として、セントクリストファー・ネビスが名乗りをあげました。いよいよ、核禁条約の発効まで6カ国となりました。
「しんぶん赤旗」11日付に同国のブランドリー外相の声明が掲載されました。
「長崎への原爆投下は人間の残虐性、非人道性の極みだ。世界平和に貢献している小さな国として、わが国は、今日の世界において核兵器に有益な目的を見いだせない」